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ー 「陶芸」 が教えてくれる 15 のしあわせ ー
≪注釈≫
「 “日日是好日” に高校時代のことを書いてたら、何と母校が甲子園に出場することになった。又、大分県からも2校出場する。心躍る楽しみな春の選抜高校野球になった。今週の23日から開催される。そんなことで、急遽、“日日是好日” の第11章を繰り上げ掲載した。その続きです」
第11章 の 2 : 別れは必ずやってくる
10数年ほど前に、同窓生から一通の封筒が届いた。高校時代に100m走で私に勝てなかったと前置きがあった。私は昔で言えば中肉中背くらいで細身だった。足だけは速かった。泳ぎも速かった。中学1年の時には水泳部に入ったが2年生よりも速かった。東京・中野区で1位になった3年生だけに勝てなかったが、正選手のユニフォームをもらった。体が細くてぶかぶかだったのを思い出す。2年になった時に親父の転勤で転校したので、その後は水泳はやっていない。
走るのも速かった。100mでは高校2年生で2位。3年生では全校で2位だった。体の大きな野球部の選手にどうしても勝てなかった。80mまでは並走するのだがそこから上半身が浮いてくる。この時に100m走は頑丈な体がないと駄目だなと感じた。陸上部の先生からも体が大きければ入部を勧めるのだがと言われたことがある。
こんなことを書いた後に、彼からきた手紙が出てきた。「貴殿とは、一度も同じくクラスにはなりませんでしたが、よく覚えています。2年生の体育祭でものすごい差で貴殿が1位、私が2位になった記憶があります。」 と書いてあった。彼は長身の野球部の選手だった。そうだ、2年の時は1位だった。私の脳裏には、3年生の時に野球部の選手にせり負けたことが記憶として鮮明に残されているのだが、野球部にリベンジされてたんだ。相手はスパイクで私は素足だったように思う。負け惜しみだが。
大学の1年の時も学部祭があり、リレーで2,3人抜きをしてトップでバトンを渡した。同じ高校卒の同級生から 「相変わらず速いね」 と言われた。その後の選考会に出ていれば国立競技場でも走る機会があったのに、ずぼらな性格だったのでサボってしまった。思い出すと残念だ。何事にも挑戦してみてみることが大事だ。後悔先に立たずだ。
30代の後半のことだが会社でも運動会が開かれた。リレーで久し振りに走った。前を走ってる若いのをコーナーで抜いた途端に、体が宙に浮いて足が空回りして転倒してしまった。いい所を見せようと思ったのにがっかりだった。ただ、走りを見ていた京大卒の重役が君の走りはいいね、陸上をやってたのかと言われた。速いといっても一般のレベルでしかないが、母校が甲子園に出場することになったので、他愛もないことだがこんなことまで付け足して書いてしまった。
話が遠回りしてしまったが、彼からきた手書きの手紙には
「母校が甲子園から遠ざかって久しい。この歳になったので、我々が後輩たちに甲子園へ出場できるようにバックアップしようではないか。夏の大会でベスト4まで勝ち進んだ当時の名投手を会長にしてバックアップする会を発足したいので賛同してほしい」
というような内容のことが書かれていた。私は・・・、
「今はもうそんな時代ではないだろう。高校野球も野球に特化した私立高校の時代だ」
と思って返事をするのを躊躇した。そのままにしていたことを思い出した。日頃から付き合いベタなのでいつも不義理をしてきたが、バックアップしてきた彼らも大喜びしてることだろう。甲子園出場がかなってよかった。高校野球の春季全国大会は今週の23日から甲子園で開催される。わずか19名の野球部員で中国地区大会を接戦で勝ち抜いてきたのだ。精一杯戦ってくれるだろう。
<文章が長くなったので、続きはまた次回に・・・>
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≪注釈≫
「 “日日是好日” に高校時代のことを書いてたら、何と母校が甲子園に出場することになった。又、大分県からも2校出場する。心躍る楽しみな春の選抜高校野球になった。今週の23日から開催される。そんなことで、急遽、“日日是好日” の第11章を繰り上げ掲載した。その続きです」
第11章 の 2 : 別れは必ずやってくる
10数年ほど前に、同窓生から一通の封筒が届いた。高校時代に100m走で私に勝てなかったと前置きがあった。私は昔で言えば中肉中背くらいで細身だった。足だけは速かった。泳ぎも速かった。中学1年の時には水泳部に入ったが2年生よりも速かった。東京・中野区で1位になった3年生だけに勝てなかったが、正選手のユニフォームをもらった。体が細くてぶかぶかだったのを思い出す。2年になった時に親父の転勤で転校したので、その後は水泳はやっていない。
走るのも速かった。100mでは高校2年生で2位。3年生では全校で2位だった。体の大きな野球部の選手にどうしても勝てなかった。80mまでは並走するのだがそこから上半身が浮いてくる。この時に100m走は頑丈な体がないと駄目だなと感じた。陸上部の先生からも体が大きければ入部を勧めるのだがと言われたことがある。
こんなことを書いた後に、彼からきた手紙が出てきた。「貴殿とは、一度も同じくクラスにはなりませんでしたが、よく覚えています。2年生の体育祭でものすごい差で貴殿が1位、私が2位になった記憶があります。」 と書いてあった。彼は長身の野球部の選手だった。そうだ、2年の時は1位だった。私の脳裏には、3年生の時に野球部の選手にせり負けたことが記憶として鮮明に残されているのだが、野球部にリベンジされてたんだ。相手はスパイクで私は素足だったように思う。負け惜しみだが。
大学の1年の時も学部祭があり、リレーで2,3人抜きをしてトップでバトンを渡した。同じ高校卒の同級生から 「相変わらず速いね」 と言われた。その後の選考会に出ていれば国立競技場でも走る機会があったのに、ずぼらな性格だったのでサボってしまった。思い出すと残念だ。何事にも挑戦してみてみることが大事だ。後悔先に立たずだ。
30代の後半のことだが会社でも運動会が開かれた。リレーで久し振りに走った。前を走ってる若いのをコーナーで抜いた途端に、体が宙に浮いて足が空回りして転倒してしまった。いい所を見せようと思ったのにがっかりだった。ただ、走りを見ていた京大卒の重役が君の走りはいいね、陸上をやってたのかと言われた。速いといっても一般のレベルでしかないが、母校が甲子園に出場することになったので、他愛もないことだがこんなことまで付け足して書いてしまった。
話が遠回りしてしまったが、彼からきた手書きの手紙には
「母校が甲子園から遠ざかって久しい。この歳になったので、我々が後輩たちに甲子園へ出場できるようにバックアップしようではないか。夏の大会でベスト4まで勝ち進んだ当時の名投手を会長にしてバックアップする会を発足したいので賛同してほしい」
というような内容のことが書かれていた。私は・・・、
「今はもうそんな時代ではないだろう。高校野球も野球に特化した私立高校の時代だ」
と思って返事をするのを躊躇した。そのままにしていたことを思い出した。日頃から付き合いベタなのでいつも不義理をしてきたが、バックアップしてきた彼らも大喜びしてることだろう。甲子園出場がかなってよかった。高校野球の春季全国大会は今週の23日から甲子園で開催される。わずか19名の野球部員で中国地区大会を接戦で勝ち抜いてきたのだ。精一杯戦ってくれるだろう。
<文章が長くなったので、続きはまた次回に・・・>
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