月のカケラと君の声

大好きな役者さん吉岡秀隆さんのこと、
日々の出来事などを綴っています。

いつかの日まで

2007年06月29日 | 思うコト


以前、「隠し剣鬼の爪」をDVDで鑑賞していた時に、
あるシーンをたまたま目にしたうちの旦那さんが、
「この役者さんは、感情がぐるぐる彼の中で動いているのが、
よく伝わってきて切なくなっちゃうね~。いい役者さんだね~。」
と言ったことがあったので、妻は思わずびっくりかんど~っ
しちゃったことがあったのですね。

「この役者さん」というのは、
もちろん吉岡くんのことであったのですが、
旦那さんは私が吉岡くんの大ファンということはまるで知らず、
何の先入観もなく、たまたま目にした場面で、
吉岡くんの演技に関心をもって感心までしてしまった、
ということだったのであります。

で、なんでびっくらかんど~っ
したんじゃ、われ?

ということでありますが、
私の旦那さんは日本語がまったくちんぷんかんぷんの
思いきりアメリカ~ンな人なのでありますが、
英語字幕もなしに、その心情をその表情演技でもって
ビビ~~ンと伝えてしまった吉岡くんに対してびっくりかんど~っ大、
中々わかっておるなお主、の旦那さんに対してびっくりかんど~っ小、
というびっくり格差反応を出した自分に対してびっくり・・・・・・、
なわけでござったのでございます。

ま、この、小、・・・・、は横に置いといてですね、

表情だけで感情を伝えるって、
ドラマ映画には誰にでもよくある演技だし、
別段驚くことじゃないとは思うのですが、

悲しそうな表情をみて、あぁ悲しいんだな、とわからせるのと、
悲しそうな表情をみて、あぁ悲しいんだね、と感じ取らせるのは
そこに大きな違いがあるのだと思われるわけで。

私の旦那さんは、たまたま目にしたその吉岡くんの演技に、
確かに「切ないな~」と「感じた」わけであって、
それはわかったのとは違うと思うわけであり、そこの部分に
あちしはなんかビックリしてついでにカンド~
しちゃったわけでありまする。

お面を上手に被ったみたいな表情演技と、
じわじわと湧き上がってくる泉みたいな感情演技
みたいな違いなのかもしれんですね。

吉岡くんという人は、
役に寄り添っていくタイプの役者さんだって
ある映画監督さんがおっしゃってたけれど、
それって、感情を役にはめて形作っていくことではなくて、
役の中に潜って感情を吐き出すっていうことなのかな?

彼の演技を見ていると、確かに
「削り落とした感情が湧き上がっちゃっているんだろうな・・・」
っていつも感じるけれど、
やっぱりどっと疲れちゃうのかもしれないな、そうやって
感情を削り出すお仕事しちゃってると・・・。
私だったらヘベヘベになっちゃうと思う。

今は、淋しいよぉ~吉岡く~んっ、て
ついついなっちゃう私だけれど、
やっぱり吉岡くんにはゆっくりお休みしてもらうのが
ええのですよね・・・・・・・・・・・・・・・んだんだ。


いつも絶対素敵な姿で帰ってきてくれる人だから、
そりまでは我慢我慢の子であろう、と思いながら
時に満男くんに元気をもらったりしている私であります。

そして今日も良い天気でありますだ。

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年明けての茶川センセ

2007年06月28日 | 山崎監督作品


続・三丁目の公式HPで見れる
特報2映像での茶川文学氏は、
なんか、
かっこえくなってるぞなもし。

いやいやいやいや、
淳之介くんとの「ほんげぇぃ~」なシンメトリー顔は、
変わらず健在の、茶川四コマ漫画リアクションみたいで
ナイスっす!!!!!!!なんだけれど、その後にくる
淳之介くんと対峙してのシリアスちゃ~さんは、
なんか、
かっくいい。

相変わらずのきのこの山ヘアーだし、
ちったないランニング姿なのに(好きだけどぉ、こりがまた)、
雪見大福みたいな肌なのに(大好きだけどぉ、こりゃ~もう)、
なんか、渋いぞ・・・。

微妙な低音「吐息と囁き」の境界線を踏んでいる
その声のせいなのだろうか?

「芥川賞狙う。今度こそ、とる。」って・・・・そんな、あんさん、
しゃぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ってモウ、
「茶川さん狙う。今度こそ、とる。」
って感じだよぉ、こっちとらっ!
て全然何言ってるか自分でも意味不明だわ。

ってそんなことどうでもええのでしたよ、
あちしが言いたいのはこれでありもうす。
        ↓
しっぶ~~~~~~~~いぞぉ、文学くんよっ!

久々の低音ボイスッ、たまらんねぇ~。
こんな低音必殺ボイス聞いたのって、久しぶりかもだぁ。
やっぱりいいねぇ~、チミのその低音声。
低音周波でじわわわ~んと浸潤していくのですよ~、心の奥底に。

たった一行セリフで、すっと~~~~~~~~んと
人の心を落としてしまうチミの声は、
声ジゴロだっ! 間違いないっ!

しかし実際もし、例えば、吉岡くんと電話で話したとしたら、
その声を受話器越しに聞いているうちに
「うらはらへろ~」って後ろ向きに倒れて
気付いたら病室って感じになってしまうと思う。

そのくらいの必殺声でありますだ。

路線ずれでありますが、
以前、新海監督とやふ~のブロードキャストみたいなのに
ゲストとしてお出まりもうした吉岡くんの声は、
地モードバリバリであったと思われるのですが、
それはそれは強烈な必殺ボイスでありましただ。

「いるんですよ、何気に」
みたいなこと言った時の彼の声はもう・・・・・・・・・・
例えようのない・・・・やんわりスーパーパンチでありもうした。

声にも色香がある男、吉岡さんちのヒデタカさん。
・・・・・・・フッ、完敗でありもうす、拙者は。
そんなチミに乾杯でござる。

吉岡くんったら、その声までどんどんどんどん
美進化していっちゃうという・・・・・・・・・
どこまでいくのですか~、吉岡く~んっ!

彼の声はとてもとても心地いいのでありますが、
同時にとてもとても切な~い。

メランコリ~賛歌、とでもいうのでしょうか、
なんつーか、とても綺麗なブーケをもらって
嬉しくて花瓶に生けたのに、なんかちびっと切ない、
って感覚に似ているのかもしれないですばい。

それは特報2の茶川文学氏の声音からも
痛いほど伝わってくる周波なわけであり。

芥川賞、とれるといいね、ちゃ~さん。

楽しみでありますよ、11月が。

って、私が実際この映画を観れるのはいつなのか・・・・・・。

時に感じる悲しい海外生活でありますだ。

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ルート先生・その2

2007年06月27日 | 小泉監督作品


ルート先生は
何がツボって、
なんてたって
あのネグセヘアーであります。

あんな妙ちくりんな魚釣りの針みたいなネグセをつけているのに、
んもう~、思わず「とぅあっ!」って空中ジャンプしながら
羽交い絞めにしたくなっちゃうくらい可愛いお人でありもうす~。

あちしはやっぱり短髪吉岡くんの方が可愛さ倍増、好み倍増ですだ~。
可愛ええよぉ~。

しかし一体どんな寝方をすれば
あんなネグセがついちゃうのだろう、ルート先生ってば。

鉛筆を髪の毛にクルクルといたずらに巻きながら、
難解な数学の問題をウム~~~~ンと解いている途中で、
ふにゃ~んとそのまま机に伏せって寝てしまったのだろうか?
で、朝おきてみたら強力ネグセの出来上がり、ひょわ~~っ、とか?

ありえるのかもしれない・・・なんかちびっと天然っぽいし。

しかし近代稀にみる「変てこハネハネヘアー」してて
許されてしまう人っていうのは、私の歴史の中では、
ルート先生とサリーちゃんのパパぐらいでありますよ。

でもなんだっていいのだよ~、
だってタックル級の可愛いさだからね、チミは。
(☝サリーパパでねぇです、ルートくんです)

ルート先生って、その容姿から動作まで
私の持つ「どっぷり理系な人」イメージそのままっす。

ネグセを除けば、な~んの小細工もされてない、いってみりゃ~
「母さんバリカン小学生カット」
みたいな髪型とか、体がその中で泳いじゃってるような
ブカブカジャケットとかが、自分の記憶の中にある
高校の時の理系教師像とピタリと合致しておりますだ。

特に冒頭シーンでの、
彼が教室へ入ってきて教壇に立つその姿。
こりがぁ~、私にとってはまさにズバリ数学の先生でやんした。

俯き顔でガラっと教室のドアを開けて閉め、
そして教室の中は一瞥もしない俯き視線で
スタラ~と教壇の方へと歩いて行ってそこに立つ
その飄々とした様が、なんか
「まんま数学のセンセイずらっ、かんどーっ」
って感じでありますだ。


数式を説明する時の間と間の取り方、
バランスよく盛り込まれるジェスチャー、
生徒への反応対応などから、
とっても教え方の上手な先生なんだな~、
って感じがやんわりと彼から溢れ出ていて、
観ていてほんとに楽しくなっちゃうのでありますが、
観ていてほんとに楽しくなっちゃう数学の先生というのも
私の人生初の存在でありますだ。

ブラボ~でございますね~、ヒデタカさま。

この作品での吉岡くんは、まさにツボツボブラボ~金太郎飴、
略してツラボ~くんでありやんした。(←略しすぎ・・・)

おおらかであると同時に謙虚でもあるその演技はもちろん、
ロケット打ち上げクラスの可愛いお姿も全て含めて
どこもかしこもツラボ~吉岡くんのお出ましでごぜぃやす。

「授業とは違うから(ぁ~)、ノートは取らなくていいからね(ッ~)」
みたいな、この( )内のびみょ~な(~)の空気の抜き方と、
「いいからね」の「ね」の部分のこれまた微妙な声のトーンの落とし方などがっ、
ヒデタカ吐息語尾技でツラボ~くんその1。

センセイ?っと呼ばれて、うんって無垢に頷く仕種で、
出たぜヒデタカ頷き技のツラボ~くんその2。

特にこのツラボ~くん2はウルトラ必殺技でありますだ。

あ~んな純粋にうんって頷かれて、
すっと顔を見つめられちゃったら、
あちしだったらその場で「あわわわわわわわっ」って、
陸に上げられたちょうちんアンコウみたいになっちゃって、
挙動不審で強制早退させられちゃうよ~。

他にも、「私はここ。独立自尊」っていいながら
プレートを頭の上に出しちゃう仕種とか、
「早いね。」って絶妙なタイミングで言いながら
サラッと動かす手の仕種とかぁ、
「そうそう、そのアイだよ、アイ」って言いながら
ほんとに楽しそうに生徒と一緒に笑う姿とかぁっ、
まわるまわるよ~、みたいに円プレートを
「ね?」って生徒に相槌打つようにチラリ見して
クルクル回してテレたように笑っちゃう姿とかぁっっ、
「ヒュ~」って流れ星が流れる仕種をしてみせちゃったりとかぁっっっ、
そしてなによりも、数式を説明しながら、時折、うん、うん、って
言葉の合間や終わりに、ふわっと微笑んで頷く仕種がぁああっっっつ・・・・
やられもうしたおいどんは・・・ツラボ~くん。

いちいち素敵すぎるんだよぉおおおおおっ!
なんなのですか、あの
「ふっきれちゃったような可愛さ」はっ?!

どっかの星からやってきたラブリ~親善大使みたいじゃんか~。
ツボすぎるのでありますだよ、もしやおツボネさまなのですか、チミ?

まったくぅ、罪なお人じゃねぃですかい、たまらんのぉ。

しかし私にとってのルート先生の魅力って、
もちろんその外見のプリティ~さによるところも
大きいけれども、決してそれだけじゃなくて、
その可愛い容貌プラス、彼の体全身から、
「永遠の夏休み」みたいな、清々しい開放感が
サワ~っと吹いてく風のように感じられるところにも
あるのでありまっす。

万年少年みたいな感じなのかもしれんですね~。
数式の中に入り込んだルート先生からは、
「しがらみ」とか「こだわり」のようなしこり感情から
放たれる塵のようなものは微塵も感じられないですだ。
ほんとに屈託がなく、楽しそうで、彼独自の速度をもって
数学の世界に熱中してるのが、彼の放つ風オーラから
とても心地よく感じられてくるわけで。

もしかしたら、そういう状態も、
ある種の「無」という状態であるのかな~、ふむ。

彼の無状態が観客の無状態をよんで、
数式の語る無状態の世界へとス~ッと惹き込んでくれているので
ありましょうか・・・なんだかよく分からなくなってきちゃった。

それからもう一つ、この吉岡ルートくんは、
これはコトー先生にも言えることだけれど、
「先生」っていう言葉についてきてしまいがちな、
「なんてたって先生だかんね、ボク」っていう、
カーテンの裏側になびいちゃってるような威圧感も驕りも
まったく感じられてこないあっぱれそよ風くんであるというところも
これまた観客の心を大開放してくれちゃう大きな魅力なのだと思われ。

ルート先生は、彼から、そして生徒から
互いに投げかけ合う質問を通して、きちんと
生徒たちとコミュニケーションを取り合っているのが、
彼の動作、表情から誠実に伝わってくるでありまする。

生徒に教えることによって、
自分自身も学んでいるという謙虚さが、
彼からやんわりと伝わってくるのでありますだ~。おぉ、トレビア~ン。

だから彼のいう台詞の一つ
「ぼくもね、わからないことばっかり」っていう言葉が
なんの厭味もなく真実味をもってスルリン、と
人の心に入ってくるのだと思うわけで。
やはりこの人は名優なわけで。

ルート先生が、生徒達と自分の間に流れている
初授業ゆえのぎこちなさを、自分もかつて教えてもらった
博士の愛した数式の美しさを生徒たちに伝えていく
そのプロセスの中で、なによりまず自分自身が
その世界を楽しんでしまうことによって、教室に流れる空気を
「心地よい夢中」に変えていく「そういう感じ」が、
すっご~くよくリズムをもって伝わってくるのですだ、
マジックみたいでねぃですかい、セニョ~ル。たまらんぞな。

しかしよくまぁ、あれだけの膨大な台詞を
暗記したものでござりますだ~。
落語みたいなストーリー性を持っている
長台詞ならまだわかるけど、
数字の並びやら年代やらカタカナ名前やらなんやかんやの数学用語だの、
私だったらそれを目にするだけでも
頭の中はサハラ砂漠みたいになっちゃうのに、
全暗記って・・・しかも名演技してる・・・スゴイ・・・尊敬ものだ。


「数学」なんて、その言葉を耳にしただけで、思わず
裸足で夕日に向かって逃げ出したくなってしまう題材なのに、(←自分のことだった・・)
それでも多くの人をその世界にうっとりと魅了させてしまう
吉岡ルート先生は・・・・・・・・・やはり只者ではないのだった。


ラストの海辺のシーンで、大人になったルートくんが
キャップを取って博士に深くお辞儀をする姿には、
いつ見ても涙が出てきちゃうのであります。

博士が投げ続けたボールをしっかりとキャッチしながら
立派な人に成長したんだねぇ~、ルートくん。
感動だよ~。

そしてその後に聴こえてくる、
ブレイクの詩を読む吉岡くんの声からは、
深い深い慈しみが、
ひっそりと感じられてくるのでありますだ。

泣けてくるでごわす・・・。

なんか、彼自身が、その美しい詩のような
存在でありますだよ、吉岡ルートくん。

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春待ち草

2007年06月25日 | 雑記





日本は梅雨なのに、暑いらしいですね~。
雪なんかもうと~っくの昔にみ~んな溶けちゃったのに・・・

お元気でごじゃるのでしょうか、冬眠くん、またの名を吉岡くん。
逆だった。

たぶん何かしらのお仕事は何気になさっているに違いないぞ・・・。
とは思うけど、
ファンにとっちゃあ、
再びの長い冬でごぜいます。

・・・・・・・・・・・・・・・。

フッ、いいんだせよ。
これがチミにどすこい惚れちゃってる理由の一つでもあるのだ・・・。

いつもの周期運行だしぃ・・・。
こんなの慣れっこだしぃ・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
も一つついでに
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


なんかやっぱりちびっと寂しいかもだ。


そうだ、こういうテンテンステイタスに入っちゃう時には、
晴れやかに気分転換すればええのかもしれない。

       
       例えばこう
         ↓

見上げる空は青く澄み鳥はさえずり雲は流れて山は遥かに聳えたち
川はうねって海へと流れて波打つ沖には汽船が浮かび見渡す浜辺に
寝転んで空に吸われし15の心で立てば岸壁思わず叫ぶよ
「吉岡く~~~~~~~~~~~~~~んっ!!!」


あ、ループしちゃった・・・・・。



だめぢゃんかぁ~、もう・・・。
ついつい「・・・・」が多くなっちゃうのだぁ、こういう時は。
でも「・・・・」が吉岡必須ステイタスなのだから、
これでいいのだ、ハッハッハッハッハッハッハ・・・・・・・。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・。(←とりあえず熟考している)





いやよくはないわよね、だって
「・・・・」
って、やっぱりなんかちょっぴり寂しいよ~。


だから時にこうなっちゃったりする。
     
      例えばこう
       ↓

吉岡くん大好き→たくさん見たい→お休みはしてほしい→
・・・・←フフ、なんかかっこええ→・・・・→ちびっと見たいかも→
・・・・←ンフフ、かっこええぞっ→・・・・→でもちびっと見たいかも→
・・・・→吉岡くん大好き↺

あっちゃ~行ったりこっちゃ~行ったり
落ち着きのないレッサーパンダくんみたいな思考回路であります。

んだどもまぁ、「・・・・」があるから、

「!!!!!!!」ってなって、

「!!!!!!!」っとなって、

「!!!!!!!!!!」 ってなるんだよね、うんうん。

絵文字って便利だわ・・・。

って何をダラダラダラリヤ~ンと書いているのかしら、あちしったら。

そもそも何を書こうと思っていたのだっけか?
お、そうだ、こりだった。

「吉岡くんに演じてもらいたい人物考」タッタラタ~♪

でありました。


小説や音楽を読んだり聴いたりしていると、
ぼわんっ、と吉岡くんの面影が脳みその端っこに浮かんでくることが
結構、多々(←どっちなの?)ありまする。

特に宮部みゆきさんの小説を読んでいると、
その昔、彼が宮部さんの原作本をドラマ化した作品に
出演したことがあったせいもあってか、どうも読中、
吉岡くんの顔が登場人物のイメージとして脳裏に張り付いてしまう
ことが多いでございます。

「あかんべえ」という作品に出てくる玄乃介というお侍さんなんて、
私のイメージの中では吉岡くんでドンピシャリ、でごぜぇましただ。
この作品を映像化するのは難しいのかなぁ、と思うでありますが、
もしも映画化される機会があったら、役の年齢設定をちびっと上げて、
玄乃介役は是非とも吉岡くんに演じてもらいたい、と一ファンとしては
切望するのでありますだ。

他にはどんな役演じてもらいたいかな~・・・・う~ん・・・・・・・。

ここらで思い切って、
「ハードボイルド・ヒデタカ」
とかええかも~。

場末のバーから着古したレザージャケットを着た
ハードでボイルドなヒデタカくんが出てきて、
ふと薄暗い路地裏にうつろげに立ち止まり、
そこでタバコにスシャッと火をつけ、
「フーッ」と気だるく紫煙を吐き出し、
「俺は煙のように生きてるだけさ・・・・・。」
なんて、疲れきったアフガン犬みたいな横顔で呟かれたら・・・・・




         ↑
   なんかちびっとだけ微妙かもしれない・・・。


すっごくかっちょええに違いない・・・とは思うけど、
しかし同時に分度器3度くらいの角度で微妙域に入っている
気がしてしまうのは何故だろう・・・・・?


ならば、これも思い切ったところで、
はちゃめちゃ突き抜けちゃってる落語家なんかどうでましょ。

べらんめぇの江戸っ子調で畳み掛けるように一席うっちゃう
粋な噺家ヒデタカくん、とか。

い き な は な し か ! 

い き な か も し か  じゃねぃです。 
      
粋な噺家・・・・おおっ! ☜自分で書いて自分でツボってしまった・・・。

お着物姿で高座に登場、扇子でポンっと膝をうち、
「えぇここで一席、」
なんていいかも~いいかも~見たいかも~、あ、
ごく稀に出現カミカミくんはどうしたらええんだろう?

いや、手術モード時のコトー先生は、手先も口調も
すこぶるテキパキくんだったぞ。
だから彼はきっと、まれまれカミカミくんなんぞ
すこぶるテキパキくんに変換してしまうこと間違いなしだっ!(←得意の力説であります)


そだ、これはもんのすごい切望熱望なのだけれど、
永瀬と吉岡くんで、
「傷だらけの天使」のリメイクしてほしいでありますっ。
これは長年の願望でありますだっ!

アニキな永瀬とアキラな吉岡くん。

ドンピシャのあまり頭上でカパッとクス玉割れちゃうと思う~。
絶対いいと思うんだけどな~。
誰かこの二人でリメイクしてくれないかな~、見てみたいよ~。

でもこの際、贅沢は言わないでありますだ。
永瀬との再共演が見れるのならもうなんでもいいであります。
堺さんとの再共演も何でもござれで是非見たいっす。

いっそのこと三人でサボテンブラザースとかでいいかもだ・・・・・・
いやよくないかもだ、それだけは。

だぁ~・・・・・。
テンテン期間はおつむもテンテンになっちゃうだす。
いつもより。

次にお見受けするのは茶川先生なのかな?。
あ、八百屋さんでお手伝いなモルツくんもいたんだわ。
ひだまりくんのその後はあるのだろうか、どうなんだろう~?

それにしても、吉岡くんの芸暦が長くてほんとによかった~。
沢山の出演作からチョイス見していれば、
長い冬だって乗り切れるってもんですけんのぉ・・・。

こうやって待ってるのも、
楽しみのひとつなのかもしれんですばいね
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五島君と鳴海君・其の二

2007年06月22日 | コトー先生


ブラボ~ドクターズでございます。

んだども今日は、
役者吉岡くんと役者堺さんについて書きたいと思うであります。

思い起こせば、一年前(もっと前?)、
「堺→マチャアキ」
という図式チャートが頭の中で自己完結していた私は、
堺さんの名前をコトー新キャストの中の一人として最初に目にした時、
「鳴海→孫悟空」したらば「中島銀竜→ゴダイゴガンダ~ラ」
ひょえ~~~~~・・・・・っ、という、
どっぷり昭和ジェネレーション反応を起こしてしまった
びっくり浦島太郎でありましたが、
2006で初めて堺さんの演技をお見受けして、
ええ役者さんだなぁ~とつくづく思ったであります。

吉岡くんと堺さんのツーショット演技って、
二人の空気感がピタッと心地よくかみ合っている
気がするでありますだ。

吉岡くんは、誰もが認める、
取れないボールはあるもんかのドカベン級ミットで、
相手の演技をバシっと受け止める、スーパーキャッチャーな
お人でありますが、しかし同時に、
いくつもの変化球を、ストライクゾ~ンに
スパ~ンと投げ込むことにかけてもスーパー級な、
小さな巨人吉岡くんでありますじゃ。

堺さんは吉岡くん同様、優秀なピッチャーであり、
そして同時に優秀なキャッチャーなのだと思われ。

吉岡くんと堺さんのツーショット演技からは、
その場面場面で、二人が互いに、ピッチャーとキャッチャーの役割を、
首尾よく交代しながら演技をしているのが、心地よ~い安定感をもって
心地よ~く伝わってくるですばい。

いわゆるひとつのケミストリーってやつですね。
ブラボ~でんな~、旦那衆。

このお二人は、9話までず~っと遠距離演技していたから、
10話のラストのラストでやっとこさ二人が対峙した時は、
待ってましたのヨ~ロレイヒ~♪

それにしてもここでの吉岡くんの動作表情ったら・・・・・
狙い撃ちでありましただ、リンダそれこそ困っちゃう。

遠征キメキメスーツ着ているだけでも
ポイント895点くらいなのに、
更にあの燻し銀ナイーブ演技でポイント984点
クーポン追加でごじゃるよ、決め技くん。

「五島先生・・・」
という、NHK囲碁解説委員みたいな響きに聞こえなくもない声と供に
病室に登場した鳴海先生を見上げる五島くんの表情が、
それまでのニコちゃん大使から、スっと雲間に入り込んで
いってしまう数秒間が・・・まさにドラマじゃった。

自分の行動を押すようにうん、と頷いた後で立ち上がり、
居住まいを正してもう一度意を固めるようにうん、と小さく
頷いてから深くお辞儀をして、そしてゆっくりとその視線を
空間に向ける五島くんは、
鳴海先生に対する自分の取ったの選択への傷つきと、
彩花さんの未来に対する使命感とが混沌とした想いになって、
彼の中でゆらり、ゆらり、と切なくゆらいでいるようだったでごじゃるよ~。

切ないよぉ~、五島く~ん。
あっぱれだよ~、吉岡く~ん。

顔にかかった前髪を、そっと品よくその手で払ってからの
チミの表情は、儚さナイーブ背負い投げでありますよ、大将。
(↑自分でも何言ってるのかよくわからんとです・・・)


俯き目線の角度、微かな呼吸、瞬きの長さ、行き場のない立ち姿など
全ての動作、表情がナイーブ集結されてるのでありますよ~。
切ないったらありゃしないじゃねいですかい、ついでにやたらと
お美しかったりもするのよ、チミってば、あぁもう、バンザ~イッ!!

永遠の繊細くんみたいなのだ、君って人は。

そんな繊細天才ドクターを、
非難とも憐憫ともいえるような複雑な表情でもって
見つめていた堺さんは、これまたすっごい名演技だったっす・・・わんだほ~。

このシーンだけに限らす、五島くんVS鳴海くんのシーンは、
その全ての中身がえっらく濃~~~い~~~~~~~、
ブルドックソースみたいでありますだ。

大学病院の廊下で、最後に二人が会話を交わすシーンは、
これまたすっごくいいシーンでしたばい・・・しみじみ。

前にも書いたけど、このときの吉岡くんは、なんか
真綿みたいだった・・・。

ふわっとしていて、やわらかく、そして優しい。
彼の何もかもが全て「白くなって」存在している感じがするですばい。
悲しくなってしまうほどピュアで、しかし同時に凛とした芯の強さも、
その佇まいからは、確かに静かに感じられてくるわけで。

戸惑うように言葉を一つずつ丁寧に探しながなら、
鳴海先生にゆっくりと自分の思いを語る五島くんは、
とても清廉としていて、慈悲深い。
ほんまもんの優しさを持っている人なのだと思われますだ。
やっぱ極上な男なんだね~、五島く~ん、大好きだよ~ん。

しかしこういった演技を
ヤワ~っと生み出してしまう吉岡くんは、
もう・・・・・・・・・どうしてくれるのですか?
あちしは撃ち抜かれっぱなしでごぜぇますだよ、ヒデタカくん。

あ、
すっかり堺さんのこと忘れてたわ・・・・。

この大学病院での別れのシーンで、特に思ったのだけど、
このお二人は、絵的にも雰囲気が非常にええですばい。
なんかホワイト&ホワイトって歯磨き粉みたいな響きだけれど、
そのダブルホワイトっぷりもべりーぐっどであります。

是非とも違う作品での共演も見てみたいっす・・・。

例えば、
弁護士VS検事 
とか
逃げる犯人VS追う刑事
とか
指揮者VS奏者
とか
エスパーVSエスパー
とか
コーチVSランナー
とか
影武者VS凄腕剣士
とか
ハンターVSプレーリードッグ
とか
アリVSキリギリス 
とか
ゴジラVSガメラ 
とか
デスラーVSモスラー
とか
野党VS与党 
とか
おもろい夫婦
とか、って壊れてきちゃったわっ。
えぇ~いっ、この際なんでもええから、
互いにがっぷり対峙するお二人が見てみたいよ~。
もしそれが実現したら、嬉しさのあまりその場で
コサックダンス踊っちゃうよ、あちしは。

カインとアベルみたいな兄弟とかもええかも~。
兄の堺さんと弟の吉岡くんとか・・・・すごくええ感じかもかも~ん。

って、
堺さんって、吉岡くんより
年下だったのね・・・・・・・・・びっくりだ~。

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薫る人

2007年06月21日 | 思うコト



いわずもがな、吉岡くんはとても色気のあるお人でありますだ。

しかし彼の色気というのは、
蒸し蒸しムンムンッ人工スチームでムンワ~、みたいな
「ちょびっと暑苦しくってよ、あんさん。」
という感じは決してしなくて、
それは確かに男の色気なのだけれども、
でもただ単にそれだけじゃなくて、なんというか、
うす~い霧が仄かにス~ッと木立の中に沈殿していたり
たゆたっていたりしているような感じがあるとでもいうか、
なんかそんな清逸な感じがするのでありますだ。

しかしその霧っていうのは、
一旦その中にスィ~っと迷い込んでしまうと、
なかなかそこから出られないぜ気をつけなよチキータちゃん、
というような魔性の奥深さを内包している気配も確かに
そこに感じられるわけでして。

そして、普段はそこにひっそりとほのかに漂っている彼の色気は、
しかし一旦発動スイッチが入ると、
突然濃霧注意報と供に襲ってくる異常気象に変化するので、
油断は全く出来ないのでありますだよ、やんぼうまんぼう天気予報くん。

この異常濃霧注意報は、
彼の役を通して突然襲ってくるものでありますが、
例えばコトー先生の場合を例に挙げれば、
特にしゅじゅちゅ後3分以内に異常発生するものなので
気を付けたいのでござ~る、バザ~ルくん。

特に特に最終回のしゅじゅちゅ後には
要注意でありますだヨ~。
どうも、大学病院とインテリ外科医のコンビネーション物質が、
五島くんの色気濃霧を異常密度発生させる大きな要因の一つに
なっているらしいですな、教授。

2003の時も2006の時も、大学病院での手術の後、
まるで波打ち際に抜け落ちた小さな小鳥の羽のように
廊下のベンチに座っていた彼の姿から、
シュワ~っと静かに放散されていたあの色気は
なんともすごいものがあったっす・・・。

気だるさとやるせなさと憂いと哀しみが濃艶の塊を作り出して、
儚くユラユラと揺れてるオーラになっちゃってた感じですばい。

あれはそんじょそこらの女優さんじゃ太刀打ちできない
色気なんだと思われますぜ、不二子ちゃん。

しかしこういったフェロモンモンモン色気オーラってぇ~のは、
いったい何所から湧き上がってくるものなのでちゅか、吉岡くん?

教えてくれぃっ、分けて欲しいぞ、その色気っ!

吉岡くんが、時に役を通して突然濃霧にしてしまう
その色気フェロモンは、しかし普段は、
ほのかな霧のようなものとして
彼の周りにス~ッと漂っているだけに見えるわけで。

不思議だわ・・・・・・。

もしかしたら、君の体の中には、
色気フェロモンコントロール制御基盤でも搭載されているのですか、ヒデタカくん? 
ロボットみたいじゃないか、それじゃ。
それともフェロモン大王なのでありますか?

一体全体いつからそんなキューティーハニーもびっくりな
色気を放つようになったのでせうか?

ふむ、いつだったのだろう、それがはっきりと表に芽を出したのは? 
どこで芽が出て、どこで花が咲いたのだろう?
やっぱり一矢で一気に十尺玉花火が上がっちゃったのだろうか?

う~~~~ん・・・・・・わからん。

権ちゃん侍はそのフェロモンも初々しくなりを潜めていたけど、
テトラの友達祐介くんは、やけに艶かしいフェロモン未来人だったっす。

天然サムライくん房乃助殿はそのフェロモンも天然級なのに、
しかし阿弥陀堂中村先生のフェロモンは、それ自体を白衣の下に
封印しちゃったみたいなきちっとくんでありもうした。

しかし時代の時の純くんは、すでに富良野フェロモン大使だったよ~。
平山工務店のご長男も、フェロモン青年部葛飾代表みたいだったけど、
でも遺言の時の純くんは、そのフェロモンが雪に埋もれて
ほぼ除雪されていたような気がしないでもない・・・。

満男くんはといえば、確かに47作目からの彼はとてもとても
艶っぽかったけど、しかし振り返ればもしかしたら43作のときには、
すでに色気の芽がちょびっと顔を出していたのかもしれない・・・。

しかしぼくの伯父さんの頃は、確かにまだサナギだったぞ、甥っ子君よ。
けれどその時から過去に遡ってのオラシオンに全てを捧げた誠くんは、
少年独特の色気があったような気がする。
んだども、魔術な守くんはやっぱりサナギランナーだった・・・。

一矢は言わずと知れた強烈フェロモンマグナムだったけど、
北川くんは強烈ヘタレマグナムであったし・・・。

って、バイオリズムですか、君の色気は?

やっぱり役によって色気コントロール制御しているのかもしれん。
魔性だわ・・・。


しかしよくよく考えれてみれば、そこにははっきりとした
「いつ」も「どこ」もなくて、
きっと、雪がしんしんと草原に降り積もるように、
その色気も彼の中でしんしんと静かに降り積もっていったものなのかも
しれんですばい・・・。

それにしてもなんにしても、こっちはいつも
そのモグラたたきみたいに出たり引っ込んだりする
チミの色気攻撃にはドキドキドッキリものなのじゃよ、吉岡くん。

彼のその色気濃霧は、強烈な一発カウンターパンチものでありますが、
しかし普段ほのかに漂い薫っている彼の「色香」というものには、
こっちは万年ノックアウトされているわけで。

ハッ、っと思わず絵文字使用でございますが、
この色香が彼の放つ色気を、唯の男の色気にとどまらせていない
所以なのかもしれんですばいっ、コペルニクスくんっ!


色気と色香。
人生でこの二つ。


これじゃよ、このコンビネーションが吉岡フェロモンなのかも~。
たまらんじぇ~、ヒデタカくんよ。

彼の持つ色香は必殺技でごじゃりまするだ~。
とても品よくストイックに薫る人、
って感じがするのでありますだ、このお方は。

それは吉岡くん自身が独特に放っている
薫り高き色香なのだと思われるわけで・・・。

これにはほんっとにいつもまいっちゃうのでありますよ~、ヒデタカくん。

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とっておきな君

2007年06月20日 | CM


サントリとっておき君は、その昔、
なんと我が家の近くを旅していたらしい・・・・・・・。

「なぁ~んでひとこと先に言っておいてくれなかったのだぁ~~~~~っ?!」

とこれを誰に向けて言ったらいいのだ・・・・もう、泣いちゃうぞぉ。

マイアミに旅していたのは知っていたけど、
カリフォルニアにまで来ていたとは・・・・
ぬかりもうした、おいどんは・・・うぅ。

吉岡くんったら、何気にロングビーチにいたなんて・・・・。
時に何気すぎるんだよぉ~、もう君ってばぁっ!

すぐじゃんかぁ、ハイウェイとばして30分だよぉ。
ロスではハイウェイ30分なんてぇのはお隣さんでねぇですかい・・・。

これって、そんな近所で撮ってたCMだったのね~~~~~っ!!!!
知らんかったよぉヨヨヨヨヨ~。

チミに会えるためだったら、高速ぶっとばして、
ハイウェイカーチェイスされてでも会いにいってたよ、あたしゃ~。

会いたかった・・・とっておきく~ん、いや吉岡く~ん、時にヒデタカく~ん、
いやどうでもいいよそげなことぉ。会いたかったよ~んっ!!!!

で、その後そこからどこに旅したって、君?
え? 知らんぞそんな場所。
いや~、でっかい土地です、カリフォルニア。

って、なにを一人会話しているのですか、チミ?

とまたまた一人突っ込みを入れてしまった私でありますが、
その昔吉岡くんが近くにいたっ、おわぁ~~~~~~っ!
ってことだけで、心拍数が上がって0.3キロカロリーほど
カロリー燃焼できた今日の私でございます。

なんてたってとっておき君ですからね~、その想いも
とっておきでありますだ、ベイベ~。

とっておき君は、私の渡米後に登場したお人なので、
お会いできたとっておき君もあり、お会いできなかった
とっておき君もあったりして、そういう意味から言えば、
なんかビンゴ・ゲームみたいなお人でありましただ。

そんなとっておき君でありますが、この人は、
のびのび自由人~って感じがほんわ~っと
彼全体から滲み出してて、しかも同時に爽やかくんであったり、
ほんのりくんであったり、しみじみくんであったり、万華鏡でございます。

そしてそこに共通して言えちゃうことは、
いろんな場所を旅している彼の姿を見ているだけで、
こっちまで心がふわっと開放されてやわらかくなれちゃう
やんわりとした開放感が、彼の持つ雰囲気からゆるり~んと
醸し出されていたところっス。

グッド~だわぁ~、ついでにベリーも前につけちゃうわよ、たまらんねぇ~。

私の知っているとっておき君はどれも素敵だったけれど、
その中でも特に印象的だったのが、「とっておきくんカナダへ」。

この旅でのとっておき君は、
とりわけネイチャービュ~ティ~だったずら・・・。

カナダの大自然の中にゆ~ったりと溶け込んでいて、
まるで彼自身が、雄大な自然の流れに悠々と包み込まれている
一つの息吹って感じだったですばい。

カナディアンの人たちともすっかり打ち解けて、焚き火を囲んで、
おおらかにほがらかにカシス酒飲んでた君の姿は、
それはとってもまるごと空間遥かなネイチャーくん、でありましただよ。

おぉ、なんてビュ~テホ~でワンダホ~なのだ~、ごちそうさまでございます。


しかしどうしてこの人は、
こんなにも自然と調和してしまえる人なのだろう?

彼は風景をぜ~ったいに損なったりしない人でありますだ。
なんとも見事に「その中」にナチュラルブレンドしてしまう
スーパーミキサーなお人でありもうす。

必ずといっていい程、彼はいつ何時とも出過ぎたりなんかしない。
自然の一部となって、そこで優雅なハーモニーを奏でちゃうのでありますだ。
やっぱりカメレオン星人なのだろうか?

CMならCMで、主役は商品だ、ということを
念頭に置ける人であるに違いなーいっ!

商品を追い抜いて、自分を宣伝しちゃう、
っていうことは絶対にしない人なのじゃぞ、きっと。
って力説しちゃうよ、あちしは。

吉岡君が、歌い手としてという場合は除いて、
役者吉岡としての彼自身を宣伝したことはあったのかな? 
私の記憶が正しければ、彼はそんなことをしたことは
一度だってなかったように思うのでありますだ。
いつだって、彼の中では作品が真ん中にあったもの。

こういうところが・・・・またかっこええじゃねぇですかい・・・。
ほんまに、ハレルヤでございますだば、男っぷりのええお人じゃのぉ。

一体、
吉岡くんがとっておき君なのか、
とっておき君が吉岡くんなのか、
いや、きっと同じなのかもしれんですばい・・・。

きっと同じにとっておき君なのだね、吉岡くん。

惚れちゃうね~。
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遠い記憶と現在と

2007年06月19日 | 思うコト


父親が大の「男はつらいよ」のファンであったため、
盆といえば寅さん、正月といっても寅さん、結構年がら年中寅さん、
という環境設定が物心ついた時には自動セットされており、
なのでそれこそいつの間にか自分自身も、
盆といえば満男くん、正月といっても満男くん、結構年がら年中満男くん、
と自然状況設定されていた私でごじゃります。

幼少の頃の時分は、毎夏毎冬、父親に連れられて足を運んでいた映画館の中で、
自分の周りの座席に座っていた、いかめっつら顔したオジサン達が、
寅さんを観ながら大声で笑っていたり、いつの間にかすすり泣いたりしている姿を
目にすることのほうが、映画本編を観るということより、印象深いことであった
記憶が残っているのですね。

その頃は、映画を観ていたというより、状況に紛れ込んでいた、
という感じでありました。


それが、たぶん小学校高学年の夏だったと思うのだけれど、
スクリーンに映しだされた満男くんが、
「縮小漂白されてラブリーになっている・・・・」
という突然変異を起こしていたので、
当時えらくびっくらこいた記憶が残っているのであります。

これが吉岡満男くんだったわけでありますだ。

この満男チェンジが、私の「男はつらいよ」の鑑賞チェンジを起こさせた
起点でござりもうした。

いや~、それにしても小学生の私にしてみたら、
衝撃の満男スーパーチェンジだったですば~い。

考えてみたら、これが私にとって、一番最初の
山田発ツボツボ攻撃第一弾だったのだ・・・。

しかしえらく可愛かった・・・・ちびっ子満男くん。
今でも可愛いけど・・・。

いきなり雪の中からヒョインッて顔をだした
白イタチくんみたいだったよん、甥っ子くん。

一気にお目めが ♡♡ ってロボコンみたいになっちゃったもの、
いわゆる「一目惚れ」ってやつですな、ちびっこジゴロくんでありすだば。


そんな「男はつらいよ」の父方環境設定の一方で、
これまたご丁寧に母親が「北の国から」の大ファンであったという
母方環境設定までも揃っていたので、これまた私の周囲では、
週に一度、夜の10時は富良野In、
という状況がお茶の間セットされており、従ってこの時期以降、
銀幕観たらとらやのみなさん、ブラウン管には黒板家だよ全員集合、
という周期的吉岡道完全リセット機能が、自然スタンバイしていたのでありましただ。


ファンになるなっていう方が
無理な話だったでごじゃりますだよ、おっかさん。



初期吉岡道を歩んでいた頃ですね、
私の狭っちい脳みそ活動範囲内では、

「満男くん&純くん=同一人物が演じております。」

という、バカボンでさえ一目で分かりそうな単純公式が、
なぜかど~しても頭の中で繋がらなかった、という
脳みそギャラクシー現象が起こっちゃっていたのであります。

「男はつらいよ」を観れば、彼は絶対的に、満男く~ん♡ であったし、
「北の国から」を見れば、これまた彼は決定的に、じゅ~んルルル~ 
以外の何者でもなかったという、本家二刀流でござるな、五右衛門どの。

満男くんと純くんって、同一人物が演じているんだよな~、
ということは理解はしていたのだけれども、しかし実際その二人は、
私の頭の中では、点と点が線で結ばれていなくて、
点と点だけになっちゃってる感覚であり、そしてその二点は
吉岡くんという子役の中継点を素通りしちゃっている全く個別の存在、
という感じだったですばい。

それはきっと、ちびっ子吉岡くんの中に、
「上手く演技してまっせ」、というメッキコーティングが
まるっきり見えなかったからなのかもしれないですだ、セニョ~ル。

観客や視聴者に、上手いよね~、と感じさせる隙を与えず、
何の違和感もなく、見る者の心にスィ~っと自然に入り込んでしまっていた
「そこにいる少年」満男くんと純くんは、しかし実際には確かに、
ヨシオカヒデタカという少年によって「演じられていた」わけで。

そんな少年ヒデタカくんは、なんと言うのですか、こういった場合、
そうですぜ、旦那、これですぜ、「神童」ってやつですな、ごめんなすって。

上手く演じる、というのと、自然に演じちゃうっていうのとでは、
常磐ハワイアンセンターと憧れのハワイ諸島くらいの差があると思うですばい。

あの頃の記憶の中で、今でも鮮明に覚えているのが、
満男スーパーチェンジを観た後、映画館の外で
「満男くんのこと、大好きになっちゃたよ。」と言った私の言葉を受けて、
「味のある子だね~」
と感慨深そうに答えていたその父親の言葉と、
北の国からを毎回涙しながら見終わった後で、
「心に響く子ね~。」
としみじみ言っていた母親の言葉でありますだ。

それは、あれから二十五年以上経た今現在も、変わらず、
役者吉岡くんに向けて言い続けている私の両親の言葉であるわけで。

そして私自身も、あの頃から少しも変わらず、
ずっと大好きなままの吉岡くんでありますだ。

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Hello, Goodbyeノンポリくん

2007年06月17日 | 杉田監督作品


例えば、女性の世界が円で出来ていると仮定すると、
男性の世界は並行する二重線が先へ先へと続いている世界なのかしらん?

などと、ビクターの犬の如く首をちょびんと傾けながら考えていたりする
今日この頃の私であります。

思うに、女性の世界を形作る円は、愛情=母性愛で出来ており、
その母性愛で創られた基盤○の中に、例えば家族とか、仕事とか、
友達とかという人生要素が包括されているのではないのだろうか、
などと思ったりするわけで。

しかし男性の世界は、「自分でいる(いたい)」という独立線と、
人生においての諸々の「おいどんはやりもうす」という人生運行線との、
決して交えることのない二つの線が、列車のレールのように、
永遠と平行して並んで続いているような気がするとです。

その二つの平行線の対比率がどんなものであれ、男性はその二線間を
行ったり来たり、綱引きワッショイおしくらまんじゅうになってしまって、
時には山へ芝刈りに行ったままサミットへと登りつめて
「どないせばええんじゃいっ!」
と天に向かって叫びたくなる衝動に駆られてしまうのではないのだろうか?
な~どと、おなごの私は推測するわけでありまする。

この、男性の一方の世界を創っているだろうと思われる独立線というのは、
もしかしたらおなごには決して触れることの出来ない、いや、触れては
いけない世界なのかもしれんですばい、明智君、う~む・・・・・・、と、
ついついグランドキャニオンより深い谷を眉間に寄せて考えてしまうわけで。

そしてこの触れることの出来ない世界に、男同士の友情というものが
しっかとそこに根付いてるのではなかでしょうか、角さん助さん龍角散。

その彼らの作り出す友情の絆の強弱が、同時に彼らの独立線の強弱にも
大きく作用しているように思えるのであります。

結束された男同士の友情世界というものは、女性は「お客さん」として
理解することは可能なのかもしれないけれども、
しかしその深部に触れるということは無理な世界なのかもしれないですだ、おやっさん。

これは決して「男女間に友情は存在しないのでR」などという
排他的なことを言っているわけではないのでありまして、
私自身も男女間の友情は存在するとは思っているけれども、
しかしそれは男性の世界の中では、やはり独立線上にあるのではなく、
人生運行線に属しているものなのではないのかしらん、と思うわけでありまする。

「そんじゃ~あんさん、男にとっての愛はどこにあるんだよ、愛はよ」、
ということになりますが、ある男性によっては、その平行線のどちらかの線を
常駐やどり木としてそこにずっと止まっている人もいるだろうし、
また他の男性は、その二本の平行線間を反復横とび運動ごくろうさまっす、
としている人もいるんでないかい、とこれまたそう推測するわけでありまして。

愛とは摩訶不思議なものでありまするだ、んだんだ。

って、一体何をほざいておるのかおんどりゃ~っ!

っとお思いの方が多いと思われますが、
えっとですね、要するに、男同士の「真」の友情は、
「ダイアモンドより硬い」
ということを言いたいのでありますだ、拙者としては。
(↑だったら最初からそう書けばええやんか、オバカなあたしだよ・・・)


洟垂れ小娘の頃からですね、男の子たちのもつ友情世界は
ちびっと無頼でかっこええ・・、
と憧憬にも畏敬にも似た思いを抱いてきた私でありまして、なので
バンチョウ、リクソウ、ニシキ、そしてノンポリくん
彼ら四人のぼくたちの友情が、私には、とてもとてもとて~も
とりわけ美しく思えて仕方がないのでありまする。

彼ら四人は文字通り「結束」しているわけで。

互いの存在に深く触れることで、自らも豊穣させていける
友情関係を育んでいるのだと思われますばい。

そして彼らのその結束関係は、相手の隙間にムンギュギュ~と
入り込り込むというものではなくて、あくまでも互いに呼吸をさせる
空間を分け与えているものなのだと思うであります。

祭りの後に、バンチョウとリクソウが互いに殴りあってしまう場面が
あるけれども、それを止めようとして二人の間に割り入ろうとするのは
リクソウの恋人みどりちゃんだけ。

その場にいるノンポリくんは、最初は勢いで止めようとするけれども、
しかしすぐにその殴り合いを止めることをやめてしまう。

それは誰にも止められないし、
止めてはいけないっていうことが、
彼には痛いほど分かっていることだからなのだと。

入れないんだよ、みどりちゃん。

だって、それが彼らの世界なんだ。

この場面でノンポリくんが流す涙は、多分、四人分、
彼ら全員の涙であり、それは、四人の友情の中にいる
ノンポリくんだからこそ流せる涙なのだと思う。
ただひたすらに、ただただひたすらに
自分たちが悲しいから泣いてしまっているんだと・・・。

美しいっす、ほんまに・・・。

彼らの友情が何故こうも美しいのだろうか、と問えば、
それは彼らが彼らの友情を、少しも心の重荷に感じていないから
なのかもしれないですばい。

友情だから、様々なことは起こるでがんす。

しゃらくせぇ、とか、ええかげんにせぇよ、とか
そう思うことは、日常茶飯事として、気持ちに浮かんでくることでは
あるのだろうけれども、しかし彼らにとってのそういう感情は、
浮き立ち消え去るコーヒーの湯気みたいなものであり、
決して心に沈む錘にはならないようで。

この四人が寄り添って、一つのライターにともされた小さな火を、
それぞれの両手で守るように取り囲みながら各々のタバコに火を点けるという、
とても印象的なシーンが劇中何度か出てくるけど、
その火は、四人の共有する輝かしい時であり、
固く一つに結ばれた彼らの絆の象徴なのではないのだろうか、
とあちしはそう思っちまうわけでありますだ~、うぅ。


高校の卒業式の後、その火を取り囲む手は二人だけになってしまっても、
しかしそれでもまだ、彼ら二人は、去ってしまったもう二人の手も、
確かにその火の周りに感じられるわけで。

それはひときわ純粋で、そして崇高でさえもあるですだよ~。
泣かせるでごわすよぉ、龍馬どん、うわ~んっ。

このドラマのオープニング時、渋滞にはまった密室状態の車の中で、
取り出したタバコに火を点けられなかった38歳の西脇氏は、
しかしラストでまたライターに点いた火をその手で取り囲む。

それはかつて彼の親友の一人だった、今はともに38歳になった
ニシキと一緒の行為であり、そして彼ら二人はそこに、
20年前、彼らと凝縮された時を供にした、今は去ってしまった
もう二人の親友たちの手を再び感じ取れるわけで。

西脇氏の抱えるジレンマは消え去ることはないのかもしれない。
けれども、もしかしたら、1970年のあの「時」から再び眺め見た
窓の向こう側に、何か新しい景色を見出すことは出来るのかもしれない。


生きていくってぇ~ことは、言ってみりゃ~
秒速の流れに沿って過去という地図を拡大していくような
ものなのかもしれないですばい。

しかしその過去という地図は、人は生きていれば
誰もがいつかは何度か突き当たる困難によって、
その人生の中で迷子になったり、
行き止まりに突き当たっちゃったりする時に、
現在の自分の居場所をしっかりと教えてくれ、
そしてそこから進むべき未来への行き先を、
沢山の選択道をもって指し示してくれるものであるのだ、
と蝦夷地でその昔、伊能忠敬さんもそう思っていたに違いない。(←思ってねぇべさ)


失くしてしまったものが何であれ、
そこへ寄せた思いが大きければ大きい程、
そこから得ていく力も確かに力強いものであるのだと。

始めていこうと思った瞬間から、
また一歩前へと踏み出していける歩みというパワーは
人間の持つ美しく偉大な力の一つなのだと思うですばい。


過去とはそういうものなのかもしれないよね、シェリー。


「1970 ぼくたちの青春」という作品は、
友情というものは、どんな意味をその人生に与えてくれるのか、
ということも思い出させてくれる、名作中の名作です、ほんとに。

このすんばらしい作品に色を添えている吉岡くんにも、
感謝感激雨あられですだよ~。

ファンをしててえがったよ~って、心底思わせてくれるお仕事を
いつもしていてくれてありがうございますだ!

ごっつぅかっこええんじゃ~、仕事の仕方までが、君って人はぁ。
もうほんとに・・・ええ男じゃよ~。




長々と綴ってしまった「ぼくたちの青春」の感想に
お付き合いくださいまして、ほんとうにありがとうございました。

これでほんまにHello, Goodbyeノンポリくんでありまする。

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粋なお人

2007年06月15日 | 思うコト

お侍さん姿の吉岡くんを見ていて、つくづく思ったであります。

吉岡くんって、
ほんっとに着物が似合う~~~~ワォッ!

胸板の広さが、着物によってうつくしゅ~強調されて、
それに合わせてスッと伸ばした背筋とともに端然と佇む
その立ち姿が流れるような美しさで、そりゃ~こっちはまいっちまうぜよ。

着物に身を包むことによって、な~んとも形容しがたい、
艶と気品とストイックさみたいなものが、彼からほどよく
湧き上がりながら粛然として放散されている、みたいな感じだす。

着物の艶と彼の艶がぴったりマッチしちゃうのだすね~。

「隠し剣鬼の爪」のワンシーンで、
左門殿がきえの嫁ぎ先である商家の上がり框横で、
スッと背筋を伸ばして立っている姿は、もうすっごく美しかった~。

気品があって、お侍さんとしてのプライドもその立ち姿からヒシと
感じられてきて、さすがじゃの~と映画館で思ったですよ~。
やっぱり君の姿は、銀幕で見るのがええよ~。

この、粋だねぇヒデタカく~ん、がてんこ盛りで見れるのが
「海は見ていた」の天然サムライ房乃助殿でありますだ。

房乃助殿は、あっぱれ天然サムライくんでありますが、
その美しさもあっぱれしておりまする。

以前にもしつこく書いちゃっていることでありますが、
この天然サムライくんは、も~う・・・・・・・・・・・・・
思わずバンザ~イって両手を挙げて降参しちゃうほどの、
天然ジゴロくんであります。

びっくりしちゃうほど、美しいのでありますだよ、セニョリ~タ。

なにからなにまでずずずい~っと、いやんなっちゃうくらい
ビューテホー。

お新ちゃんの助言に促されて、着物を着替える場面がありますが、
その所作がもう美しいのなんのって、そんでもってその所作から
お坊ちゃま侍くんとしての生活感もきちんと出ていたりして、
んもうっ、さいこーだぁーっ、あんたって人は。

お侍さん役を演じているんだからそんなもん当たり前やんけ、
って言われちゃうとですね、元も子もないのでありますが、
だってだってぇ、台詞を言いながら、サッサッと手際よく
着替えていく所作が、いちいち品があって自然で様になって
いるのでありますのだ~。

彼は着物に「着られてない」と思うのですばいっ。
ちゃんと着物を「着て」いるのでごじゃりますだ~。
そういう彼の細かさにも感動しちゃったりするのでありますだよ、そうです
あちしは彼の大ファンでありますだば。

吉岡くんは、お侍さんの役しか演じたことはない(と思う)けれど、
もし伊達な江戸っ子の役なんか演じちゃったら、それこそえらく
艶っぽい粋な人になるのだろうな~、と思われ。

見てみたい・・・・・・すごく。

粋でチャキチャキな艶出し吉岡くんって、
実際見たらどんな感じなんだろ~?

見たいぞぉっ!


そだ、着物とはちと違う浴衣姿だけれど、
信州に旅した時のサントリとっておき君は、
なんだかとっても色っぽかった・・・・・・・・。

旅館の窓辺に立って、紅葉がはら~っと舞い散る景色をやんわりと
眺めている浴衣姿のとっておき君は、なぜだかえらく色香ほんのり。
温泉湯上りの香りが画面からほわ~っと香ってくるようでござる。

舞い散る紅葉としっとりヒデタカくん・・・・・絵になりすぎる・・・。

あんなに旅館の浴衣が似合ってしまう殿方もめずらしいずら。

湯上り美人とは君のことだ、吉岡くん。
うらやましいぞ。

平山工務店の涼くん(もしかしたら「亮」だったっけか?)も
浴衣姿になってたですね~。
あの浴衣姿もええ感じでありましただ~。
なんてたってこの涼(亮?)くんは、全面的にかっこえくって
可愛くっておまけにえっらい色っぽい。

この頃の吉岡くんは、沸き立つ色香が封印限界、
という雰囲気全開だったような気がするですばい。

そんなユラユラ色香雰囲気を漂わせながら浴衣着ちゃってるから、モ~ッ、
モウモウモウモウモウモウモウモウモウモウってあちしったら牛かいなっ、
ってなくらいモウモウ言っちゃうほどモウほんっとにびっくりしちゃうくらい
色っぽいったらありゃしないじゃないのっ、チミってばっモウッ!
あ、またモウって言っちゃったわっ、モウッ! 

そういえば、満男くんも旅館の浴衣姿で、なぜかちびまるこちゃんの歌を、
アソレソレ~ぴ~ひゃらぴ~ひゃら~タッタタラタァ~♪
と突き抜けちゃった人まる出しで歌って踊っていた時がある・・・・。

いいよ、君なら。
なぜなら君は満男くんだからだ。


しかしええもんですな~、着物の似合う殿方というのは。
すご~く粋な色香を感じますわ。


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想いへの思い

2007年06月13日 | 思うコト


私の周りでは最近、、

① 吉岡くんって癒し系だよね~。
② 吉岡くんってちょっといいかも~。      ♡
③ 吉岡くん好き、ウキャ。             ♡♡    
④ 吉岡くん大好きぃ、ウフフ~ン。        ♡♡♡
⑤ 吉岡くん・・・うわぁ~~~~~~んっ!  ♡♡♡♡+∞


⑤はまぎれもなく私自身のことでありますが、
この①~④の吉岡くんハート4段階進化図を体現化している4人の友がおりまする。

♡の数がいくつであれ、みな吉岡くんを静観することができる人たちなので、
ヒデタカバミューダトライアングルにはまってしまった今の私としては、
冷静状態でいられる友人たちが羨ましく感じられる時も無きにしも非ずに非ず・・・。(←どっちなんだい・・・)

しかし思い起こせば白亜紀時代、少女だった頃の私はこの③期を長い間、
結構冷静に過ごしていたわけで。

んが、その吉岡沈着冷静期も、「初恋」で一気に崩壊し④期に突入、
その後「優駿」で④期大噴火となり、そして「1970ぼくたちの青春」で
⑤期に突入、その後はカズヤにコトーにルートにええいその他諸々
周期的にビッグバ~ン!、となったという、やれやれほんとに困ったもんだよ
あちしったら・・・・・・・・ふぅ。

と思わず自分で自分にツッコみを入れてしまう程の
吉岡ラブラブ変遷期を遂げているわけでありまするだ。


と、こう書くと、あたしの人生吉岡くんでまっしぐら!
みたいに捉われがちなのだけれど、いやいやそういうことでは
決してなくてですね、吉岡くんへの♡と共にうふふ♪となっていた
役者さん達もその道その都度結構いたわけでありますだ。

しかしけれどもそうした想いたちは、だいたい平均すると
748日くらいでフェードアウト、というものが殆どであったでござんす。

フェードアウト・・・・・・・。

これがどぉ~~~~しても出来ないのでごわすよっ、手強いツワモノ、ヒデタカくんっ!


たとえ彼への想いがスス~ンっと休火山になりかけたとしても、
すぐにまたドッカ~ンッ!と襲ってくる大噴火によって、
ヒャ~~~~~っと再び吉岡マグマゾーンへと巻き込まれてしまうのですな~。

この、活火山から休火山になれない要因はなんなのか?

そりは、吉岡くん自体がゆっくりゆったり美進化している人
だからなのだと思われますだ、モグタン。

悲しいほどに退化しちまう殿方が多いなかで、彼はどんどん美化していくという、
貴重な生物でありますですよ、おとっつぁん。

幼虫→サナギ→冬眠→モンシロ蝶→またまた冬眠→驚愕のアゲハ蝶→
どこまでも冬眠→いきなりヨシオカヒデタカ単一美生物→まただよ冬眠→つづく・・・

ダーウィンもオドロキな進化ぶりであります。

露出の少なさが彼に魅かれている理由の一つであるのは確かなことだけれど、
この冬眠ブランクが、外野側から眺めているこっちにしてみると、
ある日突然のオドロキ美進化を遂げているように見えてしまうわけですばい。

魔性じゃのぉ~、ヒデタカくんよ。

更にこの人は、ビックラ美進化くんで再登場してくるたびに、
人の♡をグワシっと鷲摑みにし、そしてそのまま「それじゃ~サラバだっ!」
とさっさとまたまた姿を消してしまうという怪傑ズバットみたいな人なので、
こっちとら、それこそヒヤヒヤドキンチョのモ~グタンなのでありますよ、
ロングおじさん。(←古すぎるっつーの・・・)

なんてニクイやつ・・・・・オレンジ色だったら夕刊フジのキャッチフレーズみたいじゃないか。(←???)


吉岡くんは、もともと自然素材の人だったけれど、その成長とともに、更に
どんどん余計なものが削ぎ落とされていっているように思えるだであります。

なんというか、人生っちゅ~大理石を本質っていうノミで
削り落としながらヨシオカヒデタカという人間を彫り出している
みたいな感じずら。

なんともいえない美質みたいなものが、彼からは感じられるとですね~。
まぁ、その「感じ」はあくまでも彼のファンとして読んだり見たり聞いたりした
彼の応えた数々のインタビューなどを通しての、自分の心にスイッと
湧き上がってくる「感じ」なのだけれども。

でもそういう、心にスイッと湧き上がってくる「感じ」が、
直感というものなのかもしれんぞなもし。

直感は大事じゃ、だいじゃえもん。

けれども直感は逃げ足の速いやつなので、きぃつけとらんとすぐに
どっかへ行ってしまうものでありますだよ~。
すぐにわけわからん化学調味料みたいな他感情によって
別な感情へと味付けし直されてしまうのですな~、ふむふむ。

しかしこのまじりっけのない直感感覚を、ストラ~~~~~~~~イクッ! 
な大リーグ魔球で常にストーンと人の心に投げ込み続ける吉岡くんという人は、
やはり彼自身の中に「何かとても美質なもの」を持っているに違いないのだ、
とそう思わずにはいられないのだよ、星君。


シンプルな直感を、人の心に、ずっと変わることなく湧き上がらせてしまう君は、
一体どんな模様を心に描いている人なのだろう、ヒデタカくん?


などと思ったりしている今日の私でありました。

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走る満男くん

2007年06月11日 | 山田監督作品


純情一直線をひた走りに走り続ける聖火ランナー諏訪満男。

泉ちゃんという聖火台に近づくためならば、
友情もコンマの速さで道端に置き去りにしてしまうという
暴走っぷりまで見せてしまうゼッケン甥っ子満男選手。

しかし何故かその男三人の友情は長~く続いているという
人格謎まで呼ぶ満男くん。
要するに彼も友達もいいやつに違いない・・・。

この満男君の泉ちゃん争奪杯は、途中謎の二年間の寄り道を除けば、
長い長~い年月を掛けて開催されているものであり、
多分その始まりは、泉ちゃんが彼の世界に登場する高校三年生
(二年生説もあり)の時からで。

そして多分今現在も柴又あたりで、
まるでトーテムポールのような泉ちゃんの周りを巡って、
満男くんは相も変わらずドンドコドンドコグルグルグルグル
踊り祭って走って祈っているに違いないと容易に予測できるわけで。

純だな、満男くんってば。
(↑富良野の純じゃないですばい。)

こういった恋愛傾向に顕著に見られるように、満男君という人は、
「くるまやの団子には、もしや純情育成物質が混入されているのではないのだろうか、
おいちゃん?」
とついつい疑惑の目を画面に向けてしまう程の純情まっさら人間。

彼はエベレスト級の高さの天然驚愕巻き込みパワーを持っている人でありますが、
その中でもとりわけビックラこいちまう天然素材は、
「やましさマイナス120%」
という、ウルトラ白紙ノート技をその心に持ち続けているということであります。

彼の中には、寅次郎&博というダブル焙煎された、
「惚れぬき対応おくて遺伝子」が、
その血の中に色濃く流れているのは火を見るより明らかなわけで。

ウブだぜ、満男~っ!
とか、
だめじゃん、満男・・・・・
とか、
やったぜ、満男~!
とか、
やっぱへたれかよ、満男・・・・・
とかですね、

アップダウンが非常に激しいのも満男くんの恋愛特徴の
一つでありますが、しかし彼は泉ちゃんゴールに向かってなら、
例えそれが上り下りの激しいサンフランシスコの町並み級の坂であっても、
決して走ることをやめないメロスもビックリど根性ランナーであるわけで。

そのど根性ランナー精神は、彼が受け継いだもう一つのダブル焙煎遺伝子である
「惚れぬいちゃったら情熱一途貯蓄型」の所以に違いなく。

ちなみに彼のお父上は、石の上、いやタコ壷の中にも三年で、
やっと想いを寄せていたとらやのお嬢さんと一緒になることができたわけで。

満男くんが突如発揮する、この「泉ちゃん限定情熱パワー」は、
「満男くんよ、そのパワーをちびっとは勉強や仕事に向けろよ。」
とついつい余計なおせっかいを口に出したくなっちゃうような、
泉ベクトル保存貯蓄パワーであり、そしてそれがいったん
スイッチオンされようものなら、その威力はスペイン闘牛も牛負けの
軌道修正不能暴走型になってしまうのですな。

これはとりわけ、寅伯父さんから色濃く受けている遺伝子のせいなのだと思われます。

遺伝だよね、い・で・ん、満男くん。

その彼の情熱の嵐は、親族、ご近所、会社の皆さん、はたまた時には
南国バナナまで全部一緒に巻き込んでのてんやわんやの
半径1000Km圏内暴風雨みたいな騒がしいものでもあり、
しかし一旦嵐が過ぎ去ってみると、一見以前とな~んら変わらないような
平穏な柴又生活にカンバックサーモンしているという、
まったくもってお幸せな方だよ、あんたって人は、満男くん。

しかしなんでそんな満男くんが好きなのか?

多分、満男くんは、「ヘタレッピ~だけれどガンバくん」、
という魅力を満載に携えている人だから好きなのだと思われ。

これが私にとっての純くんの場合となるとですね、
「ガンバくんだけれどヘタレッピ~」、
といった名詞入れ替え現象が起こるわけでありまして、
この二つは似ているようでいて実は全く違った意味合いをもってくるものでありますだ。

これは決して、純君って好きでな~い、と言っているのではないわけでありまして、
私は純君のことももちろん好きであり、特に「初恋」の時の彼に私は、
「やられちまったぜじゅ~んっ! 我が家を富良野に移住してくれ~いっ!」
とのたうち叫ばせ、「とうとうきれちゃったわ、うちの子・・・」
と親を本気で心配させてしまった第二次吉岡大噴火の歴史があるという・・・・・
困ったチャンだったわあちしったら・・・・今もだけど。

閑話休題。

純君と満男くんって、大雑把に比較すると、
低気圧VS高気圧
みたいな感じなのかも~、と思うとです、おいどんは。

それをもちっと踏み込んでみると、
純君は、なんていうか、情熱とかったるさがごちゃ混ぜになっている、
いってみれば迷路みたいな心をもった複雑な人でもあり。
その成長に合わせて、悲しみと切なさがどんどんどんどん大きく
深く感じられてしまうとですね~・・・。

コトー先生にも、悲しみや切なさはすごく感じることだけれど、
しかし彼の場合は、その根底にほのかな救いが浮かんでいるような
気がするのですね。
純君の場合は、その救いが深い井戸の底に沈んでいるようで見えにくい、
そんな感じなのであります。

これに対しての満男くんは、複雑にはなるけど根はこんがらがってない、
という一本道みたいな人に見えるわけで。

その沿道には、大きな石や森があったり、底が見えないような沼があったり、
様々なお店が連なったりしていて、満男くんはそこに躓いたり、
足を突っ込んじゃったり、迷子になっちゃたり、行きつけのお店を飛び越えて
他のお店を覗いてみたりしちゃったりするけれども、
しかし彼が歩いたり走ったりするのはあくまでもその一本道、
という感じなのかもしれんですばい。

その一本道を走り続ける満男くんが、やっぱり好きやねんであんたはん、となるのかなと。


私は基本的に、というか、もしかしたら決定的に喜劇派な人なので、
この「男はつらいよ」という名作喜劇シリーズの中で、一生懸命
笑ったり、泣いたり、悩んだり、ついでに階段から滑り落ちたりして
奮闘努力しながら走り続けている満男コーティングの吉岡くんを見れることが、
こりゃまた至極嬉しいというか、喜びであるというか、お涙ウルウルというか、
感慨深いというか、要するに大好きやでっあんたっ!となるわけで。


人生泣いても怒ってもドカ食いしても絶食しても、
いずれはみんな気付いたときには砂となってしまうわけだけど、
しかしだからといって、泣くのも無、怒るのも無、摂取カロリーも無、
人生これ無なり、などと悟りを開いたインドの苦行僧のような境地には
到底至れない私でありまして。

生きているうちには、どうしようもなく悲しいことや苦しいこが
起こるのは不可避なことでありますだぁ。
あぁ、世知辛い世の中だねぇ、なんてついつい思っちまう時などに
笑える力を与えてくれる喜劇というのが、私は大好きなわけでありまして。

上等な喜劇というのは、笑いというオブラートに人生のほろ苦さを
ホンワっと包みこんでお届けしてくれる「良薬心に甘辛もち」みたいな
ものなのだと思うでごわす。

その名作喜劇の金字塔「男はつらいよ」のシリーズ作品を作り上げた
スタッフの中の一人として、とらや・くるまやの世界にしっかと存在している
吉岡くんがなんといっても大好きなわけでありますだ、おいちゃ~ん。

大好きやで~、ほんまにもう・・・。

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ギターと一矢

2007年06月08日 | 杉田監督作品


仕事に煮詰まってしまう時などに、ギターをサっと取り出し膝に乗せ、
「フッ、私のことはジミヘンと呼んでくれぃ」
などと大風呂敷をどば~んと広げる私でありますが、
しかし実際は弾き始めてものの10分もしない内に、
なかなか言うことを聞いてくれない自分の指に嫌気がさして、
広げた大風呂敷にギターを丸め込んで、あばよっとそのまま
シベリア大陸まで飛びたちたい衝動に駆られてしまうという、
全くもって投げやりなギターを持った渡り鳥となるのがオチであります。

ギターを弾きこなすのは大層難しい。

なんてたって
「こりゃ~いわゆるひとつの指ヨガですか?」
という難儀難解な指ポーズで抑えなければならんコードくん達が
打倒不可能の仮面ライダーみたいな手強さで目の前に
立ちはだかっているのでございますよ、ショッカーくん。

ネックを持つ手首は「もうあかん・・・・」と悲鳴をあげるし、
弦を押さえる指は「痛いといっとるだろ~がぁっ」と絶叫するわで、そんな私ときたら、
ジミヘンどころではなく、かしまし娘のおば様たちの足元にも及ばないという、
要するに才能がないんだナァ~。

この、煮詰り→にわかジミヘン→投げやり渡り鳥→ギターを放ったかしまし娘→煮詰りに戻る、
という環境にまったくやさしくないリサイクルを繰り返している時の私に
風穴を開けてくれるのが、稲葉一矢でございます。

一矢くんは、なんか、「主食は繊細です。」みたいな人で、
ちょびん、とつっついたらぐわらっしゃんっと壊れてしまいそうな
雰囲気を持つガラス細工のようなお人でありますな~。

作品中の一矢くんは、ごくごく僅かの
「なんだろうこれは・・・?」
という謎コーティングされたシーンを除けば、その殆どが、
「ごっつぁんですっ!」
なものなので、いちいち好きなシーンを上げてしまえば、
たとえそれを箇条書きにして綴ってたとしても、結局は
平安時代の絵巻物に負けないくらいの長さになってしまうだろうことは、
ノンポリくんについて未だに書き続けているという執拗な事実が
すでに証明しているわけであり。

しかし魅力満載の一矢くん、思いを寄せれば
やはり再び語りたくなっちゃうわけで。

私にとっての一矢くんって人は、

天才ギター野郎+内に秘めた情熱魂+儚さ背負ったナイーブくん+はだけプリンスホワイティ+男は無口に九州男児=惚れ条件搭載完了マキシマム

というツボツボユニバースなお人でありますだ。
しかもその名前まで「いかすぜカズヤときたもんだ」
と唸っちまうほどかっこええ。

稲葉 一矢  かっこええじゃんか~。

これが、
伊南馬 下図爺  だったらあんましかっこよくないかも。

稲葉であって一矢だから、かっこええのじゃの~。

かっこえくって、かわいくって、セクシ~、って
こう書くと、まるで不二子ちゃんみたいだな。

一矢くん、忘れがちになってしまうのだが、
君はただ、はだけているだけのお人ではないのであった。

天才ギターリストなんだよね~、君って実のところ。

あちしったら、君のそのサトウの切り餅みたいな白い胸元に
ついつい目がいってしまううっかり八兵衛なのだ、ごめんよぉ~。
ちゃんと君のギターテクにも目を向けることにするよ~。

ふむ、しかしテクを語れるほど私のギターレベルは高くないのでありました。



しかし一つだけはっきり言えることは、

「シビレルゼ~、ヒデタカ~」

と思わず大文字にて宣言ということで、毎度お騒がせいたしております。



君がギターを弾く姿は、いっひゃほっほぅひゃ~って
よくわかんない叫びを思わず上げたくなっちゃうくらい
かっこええわな~、たまらんぜよぉ。

最初に一矢が道場破りのようにしてシュウちゃんの歌に
エレキっちゃうシーンなんて、鳥肌感動もんずらよ~。
思わず、「ええぃ、だまっとらんかいっ、モックンよっ!」
と画面に向かって言いたくなっちゃうのだよ、すんません。
それくらいあのギターさばき(っていうのだろうか?)には、
こっちはあやうく感電ジャンプしちゃうかと思ったですよ~。

このシーンで吉岡くんが、左手の親指をネック上にのせて
弦を押さえながら、キュイイ~~~ンとエレキッてるのを見て、
「すっげ~~~~~」と鼻の下を伸ばしながらえっらい感嘆したとです。

あれが出来ないんっすよ~、なかなか。

親指くんを弦に乗せると、他の指が思うように他の弦に乗らないし、
他の指に意識を集中させると、親指くんが「ほなさいなら~」
とネックの裏に消えちゃうわで、自分の手の指が意思と関係なく
前後にオイッチニッと勝手に動いちゃって、
「まるで自動指コサックダンスじゃないですかっ、ほんぎゃぁ~~~~っ!」
とおたけびを上げてしまうという私は、才能ないんだよ~、わかってるよぉ~。

ほんまのヨガみたいにゆ~っくりやりゃぁできまっせ。
しかしそんなカタツムリみたいなリズムじゃ
例えインドの人たちにだって呆れられてしまうに違いない。

そしてコード弦を押さえることができたとしても、
だからといって綺麗な音が出せるわけではないわけで。

吉岡くんのようにかっこよくキュイイ~ンズンジャカジャンジャイ~~ン♪
と美しい音色を響かせて弾くなんてことは到底あちしには出来ないのでありますよ~、
かっこいいぞぉ、ヒデタカ~!

う~ん、ギター奏者への道は、茨の道じゃのぉ。

ほんますごいよ、あの演奏ってば~。
もしかしたら君のギターテクに、あのよっちゃんだって
「またせてソ~リ~」って言って君にピックを手渡しちゃうかもしれないよ。(←古すぎる・・・)

感動と感嘆のギター演奏でありますだ~。

やるね~、一矢くん、フフ。

彼は長~い繊細な指を持っているから、
ギターを弾く指先が余計美しく映えるのだね~ん、芸術品だわ~。

そしてあの吉岡くんの、なんともいえんオーマイガッドな
ミラクルスレンダーな全身と、そして緩いカーブをもって下がっていく
何気に広い肩幅が、シャカシャカシャ~ン♪と
ギターを弾きまくっている姿でもって、モ~レツアタロウってくらい
モ~レツぴったしカンカンでブレンド強調されてくるから、
そんなチミの姿にこっちは思わずシェーッて叫んでイスカンダルまで
飛んでっちゃうほどドキドキしちゃうのだ~。

はぁ~、疲れちゃったぁ。

このエレキお披露目シーンは、吉岡くんがエレキギターを弾いている手元が
きちんとよ~く丁寧にクローズアップされて画面に映っているから、
こちとら大満足ですばい♡

手先がすご~く器用なんだろうな、吉岡くんって。
いやそう思わせちゃう陰で、文字通りの血の滲むような努力を
していたんだろうけど、それにしてもすごい入魂の技じゃのぉ~。

すごいぞ、ヒデタカくんっ!
チミの努力と才能に感動ずら。
かっこよさにも感動だばっ!

尊敬しますだよ、ヒデタカくん。



しかし一矢くん、今はどこでどうしているのかな?


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残照の中のノンポリくん

2007年06月05日 | 杉田監督作品


吉岡くんという人は、絵画に例えると、
風景画のような人なのかもしれんとです。

彼には肖像画や静物画にみられるような
「これであるのだっ!」
という一発インパクトはないわけで。

そしてモダンアートにみられるような
「これは一体・・・・・なんなのだ?」
という不可解さもないわけであり。


そこには、
澄みきった青空があったり、
たまにはそこに雲が浮かんでいたり
海へと流れる小川があったり、
遠く高く聳える山々が見えたりという、
ゆったりとした世界の中に点在する
様々な眺望ポイントがあるわけで。

それはどこを基点に中心にして見ても
なんの違和感もなく絵画として成立してしまうものであり、
しかし遠くから眺めてみれば、
それは一つの美しい調和を持った全風景画として存在している、
という趣のある人、なのかもしれないですばい。

などとぼんわ~としながらぼんわわ~としたことを
思ったりしている私でありますが、
今日も元気にノンポリくんのメリーゴーランドでゴー!
でありまする。


ノンポリくんの心は、スポンジみたいであります。
周りの人の喜び、悲しみ、怒りを
その心にジョンワっと吸い込んでしまう人。

だから彼の心は、その誰かの気持ちのベクトルが
特に悲しみに向かっている時、それを吸い込んだ分だけ
ちびっと重くなってしまうのかもしれない。

しかしそれが「彼」であって、そのことに対して本人は、
別段心にひきずっていくような重荷として
その感情を受け止めているわけではないようで。

ノンポリくんは、周りの人から見ると、主体性が全くないような、
まるでレッツゴー三匹の背の高い人のような感じに見えるけれども、
しかし実はものすごく器の広い人であり、
そこにいなくてはならない人、として存在しているとですね。

彼は、人の気持ちから逃げない。
絶対に逃げない。
そこにいて一緒に気持ちを感じてくれる人であります。

どんな気持ちも、自分のスポンジに一緒に吸い込ませて
呼吸をしてくれる人なのだと思う。

特に何か心に残ることを言うわけじゃないし、
ましてや派手に行動に表す人ではないけれど、
けれども「そこにいてくれる」という確固たる安心感を
彼はその心に持っているわけであり。

だから一緒にいる方は、その自感情がどんなものであれ、
彼が内包する「いるよ」という存在感から自分の心に空気を入れてもらえ、
そして少しだけ呼吸しやすくしてもらえるのだと思われ。

そんな深く広い器を持つノンポリくんの優しい繊細さを、
細かい粒子のように全身からサラサラキラキラと霧散させて、
画面を通して伝達してくる吉岡くんは、
やはりなんといってもワンダホーで参りやしたなあっぱれくんなわけであり。

彼がふっとその顔に翳りを見せる表情なんて、惚れざるをえない
ナイーブ選手権ニッポン代表チャンピオン級でありますよ、ツボ売りくん。

ここでノンポリくんナイーブ解説であります。

解説 II
① みどりちゃんや、文学ちゃんとの会話の場面での彼は、
  「切なさと憂い」の塊。

② 本心はそうじゃないのに、友だちを思って同調してしまう彼は、
  「微かに揺れる惑い」の塊。

③ 親友たちの前で、素直に涙をぼろぼろと零す彼は、
  「悲しみとやるせなさ」の塊。

そうなのであります。
状況に雲がかかる時、彼は繊細感情の塊になっちゃうのでありますね。

頭のてっぺんから足のつま先まで、全身まるごと繊細くんの塊でごんす。

彼のこういった塊感情は、彼の心底から削り取られた原石心情が
そっくりそのまま純粋出土された結果の結晶なのだと思うぞいっ、おいどんは。
(↑得意の力説であります・・・)

そうじゃなくちゃ、あんなに人の心に切り込んでくる演技は
生まれてこないぜ、おやっさん。

もうなんていうか、彼はこういった塊感情を一秒一秒の流れの中に
ぎゅびっと凝縮熟成させて放ってくるから、見ているこちとら
受け止めるミットをしっかと構えてないと大変なのじゃよ、星くん。

だってそれは、
時には人の心を丸裸にしてしまうという凄みをも持っているからですばい。

特に③のようなシチュエーションの時の彼は、
真冬の荒波日本海ばりの切なさ全部背負った悲しみの使者になっちまうんだでよ、八代の亜紀ちゃん。

彼がこういった時に、自分の身を切り刻むようにして生み出してくるその凄み感情は、
火に舞う隕石のようにしてズトーンとまっさかさまに落ちてくる時もあれば、
地殻変動のようにググググーと地の底から揺り動かして来る時もあり、
はたまた、古井戸からゆっくりと水を汲みだすようにして昇って来る時もあるわけで。

しかしそれがどんな形をもって現れても、
それは容赦なく人の心の深さに食い込んでくるから、
それに触れる時、こっちは心がざわざわしてしまったりするわけであり。

もしかしたら、そのキリキリざわざわ感を直感したくない、
または直視することで自分の心に浮かんでくる落ち着かなさを
感覚としても受け入れたくない人たちが、
彼のことを反動でどば~んっとツッパリ寄り切り技で跳ね除ける、
または跳ね除けざるを得ない=すなわち嫌いでございます、
となるのではないだろうか、おかみさん。

ま、ただ単にいけすかねぇ、
ってことも多々あるだろうけど。
したっけそりゃ~しかたねぇべさぁ。

しかし彼の放散するそういった根源的な感情の塊が、
彼に対する好き嫌い関係なく、結局は深く長く人々の心に
残照として残っていく理由の一つになっているのではないのかと・・・。

だから、だから、いつまでたっても吉岡くんのことを
「純」と呼んでしまう人が多いのかもしれない。

純は純だろって枠から抜け出せないくせに、
彼のことをなんだかんだと枠組み評価している人達には、
ギャオワ~~~~~~~って火を噴くゴジラのように怒りプンプンッってなっちゃうけれど、
しかしちびっと目線を変えてみりゃ~、
そういうのも名優であるということの現れの一つなのかもしれんですなぁ、おいちゃん。

しかし吉岡くんの演技を批判するのなら、純フレームは外してくれよ、フェアーじゃないぜ。

あ、横道に逸れちった~。


吉岡くんは、
無様であったり、惨めであったり、情けなくもあったりする姿を、
いやというほどのありのままの感情で、何の装飾もなしにその姿に曝け出せてしまうという、
一種の強さみたいなものも確然として持っているような気がするですよ、
んも~ぅ、かっこええったらありゃしない。

彼のファンをしていてよかったな~って
思うときは多々あることだけれど、その中の一つに、
この彼自身が持っている彼自身の感情を、様々な波動でもって
自分もそれを永遠感覚のようなものとして勝手に感じてしまえるところにあるわけで。


ファンだからね~、こう勝手に思いを馳せてしまうのだよ、ヒデタカく~ん。

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ひだまりの人

2007年06月02日 | CM


吉岡く~~~~~~~んっ、
かわいい・・・・・そして美しいぞ、最新バージョンの君ってば。
魅力的って言葉が服着てるみたいだよ~ん。

新CM情報教えてくれたお友達よっ、ほんっとにありがと~っ!!!!
感謝感謝でござりますっ!


ヒデタカくん、やっぱり君は短髪のほうが、ぜぇ~~~~~~ったい
素敵さ倍増だばよっ、ごめんなすって、好みでやんす。

しかしええ感じすぎるでありますな~。
なんか、雪解けの土からそっと顔を出して、し~~~~っとりとはんなりと
花を咲かせている雪割草みたいじゃば~、お美しいぞな、ほんとにも~っ。

綺麗な映像ですね~。
映画のワンシーンみたいですよ。

この吉岡くんの雰囲気は、ザ・癒しでありますな。

やんわ~りと画面全体を包んでいる優しいBGMみたいな
存在感でありますねぇ、吉岡くんったらぁ、たまんないわっ

特に別になんもせずに雨宿りしているだけなのに、
その雰囲気で、まさに冷たい雨から陽だまりへともっていっちゃう
冷→温の驚き画面解凍オーラだわっ。

雨のリズムと水分を吸い込んじゃっているようなしっとり感と、
やがて差し込む柔らかな日の光のほんわりとした温もり感を、
30秒という短い速度の中にいるとは思えないゆたったりとした
流れで醸し出しているんですもの、すごいじゃんか~。

なんて素晴らしいんだ、君ってば・・・。
そんでもって、なんて美しいのだ、レッドカードじゃよ~。

あ、そだ、ポケットからハンカチだす仕草、これには・・・・・・
やられたわでございます。

瞬間芸ノックアウトパンチでございますわよ、旦那。

あの、さりげない動き全体が・・・・・・・・・・
憎いほど様になっているのは何故なんだ?
いや、それが吉岡くんなのだ、そうなのだ。

あのポケットに手を入れるときの、
顔の俯き+口角の上げ角度具合がぁあああ、
完璧なツボ角度ですね、参りましたでございます。

その一連の瞬間動作がずるいほど様になってる格好よさじゃよ、なんで?
なんでそんなに絵になるお人なのだ、君って人は?
一体いつからどこからそんな薫りたつ美しさを培ったのだ?

いやきっと、その顔に人生あり、ってやつですぜ、たまらんぜな、
ヒデタカくんよ~。

しかしあんな優しさ切なさミックスブレンドされた、
紡木たくの漫画に出てくる男の子みたいな目でもし見つめられちゃったら、
多分、私は、いや、絶対に、100%の確率で、
ERに運ばれちゃうと思う、しかも即行で。

詩的雰囲気大王じゃ、今回の君ってば。

自在変化する人だってことはわかっちゃいることだけど、
この雨宿りくんは、とっても内省っぽい人に見える。
電車の中で朔太郎なんか読んでそうな感じだわ。
枝豆とりだしてアレ?ってなっちゃう天然モルツくんとは大違いじゃの。

根こそぎ別人って感じですばい。

CMでも絶対仕事に手を抜かないんだね~、かっこええのぉ~、ヒデタカく~ん。

ってこれって一体何のCMなのだろう?

コメント (2)
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