憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

7日 昭和天皇祭 

2025-01-08 22:05:15 | 天皇
7日夕刻から8日午前、ネットに昭和天皇祭のニュースが出るのを待っていたが、何も無し。これまで宮中三殿での儀式は公開されなくても、武蔵野陵を拝礼される佳子さまのお姿がニュースになっていたのですが、昭和100年の今年、昭和天皇祭を報道する価値無し、と判断したのは何処の何方だったのでしょう。

週刊新潮今週号、昭和100年シリーズのグラビア記事で昭和天皇のあの日を偲ぶ。
グラビアには他にも沢山の写真が掲載されています。



この写真は1987年(昭和62年)11月22日。翌年の8月15日全国戦没者追悼式の壇上に進まれた昭和天皇のお姿を記憶している者には、そしてその後の皇室の姿を見て来た者にとっては、胸が締め付けられるような写真です。
、、、右端のかた、こうして見ると、この頃から何も考えていないというか、ノー天気でいらっしゃったのねぇ、と言いたくても、、、ああ、言ってしまった。

11歳で皇太子、20歳で摂政宮。この写真は23歳の昭和天皇。

1946年10月22日 名古屋市役所前 

1947年12月7日 広島

1949年5月20日 福岡県田川市





1989年(昭和64年)1月7日午前6時33分 崩御

前年お倒れになって、しばらくしてから毎日、陛下の御容態が報じられ、聞く方も辛い毎日。崩御の一報がTVに流れた時は正直「陛下はお楽になられたのだ」とほっとしました。
家族で「頑張って、頑張って、国民に正月を祝わせて、おなくなりになった。最後の最後まで国民のことを考えてくださって、有難うございます。」と話し合い手を合わせたことでした。
その日、すぐに国民は自発的に昭和天皇の喪に服し、世の中全体火が消えたようにひっそりとなりました。
後に、平成の天皇が「先帝の葬儀では、長い時間、国の経済が止まり国民に無理を強いた。自分の時には、ああいうことはしたくない。」と、言われたが、国民は誰かからの指示があったからではなく、そうしたいから各々のやり方で昭和天皇の喪に服したのに、何てことをおっしゃるのか、と、この時、平成の天皇のことが少しイヤになった。


週刊新潮のグラビアには、「大喪の礼」の厳粛にして美々しきあれこれの写真が無いが、TVで中継された大喪の礼で、解説者が「大喪の礼がこのように行われるのは、これが最後だろう」と言った通り、もうあのように盛大に送られる天皇は向後無いのだ、と、今は解る。その時は、「これが最後」とは思わなかったのですが…。


1984年(昭和59年)1月2日

2025年1月2日 
何ごともないという幸せ、、、まさに、それはこの4人のかたのこと。
世界に、日本に、皇室に、何ごとも無いということはない。しかし、この4人のかたには「何ごとも無い」のでしょう。
週刊新潮も上手いことをいいますね。



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1 コメント

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Unknown (ダブルワイ)
2025-01-08 23:12:33
令和の天皇にとっては、あくまでも令和7年で、昭和は遠くなりにけりとでも思っているのでしょうか。

ヤフートップに上がらないだけで報じたニュースがあるのではないかと何度も検索しましたが、出てくるのは2~3年前の佳子さまの武蔵野陵参拝の動画のみでした。
産経新聞がご動静として載せていますが、雅子さんは相変わらずのお慎み。
愛子さんはどうされたのでしょうね?

名古屋への行幸、戦後の世の中が不穏であった時代でも警備は少ないですね。驚きです。
子供の頃明治神宮でお帰りの車に遭遇しましたが、その時もお車のすぐ側でご尊顔を拝することが出来ました。

今上はイギリス留学返り時に日本の警備が鬱陶しいようなことを仰せでしたが当時より更に警備が厚くなっていることをどうお考えなのでしょう。アッ、何も考えてない。。。?

上皇后は一般参賀時、全くお手降りをさせたいなされなかったとか。
引退した身だからと控えている、現状を弁えている私。。をアピールしたいのかしら。
それだったらお出まし自体遠慮すべきなのにずれてますわ。
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