tomkob写真館

身近な風景写真が中心のブログです。ぼちぼち更新していきます。

夏本番!

2004年07月25日 07時43分00秒 | テキスト日記
 朝起きてちょうど今頃の時間帯。関西方面では郊外を中心にクマゼミがシャワシャワとせわしく大声で鳴いていることでしょう。
私も今キーをたたきながら蝉時雨の中にいます。このセミは昼近くになると鳴き声がパタリと止み、アブラゼミ、ニイニイゼミが中心となります。
ただし朝の時間帯もニイニイゼミやアブラゼミが鳴かないという訳ではなく、クマゼミの大声にかき消されているといった感じでしょうか。
この声に起こされることもありますね。これが鳴き出すと夏本番という気がします。
 小学校低学年の頃はセミ採りに夢中で、特に大きく透明で綺麗な羽のこのクマゼミが大好きでした。この鳴き声を聞くとまさしく心躍る気分で昆虫採集用の捕中網を持っていそいそ出かけたものです。色んなセミを採っては窓のカーテンに付けて鳴かせていました。
親も含めて大人は、セミが羽化した後のはかない一生を説き、セミ取りを止めるよう何度が進言されたのを憶えていますが、結局、大人の言葉でセミ取りを止めたという記憶は残っていません。自然とそういう思いが消えていったような気がします。
 今は既にそういう”ときめいた”気分がわき起こることはありませんが、子供の頃の印象は強く残っています。私の長男はあの頃の自分と同じくらいの年齢になっていますが、私のようにセミの鳴き声に心ときめくことは無いみたいなので子供が誰でも持つ共通の反応と言うことでもなさそうです。

夏の恒例行事

2004年07月18日 20時33分00秒 | テキスト日記
毎年海の日に続く連休には海浜清掃をして三重県南部方面まで足を伸ばし磯遊びをすることになっている。
今年もこの土曜に朝7時から海浜清掃に参加したが、日差しは既に強烈で、一緒に行った子供2人は浜辺を少し歩いただけでへばっていた。波打ち際にはガザミが多く打ち上げられており、生きていれば持って帰るところだったが、みな仰向けでぎらぎらと直射日光を浴びていたので持ち帰りはあきらめた。海浜清掃は小一時間で終わったが、ゴミ収集場所でのゴミの量に絶句せずには居れなかった。海浜清掃の後、三重県南部へ向けて車を走らせ、10時前にはいつもの砂浜へ到着した。この砂浜は到着直前に高い場所から海岸へ続く海を俯瞰出来る場所がある。
上からは白い砂浜に青い海が望め、良いところだなあという感慨を持つ。
いざ海岸へ降り、砂浜に続く岩礁帯へ入っていくが、10年前まで見られた海藻群落は今年も見られなかった。
岩と砂だけの磯である。それでも、持参したタモ網で、ハゼ科の小魚やメジナ、スズメダイの稚魚、小さいナマコ、ヤドカリ、イソスジエビ等を捕まえ、これも持参した昆虫飼育用の水槽に確保し、ミニ水族館を作った。残念ながらデジカメを持っていくのを忘れたため、画像で紹介は出来ないが、結構楽しめた。いつも死滅回遊性の熱帯魚稚魚が結構見つかるものだが、今年は黒潮流路が遠いからか余り見られなかった。海藻が生えていると生物の種類と量が格段に増えるので再び海藻群落が復活することを願っている。

気が休まらない先週の出来事

2004年07月04日 23時25分00秒 | テキスト日記
とにかく先週は私事で気が休まらない日の連続だった。
日曜日から月曜日にかけて長女が発熱。病院で見て貰ったところヘルパンギーナ(ウイルス性咽頭炎:いわゆる夏風邪の一種)とのことだった。これは2日程で熱も下がり、いつもの風邪程度の感じだった(嫁さんやばーちゃんはこれだけでも大変だったろう)。しかし、これは、これから始まる波乱の幕開けに過ぎなかった(ドラマの見過ぎ?)。
長女の熱が下がると同時に長男が発熱。長女のを貰ったのかと思いきや、病院の見立てでは、胃腸風邪とのこと。こっちの熱はなかなか下がらず、夜中に発熱のためか、悪い夢を見て、起きぬけに叫び出したことも。菌かウイルスが脳に来たのかと思った程だ。起きても暫く震えており、「変な音が聞こえる」と幻聴まで現れているようだった。結局、月曜から水曜まで学校を休んだ。今でも本調子ではないようだ。長男の夏風邪が治まってきたら、今度は嫁さんだった。
第一報は職場で残業に突入しようとする5時半過ぎ。いつもショートメールでのやり取りが多い嫁さんから携帯に電話が入った。トイレで透明で袋状の変な物体が降りてきて、病院へ行くところで、ひょっとすると迎えに来て貰わなければならなくなるかも、とのこと。今ひとつ事態が飲み込めなかったが、帰ると嫁さんは家にいた。詳細を聞くと、流産だったらしい。受胎していることを僕はもとより嫁さん本人もわからなかったようだ。ここ最近、一家全員が肉体的にも精神的にも忙しかったので、つわりも食べ過ぎか、ただの疲れと思っていたようだった。嫁さんの流産はこれで2回目だ。一度目は長男と長女の間で、病院に通いながら経過を見ていたが、2ヶ月くらいで胎児の心拍動が途絶えてしまった。何度かエコーで確かめて、係留流産が確定した。
その後、長女を産むことが出来たが、今度の事は結構ショックだったようだ。胎児とはいえ自分の手で息絶えた我が子を目の当たりに
したのだから当然といえば当然か。医者には上手く降りたので安静にする必要は無く動いても良いと言われたと言っていたが、ばあちゃんは、自分も無理をしてため流産した経験があり、無理はいけないと、嫁さんには安静にするよう説いていた。
この土日は、ばあちゃんと僕でやれることはやった。明日からばあちゃんだけで大丈夫だろうか。暫く心配の種は尽きない。