昨日は、沖縄復帰40周年の日でした。
この40年については、ここでは語りませんのでいろいろなところで調べて見てくださいネ。
今日はたぶん、本土では報道されていない事実をお知らせしておきましょう。
名護市辺野古はご存知ですよね。
あの鳩ぽっぽが、普天間飛行場の移設問題で「最低でも県外」と公約しながら、もともとの辺野古地区移設に戻ってポーと泣いたことは、沖縄県民でなくても知っているはず。
その名護市稲峯市長も県外移設をうたって僅差で当選したわけですけど、地元ではどーなんでしょう。
名護市には「キャンプ・シュワブ」「キャンプ・ハンセン」「辺野古弾薬庫」「八重岳通信所」の4つの施設と区域が存在し、市面積の11%を占めています。
この軍用地からは地代収入があり、1軒平均年間100万程度(一部には1,000万を超える人も)ですが確実な収入源としてあるわけです。市有地もあります。
これに目がくらんだのか、辺野古移設に反対する稲嶺市長はあろうことか、キャンプ・ハンセンの市有地部分について当時の沖縄防衛局田中局長(例の環境アセスの評価書提出時期に対し『犯す前に言いますか』発言で更迭されちゃった人ですね)に継続使用を申し入れていたのです。
実際は、「跡地利用計画ができるまで」という条件をつけているんですけどね。
簡単に言うと、「新しい基地は作らせないけど、今ある基地はすぐには返させない」ということですな。
また、昨年10月には、辺野古地区の区長が辺野古受け入れを宣言しましたが、まったく(たぶん)報道されていません。
沖縄県のねじれは、反基地運動家=地元紙と基地存続にすがる住民のねじれなわけですね。
住民の中から本当に自分たちの生活を考える人が立ち上がってほしいと思うのね。
この項、終わり。
島では、例の「伊良部大橋」の2本目の桁が夜を徹してすっごい雷雨の中運ばれていました。
午前7時にそろりと移動するクレーン船
午後1時には設置完了。
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そろそろ30℃を超える日が目立ってきましたョ。