月のカケラと君の声

大好きな役者さん吉岡秀隆さんのこと、
日々の出来事などを綴っています。

それを語るもの

2009年01月27日 | 小泉監督作品

「僕だってね、まだまだわからないことばっかり」

初年度最初の数学の授業の中で、
ルート先生は生徒達にこう語りかけていたけれど、
そりゃ~わからないだろう、
あんな寝グセがついちゃうのは。
オイラー博士だってお手上げだよ。

しかしあの寝グセ、
ただのヘンチクリン寝グセじゃないと思う。

推測するにルート先生は、
毎年平均して18人くらいの生徒たちから、

「先生! 
先生は幼稚園の年少さんからその髪型ですねぃ?」

と質問されているはずた。
いやもしかしたら一日平均して19人くらいはいるかもしれない。
これは結構な数の確定申告だと思う。
一歩間違えればそのあだ名が、
「スキカル君」
とかになりかねない。
しかしあの寝グセ。
生徒達は思うだろう。
「ただ者じゃない」。

更に推測すると、ルート先生は、
毎年平均82人くらいの女生徒たちから、

ルート先生

と表面に手描きされた手作りハートチョコを
バレンタインデーに貰っているはずだ。
そしてそれを横目で見ている日本史の先生に、
「ちきしょー、なんであんな母をたずねて三千里の
マルコみたいな髪型のあいつに沢山チョコがきて、
JUNONヘアーの俺には一つもチョコがこないんだぁっ?!」
と憤怒の念を抱かせるのだ。
しかしあの寝グセ。
日本史の先生は思うだろう。
「ただ者じゃない」。

放課後ヘアサロンに直行した日本史の先生は、次の日、
ルート先生カットで登校してくるだろう。
そしてそれ以降生徒達から、
「ザビエル」
または
「宣教師Xの献身」
もしくは
「フランシスコDeフランキー」
とあだ名されてしまうのだ。
ぼっちゃんヘアーは人を選ぶ。
そしてあの寝グセに日本史が入り込む余地はない。
日本史の先生は更に思うだろう。
「理系に進めばよかった」。

ルート先生が人から一目置かれるのは、
なにも学校内のことだけではないと思う。
例えばルート先生がクリーニング店にワイシャツを持って行けば、
そこの学生アルバイトの女の子から、
「ほんとは三枚でぇ1000円なんですけどぉ、今日はサービスでぇ、
20円です♪」
と、ときめきクーポン券を貰ってしまうのだ。
「ありがとう」
と笑顔で言いながらもルート先生は規定額の1000円を払うだろう。
独立自尊。
そしてあの寝グセ。
学生アルバイトの女の子は思うだろう。
「んきゃ

それを後ろから見ていた他の客、練馬区の中村さんは、
「くそ~、なんであんなブカブカのジャケットを着ている野郎が
特別料金をオファーされて、バーバーリーの高級スーツを着ている俺は
通常料金なんだぁっ?!」
と憤懣やるかたない思いを抱くのだ。
しかもあの寝ぐせ。
中村さんは思うだろう。
「ただ者じゃない」。

次にクリーニング店に来た時の中村さんは、迷うことなく
紳士服のコナカで買ったブカブカのジャケットを着用している。
けれど料金は通常のままで、しかもアルバイトの女の子から
「ガリバー」
と陰であだ名されてしまうのだ。
ブカブカのジャケットをマークで着こなせてしまうのは至難の業。
練馬区の中村さんは更に思うだろう。
「レ・ミゼラブル」。

以上の出来事をレポートにまとめて提出したとしたら、
ルート先生はこう言うに違いない。
「ノートはとらなくていいからね」
いやそうではなくて、
「寝グセがなおらなくてね」と、
“寝グセができちゃって、テヘ
という事実だけにルート先生は照れてしまうのだろう。
そこから派生するモテモテ事実には全く頓着しないのだ。
おっ
そうだったのかっ。 
あのヘンチクリンな寝グセは、
ルート先生の無欲が形になったものなのだ!

やっぱりただの寝グセじゃなかった。
ルート先生、
ただ者じゃない。
きゃいん

ってな賞嘆にもてんで気付かず、ただひたすら日々
数の浪漫を追いかけているルート先生なのかもしりない。

情熱ってとってもシンプルなものだと思う。

無欲な情熱は無敵なのかもしれないですねぃ。
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ルート先生・その2

2007年06月27日 | 小泉監督作品


ルート先生は
何がツボって、
なんてたって
あのネグセヘアーであります。

あんな妙ちくりんな魚釣りの針みたいなネグセをつけているのに、
んもう~、思わず「とぅあっ!」って空中ジャンプしながら
羽交い絞めにしたくなっちゃうくらい可愛いお人でありもうす~。

あちしはやっぱり短髪吉岡くんの方が可愛さ倍増、好み倍増ですだ~。
可愛ええよぉ~。

しかし一体どんな寝方をすれば
あんなネグセがついちゃうのだろう、ルート先生ってば。

鉛筆を髪の毛にクルクルといたずらに巻きながら、
難解な数学の問題をウム~~~~ンと解いている途中で、
ふにゃ~んとそのまま机に伏せって寝てしまったのだろうか?
で、朝おきてみたら強力ネグセの出来上がり、ひょわ~~っ、とか?

ありえるのかもしれない・・・なんかちびっと天然っぽいし。

しかし近代稀にみる「変てこハネハネヘアー」してて
許されてしまう人っていうのは、私の歴史の中では、
ルート先生とサリーちゃんのパパぐらいでありますよ。

でもなんだっていいのだよ~、
だってタックル級の可愛いさだからね、チミは。
(☝サリーパパでねぇです、ルートくんです)

ルート先生って、その容姿から動作まで
私の持つ「どっぷり理系な人」イメージそのままっす。

ネグセを除けば、な~んの小細工もされてない、いってみりゃ~
「母さんバリカン小学生カット」
みたいな髪型とか、体がその中で泳いじゃってるような
ブカブカジャケットとかが、自分の記憶の中にある
高校の時の理系教師像とピタリと合致しておりますだ。

特に冒頭シーンでの、
彼が教室へ入ってきて教壇に立つその姿。
こりがぁ~、私にとってはまさにズバリ数学の先生でやんした。

俯き顔でガラっと教室のドアを開けて閉め、
そして教室の中は一瞥もしない俯き視線で
スタラ~と教壇の方へと歩いて行ってそこに立つ
その飄々とした様が、なんか
「まんま数学のセンセイずらっ、かんどーっ」
って感じでありますだ。


数式を説明する時の間と間の取り方、
バランスよく盛り込まれるジェスチャー、
生徒への反応対応などから、
とっても教え方の上手な先生なんだな~、
って感じがやんわりと彼から溢れ出ていて、
観ていてほんとに楽しくなっちゃうのでありますが、
観ていてほんとに楽しくなっちゃう数学の先生というのも
私の人生初の存在でありますだ。

ブラボ~でございますね~、ヒデタカさま。

この作品での吉岡くんは、まさにツボツボブラボ~金太郎飴、
略してツラボ~くんでありやんした。(←略しすぎ・・・)

おおらかであると同時に謙虚でもあるその演技はもちろん、
ロケット打ち上げクラスの可愛いお姿も全て含めて
どこもかしこもツラボ~吉岡くんのお出ましでごぜぃやす。

「授業とは違うから(ぁ~)、ノートは取らなくていいからね(ッ~)」
みたいな、この( )内のびみょ~な(~)の空気の抜き方と、
「いいからね」の「ね」の部分のこれまた微妙な声のトーンの落とし方などがっ、
ヒデタカ吐息語尾技でツラボ~くんその1。

センセイ?っと呼ばれて、うんって無垢に頷く仕種で、
出たぜヒデタカ頷き技のツラボ~くんその2。

特にこのツラボ~くん2はウルトラ必殺技でありますだ。

あ~んな純粋にうんって頷かれて、
すっと顔を見つめられちゃったら、
あちしだったらその場で「あわわわわわわわっ」って、
陸に上げられたちょうちんアンコウみたいになっちゃって、
挙動不審で強制早退させられちゃうよ~。

他にも、「私はここ。独立自尊」っていいながら
プレートを頭の上に出しちゃう仕種とか、
「早いね。」って絶妙なタイミングで言いながら
サラッと動かす手の仕種とかぁ、
「そうそう、そのアイだよ、アイ」って言いながら
ほんとに楽しそうに生徒と一緒に笑う姿とかぁっ、
まわるまわるよ~、みたいに円プレートを
「ね?」って生徒に相槌打つようにチラリ見して
クルクル回してテレたように笑っちゃう姿とかぁっっ、
「ヒュ~」って流れ星が流れる仕種をしてみせちゃったりとかぁっっっ、
そしてなによりも、数式を説明しながら、時折、うん、うん、って
言葉の合間や終わりに、ふわっと微笑んで頷く仕種がぁああっっっつ・・・・
やられもうしたおいどんは・・・ツラボ~くん。

いちいち素敵すぎるんだよぉおおおおおっ!
なんなのですか、あの
「ふっきれちゃったような可愛さ」はっ?!

どっかの星からやってきたラブリ~親善大使みたいじゃんか~。
ツボすぎるのでありますだよ、もしやおツボネさまなのですか、チミ?

まったくぅ、罪なお人じゃねぃですかい、たまらんのぉ。

しかし私にとってのルート先生の魅力って、
もちろんその外見のプリティ~さによるところも
大きいけれども、決してそれだけじゃなくて、
その可愛い容貌プラス、彼の体全身から、
「永遠の夏休み」みたいな、清々しい開放感が
サワ~っと吹いてく風のように感じられるところにも
あるのでありまっす。

万年少年みたいな感じなのかもしれんですね~。
数式の中に入り込んだルート先生からは、
「しがらみ」とか「こだわり」のようなしこり感情から
放たれる塵のようなものは微塵も感じられないですだ。
ほんとに屈託がなく、楽しそうで、彼独自の速度をもって
数学の世界に熱中してるのが、彼の放つ風オーラから
とても心地よく感じられてくるわけで。

もしかしたら、そういう状態も、
ある種の「無」という状態であるのかな~、ふむ。

彼の無状態が観客の無状態をよんで、
数式の語る無状態の世界へとス~ッと惹き込んでくれているので
ありましょうか・・・なんだかよく分からなくなってきちゃった。

それからもう一つ、この吉岡ルートくんは、
これはコトー先生にも言えることだけれど、
「先生」っていう言葉についてきてしまいがちな、
「なんてたって先生だかんね、ボク」っていう、
カーテンの裏側になびいちゃってるような威圧感も驕りも
まったく感じられてこないあっぱれそよ風くんであるというところも
これまた観客の心を大開放してくれちゃう大きな魅力なのだと思われ。

ルート先生は、彼から、そして生徒から
互いに投げかけ合う質問を通して、きちんと
生徒たちとコミュニケーションを取り合っているのが、
彼の動作、表情から誠実に伝わってくるでありまする。

生徒に教えることによって、
自分自身も学んでいるという謙虚さが、
彼からやんわりと伝わってくるのでありますだ~。おぉ、トレビア~ン。

だから彼のいう台詞の一つ
「ぼくもね、わからないことばっかり」っていう言葉が
なんの厭味もなく真実味をもってスルリン、と
人の心に入ってくるのだと思うわけで。
やはりこの人は名優なわけで。

ルート先生が、生徒達と自分の間に流れている
初授業ゆえのぎこちなさを、自分もかつて教えてもらった
博士の愛した数式の美しさを生徒たちに伝えていく
そのプロセスの中で、なによりまず自分自身が
その世界を楽しんでしまうことによって、教室に流れる空気を
「心地よい夢中」に変えていく「そういう感じ」が、
すっご~くよくリズムをもって伝わってくるのですだ、
マジックみたいでねぃですかい、セニョ~ル。たまらんぞな。

しかしよくまぁ、あれだけの膨大な台詞を
暗記したものでござりますだ~。
落語みたいなストーリー性を持っている
長台詞ならまだわかるけど、
数字の並びやら年代やらカタカナ名前やらなんやかんやの数学用語だの、
私だったらそれを目にするだけでも
頭の中はサハラ砂漠みたいになっちゃうのに、
全暗記って・・・しかも名演技してる・・・スゴイ・・・尊敬ものだ。


「数学」なんて、その言葉を耳にしただけで、思わず
裸足で夕日に向かって逃げ出したくなってしまう題材なのに、(←自分のことだった・・)
それでも多くの人をその世界にうっとりと魅了させてしまう
吉岡ルート先生は・・・・・・・・・やはり只者ではないのだった。


ラストの海辺のシーンで、大人になったルートくんが
キャップを取って博士に深くお辞儀をする姿には、
いつ見ても涙が出てきちゃうのであります。

博士が投げ続けたボールをしっかりとキャッチしながら
立派な人に成長したんだねぇ~、ルートくん。
感動だよ~。

そしてその後に聴こえてくる、
ブレイクの詩を読む吉岡くんの声からは、
深い深い慈しみが、
ひっそりと感じられてくるのでありますだ。

泣けてくるでごわす・・・。

なんか、彼自身が、その美しい詩のような
存在でありますだよ、吉岡ルートくん。

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雨あがって権之丞

2007年05月14日 | 小泉監督作品
なにを隠そう(って誰に?)私は馬乗りさんに弱い。
ギター野郎にも弱いが、馬乗り野郎にも滅法弱いのであります。

いや、これは決して大井競馬場の騎士に弱い、というようなその道の
プロフェッショナルを究めちゃった方々のことではなくてですね、
それ以外の、いわゆるときどき馬乗りさん、
またの名をどこでもホースライダー、ヤフ~ッ! 
ってな殿方に弱いのであります。

それは荒野の荒くれガンマン兼カウボーイであれ、
どこが素顔なんですか、とその甲冑をもぎり取りたくなる戦国武士であれ、
一旦馬上の人となりしは、その人が例え
あしたのジョーの丹下さんのような人であったとしても、
「なんかかっちょええやんか・・・・・」と思ってしまうという、
即席出前ウフフフ一丁効果をもたらすのであります。

「雨あがる」という作品。
私にとっては皐月賞なみの記念映画でありまする。

乗っちゃっているのでありますよ、馬にぃ~~~~~っ。
誰がって、あんさん、リボンの騎士じゃありやせんぜっ、
ヒデタカくんですがなっ。

馬に乗って疾走しているのですよ、奥さんっ。
ヒ~ハ~ッとか叫んではいないかもしれないけど、とにかく
馬ごとスピードレーサーなのですよっ、マッハゴーゴーなのですよっ!
ケンケン出てきてハッシッシッシッシなのですよっ!

そこの場面にくるまで、筏下りの観光客のような気分でこの作品を
鑑賞していたところにもってきてのびっくり玉手箱! 

しかも余りにも一瞬の出来事で、なにがなんだか白昼夢だったのかしら?
デイドリームビリーバーならモンキーズが歌っていたわよ、
レコード持ってたわっ! なんて頭の中はすっかりパパイヤふぇすてぃば~る。

もう一度観たいっ、と思ったものの、しかしそこは映画館であり、
まさか映写技師さんに「すんませんっ、巻き戻してくださいっ!」
と言うわけにもいかず、流し観てしまった世紀のお宝映像に、
ただただ、その場で売られていくドナドナのような顔で
画面を見つめていつしか映画はエンドロール、という悲しみまでも誘った
場面なのでありました。

反則じゃないか~、吉岡く~ん。

あなたってば、それまでの場面では、なんだか、
「ねぇ、そこの茶屋で一緒に団子しない?」
なんて思わせちゃうようなラブリー侍だったくせに~っ。
最後にきていきなりシャキキ~ンッってなっちゃったから、
こっちまでビワワ~ンッなジェイソンびっくり電撃ショックだったわよっ。(←マニアックすぎる・・・)
まったくぅ、油断もすきもありゃしないわっ、権ちゃんったらっ!

そう、この権ちゃんでありますが、馬から下りている平素はですね、
なんとも愛くるしいキャラでありまして、
それはまるで性格改善カウンセリングを無事終了したスネオくん
みたいな人物でありまする。

いつもお供に付いているジャイアンみたいなお殿様を、
時には愛嬌で口とがらせてスネスネしちゃったりしながらも、
しかししっかと陰に日向に殿を支えているという、
何気につわものな人物なのでありますね。

その権ちゃんを演じなさった吉岡くんは、たいそう初々しいでござります。
台詞まわしも、立ち振る舞いも、ういういしい。
殆ど役者は経験したことがなかったという、お殿様を演じられた三船さんより
そりゃ~もう、ういういしい。
体全体から放たれているういういしいういういオーラ。
まったくもって降参だよ、っていうくらいういういしいので、
こっちは思わず「ういういサムライくん」などと命名したくなってしまいます。

このういういしさが、権之丞というぼっちゃん侍の位置を作品の中で
確立させているのだと思うのですが、 しかしやはりそこは吉岡くんでありまして、
ただただういういサムライくんとして存在しているだけではありまっしぇん。

ストーリーにすっと重石をのせる、文鎮くんの役目もしっかと果たして
おりますぜ、旦那。あっぱれじゃ~ねぇですかい、フフ。

ジャイアン殿様を立腹させてしまった主人公を、
権ちゃんが城外まで送り出す夕暮れのシーンは、
ええ場面でしたよ~ん、ヒデタカく~ん。

こういう場面のときに彼が醸し出す、やんわりとシーン全体を
包み込んでしまう包容力は素晴らしいでがんす。
それはなかなかスクリーンに出せる代物ではないと思うですよ。
特にあの若さでは。

深いでござるのぉ~、君ってお方は。

心配なされるな、とおおらかに主人公をなだめる様子は、
まさに、一日の疲れを癒してくれる、どこか切ない暖かさを内包している
夕暮れの柔らかな光みたいやったよ、吉岡くん。

情景と絶妙なハーモニーを奏でるんじゃよ、君ってばさ~。
ブルースクリーンみたいなのですよ、あなたという人は。
風景を決して邪魔したりしないのですよん。ムエビア~ン。

なんて懐の広い存在感なのだろう、すごいじゃないか。

ヒデタカ節ってやつじゃの。
降参だよ、君には。
って、もうとっくに何度もしていることだけど。


そして、降参といえば乗馬シーンなのですよ。(←どうしてもいいたい)


私は以前乗馬レッスンを受けていたことがありまして、
なので馬上の高さ、スピード感というものがちびっとは判るつもりでありまする。

実際の馬上の高さというのは、乗ってみると結構な迫力でありますですね。
自分の体がシートベルトなどで体が固定されていない分、
その高さが自分の気持ちに不安をよんでしまったりするのですね。
そうすると、お馬さんたちはお利口さんかつ狡猾だったりもするので、
馬上の人物の気持ちをサササッと読み取るわけです。
「こいつ、びびってやがるぜ、ヒヒン」と思われたら最後、
お馬さんたちは馬上の人物に誘導権は渡さないのでありますね。

そこら辺の人と馬の気持ちのやり取りが乗馬のコツなのではないのかと
思われるですが、そのコツをつかむのは決して容易といえることではないわけで。

この映画で彼がラストに披露している乗馬スタイルは、
決してハイ・レベルといえるスタイルではないけれども、
しかし三船さんのように「馬を乗りこなす」ようになるのは、
いくら運動神経の優れた人であっても、最低半年、いや一年の
練習期間は必要だと思われ。

そして乗馬は運動神経だけあればええ、ということでは決してないわけであり、
そこには馬の心を収攬する技、スピードに対する勇猛さもないと、
上達への道は遥か彼方の水平線ほど遠のいてしまうわけでありまする。

そういったことを全て踏まえたうえで、
まったくの乗馬初心者が馬を乗りこなせるようになるのは、
そこに時間制限がある場合、かなりのドリル・レッスンが必要なわけで。

ものすごい練習量で馬に乗りこまないと、ああいった走りを短期間で
マスターすることは至難の業だったと思うぞ、ヒデタカくん。

しかしやってのけちゃったのだ、君って人は。

うぅ、なんてかっこええのだ、君ってばぁ。

突き詰めちゃうんだよ、君ってばよ~。
職人じゃね~か。

うだうだギャンギャンほざいているだけの口先案内人とはわけが違うんだぜよ、君って人は、
フフ。


吉岡くんよ、
君には疾走感があるのだ。

信じられんくらいの一意専心で物事につっぱしっていく
君のストイックな疾走っぷりに私はシビレちゃうのだよ。

そういう疾走感のある人を
「えっらいかっこええじゃんか!」
と天に向かって叫びたくなっちゃうのだよ、あちしは。

韋駄天野郎じゃなかですか。
たまらんぜよ、惚れまくりだぜ。


ヒデタカくんよ、君はギターも弾けちゃう馬乗りさんだなんて、
どこまでツボツボ星人韋駄天野郎なのですか。


シルクロードで馬に乗ってる君を再び見たときにゃ、
「今年はいい年でしたっ。神様ありがとー!」
って年明け早々狂喜乱舞しちゃった程だったでござりますよ、あっぱれくん。


白馬にのった王子さま。(←白馬でなくても可)
こんな世界共通乙女の祈りを、それを見るほうにはいかにも
シャラ~っとやってのけてしまうヒデタカくんよ、
何度も言うようだか言わせていただく。

かっちょええのだよ~、君ってばぁ~。

君ったら、椀子蕎麦のように、次から次へと新鮮な魅力をてんこ盛り
してきちゃうので、あたしゃどうすればええとですか? 

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ルート先生

2007年04月06日 | 小泉監督作品

私の数学オンチさときたら、
それはもうハクション大魔王も及ばないほどだった。

毎日、数学の時間が近づくだけで、オロロンオロロンとなってしまい、
しかし「それはないでごじゃるよぉ、カンちゃ~ん。」と友達とふざける心の余裕もなく、
ただひたすら「神様、今日はあたりませんようにぃ~。」
と数学の時間の前だけ急に信心者に豹変して、
「神よ、仏よ、なんまいだ~あ~めん。」と半べそをかいていたであります。

その半べそ要因となったのが、中二の時の数学担任の教師。
もう、どうしたらこんなに嫌な人間に成長できたのかっ?
っていう程、嫌な人お見本例です!っていう人で、
それは、「インドの山奥で嫌な人修行で山こもってまして、
おかげさまで嫌な人として達観してきました。よろしく。」
って表彰状と一緒に下界に降りてきたみたいな人だった。
それだけ嫌な人を極めていたという意味では、ある意味すごい奴だったのかもしれない。

しかし、人間的に全く尊敬できない人に「ものを教わる」ことほどつらいことはないのであって、
私は13歳にして、それを実感として経験してしまったわけで。

だからこの映画を観たときに、「あぁ、私もルート先生に数学を受け持ってもらっていたら、
私の人生はハクション大魔王よりましなものになっていたかもしれないわぁ。」
と故郷の方角を向いて遠い目になってしまったのでありました。

しかし結局、もしルート先生が数学の担任だったら、
授業なんてほっぽいてひたすらぼぉ~っと、そのラブリ~なお顔をみてにやけたり、
はたまたノートの端に、映画の冒頭で女子生徒達が黒板に書いてたみたいな
似顔絵をハート付きで描いてウフ♡なんてなってたり、
補修を受けたいがために試験勉強なんて全然せずに赤点とっちゃったりなんかして、
あぁ、やっぱり私の人生はハクション大魔王以上にはならなかったであろうと思われ。
チーン。

無駄話はここらへんにしてですね、

いやぁ、しかし、このルート先生はあっぱれでしたね~。

ファンという贔屓目を抜きにして(9割抜き位だけど)も、
圧倒的に素晴らしかったでござる。
彼の役者としての底力を再確認したでありますよ。

この役はとっても難しかったと思う。
基本的にはルート先生の出番は一人芝居だから、
これ、作品の中で目立とうと思えばどこまでも目立てる位置の役だと思うんだけれども、
そこはさすがのヒデタカくん、ちゃんとバラの花束の中のかすみ草の役目を
堅実に演じておりましたですばい。

数学の授業っていう無機質になりがちな小道具だけで、
あそこまでルート先生を昇華させたのはすごい。

観客に、「あのしっかりと暖かい素敵なお母さんに育てられたんだなぁ。」とか
「博士の影響を、人としてしっかりと受け止めて成長したんだなぁ。」とか、
そういう、ある意味この映画の核になるメッセージが彼の演技からやんわりと、
でもしっかりと伝わってくるもの。

以前どこかのインタビューで、
本人が「脚本を理解する能力はあると思う。」って答えていたけど、ほんとだよね。

すごいと思う。

まず作品をきちんと理解してから、自分の演じる役の位置を的確に捉えるんだろうな~。

惚れるぜぃ、ヒデタカ。

私が見てきた彼が演じた役の中で、このルート先生が
一番好きな人物かもしれない(満男くんは別格なんだけど)。

あぁ、それにしても可愛いなぁ、ルート先生ってば。
背中に背負って持ち逃げしたいっ!


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