「結婚するのだから周囲から祝福されて当然」と思うのは甘えた考えだ。
周囲の反対を押し切って結婚するのなら「祝福されなくて当然です。」と全ての批判を受け止める覚悟はすべきだろう。
日刊ゲンダイのこの記事を書いたのは誰か解らないが、異常だというあなたが異常です。
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小室圭さんと眞子さまは“四面楚歌”打破し結婚を貫徹 それを祝福せず批判する世論の異常日刊ゲンダイDIGITAL 2021/10/03 06:30
<全文>
<抜粋>
眞子さまにとって「かけがえのない存在」だった婚約者とやっと結婚が成就できるわけだが、今もなお小室さんへの批判が続いているのはなぜか。仮に自分の息子の結婚が決まったとしよう。それが突然、見知らぬ人から、あの家の母親は金を借りたまま返済していない、などと噂をまき散らされたらどんな思いになるだろう。
😇 身に覚えのあることなら、仕方ないな。と思います。ついで、慌てて借りたままになっている借金を返済します。その上で、相手と相手のご両親に「噂になっているようですが、これこれの事情でお金を借りていましたが、既に返済しました。お宅様にご心配をお掛けするようなことは何もありませんが、ご迷惑をお掛けしたことをお詫びします。」と事情を説明し、噂になったことを謝罪します。
相手が「でも、ねえ~」と渋るのなら息子のために土下座もしますよ。なんたって借金したのは自分、返済を滞らせたのも自分ですから。
「いじめ」と同じだ。小室さんに対する週刊誌と世間の批判もこれと同じではないだろうか。それも、戦前のように結婚を家と家の結びつきと考えるならともかく、恋愛と結婚は個人の自由と言いながら、なぜ小室家のことをことさら問題にするのだろう。
😇 狡いことをしている者に向かって「狡いことをするな」と言うのはイジメではありませんし、家も恋愛・結婚の自由も関係ありません。
世間やメディアから総バッシングを受け、義父となる秋篠宮さまからも「納采の儀」はできないと反対されたのだ。まさしく八方塞がりである。
😇 秋篠宮殿下は結婚に反対していないし、「納采の儀」を求められたら困るのは小室家のほうでしょう。殿下は狡いことをして結婚する小室と眞子さまがこれ以上国民の反感を買わないようにという親心から納采の儀を行わないことにしたのですよ。
また秋篠宮殿下は二人の新生活にできる限りの支援もしています。どこが八方塞がりなのですか?むしろ至れり尽くせりではありませんでしょうか。
帰国後、小室さんは報道陣におじぎをするだけで、かたくなに沈黙を貫いている。その胸中たるやいかに、である。
😇 「お前等、俺様に手が届かないクセにそこで何やってんだ。ザマーミロ」ではないでしょうか。
ある皇室ジャーナリストによると、小室さんとは「記者会見でもペーパーがないとしゃべれない人で、そんな小室さんに『しっかりしなさいよ!』と叱咤するのが眞子さま」だという。ここ数年、自由に会えない中で、リモートで眞子さまに励まされてきたに違いないが、四面楚歌の中での長距離恋愛は20代の若者にとってはキツかったはずだ。何もかも投げ出したくなって当然だが、それでも挫折せず、アメリカの大学で法律を学び、卒業と同時に大手法律事務所への就職も決めた。もしこれがあなたの子供だったらどう受け止めるだろうか。「よく頑張ったね」とねぎらって祝福してあげるのがまともな感覚ではないだろうか。それを今も小姑のように箸の上げ下げまで文句を言うなんて、異常としか言いようがない。
😇 「ペーパーが無いとしゃべれない人」が大手事務所への就職を決めたのなら「狡いこと」している証拠ではないでしょうか。
小室がした「狡いこと」の内容は既報ですから、一々書きませんが。
子供が頑張っているのを褒めない母親は、まず、いません。しかし、世間は母親よりもう少し俯瞰的に小室を見ますから、母親には見えないことも見える。
もちろん小室にぴったりと密着している母親でなければ見えないこともあるでしょうが。
立場が違う者がそれぞれの立場から見てモノを言うことは仕方の無いことで異常でも何でもない。
■皇室の危機なんてとんでもない言いがかり戦前の皇室には、皇族とはこうあるべきというルールや規範のようなものはあったが、1945年にGHQによってすべてリセットされ、「象徴天皇」という言葉が残された。それを試行錯誤しながら「かたち」にしようとされたのが戦後の昭和天皇であり、平成の上皇と上皇后であった。それは、旧皇室像が壊れ、大衆化していく過程でもあった。
😇 もし、もし自分の言葉で書いていますか?
「かたち」にしようとすることが、すなわち「こうあるべき」という規範をつくろうとしたということなのですよ。
昭和天皇も上皇も「象徴天皇」と位置づけられた天皇と皇族の「こうあるべき」規範を模索されたが、旧皇室像が完全に壊れたのは昭和天皇崩御後の平成になってからでしょう。昭和天皇御存命中は旧皇室の格式と体面は保たれていましたから。
平成になってからは大衆化路線一直線。とりわけ令和になってからは、御公務も大衆演劇ドサ回り風です。
<続く>