文章は、角川文庫「平家物語上」佐藤健三校註:原文のまま抜粋です。
絵巻物は、林原美術館所蔵の「平家物語絵巻」
平家物語 巻三
二 足摺りの事
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御使いは丹左衛門基康(たんざえもんのじょうもとやす)と云ふ者なり。急ぎ船より上り
「これに都より流され給ひたりし、平判官康頼入道、丹波の少将殿やおはす」
と声々にぞ尋ねける。
俊寛一人ありけるが、これを聞いて、あまりに思へば夢やらん、また、天魔波旬(てんまはじゅん)の、我が心をたぶらかさんとて云ふやらん、現(うつつ)とも更に覚えぬものかなとて、あわてふためき、走るともなく、倒るゝともなく、急ぎ御使の前に行き向って
「これこそ流されたる俊寛よ」
とて、赦し文取り出でて奉る。
「重科は遠流(おんる)に免ず。早く帰洛の思ひをなすべし。鬼界ヶ島の流人、少将成経・康頼法師赦免」
とばかり書かれて、俊寛と言う文字はなし。
礼紙にぞあるらんとて、奥より端へ読み、端より奥へ読みけれども、二人とばかり書かれて、三人とは書かれず。
さる程に、少将や康頼法師も出で来たり、少将が取つてみるにも、康頼法師が読みけるにも、二人とばかり書かれて、三人とは書かれざりけり。夢にこそかかることはあれ、夢かと思ひなさんとすれば、現(うつつ)なり。現かと思へばまた夢の如し。
さる程に、舟出さんとしければ、僧都船に乗っては降りつ、降りては乗りつつ、あらまし事をぞし給ひける。
すでに纜(ともづな)解いて舟押し出せば、僧都綱に取り付き、腰になり、脇になり、長(たけ)の立つまでは引かれて出づ。長も及ばずなりければ、僧都船に取り付き
「さていかに、おのおの。俊寛をばつひに捨てはて給ふか。日頃の情けも今は何ならず。許されなければ、都こそ叶はずとも、せめては、この船に乗せて九国(九州)の地まで」
と、くどかれども、都の御使
「いかにも叶ひ候ふまじ」
とて、取り付き給ひつる手を引き除けて、船をば、つひに漕ぎ出す。
僧都せん方なさに、渚に倒れ伏し、幼き者の乳母や母を慕ふやうに、足摺りをして
「これ、乗せて行け。具して行け」
と宣ふて、喚き叫び給へども、漕ぎ行く船の習いにて、跡は白波ばかりなり。
僧都、高き所に走り上がり、沖の方をぞ招きける。
さる程に、船も漕ぎ隠れ、日も暮るれども、僧都臥所(ふしど)へも帰らず、波に足うち洗はせ、露に萎(しお)れて、その夜はそこにて明かしける。
絵巻物は、林原美術館所蔵の「平家物語絵巻」
平家物語 巻三
二 足摺りの事
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御使いは丹左衛門基康(たんざえもんのじょうもとやす)と云ふ者なり。急ぎ船より上り
「これに都より流され給ひたりし、平判官康頼入道、丹波の少将殿やおはす」
と声々にぞ尋ねける。
俊寛一人ありけるが、これを聞いて、あまりに思へば夢やらん、また、天魔波旬(てんまはじゅん)の、我が心をたぶらかさんとて云ふやらん、現(うつつ)とも更に覚えぬものかなとて、あわてふためき、走るともなく、倒るゝともなく、急ぎ御使の前に行き向って
「これこそ流されたる俊寛よ」
とて、赦し文取り出でて奉る。
「重科は遠流(おんる)に免ず。早く帰洛の思ひをなすべし。鬼界ヶ島の流人、少将成経・康頼法師赦免」
とばかり書かれて、俊寛と言う文字はなし。
礼紙にぞあるらんとて、奥より端へ読み、端より奥へ読みけれども、二人とばかり書かれて、三人とは書かれず。
さる程に、少将や康頼法師も出で来たり、少将が取つてみるにも、康頼法師が読みけるにも、二人とばかり書かれて、三人とは書かれざりけり。夢にこそかかることはあれ、夢かと思ひなさんとすれば、現(うつつ)なり。現かと思へばまた夢の如し。
さる程に、舟出さんとしければ、僧都船に乗っては降りつ、降りては乗りつつ、あらまし事をぞし給ひける。
すでに纜(ともづな)解いて舟押し出せば、僧都綱に取り付き、腰になり、脇になり、長(たけ)の立つまでは引かれて出づ。長も及ばずなりければ、僧都船に取り付き
「さていかに、おのおの。俊寛をばつひに捨てはて給ふか。日頃の情けも今は何ならず。許されなければ、都こそ叶はずとも、せめては、この船に乗せて九国(九州)の地まで」
と、くどかれども、都の御使
「いかにも叶ひ候ふまじ」
とて、取り付き給ひつる手を引き除けて、船をば、つひに漕ぎ出す。
僧都せん方なさに、渚に倒れ伏し、幼き者の乳母や母を慕ふやうに、足摺りをして
「これ、乗せて行け。具して行け」
と宣ふて、喚き叫び給へども、漕ぎ行く船の習いにて、跡は白波ばかりなり。
僧都、高き所に走り上がり、沖の方をぞ招きける。
さる程に、船も漕ぎ隠れ、日も暮るれども、僧都臥所(ふしど)へも帰らず、波に足うち洗はせ、露に萎(しお)れて、その夜はそこにて明かしける。