ピアニスラー

ゴールド・フィンガー、ハイパー・ピアニスト矢沢朋子のブログ

「ロパートキナ孤高の白鳥」

2016年03月14日 | 文化・芸術

ふと鏡を見たら:ロパートキナのように痩せ細っていました。ダンサーでもないのに。

体重計に乗ってみれば:これまでで2番目に痩せてる記録。実に20ン年ぶり。ヴェジになってただでさえスレンダーなのに、火曜日からほとんど食べてなかったんですね。そういえば。

ノエルが亡くなる前日は何か予感がしたんでしょうか。全く食欲がなくて、ノエルと一緒に飲んだジュースと(グルテンフリー)クッキー2枚、夜はキヌアでサラダを作ったんですがほとんど食べれなくて、次の日はほぼ何も食べず、その次の日もノニジュースとクッキー3枚。

 

内蔵が空気圧で押されるような感じで何も入らなかったんですが、金曜日に、ふと・「もしかしてお腹が空き過ぎてるのかも?」と思って、気分転換に浮き島ガーデンにランチに行って、温かい「ま~じん丼」を食べたら少し復活したのでした。浮き島通りに隔週で屋台を出すブラジルのタピオカ・サンドを夜用に2つ買って、その後パレット久茂地で和菓子も買って帰ってきました。サンドウィッチも完食。

 

毎晩・猫が頭の周りに3匹、私の生存を確認するかのごとく囲んで寝てます。時々、頬や腕に手を置いたりしてきます。相当、「弱ってる」気配なんでしょね。

 

骨壺を持って帰って来た時は:家に気配がありませんでした。みんな隠れて息を潜めてたんです。

キッチンでお茶を入れだしたらアガタが覗きに来て、パリスとオスカルも恐る恐る覗きに来ましたが、私と目が合うと怯えてまた隠れました。まるで私がノエルをどうにかしたと思ったみたい。

これだから猫はバカだと思われるんだよ

まるでノエルの死を理解していない様でしたが、昨日オスカルが:「どうしてノエルを連れて帰って来ないの?」と私に聞いてきました。私が出張とかする時は犬の学校に預けて行くので、今回もそうだと思ったようですが、私が家にいるのにヘンということにようやく気づいた様子。

 

「ノエルね」と言うとノエルのハウスを見ます。「居なくて淋しいね」と言っても分からないみたい。今もノエルのハウスの前に居るし、私と目が合ったら「ノエルは?」と聞くし、ハウスをじっと見つめています。

 

ブッシュフラワーエッセンスの Transition

を注文しました。みんなで飲まないとダメそうです。

実は1月にも買おうかと思ったんですが、躊躇して買わなかったんです。飲ませたら死んじゃうと思って。ノエルには Dynamis を飲ませてました。私のエゴでした。最後はTransitionを飲ませてあげればよかった

 

瞼が1cmくらいある感覚。眠くないのに目が開かないというか。眼瞼下垂に急性というものがあるのだろうか?と調べたけど、やはり極度の疲労なんでしょうね。1ヶ月は完璧に寝不足だったから。視線を動かすと目眩がするし。内蔵のヘンなのは胃から肺あたりまで上がってきて、食べれるようにはなりました。目は前方を向いてる分には平気。パソコンとかね。そこから視線をキーボードに移すとグラッとくるけど。

 

ということで、桜坂劇場で上映中の「ロパートキナ孤高の白鳥」を観てきました。仕事は貯まってるんだけど、今はまだはかどらないから。

 

「ロパートキナ孤高の白鳥」本予告(初日後付け)

 

素晴らしい 映画の冒頭から鳥肌が立ちました。

 

「天才」と称されてますが、この人の天才ぶりは思索的な点にあると思いました。

ダンスのテクニックではロパートキナほど踊れるダンサーは沢山いるんですが、ウリヤーナが他のダンサーと全く違う点は:音楽のことが分かっているということ。

 

音の伸びに合わせて手足を伸ばす、音の伸びの頂点に(音は減衰するから)ポーズとなる手足のポジションの高さを合わせているので、ミュージック・ビデオのような臨床感があります。そしてオケのヴァイオリンとか弦楽器のボーイングと同じテンポで手足を動かしていました。

次に音楽がドラマティックな展開をしたり、逆に静かになる時には、その1拍前にそのテンポで踊りだすんです。まるで指揮者のようでした。

ここまで音楽のことを分かっているダンサーがいるならコラボレーションをしてみたいと初めて思いましたね。ちゃんとコラボとして成立するから。

 

ダンスと音楽のコラボ。なんて企画は掃いて捨てるほどあるんですが、たいがい内容もそんなものなんです(おっと!言っちゃった

だいたいダンサーは音楽をBGMとしか認識してないので、フィギュア・スケートとさほど変わらないんですよ。

まるで息の合ってない室内楽とかデュオという感じで。これが本当にデュオとかだったら「カネ返せ」レベルなものしか観た事ないですね。「踊り」(とスケート)だから大目に見てるだけで、本来はロパートキナのように考え抜かなければならないと思うんです。

自分の技術だけに集中するから逆にプレッシャーもヒドくて自滅もするし。本来、技術のことだけでなく色んなことを総合して表現するために集中することが多過ぎて、アガったりする余裕なんてないはずなんだけど。「アガる」というのは舞台上で練習も終えて技術も完璧でヒマだから。と・ヤザワ的には思うなー。思考停止状態なのさ。大勢の人間の前でも思索に耽るのがアーティストってもの。結果・変人になっても職業病だから!

 

ゆったりとした曲想の「病めるバラ」も、まるでスローモーションがかかってるようで驚きました。正に「静」が揺らいでる感じで幽玄の美。彼女のジゼルとか観てみたいなぁ

タンゴもモダンも音楽が分かっているから踊りが素晴らしい。「変化自在」という評価はロパートキナに関しては違うと思いますね。

 

もう1つ:「瀕死の白鳥」は、これまで観たどんな名手の白鳥よりも「白鳥」で驚きました。推察するに、武道家が格闘ワザを動物同士の闘いを観察して生み出すように、ロパートキナは本物の鳥、白鳥を観察して表現したと思います。

他のバレリーナの白鳥を観て、「美しい」と感じても「白鳥」に見えたことはなかった。あくまでバレエで「役」としての白鳥という前提での振り付け。

ロパートキナのは本当に「瀕死の白鳥」で・・・(ノエルと)被ってしまって泣いてしまいました

 

いつかは飼ってみたい憧れの「白い孔雀」なんですが、こんな風に死なれるかと思うと、やはり3羽はいないと身体に堪えるので、もうちょっと先ですかね。ノエルや猫よりずっと大きいですからね。

 

今の時間、那覇は:「大雨・雷・強風・波浪・洪水」警報発令中です。

家に孔雀を入れないとですよね。。

 

 

 

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