昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

鶴林寺(播磨の古刹)

2013-01-20 | 札所巡り
地方の里にありながら、庶民を幸せにしてきた薬師さんです。

西国薬師二十二番札所、と関西花の寺九番札所の門札が上がっている。




山門を真っ直ぐに進むと本堂がある。天平を代表するような屋根のソリである。




三重塔も端正な姿である。火災にあったのが二・三十年前だったが、もう遜色ない。




薬師堂である。手入れも行き届き、立派なものである。




ご本尊はなかなか真面目なお顔である。




大阪の人が、本堂の中に籠っているのはどうか、と思い境内に薬師堂と分身を建てたと言う。

釈迦が悟りを開いたと言う菩提樹がある。
 





薬師と言えば十二神将であるが、そのうちの一体が手にしていた武器がなくなってしまっている。

それで、彼は片目を使って狙っていた都合で、そのまま右目を瞑っている。
人呼んで「ウインクしている仏様」と話題になった。




左右に六体ずつ並んでいる。よく見れば手に持っている筈の小道具がなくなっていますね。
盗難がしばしばあるお寺だった。




新聞に載った写真だろうが、確かにウインクしている。




右側の六体の大将。




本尊の右に月光菩薩。左に日光菩薩。
 


鶴林寺(新西国27・花の寺9)

2013-01-19 | 札所巡り
兵庫県加古川の川筋に刀田山(とたさん)鶴林寺を訪ねる。

立派な伽藍が揃っていて、かつて播磨では存在が大きかった。

配置を見ると、広い敷地の周囲に濠を巡らしている。それだけの勢力を持っていたと思われる。




樹木の上から頭をのぞかせる塔の九輪が楽しい。




こちらですよ。こちら、こちらと誘ってくれます。




山門に続く参道に柵がしてある。その支柱が、真っ直ぐ立っていないように見えませんか。錯覚ですよ。





この山門は京・奈良の都に持って行っても遜色ない。立派だ。




アイタタ観音として昔から知られている。




一度火災にも出会ったりしたが、これも端正のとれた立派な三重塔ですね。





パンフレットから空中写真です。山門は画面左下隅になる。




所在地の概念図です。



当麻寺西南院

2013-01-17 | 札所巡り
当麻寺の塔頭西南院だけは、花の寺21番札所になるほどの退屈させない魅力がある。


池泉回遊式の代表的な庭園が作られている。
縁側からの風景を堪能した後は、庭園の中に自分を置いて自然界の風景に溶け込むことが出来る。





庫裡の前に咲く蝋梅は満開です。




綿の木がある。しっかりと綿が出来ていて紡ぐことが出来る。ただし、するどいとげで指を怪我しそうになる。

アメリカ南部の奴隷たちが広大な綿畑で紡ぐ映画がありましたね。「風と共に去りぬ」だったか。
 




一番初めの案内図の中の見晴らし台から見る西塔と東塔を見通す。屋根の上の九輪の輪の数が8つである。





その場所の足元にある「水琴窟」那智の黒石が敷いてあるその下で、妙なる水滴の音が聞こえる。




ガラス障子の縁側で、お庭を見ながら抹茶が戴ける。西塔が水面に映るのが有名。




塔が写る面白さだけを見るとこんなになる。





一番初めの案内図で、脳天仏の辺りから見る池泉回遊式の庭園。





回遊して地上に降りて来た時、樹木と塔が背比べをしているように見えた。堂々とした塔である。





小振りだが、楽しい石燈籠




シャクナゲは春までは冬眠です。





前回に登場したフウセントウワタの実が弾けて中身が風に飛ばされている。





寒アヤメが咲いている。





奈良盆地の西の丘から東の飛鳥の方向を見た風景です。右の端に鉄柱と重なって象の背中のような姿の山が畝傍山です。

この山の向こう側の山裾には橿原神宮があり、神武天皇御陵がある。


当麻寺(花の寺21)(新西国11)

2013-01-16 | 札所巡り
石光寺から当麻寺に続く道を歩く。山の辺の道が奈良盆地の東なら、ここは西の山の辺の道といえる。

二上山の鞍部から西方浄土の諸菩薩が、お迎えに来るとしていた山である。




中将姫の墓と言われるものがある。整地もされて標識も出来上がっている。





約1㎞で当麻寺北門に着く。境内に入ると両側の石垣は岩を緻密に積み上げている。
 



当麻寺と言うが、その塔頭が坊として独立しており、それぞれに住職がいるのがふつうである。

巡拝巡礼で回る花の寺参拝は二十一番西南院である。

東の仁王門から順に西塔・西南院・奥の院とお参りするのが普通である。

今回は北の門から入っている。西塔の端正な姿は見事である。



池泉回遊式のお庭がいいことで知られている。




玄関である。




フウセントウワタと言う珍しい草が植えてありました。左のような種子が出来ます。
まるで猫の毛よりも細くて柔らかです。


石光寺の花たち

2013-01-15 | 札所巡り
ビワは今から咲いて、黄色の実をつける。寒中に花が咲くなど知る由もない。



スイセンはこれからです。





ジュウガツザクラか、フダンザクラか、現在すでに満開で、これから4月まで咲き続ける。





蓑笠付けた今年の寒牡丹は諦めて、これから咲く冬牡丹に期待します。





ちらほら美しい顔を見せる寒牡丹の仲良しグループ。





仲良く顔を覗かせる兄弟。





見事に座った牡丹、歩く姿はユリの花でしょうか。






与謝野鉄幹・晶子の書がそのまま碑になっている。碑の裏側には、晶子直筆の手紙が碑文になっている。






近くに塔の礎石が残っている。心柱の窪みが3段になっているのは珍しいと言う。
そこに仏舎利が置かれ、その上に塔が建つ。





中将姫の説話が紹介されている。





正面の庫裡が寺務所になっている。





このサザンカは素晴らしい。せっこうじ(石光寺)の寒牡丹は続く冬牡丹に再現される。



石光寺の寒牡丹

2013-01-14 | 札所巡り
 寒牡丹が古くからよく知られています。球根を冷蔵庫に保管して、植え付けをするという。それから地植えにすると、牡丹は温度の変化を感じて真冬に開花すると言う。12月中ごろから1月の初めが開花時期となる。

冬牡丹と言うのが長谷寺などで見事な開花をする。これは1月から2月頃まで花を付ける。こちらの方が花は大きくて豪華である。

寒牡丹と冬牡丹を同じように扱う事もあれば、分けて言う時もある。(2007.1/6の当ブログでもアップ)





蕾も見えるが、まだ固い。




風化している石仏と牡丹のコラボはいかが?    石光寺は聖武天皇ゆかりと言う。





葉も花も付いている牡丹の開花。




大きな花ですね。これだけ蕾がついていると言うことは、もうこれは冬牡丹の領域ですね。




豪華ですね。「座れば牡丹」と言う所でしょうか。




仲良し三人組の寒牡丹。




この寒牡丹は、丸くてかわいいのですが、花弁は寒さで縮んでいるような。
 



真っ赤なサザンカはヤブツバキの様である。赤い絨毯とは言いませんが、落花狼藉とも言いません。花筵か?




サザンカ満開。




これもサザンカ、まるでツバキの花のようだ。




ろうばいの蕾は、開くのにまだ数日かかる。


石光寺(花の寺20)

2013-01-13 | 札所巡り
寒い冬空が少し緩み、奈良盆地を訪ねた。
ハスの糸で刺繍をして、曼荼羅を織ったと言う中将姫所縁の古刹である。



天気も良いし、石光寺にゆっくりと時間を懸けて訪ねることにした。




平成5年に設定された「関西花の寺巡り25カ寺」の第二十番札所になっている。




山門から見ると、背景に二上山の尾根が垣間見えます。




山門の傍のサザンカが見事である。




寒牡丹と呼ばれる蓑を被ったボタンが咲いている。

寒牡丹の盛りは12月中旬から1月初旬までだが、今年は気温が低くて不順だと言う。




弥勒堂(金堂跡)を拝観する。秘仏の弥勒如来坐像。




中将姫山居尊像。



船乗り観音像。永平寺でも見かけましたね。





さて、背後に並ぶ弥勒石仏の断片。胴・手・肩の一部など。最近文化財に指定された。
  

解説の案内があった。二上山を背景に里が広がる。




色彩も鮮やかな曼荼羅。






鐘楼の前の寒牡丹。





隣には緑の蕾が見えますが、鮮やかな色で咲いています。

次回は寒牡丹オンパレードです。

薩摩守忠度の伝承

2013-01-13 | 歴史・文化遺産
 薩摩守忠度は文武両道に優れた武将であったが、彼の最期についても話題が多い。

 討ち取る寸前にまで組み伏せた武蔵国の住人岡部六弥太忠純の「降人の首を取るのか」と言われて戦いを止める。
そこへ駆けつけた六弥太の家来が来るので、目をそちらに回すや、六弥太が反撃をする。しかし、彼は再び組み伏せられてしまった。
そして到着した家来が忠度の右の腕を切り落とすのでした。

忠度の箙に見つけた歌が「旅宿の花」と言う題の歌でした。

明石の浜にその史跡をアップしましたが、神戸市内にも同じ史跡が残っています。




腕塚堂は、神戸の下町の住宅街の中に祀られている。街中の路地にそれはある。
 




ここも腕や足の病に効用があると信仰を集めている。




本堂には高さ1.5mほどの忠盛の位牌が輝きます。町内会の地蔵尊の風情である。
 




どなたが建てたか十三重塔。下方には御廟所の文字がみえる。
 




石燈籠も見える。神仏分離などは明治政府が言い出したものである。

巧まずして、ここには平家の赤が咲いている。




さて、腕塚から150mほどの所に同じように胴塚がある。(首塚と言う人もある)


ここも町内会のお地蔵さんのような感じである。

正四位下薩摩守平朝臣忠度墳とある。







さて忠度は熊野の出だが、どこ?

熊野川沿いに生まれた里がありました。

御多聞に漏れず草餅があった。道の駅の茶店である。



少し字が小さいですが、読むとロマンが湧いてきますね。





忠度は、熊野育ちの母が都仕えをしているときに、清盛の父忠盛と結ばれ、母は熊野に帰って生んだ子だと言う。
野生の逞しさがあったと言う。





この山の斜面の横道に入った所に屋敷があったと言う。





屋敷跡のような平地が残っている。


敦盛と一の谷

2013-01-11 | 歴史・文化遺産
須磨の沖に浮かぶ貨物船が、二艘曳航されて西に向かう。

昭和の初めには、九州からの石炭船が、10~20隻と繋がって海上を賑わしたものでした。日本の産業を支えていたものでしたね。
遠くに霞むのは淡路島の山並み。

源平の軍はこの海域であった。沖には多数の平家の船が浮かんでいたことでしょう。





山陽電鉄の駅と周辺の史跡などです。






国道2号線に面している駅から、西へ約100mに敦盛塚がある。




阪神の震災の時に五輪塔が崩れたが、石の下からは何も発見されなかったとか。








地域でも多くの人たちに護られて、手入れも行き届いている。わが国で二番目に大きい五輪塔といわれる。





左:敦盛そばは、この地の名物となり、昔をしのんだものでした。現在は土日だけ営業している。
右:蕎麦屋の横の塀には、源平の紋章「笹リンドウ」と「揚羽蝶」の楯の板が並んでいる。
 




敦盛塚の傍にある歌碑です。作者は草野藤次といい、神戸市中央区の開業医だそうで、昔の「大阪朝日新聞」の懸賞当選歌と言う。




薩摩守忠度の一の谷合戦

2013-01-10 | 歴史・文化遺産
 山陽電車の人丸駅界隈の源平の史跡を探ります。




駅から100mほどの所に薩摩守忠度(さつまのかみただのり)の合戦の遺跡と言われる神社がある。




平忠度の最後は各所に伝説として残っているが、一の谷から明石まで落ち延びてきたという想定です。




旅宿の花と呼ばれる和歌一首。




今はJRと山陽電車の高架に囲まれているが、ここ両馬川の流れる清流であった。「御即位記念」の碑も並んでいる。

天文台に続く坂道沿いには旧い史跡の碑が建っている。
 



こんな案内も建っている。




「馬塚」の碑もある。





電車の線路の南に100mほど行くと、忠度塚があり、地元の人も大切に扱っている。





北向きに出来ている。





史蹟としての標識もある。





中央の小さな五輪塔がそれらしい。

拡大します。元気な花が綺麗に見える。

旅宿の花の歌碑がある。よく見えませんね。



○さざ波や しがの都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな○   和歌の師、俊成に渡す
○行き暮れて 木の下蔭を宿とせば 花や今宵のあるじならまし○ 落ち行く忠度が箙に残す
♪更くる夜半に 門を敲き わが師に託せし 言の葉あわれ
♪今わの際まで 持ちにし箙に 残れるは「花や今宵」の歌