先日放送された「我が家の歴史」で
旦那さんが亡くなって、本妻がお骨を渡す渡さないという件がありました。
とりあえず家族が亡くなったことがないし
その時になったら変わるのかもしれませんが
今の所、お骨には何の感慨も湧きません。
それは当然その人の一部なんだけど
所詮ただの物質に過ぎないというか
そんなものよりその人が映っている写真の方が
よっぽど大事なものに思えます。
現在地球上にいる99%以上の人は
100年後にはこの世にいないという事は
この世の数少ない真実の中でも
実感が湧かない事の一つではないでしょうか。
おそらく一回死んだら、天国にも地獄にもいかず
ただ無になるだけだから
もう未来永劫、自分(なにをもってして自分とするかは難しいですが)は
消滅してしまう。
生きていても仕方ないなぁって思うことは当然あるけど
そんなときはこんなことを考えます。
いくら生きているときに偉業を成し遂げようと
亡くなってしまえばそれらは残された者の問題であって
その故人にしてみればもう何の意味を持たないと思うし
だから死んだ後に国民栄誉賞とか贈るのは
何ともナンセンスな行為に感じます。
輪廻転生的思想を否定するわけではありませんが
来世の為に今を生きましょう、というよりも
今回がラストチャンスだと思って生きる方が
よっぽど健全のような気がします。
これも当然といえば当然の話ですが
今まで生まれてきた全ての人は
死を経験しているというのが案外すごいことだと思います。
ほとんどの人は死は恐怖だと思いますが
それが否応なく襲ってくる暴力性にも似たものは
現実のあらゆる出来事に比ではありません。
死の間際に「まだまだ死にたくない」と思うのと
「やっと死ねる」と思うのと、どちらが幸せなことなんでしょうか。
これはそれまでの人生の充実度が反転する瞬間であり
もしかしたら幸せの本質を考える上で重要なことなのではないかと思います。
でも今は楽しい思いをしたり美味しいものを食べたりという
現実的な幸せに逃げ込んでしまう自分です。
旦那さんが亡くなって、本妻がお骨を渡す渡さないという件がありました。
とりあえず家族が亡くなったことがないし
その時になったら変わるのかもしれませんが
今の所、お骨には何の感慨も湧きません。
それは当然その人の一部なんだけど
所詮ただの物質に過ぎないというか
そんなものよりその人が映っている写真の方が
よっぽど大事なものに思えます。
現在地球上にいる99%以上の人は
100年後にはこの世にいないという事は
この世の数少ない真実の中でも
実感が湧かない事の一つではないでしょうか。
おそらく一回死んだら、天国にも地獄にもいかず
ただ無になるだけだから
もう未来永劫、自分(なにをもってして自分とするかは難しいですが)は
消滅してしまう。
生きていても仕方ないなぁって思うことは当然あるけど
そんなときはこんなことを考えます。
いくら生きているときに偉業を成し遂げようと
亡くなってしまえばそれらは残された者の問題であって
その故人にしてみればもう何の意味を持たないと思うし
だから死んだ後に国民栄誉賞とか贈るのは
何ともナンセンスな行為に感じます。
輪廻転生的思想を否定するわけではありませんが
来世の為に今を生きましょう、というよりも
今回がラストチャンスだと思って生きる方が
よっぽど健全のような気がします。
これも当然といえば当然の話ですが
今まで生まれてきた全ての人は
死を経験しているというのが案外すごいことだと思います。
ほとんどの人は死は恐怖だと思いますが
それが否応なく襲ってくる暴力性にも似たものは
現実のあらゆる出来事に比ではありません。
死の間際に「まだまだ死にたくない」と思うのと
「やっと死ねる」と思うのと、どちらが幸せなことなんでしょうか。
これはそれまでの人生の充実度が反転する瞬間であり
もしかしたら幸せの本質を考える上で重要なことなのではないかと思います。
でも今は楽しい思いをしたり美味しいものを食べたりという
現実的な幸せに逃げ込んでしまう自分です。