うろこ玉絵日記

日々のなにげない一こまを絵日記にしてみました。大阪に近い奈良県在住です。
マウスでかいてまーす。

関西弁でお楽しみください。

2012-04-13 | Weblog
「あんな、うちんとこな、物干し竿長いやんか、
一緒つこたらええねん。うち紐でゆわいといてあげたわ」(お隣のおばさん)

「あんな、うち、周りの人から、最近隣に越してきた人関東やろ?東京弁わかる?って聞かれるねん。東京弁てなんかある?」(お隣のおばさん)



「なあ、ヒョウジュンゴしゃべって」(息子のクラスの子)

「えー!!あかんって言葉、神奈川県ではつかわないんか!!」
(息子が「あかん、てなんて言うの」と聞かれ、「だめでしょ、かな」と答えたところ)



「転校生やろ。気軽になんでも聞いてや」(転校した初日、娘が隣のクラスの女の子に)


「お宅の車は、湘南ナンバー?へー、しょうなんだ。しょうなんだ。湘南だ・・・」
(娘の学年主任の先生)


はじめは、特別この人だけが特に話が好きで、
話が長いのかと思ってましたが、そうじゃなかった。
会う人みんな、ほとんど。

挨拶でも、ちょっと道きいただけでも、
公務員の人に施設の使い方や手続きの仕方などきいただけでも。



いちいちながいねん。

人と人の会話の垣根が低い気がする。かなりたのしいです。
こっちの暮らしに慣れて東京とかに行ったら、さみしい思いをするかも。




関西は外国だと思え!と言われてきました!と職場の人に言ったら

「はは、そやな。外国やおもてきたほうがええなあ」と笑われました。



まだおばちゃんに飴もらったことはないし、
「きーひん」「けーへん」は聞いたことあるけど
「こえへん」はないです。




ふたかみやま登山

2012-04-13 | Weblog
奈良に来たからには仏像をたくさん見るぞ~!とは意気込んではきたものの
やっぱり地元のお山に挨拶してからいろいろ巡ろうと思って

博物館の次の日には二上山に登りました。

おにぎりと漬物をもって
九時半に家を出、徒歩で雄岳、雌岳まで登り、
山をくだり、當麻寺(たいまでら)の中将姫にお参りして帰ってきました。
山頂に着いたのは11時だから、片道一時間半の登山コースでした。

山の高さは517メートルですから
そんなに高い山ではないのだけど
階段がすごく多く、運動不足のわたしにはハードでした。



小学生たちは、ピョンピョン飛びながら登っていきました。
登ってわたしを追い抜かし
「まだ~?」と言って戻ってくる。その体力わけてくれ!


2月の下旬で、まだ寒いとはいえ、かなり汗ばみながら。
汗がひくと体が冷え、歯も浮いてきて、登山途中からかなり体調があやしい感じ・・・。


山頂には天平時代天武天皇の第3皇子として生まれた大津皇子のお墓がありました。
謀略によって自害をさせられたそうです。
なぜか宮内庁管理で、近くに行けないように柵で仕切られていました。
あとは神社がありました。


このときはなんで宮内庁?と思ったのですが
このあといろんな古墳や遺跡をたどるうち
いやというほど「立ち入り禁止 宮内庁」の札を目にするようになるのでした。
同じ時代、同じ敷地の、関連があると思われる遺跡でも、宮内庁が管理しているものと
まったく放置され、さわり放題のものとあったり・・・・。

わたしは天皇とか昔の権力者には
血なまぐさい権力争いとか謀略、策略、といったイメージしかないし
天平のロマン!なんていわれても、もし生まれ変わりがあったとして
わたしは何度生まれ変わっても庶民なので
天皇とか貴族とか尊い人々にはなんの興味もないのですが
ここでは、どうしてもそうしたものから切り離しては暮らせないような気さえしてきます。

わたしの好きな仏像だって、もとは庶民のものじゃないものね・・・。




山頂から少しくだった奈良時代の石窟寺院跡で
おにぎりを食べ
あとはひたすら下り道…。

途中古墳や石仏がありました。
ふもとにある鳥谷口古墳、これが今は、じつは大津皇子の墓でないかといわれています。
本当はどっちだ??




當麻寺まで足をのばしました。
このお寺も二上山の麓にあります。612年創建。
當麻寺は、藤原氏の大臣の娘の中将姫が継母にいじめられ
僧として入った寺です。


四メートル四方の曼陀羅が本尊で、これは中将姫が蓮の糸を染めて一晩で!
織り上げたものだそう。
29歳で亡くなったそうです。
弘法大師や役小角がこの織物を見に来たという間も。

日本最古の石灯籠や
天平時代から現存するのはここだけというペアの三重塔がありました。


当麻寺駅から電車で帰ってきました。



次の日から風邪をこじらせ、歯の痛みがひどくなりました。
歯医者にみせたところ、
虫歯はないが、疲れかショックでか、前歯の神経が死んでいますということでした。

もっか治療中です・・・・。


サヌカイト

2012-04-09 | Weblog
息子が描いた、二上山特産サヌカイトです!
紐で巻いて、持ち手を作りました。


引っ越した週は子どもたちの転入の手続きでばたばたとすごし、
週末の土曜日は親子で二上山博物館に行きました。


にじょうざん(ふたかみやま)は、3種の有名な石の産地なのです。
サヌカイト、凝灰岩(ぎょうかいがん)、金剛砂(こんごうしゃ)。




ボランティアのおじさんたちがじっくり、こってり!ほぼマンツーマン状態で
いろいろ教えてくれました。



二上山は1500万年前大噴火を起こした火山で
隆起を繰り返してできた山ということです。


周辺でとれるサヌカイトという石は矢じりやナイフに加工され
生活に欠かせないものでした。
サヌカイトの名前は香川県坂出市で産出した同じ石(讃岐石)をドイツ人地質学者ナウマン博士が命名したからだそうです。
25000年前の人々の生活においてこの石は重要であり、周辺への交易や流通なども
盛んだったようです。
石器を製作した痕跡も、この山の麓に残っているとか。
みてみたいなあ。




凝灰石はさまざまな古墳の墓石に使われたそうです。
ここで採れた石が、何十キロも離れた飛鳥の墓石にも使われていた、ということ。
1000年以上も昔だから、石を運ぶのは・・・どうやって?
丸太で転がして??
やっぱり、二上山が黄泉の国とつながっていると思われていたからなのかなあ。
また、この山周辺には、奈良時代の墓がたくさん見つかっています。




そして金剛砂は、ざくろ石とも呼ばれ、ガーネットのことなんです。
これが細かい粉になって採取され
やすりの原料になりました。
今でも紙やすりの工場は多いようです。

ついでに言うと息子の小学校の校庭にはこのざくろ石がたくさん落ちていて
直径0.何ミリにも満たない細かい粒を嬉々として拾って帰ってきます。




博物館でいつのまにか2時間も経ってしまっていた・・・。
おっちゃんたちがひとつひとつていねーいに教えてくれたからだ。


サヌカイトが何十個か袋に入って売っていました。
でも二上山ではもう今はサヌカイトは取れないのだという説明。
「はい、さんびゃくまんえん!おかいあげ~!」と受付の奥にいる職員さんを呼ぶ
二人組の陽気なボランティアのおっちゃんたち・・・。

わたしたちが入館するときも
「はい、おきゃくさーん!いらっしゃーい!」
と金銭のやりとりをする職員さんを呼びました。

そのたんびに超ふきげんな顔で飛び出てくる若い男性。


もうこのおっちゃんみてるだけでも関西きたなー、と思ったことでした。




サヌカイトの小片で、子どもたちと風鈴やナイフをつくりました。
風鈴はいい音だし、ナイフはりんごの皮もむけます。










ふたかみやまからこんにちは

2012-04-08 | Weblog
こんばんは!
おひさしぶりです。元気でしたか?

奈良県に越して、もうすぐ2カ月になります。


わたしの住むまちは、

ため池の多いまちです。
お寺と神社と
古墳と遺跡に囲まれたまちです。
大阪のベッドタウンなので人口が増え、新興住宅地が増殖中です。
エヌエチケイエフエムのニュースは遺跡の発掘の記事が多いです。
住んでる人は関西弁です。
エスカレーターは左を空けます。
たこ焼きやさんが多いです。




これはアパートから見えるふたかみやま。
今は二上山と書いてにじょうざん、とよみます。



わたしは「ふたかみやま」と読むほうがすきですよ。


大和から見ればちょうど雄岳と雌岳の間に太陽が沈むため、
古代の人々はこの山の向こうには黄泉の国があると信じていたそうです。

大阪、難波からみればここからお日様が昇るので
ここの人々は再生の場所として信仰していたのだって。


目の前に見える山々は低くてもすぐ雲や霧がかかります。
雨が降ればたちまち幻想的な雰囲気。



ぼちぼち、ここでの暮らしにもなれてきたので
ブログも再開します。

また読んでくださったらうれしいで~す!!