十勝の活性化を考える会

     
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“大地の哲学”━アイヌ民族の精神文化に学ぶ━

2020-08-21 05:00:00 | 投稿

 

小坂洋右著 大地の哲学”━アイヌ民族の精神文化に学ぶ━の紹介。

 

この本は、先住民族の知恵を学びつつ、より持続性の高い平等性に富んだ社会を築いていくことを私たちに訴えている。

 

『(前略) 資源が乏しいゆえに技術立国で戦後、米国に次ぐ世界第2位の経済大国にまでのし上がった日本はどうだろう。決定的だったのはやはり、福島第一原発事故だった。

 

それは日本が高い技術力を持ちながらも、なににどう使うべきか、科学技術でできることとできないことは何か、科学技術は完全にコントロール下に置かれているとはかぎらず、ときにリスクを伴うものだといった倫理や科学哲学、リスク哲学を完全に欠いていたことを内外に示す結果になってしまった。

 

最悪レベルの原発事故を起こしたにもかかわらず、誰も責任を取らず、検証も反省もできないでいることが、対外的な信頼なさらに低下させるのも避けられまい。

 

このままいけば、ヴィジョンや哲学がないまま、目先の利益だけを追求する薄っぺらな風潮がますます嵩じ、足元が揺らいでいくのが目にみえてくる。

 

いずれの国も一時は隆盛を極めたものの、その繁栄を継続させることができずに今はもがき苦しんでいるように見える。

 

現代文明は国単位の問題だけではない。世界各地で環境汚染が繰り返され、地球規模の温暖化を引き起こし、人が人を搾取して格差を助長し、破綻の淵を綱渡りしながら金融市場や多国籍企業が国境を越えて膨らんでいく。

 

現代と呼べる時代は戦後の70年を含めてもたかだか100年ほどで、近現代と括って産業革命からの歳月を数えても250年ほどにしかならない。

 

1万年の長きにわたって一つの文化を持続させた縄文時代や、1万数千年年前に到達した人々が保ってきた部族社会と比べると、私たちが生きているこの現代は間違いなく、より先行きが見通せない浪費・疾走型、疲弊型、そして環境破壊型の社会・経済に陥ってしまったと言える。

 

やはり、あらためて先住民族の知恵を学びつつ、より持続性の高い、平等性に富んだ社会を第三の道として、見つけ出さなくてはならないのではないか。

 

これまで狩猟採集社会であるアイヌ文化や縄文文化を通じて精神文化やその価値を学ぶ必要性を訴えてきたが、私は狩猟採集生活に戻れとか、部族制を採用すべきと提案しているわけではない。

 

自然とのつながりや科学技術への畏れを失っていたことが明白になったいま、東日本大震災後の今日、私たちがエコロジー社会を築くうえで、そうした精神文化を復興し、吸収することが土台や骨組みになると主張しているのである。 (後略)』

 

この本を読んで、次のように思った。2011年、東日本大震災が起こり、同時に人災である福島第一原発事故起こった。2020年には、リーマンショックをはるかに凌ぐ新型コロナ禍で、世界中が大不況に陥っている。

 

行政機関に「変わる時代、変えるスタイル、未来志向」という標語が掲げられていたが、地球温暖化を原因とする大雨や森林火災などが頻発しており、これからは、様々な形で生活のスタイルを変えていかねばならない。

 

「十勝の活性化を考える会」会長

注) 小坂洋右

 

小坂洋右(こさかようすけ)1961年札幌市生まれ。

旭川市で小中時代を過ごす。北海道大学文学部卒。英オックスフォード大学ロイター・ファウンデーション・プログラム修了。アイヌ民族博物館学芸員などを経て北海道新聞記者に。現在、編集委員。

著書に『破壊者のトラウマ――原爆科学者とパイロットの数奇な運命』(未來社)、『流亡――日露に追われた北千島アイヌ』(北海道新聞社)、『アイヌを生きる文化を継ぐ――母キナフチと娘京子の物語』(大村書店)、『〈ルポ〉原発はやめられる――日本とドイツ その倫理と再生可能エネルギーへの道』(寿郎社)、北海道庁公費乱用取材班として新聞協会賞、日本ジャーナリスト会議(JCJ)奨励賞を受賞。『原発はやめられる』で第27回地方出版文化功労賞奨励賞(ブックインとっとり主催)を受賞。

(出典:アマゾンより抜粋)

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 “人間万事塞翁が馬”

2020-08-20 05:00:00 | 投稿

 

人間万事塞翁が馬とは、幸せも不幸も人間の期待した通りにはならず、何が禍となり何が福となるか分からないことを説明した故事である。

 

知人に脳出血を罹患した方がいるが、彼は次のように言っている。

 

私は発病以来、多くの人々の支えでここまで来ることができました。とくに心が折れそうになったとき、ある人との出会いで勇気をもらい、そこから“こころのきっかけ”が生まれました。

今度は、中途障害を持ったから気づいたこと、障害があるからこそ果たせる役割があると考え行動しています。私にとってのエンパワメントは、社会的障壁や不均等をもたらす社会的メカニズムの変革を考えています』と。

 

また、ある知人は若い時、体を悪くして入院したそうで、彼の作った「変わる時代、変えるスタイル、未来志向」の標語は、今の新型コロナ禍の時代にピッタリである。このような標語が浮かんだ理由は、入院した経験が生きたのだと思う。

 

また、財務官僚であった信州大学准教授 山口真由氏は、自分のイジメを受けた経験から、次のようなことを新聞記事に書いていた。

 

『(前略)自分が努力して手に入れたものに価値があると思っています。小さな目標を立てて一歩ずつ進んでいけば、それが積み重なって将来ができあがる。

私も20代の人に交じって大学院で勉強するのは恥ずかしいという思いもありました。でも恥の多い人生は、挑戦が多い人生です。それに恥をかき続ければ、前の恥なんて忘れちゃう。

私に人生の前半は暗くて嫌な感じでしたが、黄金期は後になった方がいい。いま自分がイケていないと思う人も、立ち止まらなければすごいチャンスが待っています』と。

三人の経験談は、まさに“人間万事塞翁が馬”であると思う。私も脳出血になった経験から言えることは、「今日できることは、今日中に行なえ。明日があると思うな。」が教訓である。

「十勝の活性化を考える会」会長

 

注)エンパワメント

エンパワメントとは一般的には、個人や集団が自らの生活への統御感を獲得し、組織的、社会的、構造に外郭的な影響を与えるようになることであると定義される。日本では能力開化や権限付与とも言う。

 

エンパワメントの考え方は昨今大きな広がりを見せ、保健医療福祉、教育、企業などでも用いられている。広義のエンパワメント(湧活)とは、人びとに夢や希望を与え、勇気づけ、人が本来持っているすばらしい、生きる力を湧き出させることと定義される。

 

(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

 

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笑顔

2020-08-19 05:00:00 | 投稿

先日、NHK第1放送「マイあさ」で、三宅民雄アナウンサーが「密」に関する愛知県でのソーシャルディスタンスの取組みについての話をしていた。三宅アナウンサーと同じく、自分もその張り紙のアイデアに大変感心した。

 

説明すれば、次のとおりである。

どこでもイベントの会場などで「密」を防ぐために、ソーシャルディスタンスで空席が設けられている。そして、そこに座らないように張り紙が貼られているが、愛知県ではその張り紙に笑顔が描かれているそうである。

 

また、女子プロゴルファーの渋野日向子選手は、昨年の全英女子オープンで日本選手として42年ぶりでメジャー優勝を飾ると、スマイルシンデレラと呼ばれるようになった。

渋野選手が全英女子オープンで優勝できたのは、笑顔で観衆を味方にしたのが大きかったように思う。すなわち、笑顔の持つ力である。

 

今は「新型コロナ禍」で笑えるような状況にはないが、だからこそ笑顔を絶やさないことが大切でないかと思う。昔から、笑う門には福来たるといわれるので、笑顔を大切にしよう。

 

最近、いつも思うのであるが、現代人は忙しくて心に余裕が持てず、この笑顔が失われつつあるような気がしてならない。

 

笑顔で接すれば営業成績は上がると思うが、営業マンにも笑顔が少ない人が多い。また、国民の公僕にはもっと少ないように感じるのは自分だけであろうか。

 

国民みんなが笑顔にあふれる社会、すなわち生きていることが楽しいと思う社会は活性化していると思われるので、そんな社会を目指していきたい。

 

 「十勝の活性化を考える会」会長

 

注) 微笑み

ほほえみとは、ほほえむことで、ほほえむとは声をたてずに、にこりと笑うこと。「微笑」とも。また、ほほえんでいる顔は、笑顔とも呼ばれる。

ほほえみとは、声をたてずに、ニコリと笑うことである。人間表情のひとつで、嬉しさの現われであったり、好意の表現や、敵意を持たないこと表現するために使われる。

しばしば社会では、意識的に作られた微笑みが用いられている。例えば、ビジネスの場や、商店で従業員がお客に接する時などは、特に感情が無くても、とりあえず少なくとも敵意は持っていないということを示すために、挨拶の時などに笑顔を作ってみせる、ということは広く行われている。

(赤ちゃんの笑顔)

なお、新生児は感情表現とは別に自然と微笑む「新生児微笑」を行う。この新生児の微笑行動は、人に限らず、の赤子にも見られる。

(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

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帯広農業高校の勝利

2020-08-18 05:00:00 | 投稿

 

21世紀枠の帯広農業高校が甲子園野球交流試合で、群馬県代表の健大高崎高校に4━1で勝利した。前頭力士が横綱に勝ったような大金星である。

 

帯広農業高校は、2019年放送のNHK朝の連続テレビ小説「なつぞら」で主人公が通った「十勝農業高校」のモデルとされた学校である。

 

北海のヒグマ」と呼ばれたタカ派の故中川一郎農林水産大臣の出身学校で、同氏は、九州帝国大学農学部を卒業している。帯広農業高校は、今年が創立100周年の節目を迎え、1982年夏以来の2度目となる甲子園出場である。

 

道内の農業高校では、帯農の甲子園大会出場にあたり、「帯農頑張れ! 北海道農業高校30校の仲間が応援しています」と記された横断幕を贈り、農業王国の代表チームを激励したそうだ。

 

負けた健大高崎には不運もあったが、油断があったのではないだろうか。健大高崎は、平成29年春の甲子園大会で準々決勝まで勝ち進んだ強豪チームで、健大高崎の勝利を誰しも疑わなかったのではないだろうか。油断大敵である。

 

人間には運・不運があるが、運を呼び込むのは普段からの努力である。帯広農業高校野球部は、普段からの練習に加えて、道内の農業高校がワンチームになって応援し、同校の勝利を呼び込んだのであろう。まさに、火事場の馬鹿力である。

 

人間には、思いもよらぬ力を発揮する時がある。新型コロナ禍で世界中が大変な状況に陥っているので、これを火事と見れば、今が火事場の馬鹿力を発揮する時である。

 

火事場の馬鹿力は、比喩なのでどのくらいの力であるか分からないが、国民の全てが発揮すれば、凄いことになるかもしれない。

 

なお、帯広農業高校野球部の勝利は、夢を実現し十勝の活性化に繋がると思う。「帯広農業高校、おめでとう。そして、ありがとう。」と拍手を送りたい。

 

「十勝の活性化を考える会」会長

 

注) 北海道のヒグマ

日本では北海道にのみ生息。比較的冷涼な気候を好む
 

体 形

身体も四肢も造りが太く、一見鈍重そうに見えるが臨機の動作は非常に機敏である。

筋肉も強大で、その気になれば一撃で牛馬の横腹の皮を引き剥がすことも出来、倒した牛馬の生体を引きずる怪力もある。

 

視 覚

  昼夜を問わず行動できる視力をもち、目は決して悪くはない。ただ、あまり遠距離の物はよく見えないらしい。

 

 聴 覚

  聴力に優れ、音に対しては敏感である。

水の滴るような足跡があっても姿が見えないのは、ヒグマがいち早く人間を察知して逃げたもので、聴力に敏感さと警戒心の結果である。

 

臭 覚

  獣は臭覚の生き物と俗称されるだけあってヒグマも敏感で、埋めた残飯などもすぐに見つけだす。

土中深く埋めた牛馬の死体を探り当て、これを掘り出して食べることでも分かる。

  

環 境

  ヒグマは孤独性の強い動物で、特に人間に強い警戒心を持ち、人を避けて生活している。従って、ヒグマの好む場所とは、人と遭遇しがたい所で、採餌・休憩が出来冬ごもり穴も確保できる地域である。

北海道では、山地・丘陵の森林地帯や、その間の天然草本類の発達地などである。この中には沢地・沼湿地・森林限界上部の山岳地も含まれる。

 

 行 動

  冬ごもりを除く時期の一日の行動は、採餌・移動徘徊・休息などで、育児中の母親はこれに子育てが、発情期には発情行動が加わる。このような行動を昼夜の区別なく行っており決して夜行性ではない。

また、人を警戒し、同じ種族に対しても孤独性の強い動物であり、人や他の個体と遭遇する頻度の高い地域に生息している個体は、その時間帯や場所を避けて行動する習性がある。

気象条件が悪いときは活動をやめて、安心できる環境に潜み休息することが多い。  

(出典:大雪山国立公園連絡協議会ホームページより抜粋)

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関西人

2020-08-17 05:00:00 | 投稿

 

私は北海道人であるが、3年間、関西にいたことがあり、関西人が肌に合うので大好きである。住んでいたところは、大阪府枚方市に接している京都府八幡市で、関西文化にも触れることが出来た。

 

関西人の特長を上げれば、声が大きい自分の話ばかりをする率直であるせっかちである等があり、関西人は嫌われることも多い。なお、どれを取っても自分にピッタリである。

 

以前、大阪商人に言われた言葉がある。「北海道人は、赤子の手をひねるようなものだ。もう勉強出来まへんわ。これで精一杯ですわ」と言うと、北海道人はすぐにそうだねーと言って引っ込んでしまうと。

 

要するに、関西文化と北海道文化との違いである。文化とは、そこに住んでいる人びとが長い期間をかけて作ってきたものである。

 

関西人の言葉に、アホちゃうかという言葉がある。関西人から言うと、冗談めかした言い回しかもしれないが、標準語になれた人には、本当にバカにされたみたいに聞こえる言葉である。一方、関西人に対しては、「バカ」という言葉は禁物である。

 

関西人に対する独自の印象等を書いたが、文化は地方、地方で違うので、言葉や偏見には注意が必要である。 

 

北海道は多民族で形成されているから、文化や価値観にも多様性がある。関西人は自分の価値観や好みを押し付けようとする傾向や、損得を考えて行動する場合も多い。要するに、いいふりこきせず合理的なのである。

 

大阪人は本音で話すが、東京人はタテマエで話す傾向にある。なお、同じ関西人でありながら、大阪人と京都人は馬が合わないが、人には馬が合うと合わないがあり、どちらの人が悪いというわけではない。

 

また、大阪の選挙では「革新政党」が強いが、ここにも損得があるのかも知れない。なお北海道も、選挙では「革新政党」が強いが、これは北海道の歴史が浅く、「家」へのこだわりが無いことも指摘されているらしい。

 

北海道が革新的であるのは、お上である松前藩とアイヌ民族の戦いであった1669年の「シャクシャインの戦い」が理由であると、50年前、H大学教授が講演のなかで語っていたのを思い出した。

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