我が郷は足日木の垂水のほとり

文化芸術から政治経済まで、貧しくなった日本人の紐帯を再構築したいものです

クラナッハの Venus

2009年09月09日 | 芸術

 作家の索引

     

    クラナッハ 【ドイツの作家

  ルーカス・クラナッハ

   (Lucas Cranach der Ältere)

 

 ザクセン選帝侯モーリッツ(Moritz) 1547年に即位している。日本では甲斐守護武田晴信と関東管領上杉憲政などの合戦、小田井原の戦いの年である。ルーカス・クラナッハが生まれたのは、1472年のこと、生地はチューリンゲン州の クローナハハ村。彼のスポンサーはザクセン選帝侯であり、友人には宗教改革で名を知られたマルティン・ルターがいる。 クラナッハはイタリアには行っていないようだが、ルネッサンスの巨匠ミケランジェロ とは同時代の人。同名の息子も画家であり、区別するためにルーカス・クラナッハ(父、Ältere=Older person)と表記される。
(参考 wikipedia )

 

 

 

        

       Porträt von Martin Luther

   1483年生まれでクラナッハより十歳ほど年下。1522年に教会批判の咎により帝國追放刑を言い渡されたが、モーリッツ (後のザクセン選皇帝)の庇護をうけて  難を逃れた。  クラナッハもこのザクセン公に贔屓にされていたので、親交が生まれたのだろうか。絵には"1533"の文字が見える。

  

 

 

                                                                        

Lucas Cranach d. Ä

Entstanden: 1529                                               

Kunsthistorisches Museum, Wien

Holz, 80 X 114 cm

 

 

 

 

 Golden Age 

                 

「黄金時代」(Golden Age)とは西欧の絵画などに取り上げられるテーマで、ギリシャ神話の「理想郷」のこと。クロノスが神々を支配して、人間も神々と一緒に住んでいた。果物は何時でも豊かに実り、川にはミルクが流れていて、人々は働くことは無い。

その後時代を経るに従って、白銀の時代、青銅時代そして、現在が鉄の時代であると謂う。
ギリシャ詩人のヘシオドスが、教訓敍事詩『仕事と日々』の中で書いていることには、四つの内の最期の鉄の時代が尤も過酷な時代である。

プロメテウスが神の火を盗んだので、最高神ゼウスは怒り罰を与えた。パンドラと謂う美しい女を作り偽計を用いて、開けてはならない『パンドラの箱』をプロメテウスの弟エピメテウスに開けさせてしまった。

この箱の中にはありとあらゆる災厄が詰まっていたが、其れが溢れ出てきた。それで鉄の時代には、人々は欺き合い憎しみ合いそして戦いに明け暮れ、苦役の労働もしなければならなくなった。 

ギリシャ精神の幸福は安逸であり、労働は苦役で災いと見なしている。日本人の一般的な幸福感とはかなり違うようだ。

 

 

 

 クラナッハの描くヴィーナスは、美と愛の女神と言うよりは、開けてはならない災厄を詰め込んだ箱をもたらす、パンドラのように怪しく美麗。

       

      Lucas Cranach der Ältere: ´Venus´, 1532, Bild

 

 

           

  「カノン」κανών=Kanon                  cnide Aphrodite

ギリシャ美術においては人体がもっとも美しい比例をしていると考えられている。「カノン」κανών=Kanon はその比率を模式化したものであり、おおよその西欧美術の表現の中にある人体はこの比例に適合している。

下に載せている絵はクラナッハの作品と、他の作品や人体写真であるが、見比べて比較してみたい。

 

 

  

左側の女性は比較的小振りな成人の肢体をしている。頭部が右の絵に比べて大きいが是がだいたい普通の比率であり、西洋絵画のカノンはギリシャ美術の理想に影響されていて、顔は小さく表見されている。

ポーズが違うので比較しづらいが、肩は絵の方が小さくなで肩になっている。縮小した頭部とのバランスからこうなる。はっきりと異なる点はやはり、くびれた胴である。解剖学的な形態を無視して乳房の下からカーブを描いて細さを際だたせているようだ。左の写真には乳房の下に肋骨が浮き出て写っているが、右の絵には無い。

amat008 左図では、肋骨のラインが目立たない。
 source

ポーズを工夫すれば、クラナッハの小さな胸を演出することも可能なようだ。

  

 

    

左はウィリアム・アドルフ・ブグロー William Adolphe Bouguereau) の作品の部分。彼は19世紀フランスのアカデミズム絵画を代表する画家で、日本語では「ブーグロー 」と表記するのが一般的。体型はギリシャ美術の典型で均整の取れた若い女性の体型を忠実に写している。

クラナッハは腹部の表現は、より横方向へ視点をずらして、脇から眺めるように描いている。腹部の微妙なふくらみと臍の位置が作為的で、近代絵画の立体派の予兆を感じさせる。

 

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 赤いビキニの女性はそうとう若い。体型からすると中学生程度の年齢なのだろうか。15歳前後であろう。

クラナッハの女性もほとんど同じような、カノンの印象である。 

 

 

少女の体型 立位 

 

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マグロの記事

2009年09月09日 | ことばの説明


    http://sankei.jp.msn.com/world/europe/090909/erp0909092104010-n1.htm
大西洋クロマグロの国際取引を禁止 欧州委員会がモナコ提案を支持
2009.9.9 21:04
 
このニュースのトピックス:欧州
 【ロンドン=木村正人】欧州連合(EU)欧州委員会は9日、乱獲で激減している大西洋と地中海のクロマグロの国際取引をワシントン条約で禁止するというモナコの提案を支持すると発表した。来年3月にカタールで開かれるワシントン条約の締約国会議で、投票国の3分の2の賛成が得られれば国際取引の禁止が決まる。世界で漁獲されるクロマグロの8割以上を消費する日本は提案に反対する方針だ。

 取引禁止が決まっても冷凍の在庫や太平洋で獲れるクロマグロが残っているが、日本の市場に出回るクロマグロが急減するのは必至で、価格は高騰しそうだ。

 提案は来年3月までに科学的な吟味をしたうえで手直しが加えられる。欧州委員会のディマス委員(環境担当)は同日、「大西洋のクロマグロを保護する重要な一歩だ」と語った。ボルジ委員(漁業・海洋担当)も「この判断は、クロマグロに対する欧州委員会の重大な関心を反映したものだ」と述べた。

 大西洋まぐろ類保存国際委員会(ICCAT)の推定では、地中海と大西洋に生息するクロマグロは1974年の約30万トンをピークに現在は8万トン弱に減少している。モナコ提案は、絶滅の恐れがある生物を定めたワシントン条約の付属書1の対象種とし、国際的な商取引を全面禁止するとの内容だ。

 欧州各国では、クロマグロを提供する和食レストランが激しい抗議を受けるなど、環境団体による保護運動が高まっている。

 

                   m(_ _)m以上全文が引用記事

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秋刀魚の歌

2009年09月09日 | ことばの説明

秋刀魚の歌


あはれ
秋風よ
情あらば伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食<ひて
思ひにふける と。

さんま、さんま
そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児は
小さき箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸をくれむと言ふにあらずや。

あはれ
秋風よ
汝こそは見つらめ
世のつねならぬかの団欒を。
いかに
秋風よ
いとせめて
証かせよ かの一ときの団欒ゆめに非ずと。

あはれ
秋風よ
情あらば伝へてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児とに伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。

さんま、さんま、
さんま苦いか塩つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。

> ・

「我が一九二二年」(大正12)所収

語釈
【女】【人に捨てられんとする人妻】 谷崎潤一郎夫人、千代子を指す。作者は大正6年頃から谷崎と交遊があったが、潤一郎の心が千代子から離れていくのを見て夫人に同情し、やがてそれが恋にかわる。
【妻にそむかれたる男】 作者自身を指す。作者は大正9年に米谷香代子と離婚している。
【愛うすき父を持ちし女の児】 谷崎夫妻の子を指す。
【世のつねならぬかの団欒】 世間普通ではないあの親しいつどい。「人に捨てられんとする人妻」と「妻にそむかれたる男」と「愛うすき父を持ちし女の児」の団欒を指す。
【夫を失はざりし妻と/父を失はざりし幼児】 千代子がその後、夫に捨てられなかったことを指す。

 

 

 秋刀魚の歌---佐藤春夫 
   この記事はすべて<http://uraaozora.jpn.org/posato3.html>の引用。


 

 

2009 09 19 秋刀魚の秋です【別冊付録】

 

 

 

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左近尉の別冊付録 2009-09-09

2009年09月09日 | 別冊付録

   是は綴じ込み付録

経済学 万歳 (長文御免 イヤナラヨムナ) (苦土井 左近尉)

 

2008-10-14 17:48:44
政治権力は、湯田屋資本という化け物の、表向きの貌であろう。

近代法律に基盤を与えられ(その意味を知らないものが多すぎるが)、選挙民に微笑を振りまく政治家の顔。小難しい理想論を述べているかの様ではあるが、実は中共やユダヤに根を伸ばしているマスコミ言論の小賢しい顔。やくざの興行師のレベルからは飛躍できない、『ヒジョーニ悲しい(古かった?)』。大衆向け娯楽、テレビ局連合=ナイーブな日本精神を破壊する暴力団。この気取った香具師の旦那面。WHO に群がり、人体実験で暴利をむさぼる、911 部隊の白いユニホーム。

この湯田資本は、アメーバの様に、メタモルフォーゼしながら、様々な、貌で、人々を惑わす。

一般人にとっては、金銭は、生活の糧を得たり、娯楽の潰えだったいと、マルクス風に言うならば、人的生産諸力の再生の資金である。商品の生産現場である、会社や、事業者にとっては、運転資金である。

 人には賃金
 資材には、仕入れ代金
 売り上げには、その対価の営業収入

それでは、世界を一体化すると嘯く湯田金にとってみれば、何なのであろうか。
それは、一般人や事業者を支配するためのツール。桎梏である。
有り余る(とかいっても、輪転機で刷ったり、騙し取ったのだがネ。)膨大な資金。金融にとって資金はハンマーである。金融にとって、気に入らない、取引相手がいれば、ぶちのめす。よそに、同業事業を立ち上げて、干すことも可能である。

金融や経済を考察する場合、人は、生産物とその対価の商品価格、つまり、原価とか利益とか、それに流通コストとかを想起する。そう、たいていの経済学は、極視的にみた部分から、論を広げてゆくようだ。しかし、

しかし、経済とくに、経国済民としての姿を見るには、巨視が不可欠。

国民経済学では、国内総生産や国民総生産という、巨視的な概念がある。
それでは、実体生産総コスト、あるいは、金融部門総コストや行政管理総コスト、とかの分類はあるのだろうか。計測方式の確立はあるのだろうか。
金融部門と行政管理部門のコストは、優れた電子システムがすべてを引き受けてしまう未来社会を想定しよう。そして、その管理は、実体生産部門の有志が、ボランティアで行うとする。そうすれば、後者、二つの部門の総コストは限りなく、ゼロに近い。

翻って、今の米国はどうか。虫の入ったリンゴを売りつけた、金貸しとその保証人の政府が居直っている。

俺がいなくなったらオマイラは、リンゴも梨もましてや、パンも飯も食えなくなる。
住むところも、衣服もままならなくなる。(てやんでぇ。寝言は寝て謂え。オマイラが居なければ、テメエラの食い扶持、作る手間が省けるってもんだネ。おいらア、その分楽しくアスベルってもんだ。)
だから、虫食いリンゴ返品で、もらえなかった代金と、信用落として在庫を処分した費用もすべて、あんたら、勤労者大衆諸君が、そのコストを負担しなさいね。
(馬鹿野郎、税金なんか払えるか、オマイラのせいで、逆さに振っても、鼻血もデネエ。勝手に印刷機で刷りやガレ。金融バブルは、盛り返すだろが、俺たちいつまでも馬鹿ではない。テメエラだけで、金融ばくち夜明けまで遣ってろイ。次の昼頃になったら、テメエの首が無くなっているのにも、頭が無くなっちや、気がつくメエ。)

無能で、給与お手盛りの、役人と、無駄なおしゃべり上手で、時には人殺しの、これらの部門の総合合計コストは、想像を絶するものがある。彼らの使い込んだ、金額の、『金融工学』上の表現が、国債や痴呆っ、おっと違った、地方債である。

良い社会というものは、それぞれの時代や地域差も有ろうが、官僚や政治のコストが少ない社会であろう。
金融破綻を招いた者たちの経済学ではこうだ。企業は資本家のものであり、企業は利益をだす分だけ、価値が多い。そして、メクラで、世間知らずの彼らが言う決まり文句は、コストの削減で利益を生み出すベキデスね。彼らは、市場自由経済を語りながら、市場の実態を知らない。コストを極限まで削った商品は、すぐにメッキが剥がれ、市場では悪評が立ち、ついには見向きもされなくなる。あのガラクタ エレベータを思い出されたい。利益を生むはずだった、会社は潰れる。アメリカの禿鷹と、支那の狂惨社会は、好一対である。片や、乗っ獲って、食い散らかす。一方では、メタミドホスやら、メラミン入りの食品。息をする毎に、詐欺を働く。台湾では、支那の宇宙遊泳の背景の「水の泡プクプク」で盛り上がっているそうな。日本の軍事オタクの間では、潜望鏡の泡プクプクで……。

このように、コストが掛かりすぎ以上に、危険な官僚・金融の病巣部位には、。、。いや、大手術が必要だ。場合によっては強烈な、抗がん剤を投与して、多くのがん細胞を、撃滅せねば成るまい(資本注入で、湯田屋の血と肉をがん細胞と見なして、溶融排泄ドレナージ)。たとえ、薬が効き過ぎて、患者が死んでも(つまり、国有化され、金融システムがアメリカ国民の所有に移る)、ショウガナイ。銭のそうめん流し当番の代わりはいくらでもいる。資金繰り計算とか、売り上げや支払いの計算なんぞは、経験 二、三年のパート事務員でもできる。小難しい、金融工学とかの、詐欺のクゼツはもう使わないのでいらない。ポイっ。

小さな資本は、生活の糧であり、可愛いものである。
しかし、
巨大に成りすぎた資本は、まるで、妖怪である。世界金融は自己の肥大化のためなら何でもする。何にでも食らいつく。官僚や政治の世界にも、その病原体は侵入する。貧しく、民度が低い国や地域にあっては、正当な収入のほかに、おこぼれを期待させ、心をねじ曲げる。曲がった心の、本当の面は、裏側の顔は、化け物のほうを見ている。エイズ禍で、名を売った、あの爺さんの顔を思い出すだけで、悪寒が走る。

かつては、ルーブル宮殿。そして、大阪城。最近の日本にあっては、ヒルズタワー。これらに、住まわる、御仁たちは、一時は栄華を誇ったものの、今は、舞台を去っていった。

実体経済の成果とコスト。官僚システムの成果とコスト。情報部門の製品品位査定とコスト。そして、政治や金融の価値をはかる経済学の発展が、緊急の課題であろう。

詐欺師と泥棒が、金融システムを質にとって、経済破壊と叫んでいるので、仕方なく一般大衆は沈黙しています。

しかし、経済再建と健全な発展のための管理能力、未来志向能力のある、まっとうな官吏と政治家そして、経済人。この人たちの、民度向上が望まれる。有志は今こそ、それを発揮すべき時。

 一つの指標として、国債発行額やその残高、そして、その加重平均利率がある。これらから構成される指標を、仮に国債罹患指数とよぶならば。

B = (K+ Z)× P

B : バーバリアン指標。俗には、馬鹿度とも言う。
K : 年度内国債発行額。
Z : 前期までの累計残高。
P : 国債利率

是は、あくまでも草稿式である。変数として、人口や後背地域も盛り込む必要がある。

彼らの民度を計る指標としては、是がまず想起された。ほかにもたくさんの指標は想定できるであろう。
追記するが、Pつまり、利率をゼロにすることが可能ならば、バーバリアン指標はゼロとなり、この年の官吏や政治家の、資質は良好であった。となる。

ちなみに、米国の、指標は、邦貨で換算すれば、いかほどになるのであろうか。
英国は、独逸は。そしてフランスは如何に。露西亜の場合、統計資料は出るのであろうか。

最後に、
バーバリアン係数を、ゼロに誘導する政策を世界が、採用すれば、油のお風呂屋さんの景気は如何、あいなりますやら。

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南果歩

2009年09月09日 | 別冊付録

 

 


今回の話題の人は、南果歩さんです。

最近は時間もないのでテレビドラマなどはあまり見ないのですが、
むかし、彼女の出演のドラマを見てて、「なんか良い感じの女性だナ」と妙に印象に残っているのを最近思い出しました。

家人の中で芸能ネタやゴシップに興味があるのがいて、
渡辺謙の大ファンなのですが


その繋がりで、ちょっと調べてみたワケです。

若い頃の写真を探したのですが
あまりありませんね。

最近の写真が多く、しっとりした感じの、
品の良い奥様になられています。

                                                   

 

下記の来歴は”鈴信博堂の似顔絵日記”さん からお借りしてます。
http://suzunobu.exblog.jp/9114456/

 在日をカミングアウト。【南果歩】
    http://suzunobu.exblog.jp/9114456/
南果歩、本名 渡辺果歩。(旧姓:南) 1964年1月20日生まれ。兵庫県尼崎市出身。配偶者 辻仁成(1995年-2000年)、渡辺謙(2005年-)尼崎市立尼崎高等学校、桐朋学園短期大学演劇科卒業。現代制作舎などを経て、ユマニテ所属。アメリカ合衆国・ロサンゼルス在住。短大在学中の1984年に映画『伽椰子のために』のヒロイン役オーディションに応募。2000人の中から選ばれて、主役で芸能界デビュー。1985年にはTBSのポーラテレビ小説『五度半さん』のヒロイン役でテレビドラマに進出。さらに1986年9月には坂東玉三郎演出の『ロミオとジュリエット』のジュリエット役で初舞台を踏み、以後、映画、テレビ、舞台と女優業を中心に活躍。特に1989年には『夢見通りの人々』等の映画での助演に対して助演女優賞が贈られている。

1995年にミュージシャン&作家の辻仁成と結婚し、1男をもうけたが、2000年3月に離婚。2003年1月にテレビ東京の2時間ドラマ『異端の夏』で共演した俳優の渡辺謙と2005年12月3日に再婚した。なお、継子に渡辺大と杏がいる。2007年1月11日放送のNHK総合のトーク番組『スタジオパークからこんにちは』内で両親が韓国人であることを告白した。

在日であることをカミングアウトした芸能人は数多い。和田アキ子(本名:金福子)、元プロレスラーの前田日明、ギタリストの布袋寅泰などが有名。芸能人ではないが極新カラテの創始者、故大山倍達も在日だった。容姿は全く見分けがつかない。しかし、国籍となると話は違う。私は幸いにもそのような複雑な環境下で生まれていないので適切なコメントができないが、不自由な規律・待遇が多いことだろう。偏見が未だ根強いこの日本は一見万人に平等な振りをして、実は大いなる差別大国だ。単一民族だから仕方ない側面はあるにしてもせめて自らはこのような目で見ていないか戒めたい。

 

彼女も『在日』だったのですね。
ネットではあまり、良い感じでは取り上げられない
かなり、手垢のついたターム『在日』ですが、

彼女にはそんな気配も感じられませんでした。

私もほんの少しだけ、帰化人の子弟を知っていますが、
やはり、感じの良い好青年でした。

 

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