我が郷は足日木の垂水のほとり

文化芸術から政治経済まで、貧しくなった日本人の紐帯を再構築したいものです

東京大震災    いわゆる『朝鮮人虐殺』の検証メモ

2009年09月01日 | 日記

 

 

 

 

              

本日は防災の日です。関東大震災は1923年(大正12年)9月1日午前12時時前に起きました。ちょうど昼食の時間で調理用の火を使っていました。倒壊した木造家屋からは火災が大発生し、大きな災害となりました。津波も地震発生後に起きました。伊豆半島東岸から相模湾それに房総半島にも襲いかかり、百数拾人が行方不明になりました。山崩れも多発し、800人以上が犠牲になったとの記録があります。

百万人を遙かに超える被災者がでました。死者は十万人以上と研究者は報告しています。

 

最近の日本国内では『民族対立』による暴動や騒擾事件は無いとされています。この大震災と前後して起きた『朝鮮人虐殺』は日本内での歴史上最大の民族対立事件だったのでしょうか。日韓併合は1910年でしたからそれから10年以上が経過しています。
今から冷静に見てみると、これには労働運動とか、コミンテルンに影響を受けた革命・暴動事案も深く複雑に絡み合っているのだと思われます。現在の日本は普通選挙も空気や水の存在のように自然なものとなりました。官憲が思想迫害で殺傷を行う事も殆ど無くなりました。

1917年10月には、ボルシェビキによるロシア十月革命 が起きています。翌年の8月にはシベリアに出兵しています。

1920年(大正9)3月から5月にかけては、尼港事件(にこうじけん、Nikolayevsk Incident)
が勃発して、外務省の資料によると、民間人292人、軍関係者387人そして領事館関係5人の合計684人が殺害されました。尼港とは現在のニコライエフスク・ナ・アムーレのことでロシア極東のアムール川河口にあります。殺害に加わったのは、共産パルチザンと呼ばれる遊撃隊で正規の軍隊ではなく、謂わばゴロツキの略奪集団と言えるような者達でした。
 http://blog.goo.ne.jp/wagasato/e/3aec0fac5ceb708519f9fdad2ddb320f
  『毛沢東万歳。略奪万々歳。』

でも書きましたが、支那や露西亜の戦闘は日本人がイメージする正々堂々の正規戦ではなく、殆どが略奪・虐殺戦争です。

        
              ドラクロア( Delacroix)のキオスの虐殺
                1821年のギリシャ蜂起に対する報復の様子を
                描いた。1824年作品、1827年にはフランス人
                将軍指揮のギリシャ人反乱軍が、オスマントルコ軍
                を破った。

 

 

 

   
      尼港事件殉難碑
http://www.geocities.jp/amakusa_tanken/nikouziken.html


1921年11月4日、原敬首相が東京駅で19才の少年により暗殺されました。

1922年7月15日 日本共産党、堺利彦を委員長として極秘に結成されましたが、一年以内に一斉検挙に合い、堺も逮捕されています。

そして其の翌年の1923年(大正12年)9月1日に関東大震災が起きたのです。現在の平成の時代とは、社会環境がまるでちがいます。良く言えば男臭い、平たく言えば、血なまぐさい時代だったのです。

 

愛・蔵太のもう少し調べて書きたい日記 
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20020901)さんには、死亡した朝鮮人の数に関する丁寧な考察が載せられています。


私は一応、

内務省警保局調査では、朝鮮人死亡231人・重軽傷43名、中国人3人、朝鮮人と誤解され殺害された日本人59名、重軽傷43名であった。また警察は、朝鮮人・中国人などを襲撃した日本人を逮捕している。殺人・殺人未遂・傷害致死・傷害の4つの罪名で起訴された日本人は362名に及んだ。しかし、そのほとんどが執行猶予となり、実刑となった者も皇太子裕仁親王(当時は摂政)結婚の恩赦で釈放されたという。一方、迫害の標的にされた当の朝鮮人の犯罪は、殺人2名、放火3件、強盗6件、強姦3件であった。“自警団”が本格的に取り締まられるようになるのは10月、解散が命じられるようになるのは11月のことである。 
     http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD
 是が、記録的には学究上意味のある数字だと思います。

此の300人ほどの『殉難』(武装蜂起のつもりで跳ね上がった革命勢力の、略奪の群れが鎮圧されての結果の数字も含まれます)の人達の数をフレームアップして、結局は6,000人の『大虐殺事件』に捏造する意図はやはり『南京大虐殺』や『慰安婦問題』と同じです。銭金目当ての強要の意図で仕組まれたものでしょう。歴史は歴史で歴史家に語るに任せればよいのです。現実の政治は、現実のことのみ関わればよいのです。日本人は内々のお互い様のお人好し意識で損をしすぎています。経済もそうですが、こんなことで日本の矜恃を損ねてはなりません。

                                             

                                                バイオテロにも要注意    

                       免責ワクチンの侵攻防止!

 

新型インフルエンザのワクチンは、その危険性が様々に指摘されています。

http://blog.goo.ne.jp/wagasato/e/cfd536c08401b726f6b51be0b64be0d7

 

【内容情報】(「BOOK」データベースより)

1995年3月20日、東京を襲った未知の恐
怖。死者12人、重軽傷者5500人以上を数えた未曾有の化学兵器テロの現場へ、「災害派遣」出動を命ぜられた陸自連隊長の長い長い1日。猛毒サリンの潜む地下鉄構内に部下を送り込まねばならなかった指揮官の苦悩、そして最前線の隊員たちの恐怖と苦闘を初めて明かす、生々しい真実の記録。

 

コメント
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