昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

東経135度(明石)

2013-01-08 | 旅の風物
日が西に沈みかける頃、明石の天文台付近を訪ねました。
山陽電鉄の明石の一つ東の駅「人丸前」のプラットホームからです。

ここには柿本人麻呂の詠んだ歌碑があり、丘の上には立派な古刹があります。
人丸がここに来たと言う記録はないのですが、古くから明石海峡を望む風光明媚な地でした。




現在では山陽電車が、阪神電車と相互乗り入れをして、大阪から姫路までの直通運転をしています。




東経135度の子午線が走っている地点。日本標準時を決める経度です。

手前はJR山陽本線です。




ほんとに子午線が引いてありました。駅のホームの上です。
 



阪神大震災の時は、標準時を示す時計台も、かなりの間、震災の時刻で止まっていた。ここは震源域に近い。




駅から少し坂を上がって天文台に行く途中の街路沿いに星座のモニュメントが並んでいます。

左:大きな丸が一等星で左のオリオン星座では、左上が赤い星でベテルギウス。そして下方の一等星がリゲル。
右:おおいぬ座の一等星がシリウスです。シリウスは最も明るい一等星(マイナス1.5等星)として知られる。
オリオン星座の左下に見られます。夜のウオーキングの時にでも見られますね。別名「天狼星」

両方とも、今夜も晴天であれば南の空に輝き、冬の夜の風物ですね。
 




街中の表示にまで、子午線が赤線で書いてある。





帰途には西日に、映える天文台。列車はJR線。





南を振り返ると、明石海峡大橋が見える。





山陽電車の窓から見た須磨一の谷の海岸付近。夕陽の逆光が美しい。JR山陽本線と並行して走る。
見えている道路は国道2号線。大阪湾越しに淡路島からの夕陽が射す。




須磨沖を夜行の便だろうか、客船が出て行く。


門戸厄神東光寺さん(西国薬師20)

2013-01-07 | 札所巡り
例年19日は避けて、年内にお参りします。
大阪平野の北西の高台にあって、甚だ、見晴らしがよろしい。

その昔、陸軍の演習の観閲の為に、高貴なお方が展望をしたと言う記念碑がある。

山の斜面が境内だから、南北に細長い敷地である。今年はどうも厄年のようで…。

以前は年齢オーバーで何もなかったのに、昨年あたりから掲示板にそのように書いてある。

写真に撮ると、大変スマートな、垢抜けしたお社殿である。




山門が石段の果てにあり、派手な色で構えています。矢羽根の紋ですね。

的に当たるといいのかも知れません。



新幹線を見つけました。




今度のは下りです。この高架の左端部分が、阪神大震災で落下した。
朝早くて電車が通過する前だったのが幸いした。




真言宗の寺だったとは。




樹齢800年を超えるスギの根元部分が展示されている。長寿を願うか。高野山から来た。




幹の輪切りにしたものも奉納されている。
樹齢800年と言われ、長年生きてきたことを実感するために年表が付いている。




なぜか信楽のタヌキが、センリョウの赤い実と並んでいる。寺務所の庭。




誰が置くのか、タヌキだらけである。


富松神社

2013-01-06 | 歴史・文化遺産
今年の恵方は南南東という。地図の上で調べると約1㎞の所に富松神社と言うお宮があった。何回も来ているのだが、初詣としては初めてである。
北摂地方のこの辺りは、応仁の乱の戦乱が、この地方にまで繰り広げられた土地である。

街中の鎮守のお宮は、参道も住宅やマンションなどの中を通っている。




正月2日は、まだ人の賑わいがある。



元旦にはお参りする人の行列が40分待ちだったそうである。



ところで昨今のお参りは、列に並んで、鈴を鳴らして拝まねばならないと思っていますね。



祭神はスサノオノミコトです。近所の神社の多くはスサノオノミコトです。
漢字がそれぞれ違っていますが…。



神社の由緒の説明です。江戸時代初期の創建の記録がある。




覆い屋の中の春日造りの本殿は、外からは見えませんが、本殿の中が垣間見える。
 



境内に並ぶ末社二つ。
 


稲荷神社もある。金儲け専門かな?




奈良の春日神社を拝礼する空間である。この地域は古代には春日神社の社領であったかも。
税金逃れだと思うが…。





御神籤もその時の風物でしょうね。「中吉」だった。




庭の中央に居座るのが薪能の舞台であった。初めは野外で焚火の灯りだけであったのが、
今は洗練されてきて拝殿の様に立派になった。



大神神社散策

2013-01-05 | 歴史・文化遺産
境内を少し見て廻ります。

全体の配置図がありました。伊勢神宮よりも旧い神社のこととて盛り沢山です。

万葉の歌碑は宝物収蔵庫の前です。



今回アップの場面を拡大して見ました。巳の神杉が見えるでしょうか。



まだ字が小さいようなので、更に拡大しました。

ササユリが各所に見えますが、箱根を東に超えると見られない種類だと言います。

左下隅に大直祢子(おおただねこ)神社、またの名で「若宮神社」があります。



再度ですが、巳の神杉の写真です。

その霊力は、幹の根元の穴の写真を撮っただけでも、たたりがあるとまで言われていました。



若宮社の鳥居の前に、不思議な姿のスギの幹がみえます。コブだらけですね。おだまき杉も神杉かも。




この堂々とした大屋根だけでも、創建の古さを感じますね。






村里の柿の枝にメジロです。群れで飛んでいました。



大神神社は酒の神であり、杉玉の起源でもあります。

その年の新酒が出来た時、全国の酒屋さんに知らせが行き、神社は酒屋の軒先に吊るすスギ玉を配布します。

奈良の造り酒屋が酒の菰かぶりを神社に奉納しています。28社。



菰が並ぶところにある庇の暖簾?に三本杉の紋があります。三本杉の紋は大神神社の神紋です。




参道の灯篭に灯が入りました。
この三人の神官は、隣にある自動車のお祓いをしていた。本日は終りです。



万葉の碑

2013-01-04 | 歴史・文化遺産
奈良には万葉歌碑めぐりの企画があるようで、ここの境内の一画に一部を見つけた。
黛敏郎の推薦で建つ歌碑。

「大和は国のまほろば たたなづく 青垣 山籠れる 大和し うるわし」
大和は素晴らしい所だ 周囲には緑の垣根のように山が取り巻き、都を護っている、大和の国は良い所だ

東国で数々の苦難を乗り越え、厳しい気候にも耐えてきたヤマトタケルにとっては、
奈良盆地の穏やかさを懐かしんだことでしょう。(古事記)

ヤマトタケルが東征の最後に伊吹山に向かい、傷つきながら大和を目指し、三重県の鈴鹿辺りに来た時に、
遠く紀伊の山地の向こうにある大和の国を望んで歌ったと言う。彼はこの鈴鹿の辺りで命を落とした。

さすがに楽譜までが彫り込まれている。




すぐ傍には、大神神社末社に祀られている大田田根子(おおただねこ)
(=大神神社末社では祭神が大直祢子になっている)が大物主神を祀った。

その時、高橋ムラの活日(いくひ)が神酒を捧げて、第十代崇神天皇に献上した。
その時に天皇が歌った歌がこれである。(日本書記)


「幾久」は現代の幾久しくの語源である。


更に隣にあった長屋王の歌の碑。堂本印象の名がある。はふり(=神官)

赤く色ずくモミジが夕日に映えるが、モミジよ散らないでくれ。とでも。



うま酒を…

これも万葉歌碑と思うが、意味不明。


追記:大神神社については、2005.5/1~5/8まで、三つ柱鳥居については2005.5/13~5/20にアップしています。
    

大神(おおみわ)神社2

2013-01-03 | 歴史・文化遺産
拝殿の境内の入口には鳥居に代わる注連縄の飾りがある。
この縄は、巳さんを表すと言う。
絵馬には巳さんが宝珠を巻いている
 



大和の国の一の宮である。
オオモノヌシノオオカミも、オオナムチノカミも、どちらも古事記ではオオクニヌシノミコトの別名になっている。
スクナヒコナノカミはその国造りの事業を助けた神である。

なにしろ天孫降臨よりも古い時代の話である。ここは古道である「山の辺の道」沿いにある。





左:近年拝殿付近から勾玉が出土した。それに因んでお守りができている。
右:拝殿の中央部である。この奥にご神体の三輪山がある。
 


左:上に出てきた拝殿の中央の赤房に隠れて、スギ玉が吊るされている。
  全国の酒屋で、その年の新酒が出来ると軒先につるして客を誘う。
右:三輪山のご神体に合わせて、唱える祝詞である。
 





拝殿の裏側が、ご神体の三輪山の正面である。結界として鳥居がある。それは珍しい三つ鳥居である。

時間があれば座敷に上がって拝観もできる。今回は障子の開いた縁側からレプリカを覗きました。



額の写真で、大神神社の末社の桧原神社の三つ鳥居の写真がありました。


以前に撮っていた桧原神社の三つ鳥居の写真です。




この絵が奉納されたとテレビで見たのでした。




北側の祈祷殿の前には正月に開くらしいが、「撫でうさぎ」がある。因幡の白兎ですね。





夕方で、神官らが末社のお賽銭を集めて回っている。





大神神社の案内です。1月だけでも結構ありますね。三輪明神が本来の名らしい。三輪そうめんが有名。




三輪そうめんの店でニュウ麺で温まる。箸置きのツバキの葉が珍しい。金魚ツバキと言うそうだ。


大神(おおみわ)神社1

2013-01-02 | 歴史・文化遺産
大神神社を訪ねました。三輪そうめんのふるさとです。

来年は巳年だから、賀状になにか使えないかなと午後から出かけたものです。正月の準備が出来ていました。




二の鳥居を過ぎて参道を歩くと神苑の雰囲気もある。参詣の人もぱらぱら。




御神体は三輪山の山体そのものである。日本一古い神社ともいう。

その手始めに参道に禊をする祓戸神社があり、ここで身を清めてからお参りをする。





御神体の岩が二つ並ぶ。夫婦岩とよばれて、契りを深める岩である。

天孫降臨以前の神代の時代で大物主命(オオクニヌシノミコトの別名)と
ウガヤフキアエズノミコトの妃で玉依姫(神武天皇の母)の和合を描く説話による古蹟と言う。
 





手水舎にどんと控えた巳さんである。






本殿は背景の山なので、これは拝殿である。やがて数万人の参詣がある。





社務所の少し上に広場があるが、このど真ん中に大杉がある。今年は巳年で賑わうはず。






神のスギである。スギにまつわる神話が二つ三つある。





夜這いで来る男が、朝になると、ここのスギの祠に帰っていくのを確かめると、それはヘビだった。
…祠?が開いている…




人々の信仰は、このヘビの神様に卵をお供えと称して祠に投げつける。
その為にスギが弱ってきたので禁止になって祭壇が出来た。