夢!進行形。港が見える丘ガーデン

ミントさんの庭に憧れて、少しでもブルーガーデンに近づけるように日々奮闘する田舎のおばちゃんの日記です。

京都国立近代美術館の鏑木清方展

2022年06月15日 20時47分29秒 | 美術鑑賞


14日は待ちに待った1泊旅行の日。

高知新聞観光ツアー
京都・大阪  /   美術館巡り・2日間

京都国立近代美術館 「没後50年 鏑木清方展」
京セラ美術館 「ポンペイ展」
大阪中之島美術館 「モディリアーニ展」

この3つの美術館を巡ります。


この日は朝5時起きで
おっさん2に送ってもらい7時過ぎに高知新聞前に・・・・
7時20分にはバスは高知新聞前を離れて
途中でツアー客を拾いながら
関西方面に向けて出発です。


11時30分頃には、淡路島の淡路SAに到着し
ここで自由昼食をとります。



明石海峡大橋の向こうは明石市で
神戸もすぐ右側にあります。
今日はくっきりはっきりと対岸が見えます。



対岸の景色を眺めながらこの
淡路玉ねぎ鶏白湯ラーメン 980円
を頂きました。
真ん中に玉ねぎが1個入っていて
思いのほか美味しかったので、これお薦めですよ~


明石海峡大橋を渡って
ここから1時間30分で京都に到着です。


鴨川の川床の設置も済んでいるようです。


この朱塗りの大鳥居は平安神宮のもの。
その近くの美術館と言えば・・・・
何年か前にもツアーで「ゴッホ展」を鑑賞した
京都国立近代美術館です。



この美人画の作者鏑木清方
没後50年展です。
向こう側に見えるのはこの後行った
京セラ美術館です。


例によって館内は写真撮影禁止なので
この鏑木清方の一番の注目作品を
ご紹介しますね。




以下は小学館発行の
鏑木清方原寸美術館よりいただきました。

外国人居留地にたたずむ、明治の「見返り美人」

この築地明石町
昭和2年、鏑木清方が49歳の時に帝展に出品し
世の絶賛を受けて帝国美術院賞を受賞した作品です。

この作品は現在でも近代日本画の
傑作の一つに数えられている。
そんな「築地明石町」がなぜ「幻」なのかといえば
1975年に開催された展覧会に出品されたのを最後に
所在不明になっていたからだ。

それから44年。
再び姿を現した「築地明石町」は、
別の2作品「新富町」「浜町河岸」を伴っていた。
【作者に思ひ出の多い、この2ヶ所を追加して
三部作にまとめた】と、かつて清方自身が記していたが、
その言葉どおり、三点一緒に現れたのだ。

この女性の髪型、夜会巻の絹糸のような
後れ毛に目を奪われる。
朝霧の中に立つ美女の後方には
帆船のマストがかすんで見える。
水色のペンキで塗られた柵にからむ朝顔は
蕾、花、そして実と、さりげない
時の移ろいを表している。
そしてキュッと親指に力が入って
素足に履いた畳表の千両下駄は、畳表や鼻緒といった
細部まで、息をのむような描写がなされている。


この築地明石町と一緒に発見された
後の2作品は



新富座前を行く、雨支度の江戸前芸者

新富町

美人画は「生え際が命」といわれるが
「潰し島田」に結った髪のうなじにかかる後れ毛は
うなじの白さをいっそう際立たせている。
また蛇の目傘の複雑な骨組みや、赤や緑の
飾り糸の描写は、精巧な製図を見るかのよう。



浜町藤間からの稽古帰りの町娘

浜町河岸

踊りの稽古の帰りなので、さっき習った
踊りの所作はどうだったかと、記憶を探るような
表情が印象的だ。
また舞扇の描写も鋭く、当時はお洒落とされた
おはしょりの下の赤い「しごき帯」も見え、
着物の柄の松竹梅模様と、その下の青い流水紋の着物の
お洒落さにも注目。



鏑木清方が送り出した美女は生え際の
美しさから生まれたのだと思います。
そして着物の細部にまでわたる描写なくしては
それをまとう美女もまた生まれなかったのでは
ないでしょうか。

その美しさには、生身の女性と錯覚するほどの
嫉妬さえ覚えてしまいます。


今日も来てくださってありがとうございます。





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