月のカケラと君の声

大好きな役者さん吉岡秀隆さんのこと、
日々の出来事などを綴っています。

言の葉ぐさ

2007年07月31日 | 山田監督作品


「医師であることの、意味を、問い続けることを・・・、
放棄しては(~)いけないと思っています。」

(~)☜こりゃなんじゃいっ?!


との、ご質問がありましたので、
補足したいと思いますです。

(~)←こりは、いわゆるひとつの
「ヒデタカ吐息記号」
と一般的に呼ばれているもの、
ではないらしく、
海を隔てたどっかの町の片隅で
勝手にそう呼ばれているものらしいのでそうなるらしい。


これはですね、吉岡くんが、
台詞の合間、または末尾語に重ねて吐息することによって、
見ている方にまで、(~♡)と
咲かせて咲かせて「ももいろ吐息」にさせてしまうという、
特選ヒデタカ必殺技の中でもかなりの上位に位置する
ヒデタカ節の一つでありまする。

この(~)には、種類がありますですね。

例えば、音階だとこう。

(~)♭ (~)♯ 

更に場所までも、

(~)北 (~)南  (~)三丁目 (~)教壇 (~)法廷 (~)大学病院 

その他モロモロなどな~ど、
より子どり子みどりちゃんのバラエティーの多さでありますぜぃ、
さすがの「よりどりみどり大王」じゃ、吉岡くんっ。


このヒデタカ吐息記号が、顕著に聞かれる人物が

(~)♭北 ←北の吐息大王、黒板 純

(~)♯南 ←南の吐息王者、五島 健助

このお二方であります。
おぉ、南北制覇だ、吐息くん。


ちなみに柴又の満男くんは、この記号を殆ど使用しておりません。
彼の場合は、( . )←コンマ使用であります。

満男くんという人は、
自分で吐息を吐くというより、彼の肉親、友達に、
「はぁ~」と思いっきり嘆きの吐息をはかさせてしまうという、
遺伝式吐息配達人でありまするだ、困ったもんだよ、みっちゃん、
そんなチミがすっきやでぇ。


さて、この(~)でありますが、
こりは簡単そうに思えて、しかし
その言葉の出し方と息を吐き出す量のバランスのとり方が
非常に難しいのではないだろうかと思いますだ。

例えば、コトー2006最終話での、
彩花さん手術後の五島君と鳴海君の会話での(~)。

自分の気持ちを苦しそうに吐き出す鳴海君に、
少し驚いたように「鳴海先生?」と呼びかける時の
五島君の吐息言葉。

こりはちびっと変形(~)であります。
記号化するとですね、

(~「鳴海せんせい?」~)

こんな感じであります。


これはさすがの、
吐息バランスでありましたぜぃ、セニョ~ル。


この台詞は、「儚き気だるい君はオペ後の五島健助」
状態であったので、ここで息を吐き出しすぎると、

「はにゃるみふぇんふぇ?」

と、入れ歯の外れた謎の中国人おじいちゃんが
パンダに呼びかけるような言葉の響きになってしまうだろうし、
また逆に、声を出しすぎると、

「鳴海先生っ?!」

とハッキリくんになりすぎて、
「なんだい、五島くん?」
と思わず鳴海君が答えてしまうような響きになってしまうであります。


この場面をリズムでひっぱっていくのは
堺さんの演技でありますが、
しかし感情面でスス~っと視聴者の心を引き寄せていくのは
吉岡くんの演技なのだと思うであります。


ここでの吉岡くんの演技は、
レースのカーテンみたいでありましただ。

出過ぎていなくて、引っ込んでいる。
けれども場面をフィルター浄化していく
ゆるぎない存在感を持っているであります。

五島くんから発している悲しみ憂いやるせなさを、
ひっそりと、鎮めるように、力を落として、
レースのカーテン越しからそっと静かに揺らめかせている感じ。

そして、ともすれば熱くなりすぎてしまう
鳴海君の感情露呈を、やはりそのカーテン越しから、
静かに静かに切なく包み込んで、その悲しみの光を
反射しながら放散している感じ。


痛いほど切ないっす。
だけど、
とってもひっそりとしている。

これですがなぁ、おっかぁ~っ!!!!

さすがじゃ、ヒデタカ殿。


ここで彼の発する
「鳴海先生?」
という言葉は、台詞であって台詞ではなく、
ほぼ吐息に近いものなのだと思われ。

吐息だから、あるようでないであります。
だからこそ彼は、彼の台詞によって、
メインで場面を引っ張っていく堺さんの台詞のリズムを
決して崩しすようなことはしていないし、
あくまでも合いの手のような形で、
そっと背後から寄り添っていくような台詞の響きを
出せているのだと思われ。
しかし五島健助の悲しみ切なさやるせなさは、台詞に頼らず
しっかりとその存在感から醸し出している。

まるで、星飛雄馬の姉ちゃんのようだよ、星君、いや、吉岡くん。
う~ん、マンダムじゃのぉ~。

彼は、台詞に頼ってしまうような役者さんではねぃと思います。
しかし、台詞が場面ごとに担う「役割」ということは、
感情で感じ取れる人なのだと思いますだ。
でなくっちゃ、(~)は生まれてこないと思われ。


吉岡くんは、
台詞に感情を乗せていくタイプの役者さんではなくて、
感情に台詞が乗ってくるタイプの役者さんなのだと思うわけで。


名優じゃよ、チミってば。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おでかけモルツくん

2007年07月27日 | CM



サントリさんちのHPで、
やっと青果店まで足を運んでくださった
モルツくん。

そのお姿を見れただけで、母さん、私は、









いや、なにもそこまで感動することでもないのですが、
モルツくんったらよく見るとシャツの柄が・・・・・・







薔薇の花をまとって許されるのは、
チミかお蝶夫人か、オスカルくらいだよん、ヒデタカくん。


いやぁ~しかし、青果店さんでのモルツくんも相変わらずの、
ラブリ~っぷり♡
でごぜいます。

青果店の若大将と目が合ったときの、
「おひょ~ん?」なモルツくんは、まるで
4コマ漫画の2コマ目みたいなおとぼけ新生物くんっぽいのに、
その後でダンボールをモルツ~モルツ~♪と
お運び手伝いしているそのお姿ときたら、


スタイルがよすぎてよ~~~~~~~っ!


んもうっ、ほ、細いっ!
だけじゃなくて、体全体の均整がスラリ~と
とれちゃってる細身スラリ~くんだぁっ!

おとぼけくん VS スラリーくん

二段分割アトラクションであります。
素晴らしい。


しかしどうして、
いつまでたってもじぇ~んじぇん太らないのだろう、
吉岡くんったら、うらやましい。

一体なにを食べて生きているのですか?

もしかしたら、超人由美かおる級の
全身カロリー消費マシーンな人なのだろうか?
そういえば、お二人ともよく画面の中で入浴していた・・・。
そして御両方、餅肌っぽい・・・。
いや、そんなことを書いているのではないのでした。


しっかし、吉岡くんってば、
体脂肪なんて全然なさそうだよ~。
ものすごく寒さに弱そうだけど、
しかし何気に寒さに強いらしい。

やはりツワモノだ・・・。


ツワモノといえば、
この青果店デコボコ兄妹の間に、
ちゃっかりなんの違和感もなく、チョインと手乗り文鳥みたいに
ベンチに座っちゃってる可愛らしさと、
そこでぐび~っと喉をならしてビール飲んじゃう
あけっぴろげな男らしさのその二つのギャップも、
さすがのツワモノなツワモノでござる。


こういったギャップって、昔マイアミに旅した
とっておき君にも見られたでありますだ。
あの時のとっておき君は、


地上に舞い降りた、さわやか天使


なんてその頭上に青色でキャッチコピーをつけたくなっちゃうような
思いっきりさわやかくんアジア代表、みたいな雰囲気なのに、
ぎゅぎゅ~っとグレープフルーツ絞るその手元が・・・
男っ気たっぷりどっぷりうっとり~ん。


ちょいと旦那ぁ、あっしは、
あんな風にさわやか笑顔でグレープフルーツ絞ってる人って
見たことないでありますよ!

ぅんぬわぁ~~~~~~~~っ

って全ど根性をその手に込めて、
グレープフルーツに燃える闘魂っ、アントニオ猪木ですっ!
ってなっちまうでねぇですかい、普通は。(←ほんとかよ・・・)
握力あるんだねぇ~、惚れ惚れするわぁ、ヒデタカくんよぉ。



モルツくんもこれと同じラブリーギャップをお持ちであります。
すっとぼけてるのに、かわえくって、そんでもって男らしい、
ついでにジゴロ。
ぐび~ってビール飲んだ後に、「そですか? あははは」って
あんたもう・・・




と、あちしは毎回大騒ぎでごぜいやす。


彼が屈託なく笑った後に時々ふっと見せる透明な表情は、
水の中で透き通っている光彩みたいな感じがするであります。
それはしっかりと透き通っている感じ、であり、
やんわりとしている中に、スッとまっすぐに通った
透明な芯の強さを、さりげな~く光風霽月と
漂わせているところが、なんとも奥深い彼の魅力の
一つであるとなにやら私は思いを馳せたりするらしい・・・。
ハァ~吉岡く~ん・・・・・・・


惚れておりもうすっ!!!! (←また発作であります。)


色々なタイプの役者さんがいるけれど、
吉岡くんという人は、あくまでも、
「職業として」役者をしている、
という感じがとてもするわけで。

まず「役者」としての自分を生きている、
というのではなく、
まず「一人の人間」として生きている、
という感じが、彼からは、
潔い信念みたいなものとして感じられてくるわけであり。

人を演じるのだから、まず自分が
特別ではない一人の人間らしくあれ、
といった信念を貫き通している人のように思われるわけで。

職人肌なのだと思うでありますだ。

それは、彼が現在までにしてきた仕事の質の高さに
結果として、とてもよく現れていると思われるわけで。


結果で表す男、ヒデタカくん。


くっ、これ以上のかっこよさはねぇぜよ、お主ったら。

と、青果店さんでのモルツくんを見ていて
そう思ったりした私でありました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空に一番近い人

2007年07月25日 | コトー先生



2006年12月、
北の果てのなんちゃらの島(今だに土地名を覚えていないらしい私・・・)から、
日本最西端の志木那島まで、はるばる来たで三上くん。

しかしいくら北国からやって来たとはいえ、南国の島でも
律儀にカチッとネクタイ、更にご丁寧にウールのベストまで
着用している三上くん。
見ているだけであっちぃ~ぞぉ~。

もしかしてその格好の理由は、
ある日突然、憧れのコトー先生から、
「三上先生、ボクの診療所を少しの間手伝ってもらえませんか?」
などという依頼電話を受けて浮かれっ子になってしまい、
電話を切った直後に、着の身着のまま荷物も持たずに、
ビュンビュン丸の如く、空港へ突っ走ってしまったのかもしれない。
いや、そんなアホな・・・。

しかし、君の島は確かその頃、
トドもしばれる大寒の季節だと思ったのですが、
ご自分の診療所は大丈夫だったのですか、三上先生?

いや、
すべてはコトー先生のためであります。

泣けるぜ、三上くんよ。
まるで忠犬ハチ公のようだ。


コトー先生ベストシーンin2006を挙げるとしたら
どこですか?

と聞かれれば、多分、私は、
一生このブログを書き続けても書き切らないほどの
ぶっちぎりハイホ~になってしまうのは
火を見るより明らかなのでありますが、
涙をのんでこぶしを固めておっふくろさぁんよぉ~、(←なぜそうなるっ?) 
で一つだけ選ぶとしたら、それは、最終話での、
「五島&三上 屋上劇場」でありますだ。

いや、これは厳密に書くと、
「五島健助・屋上劇場 その他三上」
なのかもしれんですばい。
すんません、三上くん。

この時の五島君は・・・・・・いや吉岡くんは、いやコトー先生は、
えぇいまとめて一つだ、五吉コくんは、

限りなく空に近かった・・・・。

と思うのですだ、おっふくろさぁんよぉ~。

この時の彼は、
どこまでもどこまでも果てしなく澄みきっている空のようで、
そこからどこからともなく、サ~っとやさしく髪を和いで
吹いていくような、やわらかなそよ風のようでもあり、
そして木漏れ日から差し込んで地上にやわらぐ日の光のようでもあり、
それはとても優しく強く、同時に、どこまでも果てしなく透明であり、
そして悲しいほど「遠くへ向かっていく」感じ。

美しいっす。
存在自体が、すごく美しい。

「医師であることの、意味を、問い続けることを・・・、
放棄しては(~)いけないと思っています。」
とゆっくりと、自分自身に言い聞かせるようにも言ったあと、
サヤ~、
っと海のほうに顔を向ける仕種なんて、
ナイーブ固め一本勝ちだっ、吉岡くん!

そのあと三上先生の方に、
すっ、
と顔を向ける顔とか・・・・、
「ありがとうございます」の言葉に、これまた
フッ、
と少しだけ息を抜いて困ったように照れて微笑む顔がぁ・・・・・・・・・・
おっふくろさぁ~ん、あちしはどうしたらええのですか?

そしてその後、
三上くんに手を差し出して握手するその一連のチミのお姿、表情ときたら、
切なさヘビー級世界チャンピオンでロッキーもノックアウトだよぉっ、
吉岡く~~~んっ!

まさに「語りかける無言の表情」でありましただ。
同じ医師である三上くんに対する連帯感、
そしてそこへ三上くんを導いてしまったことに対する憂愁、
しかし確かに感じられる離島医師としての新たな決意と成長・・・
などなど書けばエンドレスのエトセトラ・・・。(←って全部書かんかいっ!)

ここでの吉岡くん、なにがすごいって、
その全身から放散されている最終話オーラ。

このシーンの撮影が行われたのは、
大学病院や、クランクアップの鳴海くん宅での撮影の前。
しかしもちろん屋上場面でのチミの表情は、
一山超えて一山成長した五島健助そのもの。

フッ、

さすがじゃ、吉岡くん。
降参じゃよ、いつもの如く。

よくありがちな、雰囲気で押し通しちゃう変化、
ってぇな演技はじぇ~ったいしないのだぁっ、チミってばぁ。
自分の奥底から沸々と生み出していく成長の変化を全身表現、
って感じなのです、ト~~~~~~~~~~~レビア~~ンッ!

「人として、生きていくこと」
という存在感を、あるがのままに、
美しく切なくその全身から放散している吉岡くん。

だからこそ、この場面での五島くんは、
ここからまた始まるんだよ、つ・づ・く、
という「人物余韻」を人の心に残せているのだと思われ。

吉岡くんの演技を見ていてよく思うのでありますが、
彼の演技って、とっても立体的でありますだ。
例えば、キャンバス上に、とても上手にその人物像を、
見える部分だけ描いていく、というのではなくて、
もっとこう、粘土でその人物像を多角面から形作っていく、
っていう感じがするであります。

だから彼の作り出す人物は、
とても奥が深くてリアルであり、
そして切なく美しい。

そうなのです。
チミの美しさは、とても切ねぃであります。

君から感じるその美しさ切なさは、
人が年を重ねていく毎に、世間体という壁を
高く構築していってしまうのに従って、少しずつ、
その壁の外に置いてきぼりにしてしまうピュアな感情たちを、
もしかしたら、吉岡くんという人は、今でもしっかりと
その心に持ち続けている雲心月性な心の持ち主なのではないだろうか?
と思わせるその存在感にあるのかもしれないでありますだ。

ピュアなものはいずれは消えてなくなってしまう、
という、自分の持つ刹那的な諦念みたいなものが、
今は大人とよばれる年齢に成長した彼から、
未だに静かに発散され続けているピュアな空気感に
触れることによって融和され、
あぁ切ない美しさだなぁ・・・・
と感じるのかもしれねぃであります。

そしてその彼の美しさは、
夏の終わりを告げる澄みきった空みたいな感じであるわけで・・・。


美しいのぉ・・・・ほんまに、チミって人は・・・。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

満男くん、ひと秋の恋

2007年07月22日 | 山田監督作品



拝啓恵子ちゃん、

「男はつらいよ」第47作目のサブタイトルは、
「拝啓車寅次郎様」と、その名をフルネームで拝啓しているわけですが、
しかし拝啓恵子ちゃん、
君の苗字は一体何だったのか、どうしても思い出せない私は、
やはり純くんより満男くんっ子だったのだと思われ。

今日も空が綺麗です。


日本は梅雨がもうじき明ける頃でしょうか?
ロスは、ど根性はいった暑さと乾燥で、私のお肌は
旱魃状態であります。

しかし私の心は、時に観る満男くんで潤いたっぷりヒアロル酸。
そんな潤い浸透率120%の満男くんの中でも、
特に潤い率が高いのが、
42,43,44,45,46,47,48作、
って満男シリーズ全部じゃんかよ~。

この満男くんシリーズでありますが、
吉岡くんの成長自体に目を向けると、回を増す毎に、
その美しさも比例増加していく様が見れるという、
ドキュメント美の進化記録・柴又バージョン、でもありますだ。

特に私にとっての、45~48作目でのヒデタカくんは、
艶っぽさ艶ってキラキラ~ンのキラキラお艶さんでありあます。

そんなキラリン艶々吉岡くんに包まれた満男くんは、

羽交い締めにしたいっ、とぅあっ!!!



であります。  


「男はつらいよ」第47作での満男くんが、
やわりんとひと秋の恋をしてしまうのは、
旧家育ちのお堅い菜穂ちゃん郵便局員。

満男くんは、芯がしっかり一本通っている
HB鉛筆のような子が好きなようであります。

大学時代の先輩に招かれて、滋賀の長浜に出向いた満男くん。
祭りの準備の喧騒の中、先輩の実家である旧家に通された
満男くんでありますが、そこはやっぱり満男くんでありまして、
ただでは廊下を歩かない。いや歩けないのかもしれない。
やはりスルリンっと廊下を滑っての自然満男現象を起こしております。

んがしかし、これはあくまでコケ前座。

居間だか客間だかでお昼寝中の先輩の妹さん菜穂ちゃんのお顔を、
思わずホヤ~っと吸い寄せられるように見つめてしまった満男くんは、
ひと気に気付いて目を覚ました菜穂ちゃんの大騒ぎによって、
コケるぜ満男っ、背面バージョンだ、新技っ!

しかし「痛いよぉ~」と情けねぃ声で言いながら、
手で痛みを押さえている場所は、何故か額・・・・。
その後、絆創膏も額に貼っております。

何故なのだ・・・・・・満男くん?

何故に背面落ちして額に傷が?
首が360度自由自在に回るのですか、って、
それじゃ~まるでロボコンみたいでねぇですか。
何故なのだろう? 
何故といえば、何故にこの作品でのチミは、
一矢チックなTシャツの着こなしなのだ? 
ありがとう。

この作品の満男くんは、意外な面が沢山見れるでありますだ。

ツンツンしちゃいながら、それでも満男くんに
町を案内するお怒り菜穂ちゃんに対して、
仕舞いには満男くんの方も思わずプンプンッ!
おぉ、女の子にプンプンッしたぞっ、満男くんっ。
これはお珍しいっ!
しかも菜穂ちゃんを置いて、一人でとっとと帰っちゃうし。

泉ちゃんにはぜぇ~ったいに出来ないことだよね、満男くんってばよ。

意外と男っぽいんだねぇ~満男くん、と思った矢先に、
しかし突然登場ハスキー犬くんにバウバウ吠えられへっぴり腰。

あぁやっぱりチミはいつまでたってもヘイヘイホ~・・・・・。

けれどもそこはやはりミスター甥っ子・諏訪満男。
さすがのくるまやエースだヘタレくん!
チミはどうしようもないくらいのヘタレだけれども、
しかしどうしようもないくらいのイカすヘタレのヘイヘイホ~だっ!

このワンチャンどっきりヘタレアクションによって、
菜穂ちゃんの意固地さを瞬時に取り払ってしまってしまうのだ、
おぉやはりチミはどこまでもいっても寅の甥っ子、遺伝じゃの。

そしてその後、満男くんと菜穂ちゃんは仲良くカフェでお茶しとります。
菜穂ちゃんが自分のお兄さんのことを、
「専務なんて肩書きだけや。何にもせんむ~。」
などと、ほんまもんの専務がかましたらオフィス中を瞬間冷凍させてしまう
ようなギャグで二人はアッッハハハハァ~♪





ここで菜穂ちゃんは、満男くんが、自分のお兄さんによって
長浜に招かれた理由をさりげなく聞き出しておりますが、
って、ちょいと待ってくだせぃ、山田監督。
ここでの会話でありますが、
一体、
いつ、
どこで、
どないしてどのようにどうやってどうしたら

満男くんは大学時代に野球部員だったのでありますかっ?!!!!

どっしぇ~~~~~~~~~~っ、の
衝撃新事実で目からコンタクト、ポロリ。

知らなかったでありますよ・・・・・というか、
気付かなかったでありますだ・・・・というか、
一体どうすれば気付けたのでありまちゅか、
満男くん大学時代野球部所属の隠された事実・・・・。

高校の時は、というか確か中学の時から、
吹奏楽部に所属していたのではねぃのでしょうか、満男くんってば?
いや確かに、ちびっ子の時は、よくバットとミットを抱えて
「行ってきまぁす」または「ただいまぁ」とさりげに言いながら
画面隅っこに出たり入ったりしていた満男くんでありましたが、
しかし、思春期に入ってからの満男くんは、音楽っ子だった記憶が・・・。

なのに大学でいきなり野球部員とな?
魔が差したのだろうか、満男くんよ。 

チミの大学時代は、
「バイトも余暇も全ては君のためさ泉ちゃんシャバダバダ~♪」
なのではなかったのでねぇですか? 
しかもポジションがピッチャーって・・・オイオイ・・おいおい
おいおぉぃお~ぃおぃおぃおぃ・・・思わず泣けてきてしまいました、監督。

満男くんよ、チミは一体いつ野球部の練習に参加していたのです? 
君のお部屋には、いつ何時も野球を匂わすものは何も無かったはずだ・・・。
そりとも、野球部員だなんて肩書きだけや、何にもせんむ~、アッッハハハハァ~♪
だったのですか?
そりゃ~、万年補欠だわなぁ。

でもその菜穂ちゃんとの会話中、
「オレ? オレねぇ、ピッチャ~」
って言いながら、スイッハラリ~と投球ポーズする仕種が・・・・
万年エースだっ、出たよ必殺ハンドホワイティー!

なんてエレガントな表情を持つお手てくんなのだ・・・。
しかも品よく流れるような色気がある、おまけにとことんホワイティ~。
そんなチミの手に白魚くんたちもヒレあげ間違いなしだよ、ヒデタカくん。
手タレでも十分食べていけまっせ~、旦那ぁ。
いつかその美しいお手をフル発揮で見れるような、
指揮者の役を演じてもらいたい・・・。

そしてやっぱりそのお手てくんには野球のボールなんかより、
キーボートを弾いたりして繊細に手を動かしていることの方が似合ってるよ~。
野球部なんかじゃなくて、あやとり部とかだったら
全国制覇間違いなしだったのに・・・・オバカさんね、満男くんったら。
(☝オバカなのは間違いなく私のほうだった・・・)。


さてそんなこんなで(ってどないやねんな?)
急速に仲良くなった満男くんと菜穂ちゃん。
祭りの夜に、菜穂ちゃんが、自宅の客間にいる満男くんのもとへ
柿を盛ったお盆を持ってきますが、そこで菜穂ちゃん、
満男くんのうたたね顔を発見っ! おぉっ!!!

もうダミだ・・・。

可愛すぎる・・・その寝顔・・・・・満男く~ん・・・・・吉岡く~ん・・・
ヒデタカく~ん・・・・・要するにヨシオカヒデタカく~ん・・・

すっきやでっ!(←発作であります。)

もし私がその場にいたら、(ってまた「もしものコーナー」であります)
ササっと、うたた寝している満男くんの目の前に正座して、
その寝顔をじぃ~~~~~~~と見つめながら、(←って怖いぞ・・・)


うたた寝の  隣の客は  よく柿食う客だ
                             字余り


なんてため息交じりに一句詠ってしまうよ。 (←もう救いようがない・・・)


それにしてもなんて無垢な寝顔・・・。
スヤスヤミッキーみたいな寝顔でねぇですかぁ。
そんでもってうっすらとお目めを覚ます様が、どっ

ツボッ!

だぁ~~~~~~、もうっ、タックルしたいっ!
どこまで可愛いへたれっちぃ~なのだぁ、チミって人は、満男く~ん、
すっきやでっ!!!!  (←また発作・・・)



って、だみだぁ・・・・
満男くんのことを書いていると、突き抜けてばっかりで、
書きたいことの半分も書かないうちに、すでに
長文すぎる長文になってしまったとです・・・。

お付き合いくださってありがとうございましたぁ。
つづきはいつかの後日ということで、
てけてん、
でございます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コトー先生と和田さん

2007年07月19日 | コトー先生


このお二人、
こだわりの人たちなのかもしれないであります。

ことラーメンに関しては、
そのブランドから調理時間まで、
なにやらかなりのこだわりがあるらしい。

そして服装。
コトー先生は、シャツの色や素材を変えていたりしますが、
しかし基本的に同じスタイル徹して行く年来る年早三年。
和田さんなんて、一体何枚同じシャツとズボンを持っているのですか?
と質問したくなっちゃうほどの、オンリーワンスタイル保持者。

これは彼らのこだわりに違いない。

しかし言葉を変えれば、
「ズボラ」
ということにもなってしまう。

どっちなのだろう?
しかしどちらにしても、共通点の多い
お二人なのかもしれないですだ。

このお二人、時には、ボケとボケの
ダブルボケ牽制球を投げあったりしているようですが、
しかし普段は、互いに、支え支えられての
歳末助け合い運動のようなお二人でありますだ。

そして更にこのお二方は、
その背景に家族の存在が見えてこない、
「人生背景雲隠れ」なお仲間でもあるわけで。

2006でやっとこさ五島家の母上が
フィルター出現してくれたけれども、
しかし五島くんの人生経路はやはり、
曇がかっていてよく見えな~い、という
非常に珍しい主役キャラでありまする。

和田さんなんて、
一体全体、
診療所に、

どこぞから降って湧いたようにやって来るのですか、和田さんっ??? 

という、謂わば、
かっぱ伝説みたいなお人なわけで。


不思議なお人でございます。


しかし不思議は不思議を呼ぶらしく、
この和田さんというMr志木那島ミステリーが、
五島健助という海を渡ってやって来た本土ミステリーくんを、
もしかしたら一番良く理解している人なのかもしれないですばい。

和田さんは、コトー先生が一人きりで悩んでいる姿を
一番多く見ている人なわけで、というか、
何気にコトー先生の背後にいつも
「いる」
わけで、それはまるで内山田ヒロシとクールファイブの
内山田さんのようであり。

原さんも、
「一人儚く憂う君、あぁ君はどこまでもコトー先生」
という五島君の横顔を何度か見ているけれど、
しかし原さんはそういう時、
彼の方から突然コトー先生の前に出現する
出てこいシャザ~ン、みたいな人であり、
和田さんの内山田バージョンとはちと趣が違うようですばい。


そして更に和田さんは、突然、いきなり、
コトー先生が思わず後ろに反ってしまう程の最短距離で
コトー先生を説得&援護演説で急接近してくるという、まるで、
のびのびジーンズみたいな伸縮自在のフットワークを持つ
多面性人間でもありますだ。

そして極めつけは、ここぞという時の
ズバッとタメ口和田戦法。

2003・8話ラストにかかる、診療所玄関先での和田戦法は、
まさにいきなり登場ズバットさん。
自分だって咲ちゃんに魅かれていたのに、
センチメンタルジャーニーで立ち去っていく咲ちゃんに対して、
「追いかけなくていいのか?」と
コトー先生の背を押してあげるミスターズバット和田一範。
そしてその言葉に押されて外に飛び出るキラっとお目めの五島健助。

しかし去っていくのだ咲ちゃんよ・・・。

泣けちゃうでねぇですかい、うぅ。
あちしがもし咲ちゃんの立場だったら、その場で、
「ご~~~とぉ~~~く~~~~~~~~~~んっ」
って、自発スローモーションで持ってた鞄を放り投げて
春風モードで駆け寄る君、ってなるよーっ!

しかしそれではドラマではなくお笑い劇場になってしまうわけで。
そしてそんな話はどうでもいいわけで。

診療時間以外の時のコトー先生と和田さんは、
なにもいつもボケボケラーメンズでいるだけではなく、
時には、びっくりするほどトーンが落ちるでありますだ。

和田さんが、診療室で一人憂うコトー先生に風を吹き込む時、
この二人は、なんだかとても切ないであります。

2003・10話と、2006・8話の時に交わされた
診療室での二人の会話は、なんだかとてもやるせない。

コトー先生と和田さんは、ある程度の深さで
互いに分かり合えている関係なのだと思うでありますが、
しかし、物事がもう一歩ググっと踏み込んだ局面になる時、
五島くんは、ある種の壁、いわばかつて存在していた
ベルリンの壁みたいなものを、和田さんとの間に
たちはばからせてしまうように感じるわけで。

2003・10話の時の二人は、
和田さんがコトー先生の心の壁を越えようとするけど、
しかしどうしても超えることができなかった、と思うわけで。

それはその頃のコトー先生が、和田さんだけではなく、
誰に対しても、その心の壁を一際高く、そして頑強に
構築していたからであるわけで、しかしそれでも和田さんは、
その壁を懸命に越えようとしていたわけで。

しかしコトー先生自身は、その壁の向こうに佇んだまま
和田さんにその心の姿を見せることができない。

悲しい。
泣いちゃうぞぉ。
ぶおぉ~~~~~~~っ。(←結局泣いている・・・)


2006・8話の時の場合だと、
その壁はほぼ取り払われているけれども、しかし今度は
和田さんへ向ける自分の心の中にある残壁のようなものを、
五島健助自身が超えていくことが出来ない、
のではねぃでしょうか、と思うわけであり。

この時の和田さんの思いと言葉が、五島くんの心に、
光を差し込まなかったわけではないと思うのだけれど、
しかし同時に、その思いや言葉の光が、五島健助が
コトー先生という医師として抱える孤独な翳を、
逆にくっきりと浮き上がらせてしまったのではないか、
と思うわけで。

和田さんは苦しんでいるコトー先生を助けたい。
五島くんだって、時にはその気持ちに寄りかかりたいのだと思う。

しかし彼は、五島健助である前に、やはりどうしても
コトー先生という医師であり、そうでなければならない、
という、どうしても崩しきれない壁みたいなものが
五島君からは感じられてしまうし、そして和田さんは、
それをどうすることもできない、という苦しさのようなものが
こういった時の二人の間からは切々と感じられてしまうわけであり。


せっ・・・・・・・切ねぇ~ぞぉ、診療所コンビくんよ。


んがしかしっ、
とっても切ねぃのでありますが、
こういった切なさぶっちぎりみたいな場面でのコトー先生は、
とりわけお美しくなってしまうビュ~ティ~くんなのでありますだ。


2004・SPで、
タケヒロくんのお別れ会の後、診療所の待合室に座って、
壁に寄りかかりながら窓の外を眺めていたコトー先生は、
文字通りの「美しき黄昏の君」でありましただ。

ちょっとだけくだびれてしまった心が、
半分どこかに浮遊してしまっているかのように、
気だるく物憂げに西日の中にいる君の姿は、
透き通っちゃっている。

もう・・・・・
芸術品だわ、吉岡くん・・・・フッ。

こういう時の彼は、
とても、
とても、

優しくて、

切なくて、

薄い。


まるで心のオアシス運動みたいだぁ。(←何故そうなるっ?!)

そんなチミの姿に、私は例えばこうなるのですばい。
    ↓
㋔ワ~~~~~~~~~~~~ッ
㋐シャ~~~~~~~~~~~ッ
㋛ェ~~~~~~~~~~~~ッ
㋜キッ!

ってちが~う、これじゃ、オラウ~タンの雄叫び反応みたいでねぇですか。
そうでなくてですね、
こういうときの吉岡くんは、例えばこういう雰囲気になるのですばい。
    ↓
㋔く深く、
㋐るがのままに、
㋛じまに漂う
㋜い美。    

っとな。

そんな風に静黙しているチミであります。

もう、そんな君の姿を見るたびに、私の涙腺は、
おっふくろさんよぉ~おっふくろさぁ~ん~、な
森進一のようにブバブバでありますだよ、ヒデタカくん。

場面の流れに沿って、
その存在感、空気感までも希薄にしてしまう吉岡くん。
CGI酸素ボンベみたいだ。
ってよくわからんけど、とにかく超人だわ・・・。

そして美しい。
それからなにより切ない・・・・・。
そんでもってどこまでも刹那かったりするわけで。


そんな午後の光に溶け込んでしまっているような
コトー先生の姿を、
後ろから黙って見守っている和田さんも、
やっぱり切ないであります。


五島健助という人は、孤高の人だけれども、
しかし彼がコトー先生である時、孤独ではあるけれども、
しかし咲ちゃんの言うとおり、ある意味
とても幸せな医者なのかもしれないでありますだ。


いつの日か、光が差し込む時はくるのかな、
五島くん自身にも。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

拝啓、ちびっ子純くん

2007年07月16日 | 杉田監督作品



子供は意外に、というかとてもリアルな人たちであります。

多分、世間体という埃・塵・泥・垢に塗れていない分、
物事を純粋ろ過して見れる人たちなのだと思われ。

子供の頃の私なんて、物事をろ過しすぎて、
例えば、その昔、都のはるみちゃんが、
「ど演歌」というゼッケンをその背に背負って、
斜め45度首曲げ角度で空中を見据えながら、
北の宿で着てはもらえぬセーターを涙こらえて編んでいた
女の人の歌を歌っていたのに対して、
「どうしてこの女の人は、毛糸及びに宿代そして労力までを無駄遣いに
しているのだろうか? ようするにこの女の人は暇なのだ。」
などと柿の種なとをボリボリ食べながら、
やけに斜に構えて紅白歌合戦を見ていたりしていたのですが、
そんな時は、横からすかさず
「そんなこと言ったら夢も涙もコブシもNHK受信料も全て水の泡でんがな。」
と父ツッコミ開始という、まったくもってのどっちゃらけ問答を
北関東の片隅で日ごと繰り返していた我が家でありました。
やれやれすったもんだの家族であります。

しかしすったもんだの家族というのは、なにも
北関東の片隅にだけ存在していたのではなく、北は北でも
でっかいど~ほっかいど~にもその形を変え色を変え
しっかと存在していたわけでありまする。

それが、

ザ・黒板家。


すったもんだ家族殿堂入り一家でありますだ。


柴又あたりでもすったもんだしていた家族がありましたが、
こちらのすったもんだは台風系でありまして、
すったもんだも喉元過ぎれば台風一過の秋晴れ、となっていた
「あっぱれリセット常備一家」でありますばい。


しかし麓郷在住の黒板家は、
も~う、
地団駄踏んじゃうくらいに、
どぉ~~~~にもこうにも、
「どすこい」
であります。

なんていうか、男衆が・・・・
出口がない。

そしてやけに蛍ちゃんが、
演歌フィルター・キャンディキャンディ。
または、演歌フィルター2・花の子ルンルン。
すなわち、
とっても、
「辛抱してます私は涙目」、
みたいないい子ちゃんであります。

ゴローさんと純君、そして
令子さんと蛍ちゃんの関係は、
同性同士という性相が色濃く出ている親子関係
なのだと思われ。

ゴローさんは、息子というより男として
純くんのことを見てしまっている面が多いから、
時には、というか、かなり頻繁に、
キーーーーーーーーーっと、
らっきょうの皮を剥いているおサルさんのようになってしまって、
「くぬぅ~こやつ情けねぇべさっ!」とついつい
「純君、火はうまく点けられるようになったんですかっ?」
と自感情バリバリモードで息子をさっぶい外に一人残したまま、
自分は蛍ちゃんとルルちゃん呼び出しルルルルル~、
となってしまっていたのかもしれない。

父としてのゴローさんは、息子の純君に厳しい。
しかし男としてのゴローさんは、男としての純君の存在に
どこかで確かに甘えてしまっているのだと思われ。

純君もゴローさんも可哀想ですばい。

子供は親の選択に従わなければ生きていけないし、
親は、子供が自分の人生とは別の人生を持っているとは
わかっているのに、しかし生きていく上で、やはり時には
子供の人生の上に自分の人生を押し付けざるをえない時もある、
という、その両サイドジレンマみたいなものが、
この黒板家の間には、強くリアルに描かれ出されていると思いますだ。



しかし拝啓、恵子ちゃん。
吉岡くんは、あまりにも、つっぱり押し出し寄りきり圧勝白星
横綱級のリアルすぎるほどリアルなちびっこ役者だったわけであり。

あんなにリアルに「子供のままの子供」として
その役を生み出していた子役はそう他にはいないと思われ。

上手い、と感心させるのではなく、
「そこにいる」という、生々しいほどの生息感を
視聴者に感じとらせてしまえる子役というのは、
私はちびっ子吉岡くんしか知らないわけであり、
彼は、一本調子の上手いと賞賛される演技で突き通す、
というのではなく、様々な、そりゃ~様々な、
純粋ろ過された「子供の」リアル感情でもって、
視聴者を時に笑わせ時に怒らせ時に同情させ常に涙させながら
グイグイ先へ先へと牽引していった、いわば
ちびっ子達人マッシャーみたいな「名役者」さん、
だったのだと思うわけで。

人工的な演技ではなく、あくまでも
天然一色な存在、とそう視聴者に信じ込ませてしまう
神業ちびっ子パワーを持っていた神童ですね、そうでございますわね~、
と、書かずにはいられないわけであり。

しかしここから始まる彼自身の葛藤を思う時、
やはりこちらも苦しくなって、酸欠状態になってしまうわけであり。

けれどもそれは、吉岡くん意外の他には、誰にも分かりえない
苦しみだったのは間違いないわけで。

だけれど、その苦しみがあってこそ、
今の吉岡くんがいるのだと思うと、
この想いはいっそう深くふか~く
心の底に潜っていってしまうわけで。

しかし拝啓、吉岡くん。
悩み悩んで苦しんで、そしてゆっくりと
等身大のまま成長していった、
そして今も成長し続けている、
そんな君がやはり大好きなわけで。


空より高く 想いは続くよ ヒデタカくん


と思わずポエムな気分となるわけで・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

左門殿でがんす

2007年07月12日 | 山田監督作品



新聞の三面記事やら社会面やら掲載恋愛小説やらに
サ~っと一通り目を通している時に、
ふっと縁側に目を移すと、
猫が陽だまりで招き猫のポーズをとっていた。
さすがじゃ、ニャンコ先生。

隠し剣に登場する左門殿は、
なんかそんな感じのお侍さんでがんす。

いや~、この作品でありますが、
まず、なんてたってキャストで号泣!

倍賞&吉岡・柴又コンビの再登場。

あぁ、生きてて良かった・・・・。(←どえらい感動)

永久保証書付き24金コンビのこのお二人、
母を訪ねて三千里のマルコだって
2856千里くらいでお手上げだよ、
ってなくらいの、おっかさんと息子の絆でありますだぁ、
満男く~ん、会いたいよ~、柴又カンバ~ック!

あ、ちが~う、今は左門殿のことを
書いているのでありました。

そうそう、お次はこれでありましたっ、
永瀬&吉岡・同画面点と点コンビ。

この作品の製作発表を最初に耳にした時は、
ぬぅわんだってぃ~~~~っ、
永瀬の親友役なのでありますかいなっ吉岡くんっ、
やっと同画面点と線コンビになるのね~っ、ィヒャッホ~ッウ、
やったぜパパっ場外ホームランでオロナミンC!

なんてなほどの浮かれっ子でありましただ。

ツボをついてくるキャスティングでありますだ~。
さすがツボ売り大将山田監督・・・。

さて、待ちに待った映画館での鑑賞時、
重々しいオープニングロールの後に映し出された
お侍さん三人衆でありますが、その姿を観た時は、
そりゃ~もう、

「永瀬はどこ?」

でありましただ。

この初場面・・・・・・
なんていうか・・・・・
自然と・・・・・・・・

吉岡くんに目がいく配置なんでねぃですかい、監督?

いやいやいやいやいやいやいやいやいや、
これはファンの欲目からではなく、あくまでも純粋に、
視覚効果の観点から書いているのでありますだっ。

一応小澤さんが真ん中に飛び出て立ってるけど、
なぜか遠近法で中心がボヤケて見えるのは
何故なのでしょうか? 気のせいなのでせうか?
なにはともあれ普通こういう場面は、
主役が左側に立つのでねぇでしょうか?
オープニングでありますですよね、これ?
思いっきり左門殿が左に位置しておりますですよ。

永瀬ってばぁ、あげな奥まった右端に・・・めじょけねぇ。
これが隠し剣ってことなのですかぃ、旦那はん?

ハッ、こ、こりは、この配置はもしや・・・・もしかして・・・・・・
秘蔵っ子愛情配置なのですか、監督?

なのだとしたら・・・だとしたらぁ・・・・
松竹には一生ついていくでありますっ。


この作品での秘蔵っ子吉岡くんは、
とても地味~であります。しかし
ひじょ~~~~に地味なのだけれども
ひじょ~~~~にメリハリのある演技をしている
「ジミーちゃんちのメリーとハリー」
なのだと思われ。

笠地蔵みたいな宗蔵はんに、やわっと起承転結の笠を
かけてあげているのがジミー左門殿なのであって、
その笠を被ることによって、笠地蔵宗蔵はんは、
雨の中、吹雪の中へも一人果敢に出向いていけるのではないのかと。

これがツボツボ大将、ヨージヤマダの狙いなのでねぃでしょうか。
そしてツボツボハンター吉岡くんは、やはり狙いを外さない。
ツボターくん、とでも命名したらよかとですか、吉岡くん?

彼は主役である永瀬の後ろに、いつも
半歩下がる形で寄り添い、支えて、引き立てているけれども、
でも決してその影に隠れすぎてもいない。
さりげな~い引きと出の強弱をつけながら、そこに
「いるよん」
という存在を貫き通している、まるで
スターウォーズのチューバッカみたいですな、
もしくは座敷わらしでも可。

ええぞぉ~っ、ヒデタカく~ん。

笑いを取るシーンにしたって、メリハリ演技で
作品に軽妙なリズムをつけているジミーくんなのだと思われ。

例えばどんがらずるのシーンでの彼は、
「はぁ~うんめぇのぉ~」で、メリ~出現。
「志乃はんがつくられたのか?」で、ハリ~幕下登場。
志乃はんが兄はんにからかわれているのに
なんだかわけわからずに同調して微笑んでいる演技で、メリメリ。
でぇこんを指差して大笑いしてしまう天然ボケ演技で、ハリハリッ。
いきなり泣き出した志乃はんに「あ、やべ」となって、メリ~ジェ~ン。
「わたしの嫁ださけ、わたしが決めることでがんす」でやんわり決めるぜ、
ミスターハリー。

更に法事のシーンもこれまた最高でがんした。
石頭おんちゃま二人攻撃から宗蔵はんを心配そうに見つめるメリー左門。
そこからさり気なく彼の横にすわって援護射撃をするハリー左門。
あっちゃけ!といわれてメローに憤慨メリリン左門。
その後すぐに、やっべ、また地雷を踏んじまっただ、となって
ギョエっとハリーに俯きメリーでキョロちゃんハリーでメリーもいるよ、
早送りメリハリ。

最高すぎるっス、吉岡どの、フッ、こりだから君ってばよ。(←って何がっ?!)


この作品の、というか、山田監督作品の中での
吉岡くんは、とても温かい感じがするでありやす。
なんか、子供の午睡を見ているのような感じというか、
ほんわりと温泉に入った後みたいな感じというか、
そういった和らぎみたいなものが内に続いていく、
そんな温かさが根底に流れているように感じられるのであります。

重くのしかかるシーンであっても、ただその錘を
ドボ~ンと投げ沈めてあばよ、というのではなくて、
錘を落とした後に出来る波状の余韻を、
ゆっくりと、やわらかく、けれどもしっかりと、
彼の持つ温度で観客に伝えることの出来る人なのだと思われ。

それは、きえを連れ戻した後、夜の帳がおりた宗蔵の家の前で
手提げ提灯を持ちながら志乃はんを待って一緒に帰る場面や、
「きえをなんとかしぇ」と城門口で宗蔵はんに切り込んでいく演技にも
よく現れているのではないだろうか、と私は思うのでがんすでやんす。

さすが松竹山田道場出身だぁ~、基礎工事がしっかりしてるぜよぉ。

いい役者さんですだぁ、ほんとに・・・。

これからが楽しみな役者さんだでぇ~・・・・って、
思い起こせば、彼のファンになってからずっと、
「これからが楽しみな役者さんだわ~」って
同じことを言い続けているような気がするですばい。

それって、彼が決して「ここまで」っていう
限界線みたいなものを、その演技に見せた事が
ないからなのかもしれない。

いつだって最高の演技で魅せてくれる彼だけれども、
しかしそこで止まったりしない人でありますだ。

いつでも、いつだって、「そこ」から「この先」へと
遥か遠くの水平線を仰ぎ見ることの楽しみをも
与えてくれるお人なのだと思うであります。

いつもいつも、ありがと~、吉岡く~ん。
大好きやで。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初恋・純・1987

2007年07月09日 | 杉田監督作品


じゆぅ~っていったいなんだぁ~~い
どぉ~~~~すりゃじゆ~うになるかぁ~い?♪

と、一種のトランス状態で歌い踊っていた
黒板純君15歳、しかも体育着姿で・・・
ナ~イスッ。

体育着は青春の代名詞じゃのぉ、純く~ん。

いやはやなにはともあれこの作品での純君が
北の国からお届けされた物語の中では、
いっとぉ~、飛びぬけて、大好きであります。

この作品はいろんな意味で強烈でありました。
なんてたって、衝撃初登場の大里さんちのレイちゃん。
純君じゃなくったってビックリだよ、あの輝き振りは。
まるで天然ラメ入り少女だったっす。

この作品を見終わった後、
レイちゃんの切り抜き写真を片手に
美容院へと足を運んで、
「これと同じ髪型にしてくださいっ!」(=レイちゃんにしてくださいっ!)
と若さの暴走チャレンジャーで美容師さんに
挑みかけた私でありましたが、出来上がってみたら
レイちゃんはどこにもいなくて、かわりに
「森昌子です」
となってしまったという、まぁ、あれですな、鼻毛の、
いや若気の至りでごぜいやした。

で、それがなんなの?
ということでありますが、なんでもねぃです、すみません。

「初恋」という作品を懐古する時
いつも脳裏に浮かんでくるのが、

ペンチくんったらレイちゃんと
あいらぁ~びゅ~♪ 
だっつーのに、
帰ってきた酔っ払いゴロ~だよ、
なさけないじゃないかぁとぉさん!
せっかくの風力発電なのに、
あっというまにメリークリスマスなんだね、
でも夜逃げだってよ、お兄ちゃ~んっ
三万円とっとけ泥がついてるゥルルルルル~、
まったく男はつらいぜ、満男くん大好きうきゃ♡

いや最後のうきゃ♡はどうでもよくてですね、
上記したこの作品に出てくる場面が、
当時の私には全てモーレツにきょーれつだったであります。

特に突然の雨に降られて、純君とレイちゃんが
納屋で雨宿りするシーンは、
「・・・・・・・・~!@#$%^&*+?!!!!」
文字記号完全使用のオドロキッ、
って感じでありました。

しかしレイちゃん、
いくらなんだって、
同い年の男の子の前で、
いきなりしみ~ず姿には、
ならないだろうと思われ。

いくらなんだって、
あんな短い襟足の髪を、
両手でむりやり絞ったりはしないだろう、
と思われ。

いくらなんだって、
オザキにたいして、
「私も狂ってるの!」って、
「狂ってる」って言葉は、
死語なのではないだろうか、
と思われ。

いくらなんだって、
どうみても、
はんぺんなみの白さなのではないだろうか、
純君、
うきゃきゃ♡
と思われ。

以上がこの場面初見当時の私の感想でありましただ。

この作品での純くんは、他の作品で見る純君とは、
ちび~っと純度脱線しているように感じるのは
外道なのでせうか?

なんか、やけに、純君にしてみると、まっすぐでありますだ。
いや、純君は基本的にはまっすぐな人なのだと思うけれども、
純君ってなんていうか、例えば満男くんみたいに、
曲がってもすぐに軌道修正できる形状記憶合金な人ではなく、
伸ばせばまっすぐになるのだけれど、しかし普段は
ウニョリ~ンとけっこう複雑にこねくり曲がっている針金くん
みたいな感じなのでありますだ。

けれどこの時の純君は、ほぼまっすぐっぽい。
キュイイ~~ンってなっちゃうくらい、純だよ~じゅ~んっ!

だから北の国から全体を振り返る形で、
この時の純君を見返してみると、
なんか切ないなぁペンチくん・・・泣いちゃうぞぉ、
となってしまうのでありまする。


人の人生には、生活という地盤の上で、
どうしても踏んでいかなければならない
道標の選択というターニングポイントが
その時々に目の前に立ちはばかってくるわけだけれど、
黒板純君という人は、なんていうか、
「ターニングポイント集めすぎて悩み期限有効切れ」
となってしまった、どすこい人生迷子くん、なのかなぁ~、
と私は思ったりするらしい。


小学生の時に、ほぼ同時期に見始めた
満男くんと純君だったけれども、
どうして満男くんだけにグググ~ンと惹かれて、
純君にはそれほど強くは惹かれなかったのか、と考えると、
純君という子は、自分にとっては、
いやになっちゃうくらいリアルな子供だった
からかもしれないですだ。

子役=やたらと結局純粋だよパトラッシュ、という
それまでの概念をふっとばしちゃって、
「なんだよこいつってばよぉ~」
と本気レベルでやきもきさせちゃうリアルさでもって
グサグサ人の弱みに切り込んでくる、いわば
「必殺汚れ子役」だったのだと思われ。

満男くんもとってもリアルな子だったけれど、
彼のリアルさは、もっとこう、
笑って食べて眠れば日はまた昇るリアル少年、
みたいな開放感があるわけで。

しかし純君のリアルさというのは、なんというか、
「ギュウ詰めであります」
という、圧縮布団みたいな息苦しさが
そこに感じられてしまうわけであり。

純君の弱み、卑屈さ、ずるさを目にすることによって、
そっくりそのまま自分の内面に潜むそういった要素が、
ムギュムギュギュ~ンと大詰めパックで大放出、
って曝け出されてしまっていたから、純君を見ると、
酸欠状態の金魚くんみたいになってしまっていたのだろうな、
と思われるわけでありますだ。

初恋の時の純君は、そういった酸欠感がない。
さらっとした初雪みたいな人だったっス。
そこに今まであったものを、全て広く白く覆いつくして
新しい世界を築いている感じでごわした。

なのでぇぃ~、よけいぃ~、切ないでありますだぁ、うぅ。

もうみっともないくらい、ぶぉわぁ~~~~っと
涙鼻水大放出になってしまうでありますよ~、
この時の純君を見返してみると・・・。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元気の風

2007年07月06日 | 思うコト



吉岡くんが・・・・・・・・


冬眠から目覚めたぁっ!!!!!!



って大文字絶叫マシーンになっちゃったぞな、ぃやったぁ~~~~~~~~っぃ!
さいっこぉ~だぁ~、吉岡く~ん!
目ざめてくれてありがとぉ~おぉぉおおいおいおいっ。(←泣いている・・・)
お陰でこっちも脳細胞が目ざめたぜよぉ。ありがたや~。

※ って済みません、「一体なんのことを書いておるのだぁっ!?」
と、ご指摘があったので、補足しますであります。
これは、続・三丁目の「クランクアップ記者会見」? 
そりとも「中間報告」? どっちにしても私自身もよくわからんのですが、
とにかく吉岡君が最新でこの日付辺りにお出まりもうしたっ! 
という最新吉岡くんについてでありますだ。
わかりづらい文章ですみません・・・。



最新情報を教えてくださったお友達、
ありがとうございましたぁ~、感謝感謝でいっぱいですっ。



最新吉岡くんったら、
やっぱしかっこえくなってるぞぉおぉぉぉ~。
感涙でごわすっ。

さすがのバージョンアップでございますねぇ。
眠りから覚めるたびに美しさを増していくなんて、
眠りの森の姫みたいでねぃですかい。

ちょっと顔がシャープになったのかな?
しかしいつもと同じシャツ着てるところが、エコロジーだわぁ。
地球にも優しいのね~、ヒデタカくんったら、たまらんのぉ~。

それにしても相変わらず、
細いっ、白いっ、ってなんか
そうめんみたいな響になっちゃったでないかい、
でもそうめんよりはるかにコシがあるっ!
感動だぁ~。

黒系の服着ている時の吉岡くんって、
そのかっこえさが増すみたいですわ。
肩幅の広さと体全体の細さのバランスが
「完璧ですのでどうぞよろしく」
ってくらいに美しくブレンドされて、
そんでもってそこにきて更に黒系のスーツ色が
彼本来の肌の透明感とそこから薫る色香を倍増演出、おぉまるであなたは
白さと香りのニュ~ビ~ズ。おいしすぎる。

言葉少ない挨拶も、チミらしくってええよぉ。
なんてたって男は寡黙に結果でみせろ、って感じがするでよ~。
くぅっ、もうっどないしてくれよう、ヒデタカくんったらっ!
ってどうにもできないのだった・・・悲しい。

でも、一気に元気でちゃったですね~、
元気そうな吉岡くんの姿が見れただけで。

私はいつもこうやって吉岡くんから
元気をもらっていたりするわけでありますが、
先日友達と話していた折に、
「ショビ~ンとしちゃった時に元気が出る素はなに?」
というお題になりまして、
「そりゃ~吉岡くんだよん、美しいですからね~」
と即答した私に対して、その友は「え?」と驚いたので
「え?」と驚き返した私に、
またまた友は「え?」、でもって私も「え?」の
「え?」
「え?」
オオトリケイスケでごぜいやす、
ってな感じになっちゃったのですが、
しかしなんで「え?」なのだっ、え?!
いや、美しさは押し売りできるものではねぃです、
ってことはわかっておりやすだ・・・。

ちなみにその友達はキアヌ・リーブスの大ファンだそうで。

なぁ~んだぁ、キアヌくんのファンなのねぇ~そっかぁ~ふふ、って
くっ・・・・・・・比べるなよぉおぉぉ~、仇討ちじゃなかですかぁ。(←ってどこがやねんな?)

いや確かにキアヌくんは美しい。それは
奈良の大仏様を動かすより動かしがたい事実でありますだ。
私だって「キアヌくんったらこの世のものとは思えぬ美しさ!」
とオリンピックまたはうるう年周期で思ってしまうことはあるし、
ついでにプリズン・ブレイクのウェントワース・ミラーくんなんかにも
「なんだかやたらと覚えにくい名前なのになんだかやたらとかっちょええ!」
とこれまたお中元お歳暮時期に天を仰いでしまうこともしばしば・・・
というどこまでも困ったチャンな私でありもうす。

しかし吉岡くんが放つ美しさというのは、
他の役者さんたちに対して感じる美しさとは、
基本的に決定的に絶対的に、
「なんか違う」
と思うのでありますだ。

吉岡くんは美しいと思う。
とっても美しいお人であると。

しかし彼の持つ美しさって、
感覚的な美しさが、視覚的な美しさを
ふわ~っと追い抜いてしまうタイプの人なのだと
あちしは思うのでありますだ。

もちろん彼は視覚的にも美しいであります。
でもそれはそこで起承転結してしまっている美しさではなくて、
もっと、ず~~~~~~~~~~~~~~~っと、

深い、

深かかぁ~、

深けすと、

なのだと思われ。


そこにある美しい花をみて
「きれいねぇ~」
とストレートにそれだけ思う美しさとは違って、
そこに漂う花の放つ香りによせられて
「あぁきれいだなぁ~」
とふわ~っと引き寄せられて感じていく美しさ、
みたいっていうか、もっと言葉を変えて言えば、
実り多くじっくりと豊穣していく穀物の美しさ、
みたいな美感覚でもあるわけで。

そういった美しさを彼の姿全体から感じるときに、
なんかさわ~っとそよ風が吹いていくように
自然と元気が出てくるのでありまする。


彼の美しさって、

余分なものがなく素朴で、とても潔い感じ。
とても潔くて、とても質実としている感じ。
質実としていて、そこに凛呼と佇む感じ。
凛呼と佇んでいて、優麗としている感じ。
優麗としていてそして、
どこまでも遥かに続いていく感じ。


なんかそんな感じです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寅さんの甥っ子

2007年07月03日 | 山田監督作品


あっ!


というまに七月ですね~。
七月といえば、満男くんでございます。(←なぜかこうなる・・・)


満男くんという人は、
よく転がり、
そしてよく滑り、
おまけによくこけなさる。

しかし彼が転がちゃって滑ちゃってこけちゃう時は、
その原因を直接に引き起こす障害物というものが、
彼の周辺にあまり見受けられない気がするのであります。

これは俗にいう「自然突発満男現象」というものなのかもしれない。
(↑明らかに俗にはいわないらしい・・・)

また別の見解をとっていえば、
「ただの天然やん。」
ということにもなるのでありますね。

コトー先生も、ドクターモードOFFの時は、
かなりの天然記念物でありますが、
しかし彼はこけたりしないであります。
チャリンコこけ2003はあったけれど、
しかしあれはどうなのでしょう、こけなのでありますか?
ダイブのように見えるのであります、あちしとしては。

こけ と ダイブ
さけ と コンブ
   ↑
こんな感じの差かもしれない。

こけてくださらないコトー先生ってば、
小池さんばりにラーメンばっか食べていないで、
たまにはこけてほしいと思うわけで。
意外にコトー先生は、ああみえて平衡感覚の優れている人なのかもしれない。
地に足がしっかと根付いている人なのだ、きっと。

その反面の満男くんはといいますと、
「こけてばっかりいないでちゃんと目玉焼きの白身も食べなさいっ」
と諏訪家のダイニングでお母上から毎朝小言を言われているだろうと
容易に想像できえてしまうほど、よくこけよく滑りそしてよく転がる
万有引力ひれ伏し型エキスパート。(←よくわからない・・・)

しかしこれがたまらんのダ、満男くんよ。

チミのこけ技はニッポンチャチャチャの金メダルで君が代級だわ。
ちなみにノンポリくんのは、銀メダルじゃの。
茶川せんせのはロケット打ち上げ級で判定不能の素晴らしさだと思われ。

この体育会系満男アクションが、
後年の男はつらいよ作品群においての、
躍動感と新鮮味を取り戻させている息吹、いってみれば
薬味のような役目も果たしたいると思うのですが、
そこは年季の入ったこけ技エキスパートヒデタカくん、
まったく自然にやってのけちゃうから、
まったく自然に笑えて流せちゃう。

何気に笑い王。

さすがだぜぃ、ヒデタカくんったらマルチだねぇ~。

この「山田仕込満男回転こけ滑り」は、
江戸川沿い、そこかしこの階段、そこかしこの廊下、
時に校庭、およびに砂丘、たまに海岸、と
全国をまたにかけていたるところで見受けられる
自然現象であります。

ちなみに海岸でありますが、ここは
「満男くんったらハンモック」という、
なぜなのだっ、しかしありがとーっ!
という感涙の伝説ショットを生んだ場所でもあり、
うかうかしていると見ているこちらのほうが
ビックリリバース大回転を起こしかねないので、
油断は禁物なのでありますだ。

さすが影のツボツボ大将・山田監督・・・。

さてこの満男アクション舞台場でありますが、
諏訪家の階段では、自宅という安心感もあってなのか、
満男くんはそこで階段スライド落ち+ガラス戸ぶち当たり、
という派手なダブルアクションを発祥させた場所でもあります。

これは第44作「寅次郎の告白」でお披露目された
満男落ちでありますが、これ、一体、
何テイク撮ったんだろう?

ムムッと純情丸出しで父上に憤ったまま
タッタッタと階段を上がっていった先で耳にする
「泉ちゃんかぁ」
という満男最大引力語によって、瞬時にダダダーッと
階段を駆け下り滑ってそのまま階下へ雪崩れてしまうという
吉岡満男くんは、こけ滑りの申し子なのかもしれない。

勢いあまってズドド~と階下に滑り落ちつつも、
めげずに即座に立ち上がったらガラス戸激突だよ満男くん、
というその「落ち着きなされぃっ!」な雪崩激闘タイミングと、
それでもまだめげすに受話器を取って「もしもしぃ~?」の
ハラヒレ声で泉ちゃんキャッチ、純情という名のど根性でありもうす!
というワンショット撮影の動作一連が、
ナチュルるナチュればナチュルときナチュル、な
ナチュラル変化法でお楽しみあれ、という感じでございます。

最高だよ、満男くん。

しかしほんとうに痛そうですね、もしかしたらほんまに痛かったのだろうか?
痛かったのかもしれないよな~、あの落ち方と激突だったら・・・。
ちびっと可哀相だわ、そう考えると。でも笑っちゃうのだ、許してくれぃ。

この作品の中での満男くんは、この諏訪家階段落ちだけに止まらず、
わざわざ鳥取の料亭においてでも、手すり壊して池落ちアップップ、
という、ソニー千葉も顔負けだよあんた、なアクションぶりも
披露してくれておりますが、世界のMrソニーと違うところは、
柴又のMr満男には、その演技にまったく力のこもったいきみが
見られないというところであります。

いやこの違いは、なんてたって世界だし、ソニーだし、千葉なので、
名前からして気合の缶詰っ!って感じだけど、
なにしろアクション映画だからアクション映画なのであって、
「ぬおわぁっ!」というこめかみの血管が切れちゃうような
意気込みは必須だと思うし、それがまたアクション映画を
非日常的に楽しむ醍醐味でもあって、もし何の気なしに
「ちょっと失礼、ここで三段キックでもどうかな、君?」
みたいな冷静さと何気さで演じられちゃったら、
なんだか半湯でのパスタみたいなしこりばかりが残ちゃって
アクション自体が味気なくなっちゃうと思われ。

ってアクション映画におけるソニー千葉論はどうでもええのでした。

閑話休題。

満男くんの属する世界は日常劇であるから、こういった
「これから落ちるぞぉっ」
というメラメラ~ンな意気込みや、はたまたそれとは真逆の
「落ちるんだよ~ん」
というヒョエヒョエな躊躇感も、その表情に見せないのが
普通なのだとは思うだす。
しかしこういった大きな芝居を日常レベルで
普通に演技するというのは至難の技なのだと思われ。
なぜならこういうシーンは、その場面に立つ役者さんたちにとっての
「見せ場だせよ」なものとなりえてしまって、

つったるでぇ~っ、とりゃぁっ!

という土佐の一本釣りみたいな気合が、その演技に
見え隠れしちゃいがちなものなのではないのかと思われるらしいので
そう思うらしいからそうらしいと思うらしい。(←はっきりせんかいっ)

吉岡くんには、「場面を背負う気合」という演技の
不旋律みたいなものがま~ったく見られませんっ!(←はっきり言っている)

あくまでも話の流れの一部で、
「満男として」笑いを取っている
ナチュルル達人なのだと思いますっ!
(↑更にはっきり言っている)

自然すぎてその裏側が全く見えてこないという、
神隠し演技でありますぞな、湯ばぁ~ば。

すごい集中力だ・・・・見習いたい・・・。

こういった「気合抜き演技」みたいな雰囲気は、
何も吉岡くんからだけではなく、もちろんとらや全員の
名役者さん達全員に見られる日常感覚演技だから、
これはやはり山田監督はじめ、その現場が一緒になって
作り上げた場の雰囲気がそこに大きく作用しているのだと
思うけれども、しかしそれにしたって、
「若さ」という勢いに決して押し切られることなく、
場の空気感をじっくり読み込んだような居心地の良さで
観客を屈託なく笑わせてしまう吉岡くんは、
やっぱブラボ~で惚れちゃうでましょ、ウフ♡
となるわけであるからそうなるらしい。

とらやの空気、ってやつなのかもしれないですだのぉ。

そういった空気を小さな頃からきちんと吸い込み吐き出していた
吉岡くんって、すごいな~って思うですばい。

彼はきっと上等な肺活力+心機能を持っているに違いないズラ。



「男はつらいよ」の作品群って、
極上な会席料理みたいな感じがするっていうか、
一応メイン料理はあるけれども、しかしそれだけニョリリン、
と突出しているのではなくて、他の料理もメイン料理同様
どれもみな丁寧にバランスよく周りに添えられた極上料理として
十分に堪能できる良さをもっているから、
だから食べ終わってみると、全体一つの料理として
「たいへんおいしゅ~ございました。」
となれるのではないかしらん、と思ったりするわけで。

吉岡くんは、あくまでも「とらやの一員」として、
作品一つ一つの中に、彼独特の空気感でもって、
満男くんとしての役割、存在意義を「添えている」
のではないのかしらん、と私なんぞは思うわけでありまして。

そういった雰囲気を持つ彼から生み出される演技は、
やはり見ていてとても安心するし、
ほんわっと笑えて和ませてもらえるわけで。

心地よい笑いってぇもんは、ええもんです。
そこにはいつも名優さんたちがいるわけで。

名作喜劇に名優あり、山田ヨージは知っている、ダバダ~♪

そういった意味をもっていっても、
吉岡くんは正真正銘まぎれもない、立派な、
寅伯父さんの甥っ子くんであるのだと思うでありますだ。

感慨深くて泣けてくるぜよぉ、おいちゃん。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする