我が郷は足日木の垂水のほとり

文化芸術から政治経済まで、貧しくなった日本人の紐帯を再構築したいものです

300余年前、世界交易の半分はオランダが占めていた

2010年03月22日 | 記事紹介

 

 

  記事の紹介です。

【噴水台】小国大業

  300余年前、世界交易の半分はオランダが占めていた。世界初の株式会社である連合東インド会社が香辛料、絹、陶磁器、黄金を積んで運んだ。同社は朝鮮、海運、金融、資源企業と総合商社がひとつとなった多国籍巨大企業だった。アムステルダムには先端バイオ企業といえる砂糖工場だけで50あった。ヨーロッパの工場の半分だった。世界初の証券取引所が門を開いた所もまさにアムステルダムだった。

  中国CCTVは数年前9カ国の大国化の歴史を描いた番組を放送した。オランダ編は「小国大業」と要約された。人口150万人の小国が、海と革新によって大国となったという内容だ。オランダは貨物をたくさん積む船を作り、危険を分散させる株式会社を発明した。革新的な商業・金融体系が富の鍵だった。

  オランダが急浮上した裏面には寛容の精神があった。16世紀、改宗を強要するカトリック天下を離れ、ユダヤ人たちはオランダに集まった。ヨーロッパで唯一、宗教的寛容を与えた国だったからだ。オランダはユダヤ人の資本と人脈、商業的洞察力を得た。

  200年、大帝国として君臨したイギリス、西欧化先駆者である日本を刺激した国もオランダだった。イギリスはオランダモデルを引き写して底力を積み、ついに産業革命を起こした。2009年は日本がオランダと通商を始めて400周年になる年だった。日本はオランダ学問である「蘭学」を受け入れて西欧化の種子を栽培した。

  我々も漂着した東インド会社職員のウェルテフレーとハメルに会った。ウェルテフレーは北方征伐を準備する朝鮮に先端武器である火砲技術を伝えた。ハメルは漂流記を発行し、朝鮮の存在を西洋に知らせた。それだけだった。交易は行われず、朝鮮は隠遁の国として残った。

  そうした国が造船、海運、通商の国となって昔のオランダのように五大洋六大洲を歩き回っている。弱小国の悲しみも少し減らした。「キム・ヨナ選手のように、起き上がり小法師のように、我が民族はあきらめない精神を持った。韓国はこれ以上負け犬(underdog)ではない」オランダが占領し、ニューアムステルダムと呼んだ米国ニューヨークで、企画財政部次官が投資者たちにした話だ。外国紙のコラムの見出しを一部借用したものだが、我々がこのように自分に冷たい声を発したことがあるか。革新と寛容で頂上に立ったなら小国大業の道は狭いが開かれている。オランダが進んだその道だ。

  ホ・グィシク経済部次長
 http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=127419&servcode=100§code=100

  記事の紹介終わりです。

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