しばらく続いた雨でサトウキビの収穫ができず製糖工場が操業停止となっていましたが、ようやく再稼働したようです。
その原因は、生産者の高齢化で最近増加した機械によるキビ刈り(ハーベスタといいます―ザリガニみたいです)が雨で稼働できなくなったからです。
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こちらは手刈で刈り取られたキビの束。
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一束が500㎏から600㎏。10束ほどありますから、今年の価格ではこれ全部で11万から13万円ぐらいでしょうか。
1トン当たり21,800円のうち国の交付金が16,320円。砂糖輸入の関税が財源です。
TPP協定に敏感になるはずです。
このあたりは前にも書いたかなぁ。
このサトウキビ、宮古島で栽培され始めるのは明治に入ってから。それまで栽培が禁止されていたのです。
それは、琉球王府が宮古島に課した税制と無縁ではないのです。
「人頭税」正しくは「定額人頭配賦税」は、宮古島において1659年から1902年まで課せられた税制です。
「人頭税」は、ヨーロッパやインド、中国などで導入されてきた税制で、その多くは、すべての統治される人に一定額の税金を課するもので、支払い能力に関係なく支払う義務が生じるものだといわれています。
それに対して、宮古島をはじめとする先島で導入された「定額人頭配賦税」は、島から琉球王府への年貢高を人口の増減にかかわらず、定額(粟換算で3,367石、内訳は粟納で1,150石、反布納で4,998反)で治めるものでした。
この粟と布の物納の時代には、島の中での通貨も粟が使用され、いわゆる換金作物ではなかったのですね。
また、年貢として粟を収めていたために、ほかの作物を作りたくても粟の栽培をやめるわけにはいかず、効率の悪い畑作を続けなければならなかったのです。
そこで、換金できる作物としてサトウキビの栽培を進め、金銭で納税したいと考えるようになったのですね。もちろんこれには寄留商人と呼ばれる他府県の実業家が、宮古島に金儲けの道を見つけ後押ししたことはいうまでもありませんが。
すなわち、サトウキビに代表される換金作物の導入には納税制度を変える必要があった、定額人頭配賦税制を廃止する必要があったということですね。
この人頭税廃止運動にかかわった農民リーダーの多くは、後に大土地所有者に成長し、寄留商人は宮古島の商業の中心となり、島の近代化が進んだといわれております。
めでたしめでたし。