
7月、
秦野のお宅にはじめて伺ったときに、
ぼた餅を奥さんがつくって待っていてくださったのでした。
「私の体験でよければぜひ聴いてください」と約束してくださいました。
そして昨日、お寺で元中帰連会員として、はじめてお話しをしてくださったのです。
大戦中、中国で、子どもを撃ったこと。
民家に押し入り「麺を作ってくれれば小麦は奪わない」と言うと、その家の女の人が
あわてて麺を打ち、それを日本兵たちが食べたこと。
その場に中隊長がやってきて叱咤され、やはり小麦を収奪してでていったこと。
「戦争で私たちは中国の人に非道の限りを尽くしたのです。たくさんの人を殺し、
小麦も、綿も、にわとりも、豚も、残らずうばっていきました。」
絶対二度と戦争への道はすすませない、と細い背筋を伸ばし、穏やかな目で
訴えます。
帰り際、娘さんというひとに声をかけられました。
「今まで父からこんな話は聞いたことがありませんでした。
泣きながら聞きました。父と会ってくださってありがとう。
これからも父をよろしくお願いします。」と頭をさげられました。
つい私ももらい泣き。
秦野のお宅にはじめて伺ったときに、
ぼた餅を奥さんがつくって待っていてくださったのでした。
「私の体験でよければぜひ聴いてください」と約束してくださいました。
そして昨日、お寺で元中帰連会員として、はじめてお話しをしてくださったのです。
大戦中、中国で、子どもを撃ったこと。
民家に押し入り「麺を作ってくれれば小麦は奪わない」と言うと、その家の女の人が
あわてて麺を打ち、それを日本兵たちが食べたこと。
その場に中隊長がやってきて叱咤され、やはり小麦を収奪してでていったこと。
「戦争で私たちは中国の人に非道の限りを尽くしたのです。たくさんの人を殺し、
小麦も、綿も、にわとりも、豚も、残らずうばっていきました。」
絶対二度と戦争への道はすすませない、と細い背筋を伸ばし、穏やかな目で
訴えます。
帰り際、娘さんというひとに声をかけられました。
「今まで父からこんな話は聞いたことがありませんでした。
泣きながら聞きました。父と会ってくださってありがとう。
これからも父をよろしくお願いします。」と頭をさげられました。
つい私ももらい泣き。
私もドキドキします。
いろんなおじいさんたちに会って、
平和はただでは享受できないんだなあと
思うこのごろです。