超なつかしい~ルンペンストーブ 当時は、家はモチロン、学校、駅にもあったよ♪
朝晩、寒い…しかし、セントラルヒーティングのわが家は厚着で我慢してます。 だって、灯油高いんだもん(T_T)
結婚した当初は普通に石油ストーブ使っていたんですが、ある日突然寒さに耐え切れなくて≪コークスストーブ≫なるものに変更。きっかけは、娘の同級生のお家で使っていたから&1度火をつけるとコークスを適当に足すだけ。HALパパが小学校1年生の冬から使い始めました。
すると、このストーブの上で、お餅焼いたり、煮物したり、もちろん焼き芋も(*^。^*)
wanikoが子供の頃過ごしたのは港町ですから、軒先にコマイやカレイ、タラの開きとか干してある。夜、TV見ながらストーブの上でカレイを軽くあぶって食べたり…コマイを叩いて柔らかくしたり、じゃが芋のおこげだけを剥いて食べたり~いつも、大きな鍋が置いてあって色々な煮物をしてましたよ。祖母が~あんこ練ったり、煮豆とかもしていたな~
wanikoのルンペンストーブの思い出は食べものばかり(ーー;)でも、冬のあく投げと石炭入れは辛かったな~小学校中学年になるとやらせれましたから(T_T)でも、部屋の真ん中にあるストーブ囲んで色々楽しい思い出いっぱいです。学校では、牛乳暖めて飲んだっけ~アルミの弁当箱の同級生は弁当箱も暖めてたよ~高校も実はルンペンストーブでした。当時のwaniko実家は、waniko24歳までルンペンストーブ健在でした。上の写真よりは、ちょっとお洒落な形の物でしたが…なつかし~~
これははじめて見ました。
上で焼いたもの食べたら、おもしろいですね♪
僕が小学生のときにもストーブあったような・・・やばい記憶がない(汗)
弁当を温めるってすごいですね(笑)
一日に二回取り替えていました。昔は回りに家はそんなになかったので、裏に残りかすを捨てる役目は子供の自分でした。燃えすぎるとストーブが真っ赤になって怖かった思いがありました。
コークスストーブ、石炭ストーブ、マキストーブは実家で使っていましたよ。何といっても暖かさが違いましたよね^^
それと匂いが好きでした。
餅は定番でしたね。
学校では石炭運び当番っていましたよ。
家は普通のストーブだったけど。
当番で学校のストーブの灰を捨てたりしてました。
現在の家は鋳物のストーブ。
あったまったら火が長持ちします。
今朝も少し焚いていました。
今朝はちょっと曇りで暖かかったけど、ね。
今は炭鉱閉山しましたが、北海道は石炭、木材も産業でしたからね。小学校の時は6年生が低学年のストーブの管理してくれてました。朝のストーブの点火は今で言う公務補さんのお仕事、48クラスもあったから2人いましたね~
そうそう、真っ赤なストーブ怖かったですよね
後、デレッキとかスコップとか、炭入れの楕円形のバケツとか…悪さすると、夏は竹の物差し、冬はデレッキで足パシッって祖母に叩かれました(T_T)コメントありがとうございます。
実家が根室だった頃は、1年中ストーブありました(笑)そんだけ寒かったですよね!
コークスのストーブ付けた時、すごく懐かしかったです。デレッキとか、炭入れのバケツは水色でした。社宅が古くて寒かったので、あの暖かさは格別でしたね~シミジミ 今便利ですが、この灯油の高騰はカナリ家計圧迫…だって、7年前から北国限定の燃料手当カットですから…(ーー;)非常に苦しい~
そうですが、燃やす素材は違っても ストーブですること一緒ですか~(笑)
でも、アルマイトとかアルミのお弁当箱限定でしたよ。今は、難しいですね~~
冬駅の構内でも、食べ物温めてる人いましたよ。 列車の中にも石炭ストーブ付きってのも走っていましたね~ いつだったか、再現したのが走ってるニュース見た記憶が…アレ???
鋳物ですか~重たいでしょう…じんわり暖かいって感じですね。暖炉とかの木がパチパチ言う音は癒されますよね~wanikoの行く病院にあって、冬は絶対暖炉の側に座ります。病気も癒されたくて(笑)
いや、ほんと寒くなりましたね~(+_+)