18日の午後2時過ぎに、母が帰らぬ人となった。
一時腰痛で寝たきりになったものの、奇跡のカムバックを遂げ、立ち上がり、自力で歩き、皆と外で飲食できるまで復活したものの、昨年10月に容体が一変。救急車で病院に運び込まれてからは、二度と自力で立ち上がることはなかった。最後は、食事することもままならず、徐々にやせ細って行き、妹夫妻、姪、自分に看取られる中、とうとう力尽きたのだった。
一日置いて、20日に通夜、21日に葬儀告別式~初七日、三十五日法要まで滞りなく収め、一夜明けて今日を迎えた。遺影の母は、在りし日の笑顔。栃木の自宅のカレンダーは、救急車が来た去年の10月のままだ。
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南無阿弥陀仏
これで、自分は帰る田舎を失ってしまった。父の時とは比べ物にならない喪失感だ。
一時腰痛で寝たきりになったものの、奇跡のカムバックを遂げ、立ち上がり、自力で歩き、皆と外で飲食できるまで復活したものの、昨年10月に容体が一変。救急車で病院に運び込まれてからは、二度と自力で立ち上がることはなかった。最後は、食事することもままならず、徐々にやせ細って行き、妹夫妻、姪、自分に看取られる中、とうとう力尽きたのだった。
一日置いて、20日に通夜、21日に葬儀告別式~初七日、三十五日法要まで滞りなく収め、一夜明けて今日を迎えた。遺影の母は、在りし日の笑顔。栃木の自宅のカレンダーは、救急車が来た去年の10月のままだ。
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南無阿弥陀仏
これで、自分は帰る田舎を失ってしまった。父の時とは比べ物にならない喪失感だ。