湯西川日記

fbやツイッターで一年サボりましたが、やっぱりブログです。2016年から復活します。ツイッターの長い版みたいな感じです。

にってれ(2

2011-04-30 06:52:19 | 学習

日本テレビに限ったことではないが、ニュースの報道も変だ。たとえば、サッカーで仙台のクラブが勝ちました、という「ニュース」が流される。サッカーの試合は同じ日に6試合も7試合もあるのに、仙台のチームが勝った試合だけ取り上げられる。内容は、主人公の仙台が悪役のクラブに勝ちました、というだけである。ニュースの最後には仙台のファンの観客が泣くシーンで終わる。リーグの順位がどうなったか、だれが得点したか。いっさい何も伝えられない。

要するに「被災者に勇気を与えた。感動的だろ。さあ、泣け」といわんばかりである。不愉快極まりない。ニュースはニュースであるべきだと思う。客観的な事象を報道すればよくて、それをどう思うのか、何の結論を出すのかは視聴する人間の勝手である。放っておいてほしい。実際、負けたチームの大勢のファンは、別のことを思うはずである。

思考までコントロールしたがっているようだが、そんなことをする資格も権利もテレビ局にはない。地震関連でいえば、繰り返し、繰り返し、同じことを刷り込もうとする。「被災者に勇気を与えた」、「政府はまちがっている」。もういい。結論や感想は見ている側で出す話である。そこまで導いてくれなくてよいのだ。つまるところ、見ている側をバカにしているという点で、昨日のロイヤルウェディングの中継とまったく同じである。視聴者は知能水準が低いから、何もかも面倒見てやろうと思っているのだろう。大きなお世話である。

こういうテレビ局の姿勢を真に受ける人間もいる。なすがままに思考回路を支配される人もいる。自分で物事を考える習慣のない人たちである。高校野球のときは、東北高校の対戦相手の学校に「負けろ」という電話が殺到したらしい。ネットでは、ふだんサッカー見ないのに「サッカーの仙台の勝利に感動した」という、テレビ局の思惑通りの感想が立ち並ぶ。東京電力の社宅に「正義感」にかられてゴミを投げ込む人も続出する。つまり、ある程度は、テレビ局の思い通りに、マスの思考をコントロールできているということである。これは、ものすごく恐ろしいことである。1944年ごろの新聞の報道を思い出してほしいといったら極端すぎるだろうか。