こねこ日和 さんからお借りしました。
日本猫とジャパニーズボブテイル(別項参照)の啓蒙活動を続けている方のブログです。可愛くて気品のある猫ちゃんの写真がたくさん見られます。
ところで、今日は何の日?
1971年 - 林彪等が、権力闘争に敗れ、トライデント256号機で逃亡、モンゴル人民共和国内の砂漠で墜落死(林彪事件)。
1974年 - 日本赤軍がハーグでフランス大使館を占拠(ハーグ事件)。
1985年 - 任天堂がスーパーマリオブラザーズ(ROMカセット版)を発売。
1997年 - マザー・テレサのインド国葬が開催される。
2006年 - 日産自動車が東京ディズニーランドと東京ディズニーシーのスポンサーを撤退。
Wikipediaに▲こう載っていました。
1904年 - 海老原喜之助、洋画家
▲の誕生日でもあります。
倉科カナ さん
NHK連続テレビ小説のヒロインバトンタッチ会見が10日、NHK大阪放送局のスタジオで行われ、現在放送中の『つばさ』のヒロイン・多部未華子が、9月28日からスタートする『ウェルかめ』を収録中の倉科カナを激励した。 http://journal.mycom.co.jp/news/2009/09/11/031/index.html
この辺で硬いお話しもひとつ入れさせて下さい。
給油ストップがガス欠に繋がり『テロとの戦い』が頓挫する。これは『自由経済』と『民主主義』というラベルの安酒を飲んでいなければ、ものも謂えない田舎の飲んべえ親父にしてみれば、想定したくない筋書きではありますね。かといって、出すものもださないと後がコワイよなんて、自分からは言い出しづらい。
それで報道官の若い衆に、お前謂っておけとなったのかしらん。本来なら当家の主人やら内儀が頭を下げて丁寧に<お願い>するスジの話ではあります。ところが酒乱親爺の本領発揮で、コドモに使いをさせた。独自の哲学文化など求むべくもないが、成熟した大人のマナーも持ち合わせていない悲しさ。
日本の外交官も中には小骨のあるものがいて、、「(アフガニスタン支援は)新しい政権が発足した時に政府として検討する。決めるのは日本だ」と宣わったと謂う報道があります。http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090911dde007010037000c.html
「活動継続を望む。日本は大国であり国際的な責任がある」今までも貰っていた、<みかじめ料>だから出すのが大店の器量ってもんだ等と、チンピラが凄んでいる。やはりアメリカは< <<<やくざな邦>>> >だと、此の報道官は見事に広報の仕事を成し遂げた。
そんなこんなで今日この頃の「ドル安、円高」なのだろうか。
http://www.forexchannel.net/realtime_chart/usdjpy.htm <為替相場 - リアルタイム チャート - ドル/円>
天地真理
▼m(_ _)m
天地 真理(あまち まり、1951年11月5日 - )は、埼玉県さいたま市(旧大宮市)出身の歌手である。本名、斎藤 眞理(さいとう まり)。 結婚時には青木 真理(あおき まり)であった。国立音楽大学附属中学校・高等学校卒業。
1970年代前半に一世を風靡したNo.1アイドル。後に続くアイドル歌手のスタイルを作った。キャッチフレーズは「白雪姫」。
デビュー当時の所属事務所は当時の名門、渡辺プロダクションであった。現在の所属事務所は有限会社ケイワイである。
▲Wikipedia記事の部分紹介です。 天地真理 ←Wiki m(_ _)m
この時代は今よりずっと活気に満ちていた。東京湾の真ん中から都心方面を眺めても、スモッグが立ちこめて霞んで見えない。しかし、精神的には明日がよく見えていた。そのような気がします。今の若者には明日が見えないのか。見ようとしないのか。
是は綴じ込み付録 経済学 万歳(苦土井 左近尉)
政治権力は、湯田屋資本という化け物の、表向きの貌であろう。
近代法律に基盤を与えられ(その意味を知らないものが多すぎるが)、選挙民に微笑を振りまく政治家の顔。小難しい理想論を述べているかの様ではあるが、実は中共やユダヤに根を伸ばしているマスコミ言論の小賢しい顔。やくざの興行師のレベルからは飛躍できない、『ヒジョーニ悲しい(古かった?)』。大衆向け娯楽、テレビ局連合=ナイーブな日本精神を破壊する暴力団。この気取った香具師の旦那面。WHO に群がり、人体実験で暴利をむさぼる、911 部隊の白いユニホーム。
この湯田資本は、アメーバの様に、メタモルフォーゼしながら、様々な、貌で、人々を惑わす。
一般人にとっては、金銭は、生活の糧を得たり、娯楽の潰えだったいと、マルクス風に言うならば、人的生産諸力の再生の資金である。商品の生産現場である、会社や、事業者にとっては、運転資金である。
人には賃金
資材には、仕入れ代金
売り上げには、その対価の営業収入
それでは、世界を一体化すると嘯く湯田金にとってみれば、何なのであろうか。
それは、一般人や事業者を支配するためのツール。桎梏である。
有り余る(とかいっても、輪転機で刷ったり、騙し取ったのだがネ。)膨大な資金。金融にとって資金はハンマーである。金融にとって、気に入らない、取引相手がいれば、ぶちのめす。よそに、同業事業を立ち上げて、干すことも可能である。
金融や経済を考察する場合、人は、生産物とその対価の商品価格、つまり、原価とか利益とか、それに流通コストとかを想起する。そう、たいていの経済学は、極視的にみた部分から、論を広げてゆくようだ。しかし、
しかし、経済とくに、経国済民としての姿を見るには、巨視が不可欠。
国民経済学では、国内総生産や国民総生産という、巨視的な概念がある。
それでは、実体生産総コスト、あるいは、金融部門総コストや行政管理総コスト、とかの分類はあるのだろうか。計測方式の確立はあるのだろうか。
金融部門と行政管理部門のコストは、優れた電子システムがすべてを引き受けてしまう未来社会を想定しよう。そして、その管理は、実体生産部門の有志が、ボランティアで行うとする。そうすれば、後者、二つの部門の総コストは限りなく、ゼロに近い。
翻って、今の米国はどうか。虫の入ったリンゴを売りつけた、金貸しとその保証人の政府が居直っている。
俺がいなくなったらオマイラは、リンゴも梨もましてや、パンも飯も食えなくなる。
住むところも、衣服もままならなくなる。(てやんでぇ。寝言は寝て謂え。オマイラが居なければ、テメエラの食い扶持、作る手間が省けるってもんだネ。おいらア、その分楽しくアスベルってもんだ。)
だから、虫食いリンゴ返品で、もらえなかった代金と、信用落として在庫を処分した費用もすべて、あんたら、勤労者大衆諸君が、そのコストを負担しなさいね。
(馬鹿野郎、税金なんか払えるか、オマイラのせいで、逆さに振っても、鼻血もデネエ。勝手に印刷機で刷りやガレ。金融バブルは、盛り返すだろが、俺たちいつまでも馬鹿ではない。テメエラだけで、金融ばくち夜明けまで遣ってろイ。次の昼頃になったら、テメエの首が無くなっているのにも、頭が無くなっちや、気がつくメエ。)
無能で、給与お手盛りの、役人と、無駄なおしゃべり上手で、時には人殺しの、これらの部門の総合合計コストは、想像を絶するものがある。彼らの使い込んだ、金額の、『金融工学』上の表現が、国債や痴呆っ、おっと違った、地方債である。
良い社会というものは、それぞれの時代や地域差も有ろうが、官僚や政治のコストが少ない社会であろう。
(以下は省略 全文は左近尉の別冊付録 2009-09-09へ)