これが私の生きる道

こむずかしいことやきれいごとは
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読んでみてください!!

『何、逆ギレしてんの』

2011年02月25日 20時53分02秒 | 思うこと
タイトルはドラマ「美しい隣人」で
仲間由紀恵が元夫役の高知東生に
言い放ったセリフです。
今週の第7話で、
とうとう浮気相手が自分だと告白し
絵里子(壇れい)に何でわざわざ自ら告白したのか聞かれて
「その顔が見たかったのよ・・・」と
そこで壇れいの泣き顔に切り替わって
あまりの見事さに思わず笑ってしまいました。
人間って恐怖を強く感じると笑ってしまうというのは本当ですね。

この先の展開次第では、伝説になりそうなドラマになってきました。
内容自体は割と古典的ですが
じっとりねっとりした演出が
何かとあくせくした現代には逆に新鮮なのかもしれません。
先週の6話のタイトルは『地獄の快気祝い』で
キャッチコピーが『女は、苦しむ女を見るのが好き。』
なんて素晴らしいコピーでしょうか。

実際、絵里子が可哀相っていう意見より
もっといじめてほしい、という反応が多いみたいで
鬱屈した方々が多いようです。
自分は絵里子、可哀相って思うのと
もっと苦しめちゃえ~ってアンビバレントな感情が交錯してます。
それといいアクセントになっているのが
絵里子の旦那役、渡部篤郎の
枯れ具合もいい味だしてますね。

最近「リアル・シンデレラ」という本を読みました。
直木賞候補に挙がった作品で
週刊ブックレビューで紹介されていて読んでみました。
倉島泉(せん)という主人公がシンデレラにあたる人物なんですけど
童話と違い、王子様と出会えるわけでも結婚できるわけでもなく
パッと見は、不幸な人生に感じられますが
本人はそうは思ってなく、
他人の幸せが自分の幸せという
常人にはとても真似の出来ない女性です。

妹に旦那を取られても、慰謝料も請求せず
逆に自分が軌道にのせた実家の旅館も明け渡してしまい
人がいいのにも程がありますが
この所有にこだわらない姿勢というのは
現代社会でも幸せになれる要素を含んでいると思われます。
人は「無くすこと」に大変な恐怖を覚えます、
なぜ「無くす」かと言うとそれは「持っている」からで
持たなければ恐怖は感じません。

そうはいっても生きている間は
ある種のものは持たなければならないこともあるけれど
死ぬときはそれらを全て置いていかなくてはいけないことに
案外気づきません。
倉島泉は「ガラスの靴」を落としても
それが自分のものだとは決して言わない、
むしろ他の人に与えることに何のためらいもない、
といった点で童話のシンデレラとは全く違います。
作中では、シンデレラは結局は
舞踏会に行ったり、王子様の花嫁選びに名乗りでたり
自分をいじめていた継母たちと
価値観は変わらないのではないか、と分析しています。

他人と比べることによって
幸せを感じることは実際あるけど
自分に揺るぎないものがあれば
そういうことに左右されないで生きていけるんだろうなぁ、
子供に戻れるんなら、
そういうものを身につけるんだけどな。

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