さて、多良間で聞いた歴史のお話。
多良間島には、1,700年頃那覇波上護国寺の住職、真言宗の僧「心海」が島民たちを教導しつつ生活をしていたという遺跡がある。
寺山遺跡、地元では寺山ウガンという。
この僧侶がなぜここに来たかという理由は公的には不明で、説明板にも「流刑にされてきたといわれているが真相は不明である」と記されている。
ここで先日の福盛家が登場する。
福盛家の庭には、代々絶対埋めてはいけないと伝えられる池があり、心海上人が作ったものといわれている。その池は、心という字の形をしておりまさしく心海上人の手になるものだと信じられている。
今は、水が干上がっており降雨時にしか池にはならないそうだが、地表水を集められない島の地質を知らないものの仕業としか思えないともいえる。
この心海上人はなぜ多良間にやってきたか
その秘密は福盛家だけが知っているのである。(らしい)
話は変わって、本島に伝わるわらべ歌に「耳切り坊主」(みみちりぼーじ)というのがあるそうな。
内容は、「泣かないで泣かないで、泣き続けているとカマをもった耳切り坊主がやってきて耳をグスグス切られてしまうよ」てなこれでよく眠れるなという結構恐ろしい内容で、みみちりぼーじは妖怪の一種なのですな。
なんでこの坊主が妖怪になったかというと、ここからは子守唄とは思えない内容。
この坊主元々は、黒金座主(くろがにざーす)という僧侶。
色欲淫猥強欲変態までいくかどうかは知らねど、まあそんな感じ。寺に女が入っていっても出るのを見たことがないっちゅうくらい食べつくしたらしい。妖術使いとも。
そこでこれを成敗しようと北谷王子に白羽の矢が立ち、すったもんだの末、耳を切り落とすことで命は助けようと王子が成敗したのだが、結局破傷風で命をなくしてしまった。
これを恨んだ黒金は死後なぜか男の子を見ると耳を切りたがり、その話が子守唄となって今に伝わるというお話。
元に戻って、心海上人はこの時、黒金の弟子か何かで連座の罪を受け、多良間に流されてきたというのが福盛家に伝わる言い伝え。(らしい)
まどかちゃんもゆうたくんもしっかり伝承してほしい。
それにしてもこんな恨み話を子守唄にするのは、子守役の少女の意趣返し4回転としか考えられないというもっと残酷な解釈をしてみるのはどーだろうか。
わらべ歌自体はまったりしてすぐ眠くなるようなオキナワ音階なので一度聞いてみてください。
http://rca.open.ed.jp/city-2002/song/song_13.html
最後に、寺山ウガンの根抱き岩を
根に抱かれているのか緊縛されているのかどっちでもいいけどすごい力を感じる。