「しかし、今あなたがたが『見える』と言い張るところに、あなたがたの罪がある。」ヨハネ9:41b
生まれながらの盲人が、イエス様の言葉に従い、シロアムの池に行って洗ったとき、目が見えるようになりました。当時の宗教家たちはそれが安息日であったことを口実に、自分たちを義なる者としてイエス様を不義なる者と非難したのです。自分はどこにも不義(罪)はないと言い張ることがまさに罪そのものです。人は誰一人「義人」はいません。自らのうちにある不義、罪咎を認めて、イエス様の言葉に従うことが救いです。(KE)
宇治田原
可憐な秋桜を見ていると、清楚な乙女が踊っている様に感じてしまいます。秋のさわやかな
空をバックにバレイの世界でしょうか。何処までも広く、嫋やかな踊りです。
人の醜さを超越し、夢の世界でしょう。
夫の知人で時に御言葉に触れるのですが、なかなか心開かず自分は心清く人にトヤカク
言われない。人に指さされる事は1度もやったことがないと言う人がある。そういえば
私も信仰に入るまでは人は皆悪く、自分は良い人間と思っていたなぁ、、、
段々と自分の罪の恐ろしさに驚嘆する事がある。夫も信仰に入って自分の罪を悔いている。
世界の人がどれだけ自分の罪が分かっているでしょうか。悲しいですね。
政治、経済界、地方の諸々。またユーチューブ等で皇室も同じ。あの人がここまで!?
皆同じです。午後は家庭集会。少しでも語りあって、主の声に耳を傾けたい。