秋田県大館市出身・若狭麻都佳(わかさ まどか)さんの表現世界が、美術文学の総合誌
『花美術館』で紹介されている。
VoL.79で詩「華供養」「手の花」と、パフォーマンスを演じる画像。
VoL.80では評論家「小出龍太郎特筆・若狭麻都佳の世界」として詩「夢原罪Ⅱ」
「Amazing planet Kの正体」とミクストメディア(多種類の素材を使い、様々な手法で
制作したアート)の「麗しき悪夢」「馨しき牢獄」。
(画像は「麗しき悪夢」の一部。(著作者承認済み)・・・画像UPシステム上の制限によ
り一部カットされている)
「Amazing planet Kの正体」
ばら・・・ばら
の
秩序だった
白い混沌
が
まぶしい
底が
抜けた
時間
人々は楽しげに狂っている
魚たちが
燃え立つように青く走り
ちりばめられた丘のうえ
荘厳な声が吹き抜ける
絞首台に吊られてゆく
シャーマンの
こなごなになった
いのちの破片を拾い集めて
覆されたものたちが
草になる
古代ノ骨ガ咲イテイル
やがて・・・
草が産み落とした
ツギハギの星
が
何処にあるのか
遡るたび
進化してゆく
その
おとこにだけは
聞いてはいけない
評論家の小出氏はこの詩を「政府批判の眼差しで現在の日本政府を見つめれば、冒頭から
末尾まで、全行に共感することが出来る。この詩は、じつに興味深い、抱腹絶倒の作品で
さえある」と言う。
「日本の現状を考えれば理解できる」として、「コロナウイルスとワクチン騒動」を挙げ
ながら、「こうした現状を認識して読み進めると、なるほどとなる」と書く。
「<魚たち>と<丘のうえ>の<荘厳な声>、魚たちは「群れて泳ぐ小魚」=民衆、先導
者の意のまま右に左に向きを変える。「丘」と「荘厳な声」は権威の象徴だ」と断言。
「絞首台に吊られてゆくシャーマン」は「科学的権威者に逆らう人」「<ツギハギの星>
とは地球全体、つまり各国矛盾だらけの政策」と読み解く。
なるほど、そういう読み方もあるのか!と実は驚いた。
私のような社会とか芸術とか文学などに疎い者にとっては、ちょっと衝撃的な解釈であっ
た。しかし、よく考えてみると、吉本隆明が『真贋』で「自分の表現したものが自分から
離れてしまえば、他人から見て何か言われることは、覚悟の上だと考えるのが普通ではな
いでしょうか」と言っていることが、端くれものを書いている端くれの私にしてもそうだ
と思っているところがあるから、これもまた、そう解釈した人にとっての”若狭詩”の一つ
なのだ。
若狭さんの描こうとした意味合いはどういうことなのだろうか、とは私は思わなかった。
極論すれば、ここに具象性を求めているのではないと感じた時、それはそのまま全体と
して、一つの塊としての映像を頭に描きながら曖昧であれば曖昧のまま受け入れるしか
ない。それは詩作する側にも言えることで、少なくとも詩作中の思考では具象性を持った
細切れのテーマが散在していて、詩作途中で掬い取ったり棄てたり戻したりしながら、
イメージは言葉で探り出されて翻訳され、文字に変換され、そして視覚的に表現される
のではなかろうか。
だから若狭さんの作品は字数下げや回転や記号を組み入れていく。・・・のだろう。
発表された作品は、受け取る側の感性のようなものによって形を変え香りを変えてゆく
のは当然のことながら、そのようにあらためて思った。
若狭さんの紹介のつもりが脇道に逸れてしまったが、”若狭詩”に刺激を受けたひと時で
あった。
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