N資本市場研究所のサイトを見ていたら、東大や修士課程出身者で固められた研究員軍団の学歴欄に出身高校まで出ていることに気がついた。何のために出身高校まで出しているのかわからないが、ちこちこ見てゆくと随分興味深い。
当然ながら有名私立進学校出身者が多く、たまに毛色の違うのがあっても地方の超有名進学校の出身者である。間違っても、ワシの出た田舎県立縄文化石第二高校みたいな三流高校の出身者はいない。ひるがえってわが身を省みると、総括するのは危険だが、ワシらみたいにおちゃらけの高校出て大学受験だけ頑張っても、しょせんはメッキがはげるようにお里は知れてしまうのだと思う。幹の部分が違うのだ。
出身高校からもうひとつ気づくのは、高学歴は高学歴で、その教育に費やされたお金はそれ相応だということである。ワシの場合幼稚園から大学まで私立に行ったことがない。親が喜ぶコストパフォーマンスのよさはともかく、公立の学校で受けられるサービスはそれなりである。タダみたいなもんなのだから、たまに変な先生に出くわしても文句の言いようがない。泣き寝入るしかない。これは住んでいる地方にもより、時代にもよるのだろうが、そのボラティリティ自体が公立学校教育という安価サービスのコストの裏返しであるともいえる。安かろう悪かろう、というやつである。
以上、カネがかかっていないから、出来上がりも安っぽいんですという言訳をしたかっただけだが、うちの娘たちの場合でいうと、教育にかなりの資金を注入しているのに、本人にやる気がない。本人にやる気がない場合は上記の議論は当てはまらない。論外である。