いみしん新聞・常陸の国

少し掘り下げたテーマや画像について考えてみる

震度6弱後の茨城県北の生活・・あれから一週間

2011-03-18 13:46:00 | 生活一般
2011年3月17日は茨城県北の山間はガソリン不足で買い物に行けない。
茨城県央は晴れ日。連絡受け風邪で調子でないが買い出しする。
往復70km茨城県北の山間へパンや牛乳を冷凍食品を届ける。
県央でも途中のガソリンスタンドは供給が追いつかない。
茨城県北は17日でも1台10リットル入れ道路に1km近い3時間の順番待ちである。
道路の走行は通行止めもあるがガソリン不足で空いている。当方も出かけるのは緊急のみ待機である。

東北へ向かうJR常磐線はまだ水戸地方は動かない。バスの運行もやっと始まるが少ない。
常磐高速道路は那珂インター付近は工事が終わりそうで通れるようになる。
しかし東京から100kmだガソリン無くなれば動けなくなる。
宅配便は水戸地方は動くかも・・最悪は大手スーパーだ出勤できず商品調達が道路寸断で役立たない。
地方密着の地場スーパー産直でがんばって開店している。聞くと地場商品調達は何とかなる。
乳牛の生産者は大変だ大手の集荷が来なくても乳は搾り捨てている。
瓦職人の工事は5年先まで大工修理も2年先までだめだ。大手住宅メーカーの浸食で人材がいないのだ。
あちこち見える屋根の青いシートのままだと3ヶ月先の梅雨で家がダメになる。
ある損保の茨城県央県北は1万件を超える保証修理だが調査さえどうにもならない。
茨城太平洋岸の情報は少なく停電で工場は稼働していなく社員は一週間は自宅待機である。
隣は福島県なのだ東北は地震に津波に原発事故の三重苦ありだ寒くて大変だろうなあ~
応援しなくちゃ・・(前回の関連記事へ) (次回の関連記事へ) (トップへ戻る)
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震度6弱直後の茨城県北の生活・・

2011-03-15 16:33:00 | 生活一般
2011年3月11日夜になつた震度6弱の茨城県北の生活インフラは使えない。
納屋の使わなくなった石油ストーブで暖を取り余震に怯えながらの夜明けである。
山間の友人宅の話である。81歳老人の体力を心配し県都の当方宅へ家族で避難してきた。
山間は15日に電気は復旧したが通信やテレビや水道は見通しが立たない。
自宅家屋や陥没の庭も業者が多忙で修繕見通しが立たず天候不順へ屋根の修理ができない。
通勤自家用車のガソリン不足は深刻である。医療関係者や公務員の出勤に影響している。
生鮮食料品が流通しないので特に野菜類がない。ならば被災友人宅から取り寄せである。
当方宅は山間の友人宅の畑から届けられるので近所へ少しだがお裾分けしている。
非常時は味はともかく菜っ葉や白菜はボイル保存する。
今回必要を痛感したのは飲む水の確保と乾電池とアナログラジオである。
食料は意外と餅が役立つ味噌汁あればよいからである。まだ状況悪く県北も市街地も給水頼りだ。(次回の記事へ)
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日本の自衛隊に特殊偵察部隊あれば災害派遣を・・

2011-03-13 12:29:55 | 世相・意見
2011年3月11日に発生した世界最大級マグニチュード9・0巨大地震の東北地方太平洋沖地震から2日間経過した。
まだ孤立した市町村が存在する。行政の連絡網はNTT依存が大きいし電力が遮断されれば情報収集できない。
町村単位で連絡不明が発生するとは何事か・・災害発生初期は「自然と人間の戦争状況」なのだ。
日本の自衛隊に特殊偵察部隊あれば災害派遣を願いたい。
航空落下傘部隊と特殊訓練部隊を空から地上へ通信手段を確保し同時に最新の情報が・・
リアルタイムで報告できる。
何故このようなときに出動しないのか寒冷地訓練した一個小隊単位の偵察兵隊なら何カ所でも1週間は大丈夫だ。
ヘリ部隊など動員すれば偵察小隊は動かせる。
専守防衛でもこのような敵陣偵察部隊は存在するはずであるが・・非常時ニュースにも出ない。
どうなっているのか?
いつも平和ボケ政党の自衛隊反対の意見を聞きたい。国家国防予算は災害時の国民救出もできない姿になっている。
災害列島の日本国は予算倍増して地域防衛災害専門の部隊創設が必要かもしれない。  (トップへ戻る)
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震度6弱を茨城県北の山間で遭遇した・・

2011-03-12 20:05:00 | 茨城県地域の風景
2011年3月11日午後2時46分頃に巨大地震を茨城県北の山間の友人宅で遭遇した。
この時間は友人宅の留守番の81歳の婆さんと段々畑で白菜と大根を収穫中である。
自家用の野菜をあれこれ畑で選択し持ち帰りに準備途中の地震である。
大地が轟音とともに横揺れがひどく立ってられない。婆さんを畑にしゃがませて回りを見渡すと・・
土手も田んぼも山も山間の家々も振動で震えて土埃や杉花粉がまるで山が煙るよう霞んだ。
次々と第二波第三波と連続で震度6弱が続く・・灯籠は倒れ庭石は沈下し2軒の家の中は踏み場もない。
水道管は破裂しエアコン室外機は横向き地盤が沈下亀裂が無数でコンクリート作り土手が10cm押し出された。
余震中に婆さん家に入ろうとするので庭の木下へ引きずる。リスクに無知なのだ。
婆さんの息子夫婦へ連絡はできず被害状況を直後から動画と画像で映し続ける当方も古希を過ぎている。
息子の嫁が夕方早めに帰宅して惨状に絶句・・寒さしのぎの衣類と食料を庭の車内に持ち込む。
やっと山間の友人宅から37km無信号の混雑幹線避けながら道路に散乱する石塀や亀裂や段差に・・
余震で電柱や車が揺れるのを約1時間で帰り着いた。日が沈み電気水道ガスの無いビル階段上る。
室内はやはり散乱していたが片付けず寒いので早めに床についたが風邪引いた。
明くる日は商店は休業で不足気味の食料手当てできない。2食で終わるさて明日はどうするか・・(トップへ戻る)
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東京都東村山中央公園の早春(2)・・河津桜

2011-03-08 11:19:06 | 生活一般
2011年3月3日の東京都東村山中央公園の早朝の河津桜です。
月日は春なのに寒波で明るく冴える寒い日でも春を待っています。
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画像サイズ(1280X720) 2011.03.03 東村山中央公園の風景。(画像拡大はこちら)
(前回真冬の光景へ) (次回桜満開へ) (トップへ戻る)
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