「わたしが自分の罪を言いあらわさなかった時は、ひねもす苦しみうめいたので、わたしの骨はふるび衰えた。」詩篇32:3
神様は光のような方であるといわれます。私たちの心が光に照らされると汚れたところや陰になるものが明示されます。光を避けようとするものが罪です。神様に恥じない、陰の無い心を持つことこそ、私たちの力です。神様に知られたくないものを抱くとき、サムソン同様に無力な者となります。罪を取り除くには神様に罪を認めて、十字架の赦しを堅く信じる以外にありません。必ず、心が軽くなります。(KE)
宇治田原 高尾高原
連日の秋日和。近所の100歳のご主人はまだ松の木に登って
松の手入れ。天晴です。夫の師匠でもあります。以前は松を善峰山の
有名な松の様に横に長く伸ばして見事なものを作ってられましたが、
流石に枝を切って、短くされました。
まだ115歳まで生きると自称してられます。