西暦八百一年、桓武天皇が坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命し「エミシ征討」を行なっているが、この頃の北海道はほとんど知られず、「エミシ」(“荒ぶる人”、“夷人”の意)は、現在の関東、東北地方を中心に広い範囲にいた人を指していた。
私の知人でエミシを研究している人の話では、“隼人”もアイヌと同様にエミシ族なので、エミシは九州にも住んでいたことになる。北海道から九州までの広い範囲にアイヌ語の地名があるのはそのためらしい。岩手県に住んでいる“アイヌ語地名から分かる日本史物語”の著者 菅原進氏によれば、エミシはDNA解析によりアイヌであるという説を主張していた。
アイヌは原日本人であるので、アイヌの歴史をさかのぼることによって日本の歴史の一端が分かってくるように思う。アイヌや日本人の起源については、“縄文人の核ゲノムから歴史を読み解く”と題した、国立科学博物館の研究員である神澤秀明氏のレポートが分かりやすいので、その抜粋を掲げよう。
『現在の日本列島に住む人々は、形態や遺伝的性質から大きく3つの集団、アイヌ、本土日本人、琉球人に分かれる。この3集団にはどのような成立ちがあるのだろう。数千年、土に埋もれていた縄文人のDNA配列解析から現代へとつながる歴史が見えてきた。 (中略)
現代日本列島人の成立ちを説明する学説として、1991年に形態研究に基づいて提唱された「二重構造説」がある。これは、縄文人と渡来民が徐々に混血していくことで現代の日本列島人が形成されたという説で、列島の端に住むアイヌと琉球の集団は、縄文人の遺伝要素を多く残すとしている。近年、行なわれた日本列島人の大規模なDNA解析からも、基本的にはこの説を支持する結果が得られている。』
私が高校生の時、日本史の本には “蝦夷征伐”と書かれていた。しかし、今は“エミシ征討”と書かれているらしい。その理由は、日本おとぎ話の鬼の征伐にいった”桃太郎さん”ではないが、征伐と書くと何かエミシ(アイヌ)が悪いことをしたかのように思われるからである。
ところで、アイヌの天才少女と言われる“知里幸恵(享年19歳)”は、アイヌ神謡集(序)には次のように書いているので、その抜粋を掲げよう。
『その昔、この広い北海道は、私たちの先祖の自由な天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されて
のんびりと楽しく生活していた彼らは、真に時代の寵児、何という幸福な人たちであったでしょう。 (中略)
その昔、幸福な私たちの先祖は、自分のこの郷土が末にこうした惨めなありさまに変わろうなどとは、露ほども想像し得なかったのでありましょう。時は絶えず流れる、世は限りなく発展していく。激しい競争場裡に敗残の醜さをさらしている今の私たちの中からも、いつかは、二人三人でも強い者が出てきたら、進みゆく世と歩をならべる日も、やがて来ましょう。それは本当に私たちの切なる望み、明け暮れ祈っていることで御座います。
けれど、愛する私たちの先祖が起き伏す日頃、互いに意を通ずるために用いた多くの言葉、言い古し、残し伝えた多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢なく、亡びゆく弱きものと共に消え失せてしまうのでしょうか。おおそれはあまりにいたましい、名残惜しいことで御座います。
アイヌに生まれ、アイヌ語の中に生いたった私は、雨の宵、雪の夜、暇あるごとにむち打って私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中、極く小さな話の一つ二つを拙い筆に書き連ねました。私たちを知って下さる多くの方に読んでいただく事ができますならば、私は、私の同族祖先と共に本当に無限の喜び、無上の幸福に存じます。(後略)』
このアイヌ神謡集に見られるように日本社会は、アイヌに関する差別や劣等民族の観念が依然として強く残っている。その偏見などを払しょくするために自粛解除になれば、5月8日に「エミシとは・・・」(仮称)の題で講演してもらう予定である。
ところで、このアイヌであるが、「北海道概況」などによれば、明治時代~平成時代の北海道のアイヌの数は、約15千人~2万人と見られている。これはあくまでも申告によるもので、私のようなエミシ系とみられる人の数は入っていないので、アイヌとの混血者は莫大の数にのぼると思う。もっともアイヌは原日本人なので、これを考慮すると渡来系弥生人以外は、すべてアイヌの血を引いていることになると思う。
「十勝の活性化を考える会」会員T