プロ入り2年目の「第三の男」が、いよいよ本領を発揮し始めた。
愛工大名電時代、大阪桐蔭の藤浪晋太郎(阪神)、花巻東の大谷翔平(日本ハム)らと並び「ドラ1候補」として注目を浴びていた中日の濱田達郎が先日、プロ入り2度目の先発登板で早くも2勝目を上げた。
濱田といえば、忘れられない光景がある。2012年夏の甲子園でのことだ。濱田を擁する愛工大名電は、初戦で浦添商業に4-6で敗れた。3回までに頼みの綱の濱田が5失点したことが、最後まで響いた。
試合後、その濱田はこう語ったのだ。
「次は、初回からいいピッチングができるように修正しないといけないですね」
一瞬、言葉の意味が飲み込めなかった。
「次」?
初戦敗退で、しかも、3年生の濱田に「次」などないではないか。だが、すぐに気がついた。濱田は高校を卒業してから、もっといえば、プロに入ってからのことを語っていたのだ。
高校野球が終わってから、まだ数十分しか経過していなかった。不遜と言えばそうかもしれないが、プロ志向の強い濱田らしい発言だった。
濱田ほどプロ向きだと直感した選手はいない。
それにしても長い高校野球取材の経験の中で、最後の夏で敗れ、聞かれもしないのに「次」を語った高校生は記憶にない。プロ入りが確実視されている選手であっても、通例は「まだ考えられない」とお茶を濁すものだ。
よくプロ向きであるとかプロ向きではないという議論がなされるが、濱田ほどプロ向きだと直感した選手はいなかった。
3年春の甲子園では、藤浪、大谷、濱田と三人のスターがそろい踏みし、濱田はチームをベスト8に導いた。そのときのセリフも堂に入っていた。
「春の時点で、足りないと感じた部分は、そんなになかった。まだ、力を入れて投げる時期ではないので。本番はあくまで夏。春は、あれぐらいで上出来だと思います」
3年夏で評価を下げた濱田は、2位で中日に入団。
3年春は、ここぞというときの制球力が光った。そのことについて尋ねたときも、向こう気の強さを感じた。
「特別な練習はしてません。コントロールは気持ちだと思ってるんで。右バッターのインコースとかは、ビビると甘くなる」
だが、3年夏の濱田は不調にあえいでいた。その上「甲子園で勝つより難しい」と言われる地域のうちのひとつ、愛知大会をほぼひとりで投げ切ったため、甲子園にたどり着いたときは心身ともにぼろぼろになっていた。初戦、浦添商業で見た濱田には、春に感じた躍動感が失われていた。
この夏で評価を下げた濱田は、藤浪、大谷がドラフトで1位指名を受け華々しくプロ野球人生をスタートさせたのに対し、地元中日から2位で指名を受け、ひっそりとプロの世界に入った。
思わぬ先発機会に、完封で応えるプロ魂。
ルーキーイヤーも二人とは対照的だった。藤浪が一軍で10勝し、大谷は投手と野手を兼ねるという「二刀流」の先鞭をつけ、連日のように新聞を賑わせた。そんな中、濱田は二軍で黙々と投げ続け、2勝8敗とプロの洗礼を浴び続けていた。
ところが今年、思わぬ形でチャンスが訪れる。5月7日の阪神戦、先発予定だった川上憲伸が試合前の練習で腰を痛め、急きょ登板回避。ベンチ入りメンバーの中で、ある意味、もっとも放っておらず、もっとも文句を言わないだろう若い濱田にお鉢が回ってきた。
プロ向きであり、また、実戦向きでもあった濱田は、そのチャンスでプロ初先発ながら、7-0で初完封勝利を収めた。そして続く15日のDeNA戦でも先発し、6回を4安打2失点に抑え、2勝目を上げる。
いずれの試合も、顔色ひとつ変えずに、しかし長い腕を千切れんばかりに振って投げ込む姿が印象的だった。
「ピッチャーは喜怒哀楽を出したらダメ」
高校時代、濱田はこう語っていた。
「ピッチャーは喜怒哀楽を出したらダメ。ずっとそう思い続けてきたので、もう慣れてる。打たれても、あ、打たれたって。そういう風になってる」
高校時代の恩師、倉野光生もこう言う。
「普段もおっとりしているというか、ポーカーフェイス。あんなに穏やかな子が、ピッチャーなんかできるのかなと思ったぐらい」
濱田は「黒がいちばん落ち着く」と、高校時代から黒いグラブを愛用している。
プロ2勝目をあげたDeNA戦は、「四球が多い」と納得がいかなかったようだが、5回まで0点に抑え、試合をつくった。
2年前の夏、浦添商戦に負けた後に吐いたセリフを濱田が覚えているかどうかはわからない。しかし誓い通り、「次」の立ち上がりはきっちり修正されていた。
(上記 Number Webより)