“命のはかなさ”を思わざるをえない。知床観光船に乗って命をなくす人、ウクライナ戦争で生死をさまよう人、ガンで余命半年を告げられた人など、命のはかなさにはいろいろある。
ここでいえることは、生きていることへの感謝だろう。我々は普段、命の大切さや感謝を忘れてはいないだろうか。健康を失って健康であることの大切さを知る。普通を失って普通であることの大切さを知る。大切なことは、このことを常に意識して生きているかどうかが問題で、意識して生きることと生きないことでは大きな違いになる。
人は生まれた時から、死に向かっている。だから誰しも老人なら、「ピンピンころり」と逝きたい気持ちが分かるだろう。
しかし人生は、そのように上手くはいかない。死亡の2割を占めるのが心筋梗塞などの突然死で、残りはガンなどの病死である。日本人の平均寿命は女性が87歳、男性82歳の長寿国である。認知症になる人も、世界で一番高い比率であるそうだ。
年を取ってもピンピンしている人は、そんなに多くはない。私たちが望むのは、亡くなる直前まで元気な人生で、長期の寝たきりになって亡くなることではない。だから、私のように72歳にもなれば、いつ亡くなるか分からないのである。
私は11年前の61歳の時、小脳出血(38cc)を罹患したが、そのほとんどの人がその原因で亡くなっているのをみると、自分は運が良かったと思っている。だから今後は人に迷惑をかけず、人のために役にたち「ころり」と逝きたいものだ。
先日、同じリハビリ施設の81歳になる男性が脳出血を患い施設に来なくなった。聞くと病院に入院したらしい。若い時にバレーボール選手だったというから長身で、とても元気な人であったので驚いている。
私は脳出血性認知症のためにすぐに忘れるが、認知症でない人は認知症の人の気持ちが分からないと思う。私は、認知症と題する講演を行なったが、年を取ってからの老化で忘れるのと脳出血性認知症で忘れるのでは、現象が同じでもまったく違うのである。
私は脳出血の後遺症で右半身にマヒが残り不自由であるが、リハビリ効果もあり良くなっており人間の自然治癒力に驚いている。倒れてから7~8年間は夢を見ることはなかったが、最近、毎日のように夢を見るようになった。その理由は、高次脳機能障害により記憶が脳に残らなかったからであろう。
高次脳機能障害とは、脳血管疾患や交通事故やスポーツ、転落などにより脳が損傷を受けると、言語・記憶・思考といった人間特有の知的機能(高次脳機能)に障害が起きること。
現在、週1回の機能回復型デイサービスでリハビリを続けて体力がつき、老々介護も避けることができると思っている。リハビリ施設には脳梗塞や脳出血、高次脳機能障害の人などがいて認知症の人も多い。これからの日本は人口減少社会になる。老人になれば誰でも“忘れる”ようになるので、AIやロボットを効率的に使って老人をもっと活用すべきであろう。
ところで、認知症になると記憶力、注意力、判断力など、さまざまな能力を人から奪ってしまう。しかし、記憶を失うと、その人は「人間」ではなくなるのであろうか? 人間は認知症になっても、共感や優しい感情自体が消え去ったわけではない。つまり、認知症者を本当に理解できるようになるためには、認知症者のことを自分と同じだと考えてみる必要がある。
自分と他人とは同じ条件で生きているわけではないから、他人は自分とは別の知識や能力を持っている可能性があるということも理解しなければならない。自分と他人とを切り離すことが、他人のことを深く理解できるようになるために必要なのである。
親子の間では、自分と他人とを同一視するのが基本であるのだが、人間は発達するに伴い子供や他人のことを理解するためには、他人と自分とを切り離していかなければならないと思っている。この切り離しは家族など、親しい間柄であればあるほど難しいのである。
夫婦や親子は脳の中でがっちりと一体になっていると考えられ、そのために切り離しが難しいことがよくある。認知症になると、元々の関係性が親しければ親しいほど、自分とその人の切り離しが上手くいかず、「この人には伝わるはずだ」 「自分が思っているとおりに受け取ってくれるはずだ」と思い続けてしまう。
認知症では、本人の認知能力が衰える。それで本人の領域、家族の領域が守れなくなる。それは認知症の人だけの問題ではなく、家族側が今までと同じであることを期待してしまうこと自体が支障になったりもする。
今までできたことができず、自分が知っているとおりに振る舞うことが出来なくなっていくのを見ることに、喪失感が伴うのは確かである。つまり、認知能力の衰えは疑いなく事実である。 「何ができ、何ができない」というだけでなく、その人らしさを作っている感情に気づくことが大切であろう。
それから高次脳機能障害を患って気づいたことが沢山ある。そのひとつに“感受性”の高まりがある。脳神経が刺激を受けて過敏になったのである。これは脳科学者も言っているので、自分特有のものではないと思われる。
「十勝の活性化を考える会」会員