島にある中学校の総合学習の時間。
宮古島の歴史について、史跡を巡りながらお話しする依頼を受けました。
平良中学校の1年生2クラスとそれぞれ3時間、2日間にわたって一緒に歩き回りました。
前に立つ図々しそうな男女が、クラスでも歌舞いた奴ら約10名。
先生!そう先生と呼ばれるのですね。
「先生の年は何歳ですか」言葉つきは丁寧ながら突然突っ込んできます。
まあ正直に答えるわな。
「じゃあ、うちのオジイの二つ上だね」
それがどーした。そんなこと伝えてなんになる。
「先生、さっきの橋(下地にある仲宗根豊見親が築いたとされる池田矼/いけだばしのこと)のそばに製糖工場があるでしょう。お父さんがそこで働いていたんだよ」
それがどーした。りっぱなお父さんだねえ。
「先生、私の身長って人頭税石と同じなんだよ。同じだったら税金払うの?払わないの?」
だから、この石は人頭税と何の関係もない石だと説明したばかりでしょうが。
もしそうだとしても首をすくめるでしょうね普通。
何かというとまとわりついてきては素敵な質問を飛ばしてくれます。
聞いているのかいないのか。
まあ反応があるだけましとしましょう。
驚いたのは熱中症対策で、軽トラに給水タンクを載せて、同時行動していた3クラスに頻繁に給水して回る教師が配置されていること。気分の悪そうな子はすぐさま軽トラに収容。さすが亜熱帯の島だねえ。
説明の間に、レポート用のキーワードや感想までちりばめておいたのですが、メモを取っていたのは4人ぐらい。
50年たってもそのヒエラルキーは変わっていないのですねえ。
私はといえば、メモを取っている子から情報をいただいてレポートする口でしたがね。
騒々しさと若々しさに圧倒されたひと時でありました。