2月13日(日)
今年も、あゆの会 夜の部 芋煮会 が妻田中央自治会館にて開かれました。
参加人数は子供2人・ろう者7人を含めて全員で24人くらいだったかな。
今年はろう者の参加が多かったですね。
参加者はだいたいいつものメンバーですが、初めて参加したという通訳のKさんを始め「初めて参加」の人が何人かいました。
芋煮会はいつも女性陣の大活躍で運営されています。男たちはテーブルや座布団を並べるくらいですが、トンサンは今年はこんにゃくをちぎるというお手伝いをしました。こんにゃくを手でちぎるのはなかなか大変。包丁で切ったら「味が染みないからダメよ」と。スプーンでひっかいたりしましたが、量が多いので大変でした。料理をする女性たちの苦労が少しわかりました。
トンサンもこれを機会に、少しずつ料理を覚えようかな。
芋煮会の朝 大山は雪で真白 久しぶりです。
芋煮会へ行く途中、橋の上から。
道路は凍っていました。Kさんは顔に絆創膏(ばんそうこう)。聞いたら自転車で来て、滑って転んだそうな。車にひかれなくて良かったですね。
女性陣 大活躍。
Rちゃんもお菓子を配るお手伝いで、大活躍。
さあ、いただきまぁーす。
食べ始めはみんな無言でパクパクと。
やがて楽しいおしゃべりが出てきて。
料理をあげたり、もらったり。
おなかがいっぱいになった子供たちは・・・
近くの公園でドッジボール。
Tさん お年を感じさせず、はしゃいでいますねぇ。
トンサンもこの後ドッジボールに加わり、真剣勝負。必殺のボール投げを。(^ω^*)
ブランコをしたり、砂場で砂ボールを作ったり。トンサンも作りました。
手を洗った時の水道の水が、とても冷たかったなあ。
自治会館へ戻って、みんなで手話歌をやりました。
♪ おばぁちゃん だーいすき おばぁちゃん いつもありがとう~
♪ きみと きみと お話 したいな きみと きみと ともだちに なりたい~
こうして、楽しい時間は今日も過ぎて行きました。
みなさん楽しかったですね。また来年もやりましょう。
2月13日(日)
芋煮会のあとオヤジさんの病院へ。
16:35 病院着。
オヤジさんのベッドは窓際に移動していた。ミトンもはずされていた。
オヤジさんに来たことを告げると「車か?」と聞く。 「いや自転車で来たよ」
「寒いのに大変だ、悪いなぁ」
16:45 おむつ交換。交換時左足の親指先が痛いので「痛い、痛い」と声をあげている。
オヤジさんに食事は何を食べたのか聞く。
「おかゆだ、まずいおかゆ」「薬もまずい」・・・薬のまずいのは仕方ないだろ・・・
16:50 看護師さん排尿と点滴のチェック。
しばらくしてからオヤジさんが言う。「石井さんの薬を飲まないと血圧が上がるからダメだよ。」
だから「同じような薬が点滴に入っているから、大丈夫だよ」と、今まで何度言ったことか。
この病室には3人の患者がいる。黙って聞いていると漫才をやっているようで面白い。
あい変わらず隣のおじいさんが「おーい、おーい、ホレッ」
向こうのおじいさんが「なによ」
隣のおじいさん「なによじゃねーよ、ひっぱってよ」
向こうのおじいさん「うぇーい」とでかい声。
隣のおじいさん「そんなに力がいるか?」
今度はオヤジさん「うぉーい」と真似をして声を出す。
トンサンがオヤジさんに「そろそろ布団をかけようか?」と言うと
隣のおじいさんが「何の布団?」
向こうのおじいさんが、隣のおじいさんの声がやまないので嫌になって「あーぁ」
向こうのおじいさんはとうとう耐えきれずに部屋を出て行く。
こんなところでは耳が良く聞こえる人は大変だ。
17:15 オヤジさんが「昨日競輪だか、競馬だか、どっちが勝った?」
トンサンが「何の話?」と問いただすと、『あれ、おれ変なこと言ったかな』というような顔をして黙ってしまう。夢でも見たのか?
17:25 カップに入ったお茶が届けられた。持ってきた人に「飲ませてもいいんですか?」と聞くと
「看護師さんが飲ませに来るので」と言われた。
オヤジさんに「お茶が来たよ」と言うと「お茶が来ても×××」と語尾がはっきりしないことを言う。あまりおいしくないのだろうか。
5時半になって、暗くなり始めたので「オヤジさん、暗くなってきたので帰るよ」
オヤジさん「いつもすまないなぁ。寒いのに」
洗濯物を袋に入れ替えて持ち帰る。
家に帰るとおかあが「あれ、また出ていた?」・・・午前中に行った時も持ち帰ってきたそうだ。
まだ替えのパジャマはあったが、すぐに洗濯して持っていかないと着がえが無くなる。
明日午後から車を車検に出すので、2日半は車を使えない。
おかあに「自転車で行ったら」と勧めたが、仕事先から戻ってきて、また同じ方向に自転車に乗って行くのは嫌だという。
トンサンなら片道30kmを自転車で行くのは平気だが、まあ慣れないとそんなもんだろう。
家から病院までは6kmちょっと。最後に少し上り坂はあるが。往復12kmなんてトンサンからしてみれば走ったうちに入らないが・・・
おかあ、この際自転車で走って痩せたほうがいいよ。
自転車乗りたちの間で定番商品となっている(もう、ちょっと時代遅れか)LEDライト「GENTOS閃SG-305」を買った。

アマゾンで1980円 Panasonicの単4乾電池(テスト用)付きだ。
株式会社サンジェルマン MADE IN CHINA Ver. 2.0
100ルーメン 照射角度は8度~30度 照射距離 スポットビームにて約100m
実用点灯 約10時間 (となっているが、明るいのは2~3時間と言ううわさ)
メリダにつけていた12LEDライトが壊れてしまい、このライトは暗くて実用的ではないので、いよいよちゃんとした明るいライトをと購入した次第。
メリダのハブダイナモで充電するため、さっそく改造する。

ドリルでボディに穴を開けたら、内側に「12/10」のシールが貼ってあった。
2010年12月に製造したというしるしか?

この穴から充電用のコードを外に出す。
ところがコードの被覆(ひふく)が厚すぎて、バッテリーカートリッジとボディの隙間に入らず、納めることができなかった。

そこで外皮(がいひ)をむいた。セリアの105円ニッケル水素充電池を入れ、コードが切れないようにテープで固定。
取説にはエネループ(サンヨーの充電池)は使ってもよいが、他メーカーの充電池は使うなと書いてある。
トンサンは自己責任で他社製の充電池を使用。

ストラップ用の穴を利用して、コードを束線バンドで固定する。
コードを引き出している穴はふさごうかと思ったが、ガス抜きのために開けておくか。

100円ショップで買った自転車用テールライトのシートポスト取付用パーツが余っているので、これを使ってメリダのかごの下に取り付けるよう工夫してみよう。
今日はここまで。
2月12日(土)
今日もみぞれ。病院は少し高いところにあるが雪はなかった。
おかあと一緒に車で病院へ行く。
運転はおかあ。
10:30 病院着。オヤジさんは目をつぶっていたが、来たことを言ったら返事した。
左足の親指はまだ痛いという。
11:40 先生に胃カメラ検査の結果とこれまでの経過を聞く。
先生の説明
胃に異常なし。BUN(尿素窒素)の値が一時70台になったが、100を越えていないので人工透析はまだ必要ない。薬があっていたのか今は50台に下がったので、このまま、続けよう。
症状が良くなってきたのでそろそろ食事を出そう。
鼻の管も今日はずします。
ということでオヤジさんに朗報。
11:50 病室へ戻る。鼻の管はすでに無くなっていた。
看護師さんが点滴を3種類増やしに来た。鼻の管が取れたので、そろそろミトンも取れないか聞いた。
「ミトンも様子を見てそろそろはずしましょう。」とのこと。
オヤジさんにミトンと食事が出ることを話す。
喜んではいたようだが、石井内科へ行きたいという。
おかあが「元気になって鈴木家に戻れたら、石井内科へ連れて行ってあげる」と言っていた。
2月3日に入院して今日で10日間、食べていないし、動いていないしでそろそろ食事して動き回らないと家に戻れるようにはならない。
12:10 病院を出る。
トンサンは病院へ行くたびに血圧を測っているが、150~160mmHgだったのがおとといから、180を越えている。これは何とかしないといけない。診察してもらって血圧を下げる薬が必要かも。
先日壊れた12LEDライトを修理しようと。

取り付け部の成形樹脂が割れてしまった。
同じ形の別のライトも同じところが割れた。ここはこのライトの弱点だ。
壊れた原因を推定すると、上下段違いで並べる駐輪場で上の方に止めたとき、かごの下に付いているライトが、隣の自転車のかごに当たっているのではないかと思う。
これからは上下段違いで並べる駐輪場に駐輪する場合は上になる方には止めないようにしよう。
さて接着剤で付け直してもまた取れてしまうだろう。(前の同タイプがそうだったから)
ということで別のケースに変えようと買ってきた。

100円ショップ キャンドゥで見つけた4LEDライト 105円
単4電池3本を同じようなカートリッジのホルダーに入れるタイプなので使えるだろう。

12LEDライトのヘッド部の大きさとヘッド直径がほぼ同じなので、12LEDライトのヘッドを取り付けできるかもしれない。
改造しようとしたら…

白い部分の樹脂は黒に溶け込ませているのではなく、別成形の部品を勘合しているだけだった。
だから勘合部の隙間がケース前面にある。これではケース全体を防水チューブで包まなければならず、現実的ではない。
改造はあきらめた。
みぞれなのでメリダに乗って病院に行くのは無理だ。
おかあと一緒に車で行こうとしたら、おかあは9時過ぎに一人で病院へ行ってしまった。
トンサンは病院に行かずにおかあから状況を聞こう。
おかあが病室に入った時、オヤジさんは目をつぶっていたが、声をかけると返事をしたそうだ。
右手だけミトンが外れていて床に落ちていたとのこと。
オヤジさんが何とか外した可能性がある。
看護師さんが来て点滴や排尿のチェックをしていく。
おかあは看護師さんに「ミトンが外れていたけれども、自分がいる間は鼻の管を抜かないように見ているので、このままにしておいてほしい」と言う。
看護師さんは「いいですよ、帰りに声をかけてください」と言ったそうだ。
隣のおじいさんはあいかわらず「おーい、おーい」と呼んでいたそうだ。
2月10日(木)
病院まで 走行距離12.67km 積算距離5246.8km
病院までの往復ではなかなか距離は伸びない。
病院で 14:50 ~ 16:20
病院に着くとオヤジさんは起きていた。「寒いなぁ」・・・室温は24℃でいつもと同じ。自転車で行ったトンサンは暑くて、いつも1枚脱ぐ。
肩まで毛布と布団をかけてやる。
病室は一人患者が増えて3人になっていた。娘か孫か若い女性が付き添っていた。
オヤジさんが「どうしてこれ(ミトン)をするのかなぁ」と言うので答えてやった。もう何度も言っているのだが。
「鼻から管を通しているけれど、無意識に抜いちゃうからだよ」
看護師さんが「オヤジさんは自分で管を抜かない」と思えば外してくれるのだが。
「何も食わしてくれない」・・・いつもパンが食べたいという。
隣のおじいさんの「かあさーん、かあさーん」が始まった。
15:30 整体師(女性)が来る。オヤジさんに「リハビリできますか? 両手をあげられますか?」と聞いている。オヤジさんは「足が痛いんだよ~」と言って動かない。
痛い左足の様子を整体師と一緒に靴下を脱がせて見てみた。
親指を触られて「痛てーよー。痛たたたた」と声を上げる。
整体師が「良く見えないので、上をむけないかな」と言うが、横を向いたまま。
親指の付け根あたりが少し紫色になっているようだ。鈴木家に来た時は右足全体が紫色ではれ上がっていた。今右足は触っても痛くないらしい。見ても異常なし。
ずーっと寝ているのになぜ左足の親指が痛くなるのだろうか? どこかにぶつけたとは思えないが。
おかあは「腎臓病で手足の末端が痛むのではないか?」と言う。
そういうことがあるのか図書館で借りてきた本で調べてみよう。
風邪をひいたらしく、鼻が出るので「ティッシュをくれ」と言う。ミトンをしているので自分では鼻をかめないので、ティッシュで拭いてやる。鼻水が出ている。
3回拭いてやったが、病室を出る前に「ティッシュを1枚置いといてくれ」と言うので鼻の下に当ててやった。
ミトンが取れず、起き上がれず、食事も食べられなければ健康な人でも病気になっちゃうね。
15:50 介護補助員が来てオヤジさんのひげをそってくれた。
オヤジさんは介護補助員がいると思ってか「おーい、おーい」と呼ぶ。
16:15 オヤジさんは「鈴木さんまだいるのか? 寒いから帰っていいよ」と言う。
今日は買物もあるので「また明日来るね」と言って部屋を出た。
先日 八王子に住んでいる娘が帰ってきたとき、先祖の話になり「八王子から出てきたらしい」と聞いておかあと二人で座間市役所へ戸籍を調べに行った。

除籍謄本・・・除籍謄本の保存期間は150年。以前の保存期間は80年らしい。
トンサンが結婚した当初、家系図を作ろうとしてみたが、母方の家系が良くわからず、そのままになっていた。
去年親戚で法事があった時に、今聞いておかないとわからなくなると思い、はとこの家を訪ねた。
はとことトンサンの関係を知りたかったためだ。
そこで見せてもらったのは、台湾帰りの90何歳の遠い親せきのおじいさんからもらったという葉書だ。
それによると鈴木家の先祖は八王子に住んでいて、事業に失敗して座間に移ってきたらしい。
そして江戸から明治に移る頃、浅草に住んでいた著名な人とも関係があるという。
トンサンは子供のころ、錆びついた刀(日本刀)の20cmばかりの元の部分が、家の道具箱に入っていたので先祖はサムライかなとかってに思っていた。

トンサンが生まれた家(厚木市中町)で。縁側に立っているのがトンサン。
この写真はホームページ・ブログを通して初公開。
ここでどこまでわかったかと言うと、トンサンのひいおじいさんとひいおばあさん(嘉永4年生まれ)、そしてひいおばあさんの父親の名前までわかった。葉書に載っていた名前も出てきた。
そして明治32年に八王子から座間へ移ってきたこともわかった。
パソコンで縦系図を作ろうと思うのだが、どんなソフトを使ったらよいのかわからず、まだ作っていない。
オヤジさんウォッチング
図書館に行っておかあに頼まれた肝臓病の本や「家庭のリハビリ」の本を借りた。
15:15 病院着 オヤジさんは良く眠っている。「家庭のリハビリ」の本を読む」
しばらくしたら起きた。見舞いに来たことを告げる。
「いつも悪いなあ。雪が降ったんだって。」 「うん、今は晴れて日が差しているよ」
今朝トンサンちの方はみぞれが降った。
政治の話などをしてまた寝る。
今日は隣のおじいさんは静かだなぁと思っていたら、寝ていたらしい。
目が覚めたらしく、相変わらず大声で「かあさん、かあさん」と呼んでいる。
ずーっと呼び続けている。オヤジさんもその声で目が覚めたらしく「♪ かあさんは夜なべをして手袋編んでくれた~」と歌い出した。
「かあさん、かあさん」と呼ぶ声がやまないので、オヤジさんは「かあさんはいないよ」と言った。
やがて看護師さんが来て「かあさんはいないよ。おうちに帰っているの。あまり大きい声出さないで。」と言ったが、相変わらず呼ぶ声はやまず。
2時間この部屋で過ごすのはつらいものがあるが、オヤジさんは少し耳が遠いので平気なのだろうか。
また眠ってしまった。
17:15 オヤジさんが起きたので、帰ることを告げる。病院を出る。日が暮れるのは遅くなってきたが、メリダの12LEDライトが壊れてしまったので早く帰ろう。

図書館に行ったとき、12LEDが壊れてぶら下がっていた。どうやら他の自転車が当たって樹脂成型部分が割れてしまったらしい。
以前も同じように壊れてしまった。このLEDライトは作りが良くないようだ。
今日のあゆの会は交流会でトンサンとKさんの担当。
先々週Kさんに来週打ち合わせすることを約束。手話ゲームをやることになっている。
先週、トンサン・Kさん それぞれ室内ゲームの本から「こんなのはどうだろう」というものを探して打ち合わせした。Kさんからは「ことわざ」を使ったゲームを提案されたが、それにはちょっと問題が。
健聴者にはとても面白いゲームなのだが、ろう者は「ことわざ」にはなじみがない。
なぜなら「ことわざ」は耳から入ってくる響きの良さで覚えるものだからだ。
だから「ちりも積もれば山となる」というような健聴者ならだれでも知っている「ことわざ」でも、ろう者にはなじみが無いのだ。
同じように「だじゃれ」もろう者には通じない。
ということでトンサンが選んだゲームをやることに決定。
一、伝達ゲーム
・グループに分ける。一列に並ぶ。最初の人を除いて全員回れ右。
・指文字と背文字(背中に文字を書く)で交互に伝える。
・最後の人が白板に答えを書く。
・全グループ答えが出たところで、手話で表す。
(例) うめ、ゆめ、かめ、そら、そと、そふ など2文字に限定する。
二、私は誰でしょう?
・グループごとに行う。
・グループの中でオニを一人決めてもらう。
・オニには答えがわからないように廊下に出てもらう。
・答えをグループメンバーと他の全員に見せる。
・オニに入ってもらう。
・グループメンバーは一人1単語づつのヒントを出す。ジェスチャーか指文字で。
・グループメンバー全員がヒントを出し終わったところでオニに答えを言ってもらう。
(例) 童話の主人公がわかりやすくて良い。
もも太郎、金太郎、浦島太郎、かぐや姫、一寸法師、ピノキオ、耳なし法一 など
三、リーダーは誰だ? (震源地とも言う)
・全員で椅子を丸くして座る。
・オニを1~3人決め、オニは廊下へ出てもらう。
・リーダーを決める。リーダーは手話や指文字を次々と表す。
・他の人はリーダーのまねをする。
・オニに輪の中に入ってもらいリーダーを当てさせる。
・オニが複数いるときは、答えを間違えたオニは輪から出る。
というゲームをみんなの協力をもらいながら行った。
Kさんはゲームのやり方を、手話で説明した。

「伝達ゲーム」

たった2文字なんだけど、なかなか伝わらないんだよネこれが。
最後尾で待っている人 「ああ、ひまだ。」

「私は誰でしょう?」

「リーダーは誰だ?」

「リーダーはあの人だ!!」

「さあて、誰だろう?」
皆さんお疲れ様でした。また交流会で遊びましょう。
2月8日(火)
今日はオヤジさんの胃カメラ検査の日。
おかあは仕事先からそのまま病院へ。
鼻の管は胃カメラのためいったん外されたが、また鼻へ管を挿入。
今度は右の鼻の穴から。オヤジさんは痛いので怒ってわめいたそうだ。
ミトンもはずされないまま、かわいそうに。
14:50 メリダで病院へ。イヤーマフを忘れたので耳が冷たい。今日は曇っていて暖かくならない。
15:15 病院着オヤジさんは眠っている。
15:25 目を覚ましたようなので声をかける。誰だかすぐわかり、意識は正常。
16:10 おむつ交換
16:50 点滴チェック
17:10 オヤジさんに声をかけて退室。
オヤジさんの様子は変わりなし。行ったときと帰るときには「わるいなあ。ありがとう」と感謝される。
隣のおじいさんが「おーい、おーい」と大きな声で呼ぶ。ときどき家族の名前?も大声で呼ぶ。
誰も返事をしないので食器を落としたり、何かでテーブルをたたいたり。
オヤジさんにはところどころ少し聞こえているらしい。「さみしいんだよなぁ」と気遣いの言葉。
でも、その大声の中でもオヤジさんはいびきをかいて寝てしまった。
隣の人の大声は気にならないらしい。
大部屋に戻って環境が変わり、一番困っているのはトンサンとおかあかもしれない。病院を出てもこの「おーい、おーい」の声が頭に残っている。
土手道は怖い
今日は手話サークルがあるので、明るい時刻に病院を出たので良かったが、昨日は日が暮れてから玉川の土手を帰ったので街灯が全然なくてスピードを出せなかった。
土手道は真っ暗なのでメリダのオートライトと12LEDライトだけで道を照らさなければならない。
真っ黒な服を着て散歩している人。黒い服を着てジョギングしている親子。いずれも反射材の付いた服ではなく、ライトも持っていないので至近距離になるまでわからない。
メリダのライトで照らせるのはせいぜい10m先。スピードは出せない。
犬を散歩させている人もいる。犬の方に赤いライトが付いていたので犬を連れていることがわかったが、連れている人の方にもライトが無いと、どこにひもがあるのかわかりにくい。
夜は細心の注意が必要だ。
いや、土手道は昼間も危ない。この土手道は車やバイクも通るのだが、それらは近づいてくると音が聞こえるので歩いている人はよける。
今日病院に行くとき、前を夫婦らしい人が散歩していた。道の両側に分かれて歩いているので、ゆっくりとまん中を通り抜けて行こうかなぁと考えていたら、右側を歩いていた女の人が男の人の方に寄った。
自転車が来るのをわかってよけたのだと思った。じゃあ右からすり抜けようとしたら、女の人は後ろを確認せずにまた道の両側に広がった。「あっ、危ない!!」ブレーキをかけながら舗装されていない土手までよけて通り過ぎた。女の人は「ごめんなさい」と言ったが、向こうも予期せぬことでびっくりしただろう。
このように自転車は音を出さないので危ない。
歩いている人と同じ道を走るのは、このようにリスクがある。土手道より車道を走ったほうが安心である。
ここへきてメリダでの賠償責任保険を見直す時期に来ていると感じている。
トンサンはメリダで走行中、人や自転車に当たったり、物を壊してしまったときに賠償できる保険に入っている。
この保険は自分が事故にあった時に、自分ために支払われる保険だが、賠償できる保険も付いている。
ただし、その金額が少ない。年間6000円も払っているのに賠償できる金額は500万円だ。
これではいざという時に役に立たない。1億円くらい賠償できる保険に入る必要があると思う。
なのでこれからそういう保険を探して乗り換えようと思う。
病院へ 走行距離12.26km 積算距離5206.1km
もう一度「おおいぬのふぐり」の近接撮影にトライ。
古いデジカメに手製の接写レンズを付けて。

手前に野水仙

液晶画面が良く見えないので感で撮っているが、ピントは葉のほうに。
何枚かめくら撮りした中ではこれが一番ピントが合っていた。
さて病院では13:45 ~ 15:45の2時間過ごす。
13:55 「かあちゃん これとってくれ(ミトンのこと)」「はらがすいたよ」
その後、政治の話などが続き、「お湯が入ってねえよ」と。
14:35 看護師さんが来て点滴チェック
14:45 男の看護師さんがおむつ交換に
15:20 個室から元いた大部屋に戻る
15:40 洗濯物を持って退室する
明日午前中に胃カメラの検査がある。その結果は12日(土)11時に先生から聞くことになっている。
ミトンは、胃カメラの検査が終わって鼻に入れている管が取れないと、外すことはできないだろう。
食事ができるのはそれからだ。
2月6日(日) 10:00 ~ 15:00
あゆの会(昼の部・夜の部)と厚木市聴覚障害者協会の「合同懇談会&講演会」が行われました。
厚木市総合福祉センター 4階研修室
午前中は、あゆの会担当で交流会
「県あてゲーム」と「フルーツバスケット」の二つのゲームを行いました。
どちらもとても大盛り上がり。特に「フルーツバスケット」は席を確保するのに必死でした。その様子は写真で見てください。
お昼は会費300円で、お弁当とお茶とお菓子を食べながらの交流会。
いつもはなかなか顔を合わせることのない昼の部の人や、ろう者の人たちともおしゃべり。
こういう機会があると手話も身につきますね。
午後からは、ろう協担当の講演会
テーマは「生活習慣病の予防」でメタボリックシンドロームとは何か?について
厚木市健康づくり課の保健師Fさんから説明を聞きました。
メタボ(メタボリックシンドローム)とは良く聞きますが、太りすぎということくらいしか知識がありませんでした。
メタボとは「肥満」「高血糖」「高血圧」「脂質異常症」をあわせ持った状態を言うそうです。
とりあえずトンサンは該当しなくて良かった。(-ω-)ホッ
講演の中で硬化した血管の模型や1kgの脂肪の模型が回ってきましたが、トンサンはあと4kg体重を減らしたいと思っていましたが、あれを見ると「これはなかなか大変だな」と感じました。
トンサンがメリダ(自転車)で三浦半島一周133kmを走った時は、1日で3.8kg痩せましたが、すぐに元に戻りました。
恒久的に4kg体重を減らすには毎日三浦半島一周をしなければならない。(>ω<)
太り方は男性は「内蔵脂肪型」 女性は「皮下脂肪型」という違いがあるそうです。
そして脂肪が落ちやすいのは「内蔵脂肪型」だそうです。ガンバロー。
なぜ太るのかは、年をとっても食事の量を減らさないからだそうです。
18歳くらいからは1日の必要エネルギー量が減ってくるそうです。
最後はみんなで「腰痛防止・肩こり解消のための体操」をして講演は終わりました。
保健師Fさん ありがとうございました。
「県あてゲーム」
「どこの県だろう?」
会場の様子
今度は「フルーツバスケット」
午後からはまじめに健康講座を聞く。通訳はKさんとSさん。
みんな、ゲームで体を動かしてお昼ご飯でおなかがいっぱいになった後だけど、よく居眠りもせずに真剣に聞いているなぁ。えらい。
最後は体操をして締めくくり。
司会のFさんもお疲れ様でした。
2月6日(日)
今日は1日忙しい日だった。
手話サークルと聴覚障害者協会の懇談会&講演会がお昼をまたいであり、厚木市の市長選挙の投票に行き、オヤジさんの見舞いに行ってきた。
病院に行く途中でダイソーにより、隙間テープとおかあに頼まれていた粘着ゴロゴロクリーナー、それに100円ショップでは絶対売っていないと嘆いていた、珍しい名字の3文判を見つけて買う。
病院へは午後4時過ぎに入って6時過ぎに出てきた。
約2時間の間に看護師さんが3回来た。おむつ交換。鼻の管から薬の投入。排尿と胃からの噴出物の量のチェック。
オヤジさんは元気で今日も「おなかすいたなぁ。パン買ってきてよ」と言っていた。もうしばらく食事はできない。
両手には相変わらずミトン(抜管防止用ミトン型抑制帯)をやっている。
オヤジさんはこれをされているから寒くても布団を引っ張ることができないと怒っていた。
人権を無視したやり方のようにも思えるが、寝ている間に無意識に鼻の管を抜いたりするといけないので仕方ない。看護師さんは鼻の管が取れたら、ミトンも外れると言う。
おかあが朝来て毛布をかけてやったらしい。毛布があるので昨日よりは暖かいという。
室温は24度なので特に寒くはないのだが。
オヤジさんが「家に帰ったら寒いかなぁ?」と言うので「うちは寒いよ。14度だから」と答えた。
トンサンは今日は本を持っていかなかったので病室のテレビを付けた。
少し音が聞こえたのかオヤジさんは「ラジオか?」と聞いた。「テレビだよ」
「そうか、音を大きくすると迷惑かけるから」とあきらめたようで、4人部屋にいるつもりらしい。
目が悪いからテレビをつけても見れないし、ただ横になっているだけでは退屈だろう。
ぼけてなくても、ぼけてしまいそうだ。やはり精神的には自分の部屋に戻れるのが一番いいだろう。
廊下では今日も「おーい、おーい」と大声を張り上げているおじいさんがいた。
2月5日(土)
今日も病院までメリダ(自転車)で。
走行距離 13.65km 積算距離 5179.8km
スローパンクは直ったようだ。5日間過ぎてもほとんど空気は抜けてこない。チューブを確認して何もせずに戻しただけなのに。
スローパンクになった原因も、直った理由もわからず。
病院までのコースを玉川の南側の田んぼ道に変えてみた。するとこんな看板が。
梨畑の横に「農耕車 出入口注意」の標識。 初めて見た。
病院には13:50~17:50の間4時間いた。病室のソファで「自転車ぎこぎこ」の本を読む。感想はあとで。
4時間の間に看護師さんが7回来た。
おむつの点検と交換に2回。
点滴の入れ替えとチェック。
おしっこや胃液のチェック。
鼻に通している管から直接胃に液体(栄養剤か?)を注入。
検査のためにベッドごとオヤジさんを搬出し、搬入した。
おむつ交換の後 看護師さんが「元気すぎて良かったわ」と笑いながら言ったので病室に入ってみると、オヤジさんは鼻に管を通されているのが、約束の午後になっても外してくれないから「鼻もかめない」と言って怒っていた。
管を抜いてしまうので両手には指が使えないようにカバーをかけられていた。ちょっとかわいそうだが仕方ない。
主治医は院長先生だがオヤジさんは「朝 入ってくると『おはようございます』って必ず挨拶してくれて、良い先生だよ。」と言っていた。
この個室はナースセンターの隣で、今までの病室より看護師さんのチェックなどの出入りが多いようだ。
付添い人のためにソファーベッドがあり、バス・トイレ・テレビ・ロッカー付きでホテルのように個室である。
壁に絵までかかっている。
通ってくるのが大変な付添い人は、ここで寝泊まりできるのでこの部屋は良いだろう。ホテルのように食事は付かないが。
オヤジさんは「ご飯はまだか」と言っているが、8日(火)に胃カメラをするというのでそれまでは食事はできないだろう。戻したときこげ茶色の液体が出たので、その原因を調べるまでは食事は無理だろう。
意識ははっきりしているし、元気なのだが。
胃カメラの結果の説明は10日(木)11:00に先生から受けるが、おかあは仕事なのでトンサンが聞くことにしている。
「自転車ぎこぎこ」を読んで。
病院に4時間いるときに「自転車ぎこぎこ」を読んだ。
75歳のおじいさんが自転車に乗ってあちこち出かけた感想記だ。
おもに20インチの折り畳み自転車で、友達3・4人で電車を利用して遠くへ行き、であった出来事がていねいに書かれている。
面白いのだが、どこへ出かけても同じような口調で書かれているので、読んでいると飽きてくる。
時間つぶしに読むのは面白いかもしれない。トンサンもサイクリングをするので納得する部分も多々あり、75歳という年齢の作者が、よくここまでサイクリングするなと感心もする。
10:20 おかあは車でオヤジさんの入院している病院へ様子を見に行った。
11:30 トンサンはメリダ(自転車)でオヤジさんの入院している病院へ様子を見に行く。
オヤジさんは前に入院していた病院と比べて、布団は柔らかいし、ここの病院はいいという。
くちびるが乾いているのでリップクリームを塗り、お茶を飲ます。
12:00 おかあと車で食事に行く。
12:30 病院へ戻る。
13:10 看護師さんから治療計画書の説明を聞き、了承のサインと判を押す。
13:30 再び病室に行き、オヤジさんと話す。「おなかがすいた」と言うが、「今は点滴をやっているから終わってからね」と諭(さと)す。しばらくして「寒い」と言う。午前中に比べると室温が低くなっている。昼間は暖房を止めているのだろうか。
毛布がほしいと言う。看護師さんに聞くと自宅から持ってきても良いとのことなので、明日持っていくことにした。とりあえず家から持って行ったフリースの肩かけを首周りに当ててやる。
13:50 おかあは車で帰り、トンサンはメリダで帰る。おかあのほうが少し早かったが、「5分と違わなかった」と言っていた。
走行距離 12.57km 積算距離 5166.1km
病院へ行く途中で「おおいぬのふぐり」の花を見つけた。

玉川の土手で「おおいぬのふぐり」の花を見つけた。

2011年の「おおいぬのふぐり」 やはり新しいほうのデジカメでも小さい花を写すのは難しい。

そばで小さい水仙も咲いていた。

小さいムスカリも咲いていた。

だれか植えたのか、種がこぼれて自然に咲いたのか…
10:00 病院から電話があり、オヤジさんが血液が混ざったような嘔吐(おうと)をしたそうだ。
10:10 また病院から電話があり、日額15000円の集中治療室(勘違いだった個室だった。ああ良かった。)に移してよいか聞いてきた。
「お願いします」と答え、実家の家族にもその旨伝える。
明日は早めに見に行ったほうがよさそうだ。
2月5日(土)追記
おかあは9:00に家を出て病院へ向かった。オヤジさんは鼻から管を入れて入るが、吐いてからは落ち着いたようで「今は気持ちいい」と言っているそうだ。安心した。トンサンも午後から様子を見に行ってみよう。