都心から郊外へと向かう電車の窓の向こう側、
流れるように後方へと去っていく東京の町並みを眺めていたら、ふと、
数年前にアメリカ西部を車で旅したときのことを思い出したです。
二匹の愛犬たちを供に約一ヶ月間、
カリフォルニア - ネバダ- ユタ - ワイオミング -
コロラド - ニューメキシコ -アリゾナ といった順に、
荷物を詰め込んだ車で旅して回ったのが、もうかれこれ三年前。
四駆に乗った旅がらす一家でごぜいやした。
道すがら、犬も宿泊できるモーテルに泊まりながら、
しかし一日の大半は(時には12時間ぶっ通しで)、
ドライブしていたのですが、
それは旅して回った土地が広かったからではなく、
「バカデカい大地だった」
からであります。
見渡す限りの大平原の中、真っ直ぐ一本に突っ切る道を
一日かけてドライブした日に目にしたものは、
ごく稀に行き交う長距離トラックや乗用車以外は、
牛だけであった。
モォ~びっくり。
などという日はざらであり、またある時には、
だだっぴろ~い大地に一面灰色の奇岩群だけが立ち並ぶという、
円谷プロの撮影セットのような中をひたすら走り続けた日もあり、
まるで田舎のおばあちゃんが唱える念仏のごとくに
延々と目の前に続く風景を見ていたら、
「あの岩の横でキングギドラが焚き火をしながらギターを弾いていても
“あ!”
ぐらいの驚きで済んでしまうかもしれない。」
という感覚麻痺に陥ってしまい、しかしそのいつ終わるともしれない
念仏風景にだらり~んと身を任せていると、突如、リスとかウサギとか
猪なのか八戒なのかわけわからん謎の生物が右手も挙げずに目の前を
唐突に横切ったりするので、
「どわぁーっ!」
と度肝を抜かれたりして油断ならないのでありましただ。
はぁ~くわばらくわばらなんまいだー。
それに較べると、東京の町並みはとても立体的に密集しており、
なんだか、とびたす絵本を見ているような視覚感覚であります。
いやでもそれはなにも町並みだけに限ったことではなく、
乗っている電車の中を見渡しても、人は密集しており、雑誌の中刷り広告が
垂れ幕のように所狭しとあちこちに下がっていたりして、
こうして改めて眺めてみると、当たり前なのかもしれないけれど、
とても立体的で、そして色とりどり。
なんてなことを思いあぐねながら、
頭上の週刊誌の中刷り広告を見上げてみると、
ん?
朝青龍がどうしたって?
またモンゴルの熱風を周囲に捲き散らしたのかしら、
あばれはっちゃく君だわね。
ってな噂話の密度もやはり濃い。
濃いといえば、
どうしてお相撲さんの名前はこうも濃いのだろう?
画数がやたらと多くて書きづらいし、第一、
読めんっ!
力士名とは聴覚でその名を把握するというより、視覚に
「寄り切り突き出し上手投げぇっ!」
と訴えてくる名前だと思う。(←?)
番付表にずらっと並んで書かれている名前を見ると、
「土佐の海」とか「木村山」とかなら素直に読めるし、またその名から、
「ほぅ、高知県や木村さんち出身なのだね。」ともわかるでがす。
しかし「魁皇」とか、「旭天鵬」となるとまるで、
水滸伝に出てくるような名前で覚えづらいったりゃありゃしない、
もっとシンプルにしてくれい、などと思いながら横に目を移すと
「朝赤龍」という名のお相撲さんが・・・いたりする。 これは・・・、
青がいるから赤なのだろうか? リトマス紙ですか?
朝青龍はアルカリ性だったのね。。。それにしても
なんというシンプルな発想なのだろう。シンプル過ぎだと思う。
やがては「朝ピンク龍」とか「朝レインボー龍」とかいう名の力士が
土俵に登場するのではないだろうか。いやこの際、「朝仮面ライダー龍」とか
「朝おやっさん龍」とかもいいかもしれない。と思っていたら、
「把瑠都」というお相撲さんの名前を発見。一体、
何と読むのですかぁっ?! え、バルトと読むの?
バルト海地方出身だから、把瑠都でバルト・・・・なるほど・・・・
暴走族の当て字みたいずら。
これはもういつの日か相撲界に、関取虎舞竜とか 大関只今参上とか、
横綱なめ猫とかが出てきても驚かない時代が来るのかもしれないぞ。
時代は常に動いているのだ。
などと思いを巡らせていたら既に3駅くらい通過していたわ。
と気付くと、いつのまにか乗車していたらしい
若いカップル二人組みが私のすぐ近くに。
多分、大学生くらいなのかな~、二人で寄りそいながら、
ドアの脇にあるポールにもたれかかって楽しそうに話している様子は
なんとも微笑ましく、ういういしい。
別に耳をミスター・スポックサイズにしていたわけではないけれど、
なんせ彼らのすぐ近くに立っているから、どうしても
そのカップルの会話が耳に入ってきてしまう。
「それでね~、それがね、そうなったの~。」
「そうなんだ~。」
「そうなの~、ふふふ~。」
「そうだね~、あはは。」
なんてことだ。
これだけの言語で分り合えて、
しかも微笑み合えてしまうとは。
余りの驚きに口をポカンと開けてそのカップルを眺めるのは失礼なので
急いで窓の外に目線を移して改めて口をポカンと開けて驚いてしまった。
驚きリフレイン。
それにしても何故だ?
何故なのだろう?
何故に彼らの会話はすべて
“そ”
から始まるのだろう?
この“そ”とは、基礎の「礎」=「いしずえ」
ということなのだろうか?
もしそうだとすると先ほどの会話の内訳は、
「礎でね~、礎がね~、礎になったの~。」
「礎なんだ~。」
「礎なの~、ふふふ~。」
「礎だね~、あはは。」
↑こうなる。
深い。
もしや哲学なのか?
しかも哲学しながらきゃっきゃと笑い合えてしまえるなんて
深いのだろうか?
これは、「新・微笑み基そ会話」と呼ばれる
新種で斬新でナイスな会話法なのかもしれない。
「そんなことは全然知らなかった・・・。」
と純君なら言うだろう。
しかしそんな私の新学説には無論気付く様子もなく、
目の前の「“そ”」であるカップル=そっぷるさんたちは、
半径1m範囲内において彼ら独自のそっぷるワールドを
張りめぐらせているわけで、片方がくすっと笑えば、もう片方も
くすくす、なんて相手を反映するように笑っていたりしていて、
やっぱり微笑ましい~。
やはり人生のキーは微笑みなのだ。
キャンディーズのスーちゃんだってその昔、
「微笑みがえし」と微笑みながら歌っていたからこそ、後年、
モルツのCMでビールを飲みながら、ふふふ~と
吉岡君から微笑み返してもらえたのに違いないのだ。
羨ましいぞぉっ、大家のスーちゃん!
因果応報ですな、何事も。
いやしかし、私だってジャイアンとお付き合いしだした頃は、
いつも微笑んでいたのだったわ、なぜならジャイアンが
何を言っているのか全くわからなかったから微笑んで
その場をごまかしていたのだった。 英語がわからなかったのだ。
意味が全然違うぢゃーん!
ということですっかり忘れていたけど、
いたんだわ、ジャイアン。
隣に。
そうだこの際だから微笑んで彼の話に耳を傾けてみよう。
ジャ:「でね、よかったな~って思ったんだ。」
終わっちゃったよ!
まったくぅ~、せっかく話を聞いてあげようと思ったのにぃ~、プンプン!
あっ、いかんいかん、こういう時こそ、
「微笑がえしで吉岡くんゲッツ!キャンペーン」を実施しなければ。
私 :「(ニコ)何がよかったの~?」
ジャ:「えっ?! たった今話したばかりだよ?!」
私 :「(ニコ危うし)過去は水に流した方が世の為人の為なのだ。
新しい門出に乾杯。(ニコ復活) 」
ジャ:「なんか丸め込んでない?」
私 :「何も丸めて込めてなんかいないよ。お饅頭作ってるんじゃないんだから、
早く話を始めていただけないかしら?」
ジャ:「うん、だからね、僕も日本人の仲間入りを経験したんだよ。」
私 :「日本人の仲間入り? チョンマゲでも結える気?」
ジャ:「今時そんな日本人はスモウレスラーしかいないでしょ? そうじゃなくて、
昨日の夜ね、ゴンゴンに行ったんだ~。」
私 :「ゴンゴン?」
ジャ:「そう。ゴンゴン。」
私 :「ゴンゴン?」
ジャ:「ゴンゴン。」
私 :「ゴンゴン?」
ジャ:「ゴンゴン」
私 :「はじめ人間ゴゴンゴ~ン♪」
ジャ:「違うと思う。 なにそれ?」
私 :「ダーウィンの種の起源のテーマ曲じゃよ。で、なんなのその
ゴンゴンって?」
ジャ:「えっ、知らないのぉ? 困ったニホンジンだね~、君は~。
ゴンゴンっていうのはね、男の人と女の人が同人数集まってお酒を飲む・・」
私 :「合コンのこと?」
ジャ:「そうそう、それー! ゴウコンだよー。」
私 :「なぁ~んだぁ~、合コンかぁ~、合コンに行ったのね~、
ってなんで妻帯者のお主が合コンに行ったのだっ、え?!
と、私がやきもちを妬くととでも思ったのかい、そこのデカ造。
私はやき餅は正月にしか焼かないのだ、ふぉほっほっほ~。まいったか。」
ジャ:「別にまいらないけど、ただ友達のその友達から、
頭数が足りないから来てくれって頼まれたから行っただけだよ~。
でもゴウゴンって別に疚しいことじゃないでしょ?
お酒を一緒に飲むだけだもん。」
私 :「そうですわよ。別に目くじらたてることではなくてよ。で、
女性チームはどんな人たちでしたの?」
ジャ:「あのね、JALのスチュワー・・」
私 :「なんじゃと?」
ジャ:「
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyob_hat.gif)
私 :「スッチーたちと飲んだってぇ~のかい?」
ジャ:「・・さっきゴンゴンは大した事じゃないって・・」
私 :「相手がスッチーとなれば話は別じゃ!JALのスッチーではなく、
野村のサッチーとのゴンゴンなら許せるのよっ、ってほんとに
サッチー五人衆がその場にいたら怖いかも~。スッチーでよかったね~。
ってまんまと丸め込んだなっ、お主!」
ジャ:「そうじゃないよ~ちょっと落ち着いて~。
さっき自分でも言ってたでしょ、やきもちは正月にしか焼かないって~。」
私: 「“鵜呑み反対―!”と、鵜飼のカモ君たちは言っているのだ。
いいかい、君の頭上で行ったり来たりしている車内電光掲示板の文を見よ。
“車内警備強化しております。気がかりなことがありましたら、
何でも駅員にお申し出ください。”と書いてあるじゃろう?
でもだからといって、「あの、明日の天気が気がかりで・・・」と
車掌に言えるのかい、え? 文字、言葉には守備範囲があるのじゃ。
その範囲を広げるのも狭くせさるのもおのれの配慮次第なのでねぇかい?
更に言えばだね、例えば、いくら美味しいお店があると人から聞いても、
そのお店の名前が「フレンチ・コブラ」とか「寿司熱帯」とかだったら、
その店に入ろうとすらしないじゃろう? そういうことじゃよ、世の中とは。
はぁ~世知辛いねぇ~。やれやれ。」
ジャ:「あ、それじゃ~こういうことかな、ホラ、
僕はマフィンは余り好きじゃないけど、君のマフィントップは
別にいいと思う、とか?」
私 :「・・・・・・・なに言ってんの?」
ジャ:「ほらほら、これ~。この広告の写真見て。」
私 :「“はみ肉”って書いてあるよ。」
ジャ:「そうそう。」
私 :「ジーンズのウエスト上にはみ出た贅肉をつまんでるこの写真が
なんだっていうの?」
ジャ:「マフィントップでしょ?」
私 :「はみ肉だよ。」
ジャ:「それを英語で“マフィントップ”っていうんだよ~。ほら、
このはみ出た贅肉部分の形が、マフィンのトップ部分に似てるでしょ?
君のウエストと同じ~。マフィントップと君のマフィントップ。 ね?」
私 :「・・・なにが、“ね?” なのだ?」
ジャ:「でも僕にとってのその二つのマフィントップは、
まるで存在意義が違うんだよ。」
*彼の思考を図解するとこうなるらしい。
普通のマフィントップはこう。↓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/01/6350829d07e06eb09c953a363d2a180b.jpg)
僕のマフィントップとは違う。↓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/61/8ea6479f0f68ad319b306c04dce86dd7.jpg)
↑何故か舞っているらしい。。。
私 :「・・・・。」
ジャ:「ね?」
私 :「ね、なの?」
ジャ:「ね、だと思うよ。」
私 :「ね~なのかな~。」
ジャ:「ね~じゃないのかな~。」
私 :「・・・ね~かもね~。」
ジャ:「ね~でしょ~?」
私 :「着いたよ。降りよっか。」
ジャ:「うん。ラーメン食べたいね~。」
私 :「ねぇ~。」
なんか上手く丸め込まれたような気がしないでもないけど、
時にはこんな日があってもええでっしゃろ。
まっいっかぁ~、ね。