和人とは、江戸幕府がアイヌと区別するために、自分たちの呼称として使った言葉である。古くは、大和民族が自分たちをエミシ(アイヌ)と区別するために用いた自称とされている。文献史料による「和人」の初出は定かではないが、江戸時代後期には、江戸幕府が当時のアイヌに対する日本人の自称として広くもちいている。
幕末に、ロシア帝国の南下に対して領土的危機感を抱いた幕府は、松前藩領であった蝦夷地を公議御料としていた。アイヌ民族がロシアに懐柔されるのではないかという危惧のもと、アイヌを国内の文化・習俗の異なる集団と捉えて、政治的・文化的にも同化を推し進め、蝦夷地の領有を確固たるものにしようとした。
すなわち和人とは、このような文脈の中で使用されはじめた用語であり、歴史的には道南の幕藩体制からの移住・渡来者が、その主たる人々をさしていた。現在では、主に北海道において、アイヌやアイヌに接する日本人、アイヌ研究者の間で用いられていると言えよう。
アイヌと呼ばれる人々は、縄文人系の人々の遺伝子をより濃く引き継いだ人々の末裔である。つまり、アイヌと呼ばれている人々も、江戸時代に和人と呼ばれた狭義の日本人も、生物学的意味での人種は同じモンゴロイドで、アイヌも和人もルーツは同じで、広義の日本人であることに変わりはない。
両者に差を見つけるとすれば、一つは先住系縄文人と渡来系弥生人の混血度合の差であり、もう一つは水田稲作をベースとした農耕文化と縄文系の狩猟採集文化の中で、どちらを選択したかという文化の差に過ぎないということである。
アイヌと言われ始めたのは18世紀前後で、古くは“エミシ”、その後にエビス、エゾ、アイノ、カイノ、エンチュウなどと呼ばれていた。エミシとは荒ぶる人の意味で、大和朝廷から続く歴代の中央政権から見て、現在の関東地方と東北地方や、北海道や樺太などに住んでいた人々の呼称である。本州では、弥生文化が定着したあとも従来の縄文文化を守りつづけ、弥生文化に同化しなかった人々、それが北海道に住んでいるエミシ(アイヌ)だったのである。
大和政権の支配地域が広がるにつれて、エミシの人々が住む範囲は変化していった。近代以降は、北海道・樺太・千島列島・カムチャツカ半島南部にまたがる地域の先住民族で、アイヌ語を母語とするアイヌを指している学者も多い。
つまり、縄文系の狩猟採集の生活・習慣・文化を最後まで守った人々が、アイヌと呼ばれる人々といえる。私たちがこうした事実を正しく理解することが、アイヌと呼ばれる人々に対する差別の解消の第一歩になるのではと思う。
アイヌ民族がいつから北海道に住み始めたことについては諸説があり定かではありませんが、13~14世紀頃に、アイヌ「文化」が生まれたといわれている。アイヌには、エミシ=アイヌ説とエミシ=アイヌ辺民説がある。いずれにしても日本人にとっては、祖先がアイヌ(エミシ)の血が流れているとは思いたくないという意識があるのではないだろうか。
私たちは、縄文人の末裔のひとつとも言われるアイヌのことを、よく分かっていないと言える。事実として分かっていることは、縄文人から渡来系弥生人を経て現代の日本人まで、様々な混血を経て現代に至っているということである。
“エミシ”はのちに“エビス”、“エゾ”などと呼ばれていた。エゾが使われ始めたのは11世紀か12世紀である。エミシ・エゾ・毛人の語源については様々な説があるが、いずれも確たる証拠はありません。エミシの初出は神武東征記であり、神武天皇によって滅ぼされた畿内の先住勢力ともされている。
神武天皇とは初代天皇とされる日本神話上の人物である。大和政権の支配に服した東国(現在の関東以北)のエミシは俘囚とも呼ばれ、本来は大和政権の人々と、人種的な区別をもたない著しく生活・文化様式が異なる人々のことである。
ただ、「エミシそれ自身がアイヌ」、あるいは「エミシのすべてがアイヌの祖先である」と断定できるだけの証拠はない。やがて、エミシの中でも律令国家の支配がおよばなかった北東北から北海道にかけてのエミシが、北方のエミシとして特別視されるようになる。
現在では、エミシがエゾとよばれるようになったころから、エミシがアイヌを指すようになったと見るのが通説のようで、アイヌと思われる「エミシ(蝦夷)」を記した初出は、1356年成立の『諏訪大明神絵詞』にあるとされている。
『アイヌ語から分かる日本史物語』を書いた菅原進氏によると、九州にもアイヌ語地名があるそうで、熊襲や薩摩隼人もアイヌ語族で、彼はエミシ=アイヌ説を唱えている。
なお、北東北にはアイヌ語地名がたくさんあり、青森県の夏泊半島に位置する平内町はアイヌ語でピラ・ナイ(崖・川)と言い、平内町の人口の約5%の名前が“蝦名”で、青森県に多い名前である。もちろん、平内町では一番多い名前である。
北東北地方の人々はアイヌのDNAが濃い人たちで、NHKテレビの大河ドラマの“鎌倉殿の13人”で、たびたび「毛人」という言葉が出てくるが、これもエミシ(アイヌ)のことである。
アイヌという言葉は差別用語でしたから、東北人は言われたくないそうで、“三内丸山遺跡”などの北東北や北海道の遺跡が、世界文化遺産に指定された時も、アイヌという言葉は一切使われていなかった。日本人は、アイヌの人たちが北海道のみに住んでいたと思われがちであるが、全国に住んでいたのである。
「十勝の活性化を考える会」会員