千葉県立市川昴吹奏楽部顧問だったの個人ブログ

元千葉県立高等学校吹奏楽顧問

芸大生の悩み

2018-03-13 18:59:49 | 雑記
芸術を極める過程。
読んでみてください。
大切な事は、何か。考えさせられます。


4年前の春、私は念願の東京藝術大学 美術学部絵画科油画専攻に現役で合格し、これからの楽しい大学生活に心踊らせていました。
油画科の伝統のお花見に誘われ、上野公園の桜の美しさに心奪われていると、とある先輩が私に言いました。
「棚村にはどうかこのままでいて欲しい」と
私は当時、この言葉の意味が分かりませんでした

皆さんは東京藝術大学をご存知ですか?

村上隆さん、岡本太郎さん、伊勢谷友介さんなど、多数のアーティストを排出している、国内トップの美大と言われています。

私は東京藝術大学 美術学部 絵画科 油画専攻を現役で合格しました。

私の年は倍率22倍、現役合格の倍率は100倍とも言われていました。

1000人もの屍の山の上を歩く日々も、来月の卒業式で終わりを迎えようとしています

今回は4年間を振り返って私が東京藝大に対して思うことをお話したいと思います。



1,どうしてみんな病んでしまうのか

東京藝大の生徒は少なからず病んでしまうことが少なくありません

皆んなどこかに心の闇を抱えていたように思えました。

その闇が絵を描く原動力になることもありますが、闇が結構深く、一人では抱えきれないほど悲しい過去を背負っている生徒が多いです。

(1)周りと競争して自信がなくなるから

藝大に入ると、せっかく藝大に入れたのに自信が無くなることがあります。

みんな切磋琢磨して一番になろうとするので、周りのペースについて行けなくなってしまうことがあります。

学生同士で作品を講評しあうことはありますが、作品だけで無く作者自身の人格否定までしてしまうことが多く、外に向けて発信するのを恐る生徒もいました。

私は自分のアンチから殺人予告が来たことがあります。

自分の使っていたアトリエにトマトを投げつけられたこともあります。

学生同士で足のひっぱり合いから、人間不信になることもありました。

現役で合格した目のキラキラした夢と希望に溢れた友人は、藝大に入学して4年間で情緒不安定になり、大好きな絵が描けなくなりました。

学年に一人は行方不明者がいるというのは事実です。

私の学年にも在学中に二人行方不明になりました。今はどこで何をしているのでしょう。

(2)病んでる時ほど良い絵が描けてしまうから

私がうつ病だった時、とある教授が私に言いました。

「棚村は病んでる方がいい絵描くよなぁ」と。

そこで私は自分で自分の首を締めてどんどん良い絵を描きました。

教授の言う通り、病んでいる時ほど良い絵が描けていたのです。

幸せになるために絵を描いているのか、良い絵を描くために不幸になるのか

絵を描く意味が分からなくなってしまいました

(3)憧れてくるところじゃなかった

私は岐阜のクソ田舎で育ち、東京というものに強い憧れを抱いていたんですね。

特にテレビで見る東京はとてもお洒落でキラキラしていて・・・クリームがいっぱいに乗ったパンケーキ、お洒落なブティックとか

ドラマで見る東京の恋愛に、ただ漠然といいなぁ素敵だなぁと胸にトキメキを馳せておりました。

現実は、そんなキラキラしていません。

雑踏ビルが並ぶ灰色の景色と、産まれすぎた人間たちを毎日飽きるほど見る生活が待っています。

東京という街は、そういうところなんですよね。

実際、東京藝術大学に対しても大きな憧れを抱いていました。その理由はやはり「日本トップの唯一の国立美術大学だから」というのがあったと思います

そういう理由で大学にきてしまったので、憧れの理想と現実の差に心を痛めました。

日本トップの授業があるわけでは無いし、合格したからと言って自分の作品が日本のトップになるわけでは無かったからです。

大切なのは、自分が将来何になりたいかであって、藝大は通過点でしかないということを身にしみて感じています。

藝大は名前が一人歩きしている分、夢を見やすいので本当に恐ろしい所です。

中身が大したことが無くても、やっぱり一般的にはブランド力があります。

自分が「東京藝大卒」という重い肩書きを背中に乗せて歩んでいくことが、とても辛いです


いなくなったりなんかしませんよ、本当ですよ



東京藝術大学で元気に学生生活を送る方法

東京藝術大学で病まない3つの方法についてお話します。

私の大学生活は鬱々としており、もう絵なんて描きたくないと思うほどでした。

今回は、一度心を病んだ経験を踏まえて、心の闇を乗り越えるにはどうしたらいいかお話します。

1,自分の欠点を受け入れて、良い面をみる

自分の欠けた部分に当てはまるピースを探し続けることはとても辛いことでした。

いい面を放っておいて、悪い面ばかり気にすると、いつまでたっても満たされません。

これは予備校の背景があると思います。

例えば「棚村は発想力は良いけどデッサン力が皆無だね!」なんて言われ続けた私は、大学に合格してからも自分の欠点を直そうと一生懸命努力して、上手く行かず。自分はなんて価値が無いんだろうと責め続けました。

自己否定に入ると、なんだが自分は頑張っているような気がしてくるのですが、これは危険です。

自分で自分の首をしめて安心した気でいるだけです。

自分に対して超ストイックに頑張っていると、いい調子だぞ、もっと自分を虐めよう!という思考になります。負の連鎖ですね。

学年には一人二人、神レベルに上手い人がいますが、そういう人がテレビに出たり美術手帳に載ったりすると、悔しいなぁ、追いつけないなぁと気持ちが焦ることがありますが、そうやって自分のペースを自分で乱すのもよくないです。時の流れに身を任せて、のんびり自分の時間で生きることが大切だと知りました。



2,深く考えず、絵を描くことを楽しむこと

本来、絵を描くことはとても楽しいことです。深く考えすぎると、その楽しさを忘れてしまうことがあります。

この絵の具綺麗だなぁ、このストローク美しいなぁって、純粋に絵を描いていた頃に戻ることが、心の闇を軽くする一つの方法だと思います。

私は心象風景を描きますが、とある批評家に「シュールレアリスムの時代に心象風景はやり尽くされているのだから、君が現代でやる必要は無い」と言われたことがあります。

確かにそうだと思いました。

でも私は私の描きたい絵を楽しく描きたいと思うのです。

堂々と絵画を楽しんで描いても良いんです。

3,誰かに気に入られようとしない

藝大生だからと言って、世間の藝大のイメージに合わせて制作するのはとても窮屈で自由がないと思いました。

やっぱり一般的にみたら藝大生は綺麗な絵を描くイメージがあるかもしれないけれど、たまには顔面で音楽を表現したくなる時もあります。そこで心を押さえつけて、世間の期待ばかりに答えていると心が疲れてしまいます。

また、この業界には、どこのギャラリーと仲良くなるといい、とか、〇〇さんに気に入られようとか、こういう作風で描くとコンペで賞が取れるとか、美人画を描けば飯が食えるという話があります。

そういう中で生きていると、自分の好きな作品が制作できなくなります。もっと自由に、好きな絵をのびのびと描くことが心の闇を少なくする一つの方法だと思います。





最後に

この内容に賛成、反省のひとがいるかと思います。賛成の方はぜひシェアを。反対の方はぜひ反対の意見を発信していただたらと思います。

入学された方おめでとうございます

どうかそのままのあなたでいて