「マルモのおきて」が予想外の快進撃で
磐石と思われた「JIN」に急接近してます。
芦田愛菜パワーは相当なもんだわ~、
彼女の笑顔は邪気がなくて確かに癒されます。
まぁどちらも見てはいないんですけど・・・
数年前まではこの枠は
「行列ができる法律相談所」が鉄板で
他の番組を見ようなんて考えたことすらなかったけれど
どんどん法律に関することから離れていって
「カンボジア学校建設」の辺りから
見なくなりました。
自分にとってあのコーナーで良かったのは
一青さんが「はじめて」という曲を作ったこと以外にありません。
何もあの番組でやることはなかったということと
結局、紳介は現地に行くこともなく
何かやりっぱなしな感じがどうしても否めません。
その後も気になった人物を紹介するコーナーや
食べ物のコーナーなど
つまらない企画ばかり増えて
今では「気の毒な夫決定戦」以外は録画もしません。
今クールは連ドラも不発で「リバウンド」と「BOSS」
しか見ていませんが
新番組で意外に面白いのが「アカン警察」です。
ダウンタウンの番組を見るのも相当久しぶりですが
「アカン嫁」が笑わせてくれます。
旦那を使用人としか思っていないような奥さんって
本当にいるんだなぁって、
かかあ殿下の方が家庭は円満になるっていうけど
よくあれで我慢できるなぁって不思議でなりません、
愛しさは憎しみと表裏一体なのでしょうか。
今日宿直明けの帰りの電車で
前に20代とおぼしき女性が座って本を読んでいて
表紙が見えたのでどんな本を読んでいるのかと思ったら
「あなたを邪魔する壁が小さくなる方法」
っていう本でした。
特に女性は電車で本を読むときは
ブックカバーをしていることが多く
それをしていないっていうことは
こういう本を読んでいると周りに知ってもらいたいのかなぁと
邪推してしまいました。
その題名が妙に気になってしまい家に帰って調べると
一種の自己啓発本で
自分で作っている壁をどんどん取り除いたら
迷いが消えて前へ進めるよ、
という内容と推測できます。
その壁を取り除く方法よりも
それを作らない方法を現実に即して教えてくれればいいんだけど
中々それは教えてくれないようで。
でも若い女性がこういう本を読んでいる状態というのが
あまり実感できなくて
というのも若くてルックスがいい女性や
働かなくてもいい位のお金を持っている人に
悩みがあるっていうことが実はよく分かりません。
歳を取ることとか財産を失うんじゃないかって
恐怖があることは理解できますが
現在だけに目を向ければ
不安に感じることなんて何もないように思えてしまいます。
芸能人でもこちらから見ていると
もう何をやっても許されるだろう位な地位にいる人でも
悩んだり不安だったりするって言っているのを耳にすると
それじゃどこまでいったら安心できるんだ、って
もう自分くらいの人間じゃそうしてはいけない
と言われている気持ちになったりします。
今週の「アカン警察」で漢字の成り立ちの話をしていて
「幸」という字は犯罪者への刑で
「手かせ」という刑があって
昔は死刑とか当たり前だったから
その「手かせ」というのは一番軽い刑罰で
こんな軽い罰で良かったというのが
そもそもの成り立ちらしく
確かに幸せってそういうところがあるなぁって感じもします。
幸せって絶対値よりも相対値の方が
より実感できるというか。
例えば小さいホールで10列目っていうと
そんなに前の方には感じないけど
ドームだったら相当前に感じるわけで
比べて分かる幸せも悲しいかな存在します。
自分が幸せなときは他の人の幸せも望めるけど
不幸なときにそう思えるほど人間は強くないのは仕方ありません。
磐石と思われた「JIN」に急接近してます。
芦田愛菜パワーは相当なもんだわ~、
彼女の笑顔は邪気がなくて確かに癒されます。
まぁどちらも見てはいないんですけど・・・
数年前まではこの枠は
「行列ができる法律相談所」が鉄板で
他の番組を見ようなんて考えたことすらなかったけれど
どんどん法律に関することから離れていって
「カンボジア学校建設」の辺りから
見なくなりました。
自分にとってあのコーナーで良かったのは
一青さんが「はじめて」という曲を作ったこと以外にありません。
何もあの番組でやることはなかったということと
結局、紳介は現地に行くこともなく
何かやりっぱなしな感じがどうしても否めません。
その後も気になった人物を紹介するコーナーや
食べ物のコーナーなど
つまらない企画ばかり増えて
今では「気の毒な夫決定戦」以外は録画もしません。
今クールは連ドラも不発で「リバウンド」と「BOSS」
しか見ていませんが
新番組で意外に面白いのが「アカン警察」です。
ダウンタウンの番組を見るのも相当久しぶりですが
「アカン嫁」が笑わせてくれます。
旦那を使用人としか思っていないような奥さんって
本当にいるんだなぁって、
かかあ殿下の方が家庭は円満になるっていうけど
よくあれで我慢できるなぁって不思議でなりません、
愛しさは憎しみと表裏一体なのでしょうか。
今日宿直明けの帰りの電車で
前に20代とおぼしき女性が座って本を読んでいて
表紙が見えたのでどんな本を読んでいるのかと思ったら
「あなたを邪魔する壁が小さくなる方法」
っていう本でした。
特に女性は電車で本を読むときは
ブックカバーをしていることが多く
それをしていないっていうことは
こういう本を読んでいると周りに知ってもらいたいのかなぁと
邪推してしまいました。
その題名が妙に気になってしまい家に帰って調べると
一種の自己啓発本で
自分で作っている壁をどんどん取り除いたら
迷いが消えて前へ進めるよ、
という内容と推測できます。
その壁を取り除く方法よりも
それを作らない方法を現実に即して教えてくれればいいんだけど
中々それは教えてくれないようで。
でも若い女性がこういう本を読んでいる状態というのが
あまり実感できなくて
というのも若くてルックスがいい女性や
働かなくてもいい位のお金を持っている人に
悩みがあるっていうことが実はよく分かりません。
歳を取ることとか財産を失うんじゃないかって
恐怖があることは理解できますが
現在だけに目を向ければ
不安に感じることなんて何もないように思えてしまいます。
芸能人でもこちらから見ていると
もう何をやっても許されるだろう位な地位にいる人でも
悩んだり不安だったりするって言っているのを耳にすると
それじゃどこまでいったら安心できるんだ、って
もう自分くらいの人間じゃそうしてはいけない
と言われている気持ちになったりします。
今週の「アカン警察」で漢字の成り立ちの話をしていて
「幸」という字は犯罪者への刑で
「手かせ」という刑があって
昔は死刑とか当たり前だったから
その「手かせ」というのは一番軽い刑罰で
こんな軽い罰で良かったというのが
そもそもの成り立ちらしく
確かに幸せってそういうところがあるなぁって感じもします。
幸せって絶対値よりも相対値の方が
より実感できるというか。
例えば小さいホールで10列目っていうと
そんなに前の方には感じないけど
ドームだったら相当前に感じるわけで
比べて分かる幸せも悲しいかな存在します。
自分が幸せなときは他の人の幸せも望めるけど
不幸なときにそう思えるほど人間は強くないのは仕方ありません。