大仙市の先輩詩人、吉沢悦郎さんが自らの足跡を記録、刻印してゆく”遺文集”の続編が刊行された。なぜこんなにも自身の根源を確認しようとするのか、中にはそんな風に思う読者もいるかもしれない。が、吉沢さんは今だからこそあえて過去の立ち位置へわざわざ戻り、時間を超えた現在からそれらを視野に入れようとしている。呻吟している姿も垣間見られる。何よりもうれしいのは、それが現在進行形ということだ。辿っているのは過去の出来事の確認ではあるが、自らの生き方を見つめ直している。
この『遺文集』の概略を伝えることもなく抽象的に感想を記したが、私感はどうでもいい。要は、書き方や論評や文章に学ぶ所多い刊行物であるということ。2005年に”正・補”を、2013年に”続”を刊行しての続編。まだまだ隠し玉が出てくるに違いない。確かな文章と思考と展開に・・・憧憬。