月のカケラと君の声

大好きな役者さん吉岡秀隆さんのこと、
日々の出来事などを綴っています。

光の断片

2008年06月25日 | 思うコト

最近私はおかしい。
いやこれにはちょっと語弊があるかもしれない。
もっと正確に書くと、
最近私は更におかしい。
こっちの方がぴったしかんかん。
何故そうなのかといいますと、
それは改まってここに書くまでもないことですので、
吉岡君です。書いてしまった。

そうです、そうなのだ、吉岡君よ、
チミが素敵すぎて素晴らしすぎて勢い余って
シコを踏んじゃうほどかっちょええから、
こっちとら茶川文学氏を見て、
おはぁ~~~~~~~~~~~~~~~~っ!
と叫んだり、ヤマサのCMを見て、
うきゃ~~~~~~~~~~~~~~~んっ!
と両手を両頬にあてたり、青木くんを見て、
えぇええええええでぇ~~~~~~~~~~~っ!
とガッツポーズをとったり、公式トップの写真を見て、
んばばばばばぁ~~~~~~~~~~~~~~っ!
と擬音大祭りになったかと思えば、カパッ!と頭上でクス玉が割れて、
「捜査官」
という垂れ幕までお出ましになったので、
のわぁ~~~~~~~~~~~~~~もう~~~~~~~っ
どないしよーーーーーーーーーーーー吉岡く~~~~~んっ!!!
てな高揚しすぎた気持ちを抑えるために犬の散歩に出かけた後、
部屋に戻りソファーに座って一息「んばっ
っとか小声で控えめに言ったりしているので、
やはりこれは大変におかしいのかもしれない。
まったく吉岡くんったら、惚れさせホームラン王。
巨人軍と吉岡君は永遠に不滅なのだ。まいっちゃうね~。
んきゃっ

ずっと以前にも書いたことなのでありますが、
吉岡君という人は、とても余韻のあるお方だな~っと
つくづくそう思うでありますです。

その全体の姿や、そこから発する言葉、そして笑い声。
それらを見たり聞いたりする時、
それは自分自身の持つ感情と相俟って、
同心円を描きながら、静かに心に余韻を残していくですばい。

彼の笑い声や、笑顔を思い出すと、
心がふわっと柔かくなる感じがするであります。
柔かくなって、心がすっと広がっていく感じ。
そうなるのはきっと、彼の姿に暮らしが宿っているからだと思うわけで。
人の暮らしは、人の心に温もりを与えるわけであり。
自分の暮らしを通して見る彼のその姿に、
心がふわっと調和していくのかもしれないですだ。

昔、寅さんが、「労働者諸君、あいかわらずバカか?」
と言っていた言葉に、日本全国の労働者諸君である観客は
声を出して笑っていたでありますが、
それは人としての酸いも甘いも知り尽くしている寅さんの言葉だから、
みな笑うことが出来たのだと思うわけで、
これがもし小沢幹事長の言葉だったら、日本各地で内乱がぼっ発し、
ガソリン価格が1リッター1980円プラス消費税に高騰してしまうと思う。
人の暮らしは言葉だけでも、結果だけでもなく、その歩みだ。

吉岡君の役者としての天質は、とても稀有なものだけど、
でも「吉岡君はそこにいる。」と感じさせてくれる
絶対的な暮らしの温度を、彼は静かに内包しているのだと思う。
更なる高みへと登っていく人であるけれど、
しかし決して高みから人を見下ろさない。
同じ目線を持っている。同じ目線で生きている。
そんなある種、達観しているような人生観を、
彼は持っているのかもしれない。
それが吉岡君という人の骨格なのかな?

私達が見る吉岡君の姿や笑顔は、
彼のほんの一つの断片にすぎないし、
その小さな破片は、いつかどこかに
吹き去っていってしまうものなのかもしれない。
でも心の奥底に静かに沈んでいったその残影は、
いつまでもそこに残り、
そしてやがて新しい息吹を与えてくれるのだと。

きっと吉岡君は、
ずっと吉岡君のままだ。

そんな感じ。
そんな感じが、吉岡君。

大好きやで。

コメント (2)
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その向こう側

2008年06月18日 | 思うコト


なんとなく解せない。
といった出来事は日常生活につきものでありますだ。

例えば、温泉に入ったらその湯が根性入ったぬるま湯で、
なんだか納得出来ないままふと横の壁を見ると
「ぬるま湯 注意」
と赤サインペンで書かれた紙が貼ってあった。
・・・・・・・・・。
だから?
だからどうすればええのですか? もしやこの湯が、
「ぬるいんだよぉ~~~ぬるぬるるぅ~~~~~~。どう?」
とか話しかけてくるので注意してね♪ とでもいうとですか? 
怖いじゃないかぁ~。
とか、
はたまた昔、小学校の夏休み明けに、
休み中に東京に遊びに行った友達からもらったお土産が、




という漢字二文字のキーホルダーだった。
① 嬉しいんだけど悲しい気もする。
② 人知れず複雑な沈黙に浸ってしまうかもしれない。
③ 秋近し。
とか、こうなんちゅ~か、悲しんだらいいのか、喜べばいいのか、
怒ったらいいのか、笑ってしまえばいいのか、いっそのこと
ドカ食いしてしまえばいいのか、リンダまったく困っちゃう。
みたいな感情の渦のちゃんこ鍋、みたいな感じでありますだぁ。 

この「なんか解せないうやむやん感情」が、
怒涛のように押し寄せた日が、昔、むか~し、その昔、
乙女だったあたくしがまだテラノザウルスと共存していた白亜紀に、
立て続けに起こったことがあったのでございますので、
この事について今日は書きたいと思いますです。

そりはある晴れた日のことじゃった。
学生時代のミニ同窓会へ向かう為に、最寄りの駅へと向かっていた私は、
駅改札口まであと36歩という早歩きゴール直前地点で、
「あなたの幸せのために祈らせてくださ~い。」
と、どこからともなく蜃気楼のように正面に沸いて出てきた女の人に
話しかけられてしまい、しかし電車の発車時間が押し迫っているので、
「あ、あの~、急いでいますので。。。」
と丁寧に断りを入れた矢先にダッシュでその場を去り、
あと12歩で改札口突破、やったぜ武蔵、遅れはしなかった!
と思った矢先の目の前にその女の人が再び立ちはだかっていた。
弁慶ですか? と呆然としていると、
そのどこからともなく蜃気楼のように湧いて出てきた女子、略して
蜃気湧子さんは、その場ですばやく、すぃ、と右手を私の額にかざし、
「目を瞑ってください。光が見えますよね?」
と有無を言わさぬ問いをかけてきたので、
「そうですね、光る光る東芝、回る回る東芝、走る走る東芝、東芝のマーク。」
などとおちゃらけてしまった勇気は無論なく、
「ぇ・・・・・いえぇ・・・。」
と10㍉くらい縮こまって答えると、すかさず蜃気湧子さんは、
「あなたは変だ。」
と無表情のままヒシっと断言を下し、
「幸せとはなんですか?」
と無表情のままビシッと疑問まで投げつけてきたので私は思わず
ツタンカーメンの様にその場に凝り固まってしまったのですだ。
はぁ~~~~~~~~、やれやれ。。。。
ハッ、そんなことより電車の時間がぁ~っ。
気付くと電車の発車時間まであと3分。どわぁーーーーーっ。
どうにかこうにか蜃気湧子さんのレクチャーらしきものから逃れて、
発車のベルが鳴り響くホームへと猛ダッシュしたものの、
プシュ~~~~~。
ドアは非情に目の前で閉まり、私は荒野に佇むモアイ像。

何故なのでしか?

何故に見ず知らずの人に「変」呼ばわりされ、
電車に乗り遅れまいと般若のような形相でホームへとダッシュし、
そのためせっかく2時間くらいかけて作り上げた
「髪だけいっぱし白鳥麗子」ヘアーが、一瞬にして
ライオネル・リッチーにチェンジしてしまったのだろう? 
どうしてどうしてライオネルのヅラを被ったモアイ像と化して
走り去る電車を見送っているのかしらあたしったらぁっ?
どうしてなのぉおおおっ? こりはよく考えてみてもみなくても
解せないぞなもしぃっ!!!
「幸せとはなんですか?」
なんて一休さんだって全日本とんち協会の理事長だって解けないような
人類普遍の問いを吹っかけてくるなんて何なのですかぁ?!
そんなもんはどう答えたって「そのとぉーーーーーーりっ!」と
パネルクイズアタック25の児玉清さんが叫ぶような正解キューは聞けずに
エールフランスで行くパリ旅行券を逃して東レのカーペットを手にし、
「いったいこれどうやって持って帰ったらいいのかしら?」なんて
余計な心配までして途方に暮れちゃったりするかもしれない。
そもそも幸せとは考えるものではなく感じるものであり、
先回りも後回りもない現在進行形のものであると思うわけで、
答えも解説書もマニュアルも必要ないのでねぃでしょうか?あ、でも
これも一つの青年の主張だわ、だとしたら蜃気湧子さんの信念と私の意見の
違いはアラスカサーモンと北海鮭の違いくらいなものなのかもしれないわ。
ちなみに一休さんのお友達の新右ヱ門さんの顎とニコちゃん大王の頭部は
似ていると思うっ!ってそんなことより遅刻じゃないかぁ~、ばかぁ~ん!
絶対遅刻しまいと、じゅーぶんすぎる程じゅーぶんに余裕をみて
家を出たのにぃ~~~~~~~~~っ、キィ~~~~~~~~~~ッ、
結局遅刻かよ、武蔵。
その後、40分も遅れて会場に到着した私に、
「その髪、冗談だよね?ぶはぁっ!」
と開口一番笑って言ってのけた初恋の君。
君の腹周りこそ冗談だろう?

解せないのだ。

とにかくその日は「なんか解せない。」
とふるふるしてしまう出来事のフルコースでありまして、
同窓会から自宅に帰る電車の中では、
「スーツごと泥酔してます。」
みたいなサラリーマンのおっさんが、リングに出てくる貞子も絶句して
TVの中に逆戻りしてしまいそうな妖怪状態になりながら、
「そこのねぇ~・・(2秒沈黙)・・ぅいっく・・・ちゃんよぉ~~~~、」
とぶつぶつ言いながら接近してきたと思うや否や、
「けしょーがまだらなんだよぉ~~~~~、ぃひっく~。」
とメイク批評をおっぱじめ、更にその後に乗ったタクシーの運ちゃんには
「若い娘がこんな時間までほっつき歩いているなんてツッパリかっ?!」
といくらなんたって時代錯誤な化石語で説教までされてしまい、
そんなこんなのまるで達磨落としのような連続撃沈に
陸に上がりすぎた河童みたいにカビカビンになりがならも、
やっとのことで自宅に辿りついて気分直しに冷蔵庫を開たら、
楽しみにとっておいたコージーコーナーのシュークリームが
忽然と姿を消していた。 という驚愕の事実に、
ドラゴンキックを炸裂する8秒前のブルース・リーみたいな顔に
なってしまった経験の持ち主はなにも私だけじゃないと思う。(と思う。)

はぁ~~~~~思い出しただけでも疲れちったぁ~。
読んでくださってありがとうございました。

とにかくこういうことって結構キリなく椀子蕎麦のように
ホイサッホイサッと日々起こってくるわけで。
なのでこういった出来事に一々眉を顰めていたらそれこそ胃が
キリキリすったもんだになってしまっておまけに眉間に深い皺まで
刻まれてしまうので、あまりキリキリしない方が健康にもお肌にも
いいのかもしりない。んだんだ。んだども、わかっちゃいるけど
すったもんだぁ~。でありますばい。。。はぁ~どっこいしょぉ~。

この「なんか解せない感じって感じぃ?」は、
とても「うやむや」な感情でありますので、うやむやなだけに
それはうやむやに感情のベクトルを変えていくわけで、
なのでこれは時にうやむや~んになったり、
うやむ~やん、になったり、う~~~~やむやんになったり、
まったくもってタイ料理みたいな響きになってしまう
わけわからん感情のごった煮なのですだ、おかみさん。

日々の生活って、なんか絵の具のパレットみたいだなぁ~、って
時々思うであります。
様々な色の感情がパレットにのっていて、
様々に起こる出来事によって、それに反応した色が、
増えたり混ざったり新しい色を生んでいったり。
けれども色を選ぶ筆を持っているのは
自分自身の心であるわけで、その選択によってパレットは
どんな色にも変わっていくと思うでありますです。

日々起こる事は複雑で、状況を変えていくのは
もしかしたら難しいことなのかもしれないですだぁ。
でも日々起こる事から派生する自分の感情を変えていくのは、
もしかしたらそんなに難しいことではないのかもしりないですねぃ。。。
筆は何を見つめ、そしてどの色を選ぶのか。
ちびっと目線を変えてみれば、新たに描き出される風景は
日々趣きを変えていくのだと。

幸せって、やっぱり日々生きていくことから生まれる
とてもささいなことに彩られているのかもしりないですばい。
そのささいな色を「感じられる」ということが幸せなのかもしりないなぁ~、
なぁんて思ったりするでありますです。。。

例えば、吉岡君が聴いて感動したという歌を、
自分も聴いて心を打たれたということは、
そこに空間的な気持ちの繋りがあるのだと思うでぃす。
それは確かに感じる喜びであると思うし、幸せの一つなのだと。
もしそういった気持ちを「かっこ悪い。」とかなんとか
そういった類の言葉の鋳型にはめこんで揶揄する人がいるとしたら、
私は別にかっこ悪くてもええよ~。
幸せに通信簿なんてなかとですけんそれでよか。

その向こうへと思いを寄せる、ということ。
遥か彼方に見渡す山々の向こう側には、
またそれぞれの人々の生活が広がっているわけで。

風はどちらの方向にも吹いていくですね。
窓を開けて、
今日も一日がんばっていきまっしょい!


そんなことを思ったりしていた今日の私でありました~。 
コメント (2)
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