月のカケラと君の声

大好きな役者さん吉岡秀隆さんのこと、
日々の出来事などを綴っています。

時の実り

2009年07月01日 | コトー先生





とても不思議なことなのでありますが、
ついこのあいだ、

あけましておめっとさ~ん!

民雄ぉおおおーーーーーーーーーーーっ!!!

堺さんと共演ですってぇええぇぇぇぃマチャアキじゃなくってよ~
マチャトンとなのよぉ~~~~~~~~ぃやっほぉ~~~っ!
なぁんて美味しいコンビつゆ、
ヤマサ♪
両方白だし。

クラ~~~~~。

なんて浮かれまくっていたら、
暦は文月、すでに七月でございます。

なんてことなのかしら、お主いつの間にっ?(←お主って誰?)
しかしなんともはや、
時の流れの速さとは不思議でございます。
そしてこの胸に去来する、
おいてけぼり感はなんなのでしよう?

今年こそは、「きちんとするのだ」と誓って早七ヶ月、
立派に「きちんとできないのだ」と周囲に言われている私は、
アホアホマンなのでしょうか、きっとそうだ、しょうがない、お父さん、
あなたの「万年常夏遺伝子」はしっかりと娘に受け継がれました、
あはあはあは~♪
ごめんなさい、お母さん。
来年からきちんとしよーっと。

なんてなことはどうてもいいとして、こうして改めて
2009年前半期・毎度雄叫んじゃったよ吉岡く~ん回数を
羅列してみると、意外に意外と意外なところで、

働いているのね、吉岡くん。

んきゃぁ~~~~~~~~~
ええわぁ~~~~~っ、そのさりげなさがたまらないのよぉ~、
かっこええよぉ~~~、最高っだぁ~っ、吉岡君、ひょっとしてあなたは、
サリゲ~マンなのですか?
んふゅ
ありがたや~~~~。


そだそだ、お友達から聞いたところによると、なにやら、
2006のコトー先生が再放送で(関東地方だけに?)
お目見えしているそうで、おめでたいことでありまする。
そうよ、そうよ、そうだったわ、思い起こせば、
2006のコトー先生は・・・コトー先生は・・・コトー先生は・・・
2003より三つ年取ってる。
って違くってよっ、いや事実なんだけど、でも言いたいことはそうでなくて、
2006年のコトー先生は・・・コトー先生は・・・コトー先生は・・・、
悩める美しき人だった。

コトー先生は、いつでも変わらない温かさをもっている人だけれど、
でもなんか、その温かさの印象が、2003と2006とでは、
ちょっと違うような気がするですばい。
なんというか、全体を通してみる2003の温かさは、陽だまり。
2006の温かさは、焚き火のよう。
ほんわかと人に降り注ぐ日の光と、
差し出された冷たい手を懸命に温めてあげる小さな焚き火、
そんな感じの違いがするとです。

とにかく2006のコトー先生は、
ずっとずっとひとりぼっちで悩んでいた、
そんな印象が強く残っているとです。

明かりを落とした診察室で、
自分の部屋で時にはラーメンすすりながら、
鳴海先生にブチっと電話を切られてしまいながら、
炎天下の中、けなげにチャリンコをこぎながら、
道ですれ違う人と明るく挨拶を交わしながら、
すいか畑でまたまた捕まってしまいながら、
悩んでしまっているその姿はとても一人ぼっちで、
深~く揺れる波のような懊悩が体全体に漂ってしまっており、
ついでにその横顔も深い、彫が。 美しい・・・。
んふぅ

悩むごとに、まるで何かから脱皮していくように
美しくなっていくコトー先生・・・。
最終回で、東京から帰ってきた後のコトー先生は、
天空から舞い降りた人みたいやった~。。。
風にたなびく白衣がまるで天の衣みたいだったよ・・・・
はぁ~~~~~~~~~~~~~~、もう、

「悩ませBefore → 悩んでAfter こんなに美しく変わりました♪」

って美容広告に出れてよっ、美しかぁ~~~~~~~。

吉岡君は、悩ませたらミス・ユニバース日本代表だと思う。


悩んでいる演技に限ったことではないけれど、
吉岡君の凄さって、その時々に見せる感情を、
漂わせていたり、醸し出していたりするのではなくて、
あくまでも、漂って「しまっている」、
醸し出されて「しまっている」、
というところにもあるのだと思うであります。

演じる人物が抱えてしまっている様々な感情が、
どうしようもなく、防ぎようもなく、渦巻く心の奥底から
体全体に浮き出されてしまっている、滲み出されてしまっている、
という感じがするです。

憶測の域をでないけれど、吉岡君は、演じる人物に、
きちんと寄り添える人なのではないのかな~って思うであります。
紙の上に作られた平面人物を、
自分の心の定規にむんぎゅと押し当てて、
そうして作り出した製品シールを
体面にペタと貼りつけて演技するのではなく、
脚本から読み込んだ人物の人間性をまず第一に尊重して、
その人物の呼吸音にきちんと耳を傾け、
その複雑な心模様に正面から向かい合いながら、
自分自身の心をその人物にふっと開け放して立体化させてあげる、
そんな強さ、大きな度量が、吉岡くんの演技の根底には
しっかりと流れているように感じられるわけで、
そしてその器はすなわち、
吉岡君の持つ美しさの土台のような気がしてならないとです。

美しいな、と思う人は沢山いるけれど、
美しいな、と感じさせてくれる人は希少でありまするだ。

吉岡君って、
外面の美しさに魅かれていく喜びを与えてくれるというよりは、
もっとこう、
内面から湧き出てしまっている美しさで
包み込むような幸福感を与えてくれる人、
っていう感じがするのでありまして、年輪の魅力を重ねる人なのだ、
バームクーヘンですの? 
確かに、流行に左右されない独自の味と香りで、
人を魅了し続けている人だわよね、チミってばぁ~ん。
んもぅっ、どうしてくれるのっ、惚れちゃうじゃないのっ!
とっくに惚れてるけど。


吉岡君は、きっと、
時に流されることなく、
時と一緒に実っていく人なのかもしりない。

んはぁ~っ、
たまらんとですばいっ、
吉岡く~~~~~~んっ、
好き。

大好きや。



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さざ波

2008年09月10日 | コトー先生


ここのところどうも気持ちはなんとなく、
窓辺のしおれたヘチマ顔。
という感じでございまして、
秋でございます。

こういう気分のときはなんといっても
心のユンケル吉岡君でエネルギー補給が一番よねぇ。

ということで「警官の血」のオフィシャルサイトに行って、
最新吉岡くんのお顔を拝むこと1.2秒。
吉岡く~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ん!!!
リサイクルやん、この写真。

(リ)サイクリング~ (リ)サイクリング~ やっほ~やっほ~♪

思わず歌ってしまったではないか。
こういうところがまったくほんとに吉岡君ったら・・・・・・・
すっきやで。
ぃやっほ~ぃ!
んふ

それにしても暫くその最新版お姿を拝見していないけれど、
お元気なのかしら? お元気? お元気なの? お元気ですかーっ?!
アントニオ猪木です。
だぁっ、アントンはどうでもよくってよーっ、わたくしが恋しいのは
吉岡君なのだ。

それにしてもこの写真の吉岡君ったら・・・・・・・・
ふびゃ
そうじゃなかったわ、この吉岡君の表情ったら・・・・・・
ザ・キュイン。
ユネスコ世界遺産登録級の眼差しですってばよ~。
どうしてくれるんだぃ、えぇ、旦那ぁ。惚れちゃうじゃないかぁ。

「まなざしの君、秋深し、枯葉はらり。」

とでも呼べばよかとですかい? 長いじゃないか~。それじゃ~略して
「ま。」
にしておこう。吉岡くんったらたまらんねぇ~。

とにかくもうこのなんちゅーか、分度器2度くらいの尺度で
「翳っている」
表情がもうなんともどうにもこうにもどないしてくれるのだっ、吉岡君っ。
おまけにリサイクル写真だし、エコよね。 
ネコでもあるんだけど。
って思考がはちゃめちゃあばれはっちゃくになっちゃったわぁ!
はぁ~吉岡く~~~~ん・・・・・・
恋しいぞなもしぃ~~~~~~~~~。 
よしおかく~んっ、ヨシオカく~~~~んっ、よっ、しおかくんっ、
よぉ~~~~~~しっ、岡くんっ、エースを狙え! よしおかぁ・・・・・・
よ~しおか~・・・・・よしおかくんったらぁ・・・・・・・・・
良雄か?

なんでやねんな。

んもーっ、こうなったら原始の叫びだ、吉岡きゅ~~んっ、
うがぁ~~~~~!

アホ丸出しになってしまった、また。

愛とは自分を曝け出すことなのね。
はぁ~。 どんな呼び方をしても切ないわぁ~。
きゅいん。

こういうときはそうだ、コトー先生に治療してもらおう。
そういえばコトー先生は久しく見ていないずら。
03のコトー先生を観ようかな~、04にしようかなぁ、それとも
007?
ってそれはボンドだったわ。
でも五島くんっていってみればボンドくんよね。
あ、でもボンドはボンドでも大木ボンドじゃなくってよ、
コトー先生は見る者のハートをピタリンコ、
とその存在にくっつけてしまうスーパー接着ボンドくんなのだ。
なぁんてわんだほーなのかしら~ん、吉岡君ったらさすがだわぁ~。
ということで今日の格言はこれです、
「ボンドばんざ~い!」(←格言なのかよっ?)

ということで06のコトー先生なのでありますが、
このシリーズの五島くんはなんというか、
静まった夜の湖面に揺れている月の光みたいでありました。
いやもちろん時にはキュートにおちゃらけていたりとかしているのですが、
でも全体を通すとなんとなく、暗い湖面に落ちた澄んだ月の光、
という印象が残るとです。

夜風を、葉擦れの音を、影を射す雲を、夜鳥の叫びを、
そっと静かに受けとめ凪いでいる五島君。
という感じでありまするだぁ。

この印象はでも、改めて久しぶりにコトー先生の姿を見て
思った感想ではなくて、コトー先生の姿を思い浮かべて
脳裏に湧き上がってきた印象であり、そこがコトー先生の、
いや吉岡君のあっぱれ見事な力量なのだと思うわけで。

吉岡君は、演じた役を思い出させるときに、
その人物の揺るがない温度感を
まず心の感触として思い出させてくるわけで、
そこがなんともほんまに、
名優ずら。

その人物になりきるっていうより、
もうちょとなんというかこう、
演じる役の人物に、
己の全てを預けきってしまう、
という感じがするっす。

だから演じている吉岡君の姿からは、
彼本来の姿は浮かび上がってこないでありますだ。

でもコトー先生や、他の人物、例えば
満男くんや茶川先生から湧き出される様々な感情は、
演じている吉岡君本人がその心を掘り下げ、それこそ時には
そこに容赦なく斬り込んで掴み出してくる感情だから、
それならどの役も突き詰めて考えれば、
それは全て吉岡君自身の姿なのかもしれないじゃ~ん。
となるのかもしれないですばい。

でもそれならば、彼の演じる役の人物から感じとる様々な感情は、
どうしようもないくらいなインパクトで現実そのものなのであり、
どうしようもないくらいなインパクトで人間そのものであるから、
突き詰めて考えれば、彼の演じる人物たちは
即ち私達自身の姿でもあるのだ、
ともいえるかもしれないですだ。

吉岡君は例えば、「ありがとうございます。」
という台詞一つにしても、それを決して、
「ありがとうなんだからそうなのだぜよ。わかったか、うりゃ。」
といった感覚的なごり押しに逃げたりしないですたい。

一つ一つの台詞をきちんとその場の感情にし、
その感情に言葉を乗せ、そしてそれを砕き、
砕いて砕いて微粒子に拡散して、そしてそれを
見るものの心の中に散りばめていくことのできる人だと、
そう思うとです。

散りばめられたその微粒子の感情は、
少しずつ人々の心の中に積もっていき、
そしてやがて一つの確かな人物像をそこにしっかりと
形作って残していくのだと。


人生はさざ波のようですばい。
心の海から、喜びや悲しみが、
寄せては引き、引いては寄せるとですね。

その波に終わりはないけれども、
でもそれが生きているということであり、
それが人生の鼓動なのだと。

吉岡君の生み出す人物は、
そのさざ波を聞かせてくれるわけであり、
その音色にそっと寄りかからせてくれるわけで。

その波の姿は悲しかったり、
辛かったりする時もあるけれども、
でもその波の音一つ一つに耳を傾ける時、
心の中に広がってくる人生という海の景色は、
やはりとても美しいものなんだな、と。

吉岡君は、
そう気づかせてくれる人でありますです。

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そこに、人が生きている

2007年08月22日 | コトー先生



前回からのつづきであります。
コトー先生2003、第二話。

内さんの大動脈瘤の手術に入っているコトー先生。

オペ中のコトー先生は、
とても凛々しく、そして頼もしさ十尺玉花火打ち上げ級。
惚れるでよ、五島くん。

いきなりの出血に驚く和田さんと彩花さんに、
ハシっと一言、
「落ち着いて。」



落ち着けませんがな、旦那。



どうすれば落ち着けるのですか、こっちとら?
チミの冷静沈着シャキット手さばき目線と低音ボイスに、
こっちは心拍数が上がりまくって、まるでゲートに入れられた
アドレナリン満載の競争馬のように血湧き肉踊っちゃうのですぜぃ、
かっちょええぞぉっ、ヒデタカくん!

和田さんに向かって
「和田さん、人工血管を」
と言うとき、彼のお目めはシャキキーンッ!
って眼光鋭いのに、しかしその声に鋭い響きはまったくない、
あくまで冷静指示トーンの鋭さ冷静一括同時支払い。

こりは・・・・人間業とは思えない・・・何技なのでしか、神業くん?

額の汗を拭いてくださいと、和田さんに頼む時の声なんてぇっ、
そこにはちび~~~~~っとだけ感じ取れる疲れの響きと、
ちび~~~~~~っとだけ感じ取れる先輩風な頼もしさが、
コトー先生の謙虚な全体の言葉の響きにアクセントされててこれ絶妙!
そんでもって汗を拭いてもらった後に柔らかに「はい。」って言って、
目をしぱしぱって瞬いて再びオペに集中する五島君の姿は・・・・・・・・
猫にマタタビっ、私にヒデタカっ!

だぁーっもうっ和田さんっちょっとどいてよっ汗なら私がパヒパヒ拭いて
あげるわよっついでに化粧水もはたいてあげてよっ五島く~んすっきやでっ!

って息継ぎなしで叫んで、イソギンチャクのようにテレビの画面に
べったり張り付きたくなっちゃう程にっちもさっちもブルドックわぉ! 
なのですだぁ~。

オペシーンでの吉岡くんは、目線で場面の緊迫さを出し、
声音でコトー先生のキャラクターを出しているのだと思われ。

彼の感情が、声音、目色、更に空気の色となって、
場面を動かしているとですね、まさにドラマじゃ、
ビバって、ヒデタカッ、ビバノンノンッ!
シビレルぜ~~~~~いっ、ヒデタカーっ!!!!!

はぁ~、また心拍数が・・・・・・・。

このままじゃあちしは全身心拍数らりほ~になってしまうかもしれない・・・。
どうにか治癒しちくりぃコトーしぇんしぇ~。


ってどうにか治癒してくれるのが、コトー先生。


ラストの埠頭の場面。
星野家と誠さんの会話を黙って聞いているコトー先生は、
とても静かに少し切ないでありますので、よってこのシーンで
私の心拍数は平常値へとスローダウンしてくれるのでありまする。


この場面でカット毎に映し出される吉岡くんの表情は、
決して大きく変化するわけではないのに、コトー先生の
哀切感のようなものが、スーっと染込むように、
画面を通してこちらに伝わってくるであります。

コトー先生の内面で、静かに凪いでいる気持ちが、
その顔に浮かべた表情のどこかで、そっと静かに揺らいでいる、
とでもいうか、表情の上に、もう一つの表情が透明にのっている、
そんな感じですばい、ブラボ~でっせ、ヒデタカくん。


そしてラストのラストで、
誠さんの乗るフェリーを見送るコトー先生は、
その存在全体が、ほんまに美しく、
そして澄んでいるであります。

風ように、とか、ガラス細工のように、とかの
修飾語を全て消し去ってしまうくらい、ただ、ただ、
ひたすら、悲しいくらいに「澄んでいる」コトー先生。
澄んでいるから切ないのか、切ないから澄んでいるのか、
とにかく、とてもとても美しく澄んでいるとです。

そしてそこに浮かべた表情は、
波がス~っと引いていくように、
ゆっくりと微笑みが引かれていき、
ゆっくりと切なさへと変化していき、
ゆっくりとした速度で、視聴者の心に
深く静かに浸潤していくのだと・・・・・・・。

切ないよぉ~、五島くん・・・・・・。
そしてやっぱりあっぱれじゃよ~、吉岡くん。


そして中江監督も唸ったという、この場面での吉岡バックショット。

語る背中。

ほんとに、語ってる。

なにを語るっていうのではなく、コトー先生全体を
「あぁ、そうなんだな・・・コトー先生・・・」
って、言葉にするととても茫洋としているけれども、でも
「そうなんだよね、コトー先生は」
という確かな余韻を、静閑としてこちらに語りかけてくる背中。

わんだほー、ヒデタカ・・・・高倉健さんも涙しているに違いない。


コトー先生という人は、原作が漫画であるし、
実際にそのキャラ描写を言葉にして思い起こして見ると、
どこかやはり劇画チックであると思われ。

しかし、吉岡くんが作り出すコトー先生という人物は
圧倒的な実在感で存在しているであります。

それはやはり、吉岡くんという役者さんが表現する
コトー先生の一つ一つの表情、動作、感情周波が、
吉岡くんが、一人の人としてゆっくりと築いていったと思われる、
しっかりとした心の基盤から生み出されているものだから
私たちの心に「とても近く」感じ入ってくるのかな、と思ったりして・・・。

吉岡くんは、常に進化している人ですばい。
でもその進化は、役者としての基盤で進化しているのではなく、
人としての基盤で進化し続けているものなのでねぃでしょうか、
と、そう思も思ったりして・・・。


だからこそ、彼の演技は、すーっと、自然に
人の心に染み入ってくるのかな~、と、そう思ったりして・・・。

だからこそ、彼の存在は、とても自然で、圧倒的な
リアル感があるのかな~、と、そうも思ったりして・・・。

だからこそ、彼の作り出す人物は、
同じ温度の息吹が感じられるのかな~、と、こうも思ったりなんかして・・・。


だからこそ、


そこに、人が生きている。


と、なるのだと。
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故国に暮らす、君

2007年08月18日 | コトー先生



ということで(ってなにが?)、
コトー先生であります。


コトー先生2003~2006シリーズの中で、
私が一番回数を重ねてリピート鑑賞したのが、
2003での第2話でありました。

この回は私にとって、最初から最後まで
「まいったね~こりゃ、ヒデタカ殿」
の大オンパレード。

初見鑑賞時の私の状況を文字にすると、

ムフ、ウフ~ン、ドッカ~ン、ショワ~ッ、ハリホレハレ~、キュイ~ン、
☆$%&*!@#! ついでに ♡ ∞ で

という擬音大感謝祭でありましたです。



まずなんてったって、オープニング。


閑古鳥の鳴く診療所に、一番最初にやってきた患者さん
重さんに対して、ちょびっと困ったように嬉しさを現して
一歩踏み出す


満  面  の  笑  み  っ !


おぉっ、なんというほほえみなのだっ、
画面から切り取って家宝にしたいぞ、吉岡く~ん!!!
しかもスローモーション付きだってよっ、
さすがのエースだ中江監督、ごっつぁんですっ!

ってな、ヒデタカ・ビッグバ~ンで
私のハートは相対性理論なのじゃよホーキンスくん。
(*わけわからんくらいの大噴火、ということであります。)

この満面笑顔でやられてしまいもうした、おいどんは・・・。
更に吉岡深みに嵌ってしまったとです。


この時の彼の笑顔ってば、

「やわらいで 初夏」

なんてな題で短編小説を書きたくなっちゃう程の
ザ・和らぎ安らぎ満面笑顔でとぉ~っても綺麗で、
和らいでいて、ふわ~んとしていて、あたたかくて
心地よ~~~~~い、お天道様の光を沢山含んだ
ふかふかのお布団みたいなのだぁ。

そんなチミの笑顔に、あちしは文字通り
はにゃ~~~~~ん、となってしまったのであります。

なんという癒し効果なのだ、吉岡くんよ。
チミは 「MADE  IN やすらぎ」 に違いない。

そしてこのやすらぎ君は、この後に続く
診療所を抜け出して絶壁から海を眺めている内さんとのシーンで、
ちょっぴり切ないやすらぎ君と姿を変えておりまするだ。

この場面は、ほんまに素晴らしかった・・・。
名優吉岡くんの醍醐味が、とても良く出ているシーンだと思いまする。

大女優である千石さんの演技を、
大きく静かにしっかりと受け止めている吉岡くん。
こりは、そんじょそこらの若造には出来ない芸なのだと思われ。

内さんの独白を、横に坐って黙って聴いている吉岡くんは、
とても、とても、懐が大きい。
その大きさは、深みがあり、そしてひっそりと、
とてもひっそりとやすらいでいて、
そしてどこか切ないであります。

まるで人気なく静かに凪いでいる海みたいじゃば、吉岡くん。
あんな風に、そっと静かに横にいられたら、
誰だって胸のうちをぶちまけなくなるよ~。

この場面での吉岡君は(も)、しっかりと
「その場にいて」「その言葉を受け止めて」の
さすがの存在感を出しておりますばい。
これはある意味、演技に余裕がないと
到底出来ない芸当なのだと思われ。

この懐の大きさが、ヒデタカ節の大骨頂でありますのぉ、
トレビア~ン。

吉岡くんは、絶対にその演技で
画面を突っ走ったりしないのだと思われ。
視聴者や観客を置いてきぼりになんてしない名役者さん。

必ず、「その場」に、気持ちが、「いる」であります。
そして「そこ」からその人物の呼吸を、
直にこちらに加速度をつけて伝えてくる。

黙っているのに、語っている、
そんな感じとですばい。

素晴らしすぎる。
ワンダホーなのだ、どこまでも。


しかしやすらぎ君よ、やはりチミはやすらってばかりでは
いないのだった。

内さんの手術のために、献血を漁協の皆さんに
頭を下げてお願いするチミは、思いっきり
切なさ募ってナイーブ大王・・・・。

「それじゃ~このまま内さんの命を見殺しにしてもいいんですか?」
って重さんに食い下がる君の姿ったら・・・・


君は、芯から力強いナイーブファイター君だ。


ついでにその声音までナイーブ艶って五感直撃。
こりは新種のファイターじゃの。
惚れるでないか、うふふ。(←壊れてきたであります・・・)


ここでの吉岡くん、原さんから
「人の命が自分の手の中にあるとでも思ってるのか?」
って吐き捨てるように言われるとき、
彼の右瞼が、ピクって微か~に動くであります。

この「微か~に動く」というのが、凄いっすよ、大将!

余程毎日、瞼筋運動をしているか、
それとも役に入り込んでいないと出来ないことじゃよ~、吉岡くん。
しかし瞼筋運動では、あんなに自然に微かにピクっとはならんぜよ。
やはり、ものすごい集中力で役に入り込んでいるのに違いないのだ・・・フッ、
どこまで惚れさせるんだよ、チミってばよ。

これにつづくシーンで、原さんに向かって
五島健助の噴出す医師としての使命感を懸命に抑えながら
その思いを言葉に託して吐き出す
吉岡君は、
吉岡くんは、
よしおかくんはっ、
ヨシオカくんはぁっ、


ヒデタカくんでもあります。


って、そうでねぃのですだ、
この場面での吉岡くんは、


どうしてくれよう、この切ないナイーブくんっ!


もう、ありったけの切なさを絞りきっちゃったみたいなのですだぁああああもう
西へ東へ大陸超えてキュイってキュイってキュイイ~~~~~ンッ!
であります・・・。

しかも彼はやはりここでもファイターくん。

ふっと風にもっていかれてしまいそうな透明さなのに、
その瞳の奥には意志の強さがしっかりと宿っているであります。
そんな五島くんは、頑固野郎原さんにだって、
負けないっ!
ひたむきに戦うっ!
おまけにナイーブっ!
ついでに白いっ!


どうしてくれよう、このかっちょよさっ!


と、永久に遥かに絶叫マシーンになってしまうあちしでありました・・・
罪なお方よ、吉岡くんったら惚れさせ大王・・・。




で、唐突に後半につづく、
であります。



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空に一番近い人

2007年07月25日 | コトー先生



2006年12月、
北の果てのなんちゃらの島(今だに土地名を覚えていないらしい私・・・)から、
日本最西端の志木那島まで、はるばる来たで三上くん。

しかしいくら北国からやって来たとはいえ、南国の島でも
律儀にカチッとネクタイ、更にご丁寧にウールのベストまで
着用している三上くん。
見ているだけであっちぃ~ぞぉ~。

もしかしてその格好の理由は、
ある日突然、憧れのコトー先生から、
「三上先生、ボクの診療所を少しの間手伝ってもらえませんか?」
などという依頼電話を受けて浮かれっ子になってしまい、
電話を切った直後に、着の身着のまま荷物も持たずに、
ビュンビュン丸の如く、空港へ突っ走ってしまったのかもしれない。
いや、そんなアホな・・・。

しかし、君の島は確かその頃、
トドもしばれる大寒の季節だと思ったのですが、
ご自分の診療所は大丈夫だったのですか、三上先生?

いや、
すべてはコトー先生のためであります。

泣けるぜ、三上くんよ。
まるで忠犬ハチ公のようだ。


コトー先生ベストシーンin2006を挙げるとしたら
どこですか?

と聞かれれば、多分、私は、
一生このブログを書き続けても書き切らないほどの
ぶっちぎりハイホ~になってしまうのは
火を見るより明らかなのでありますが、
涙をのんでこぶしを固めておっふくろさぁんよぉ~、(←なぜそうなるっ?) 
で一つだけ選ぶとしたら、それは、最終話での、
「五島&三上 屋上劇場」でありますだ。

いや、これは厳密に書くと、
「五島健助・屋上劇場 その他三上」
なのかもしれんですばい。
すんません、三上くん。

この時の五島君は・・・・・・いや吉岡くんは、いやコトー先生は、
えぇいまとめて一つだ、五吉コくんは、

限りなく空に近かった・・・・。

と思うのですだ、おっふくろさぁんよぉ~。

この時の彼は、
どこまでもどこまでも果てしなく澄みきっている空のようで、
そこからどこからともなく、サ~っとやさしく髪を和いで
吹いていくような、やわらかなそよ風のようでもあり、
そして木漏れ日から差し込んで地上にやわらぐ日の光のようでもあり、
それはとても優しく強く、同時に、どこまでも果てしなく透明であり、
そして悲しいほど「遠くへ向かっていく」感じ。

美しいっす。
存在自体が、すごく美しい。

「医師であることの、意味を、問い続けることを・・・、
放棄しては(~)いけないと思っています。」
とゆっくりと、自分自身に言い聞かせるようにも言ったあと、
サヤ~、
っと海のほうに顔を向ける仕種なんて、
ナイーブ固め一本勝ちだっ、吉岡くん!

そのあと三上先生の方に、
すっ、
と顔を向ける顔とか・・・・、
「ありがとうございます」の言葉に、これまた
フッ、
と少しだけ息を抜いて困ったように照れて微笑む顔がぁ・・・・・・・・・・
おっふくろさぁ~ん、あちしはどうしたらええのですか?

そしてその後、
三上くんに手を差し出して握手するその一連のチミのお姿、表情ときたら、
切なさヘビー級世界チャンピオンでロッキーもノックアウトだよぉっ、
吉岡く~~~んっ!

まさに「語りかける無言の表情」でありましただ。
同じ医師である三上くんに対する連帯感、
そしてそこへ三上くんを導いてしまったことに対する憂愁、
しかし確かに感じられる離島医師としての新たな決意と成長・・・
などなど書けばエンドレスのエトセトラ・・・。(←って全部書かんかいっ!)

ここでの吉岡くん、なにがすごいって、
その全身から放散されている最終話オーラ。

このシーンの撮影が行われたのは、
大学病院や、クランクアップの鳴海くん宅での撮影の前。
しかしもちろん屋上場面でのチミの表情は、
一山超えて一山成長した五島健助そのもの。

フッ、

さすがじゃ、吉岡くん。
降参じゃよ、いつもの如く。

よくありがちな、雰囲気で押し通しちゃう変化、
ってぇな演技はじぇ~ったいしないのだぁっ、チミってばぁ。
自分の奥底から沸々と生み出していく成長の変化を全身表現、
って感じなのです、ト~~~~~~~~~~~レビア~~ンッ!

「人として、生きていくこと」
という存在感を、あるがのままに、
美しく切なくその全身から放散している吉岡くん。

だからこそ、この場面での五島くんは、
ここからまた始まるんだよ、つ・づ・く、
という「人物余韻」を人の心に残せているのだと思われ。

吉岡くんの演技を見ていてよく思うのでありますが、
彼の演技って、とっても立体的でありますだ。
例えば、キャンバス上に、とても上手にその人物像を、
見える部分だけ描いていく、というのではなくて、
もっとこう、粘土でその人物像を多角面から形作っていく、
っていう感じがするであります。

だから彼の作り出す人物は、
とても奥が深くてリアルであり、
そして切なく美しい。

そうなのです。
チミの美しさは、とても切ねぃであります。

君から感じるその美しさ切なさは、
人が年を重ねていく毎に、世間体という壁を
高く構築していってしまうのに従って、少しずつ、
その壁の外に置いてきぼりにしてしまうピュアな感情たちを、
もしかしたら、吉岡くんという人は、今でもしっかりと
その心に持ち続けている雲心月性な心の持ち主なのではないだろうか?
と思わせるその存在感にあるのかもしれないでありますだ。

ピュアなものはいずれは消えてなくなってしまう、
という、自分の持つ刹那的な諦念みたいなものが、
今は大人とよばれる年齢に成長した彼から、
未だに静かに発散され続けているピュアな空気感に
触れることによって融和され、
あぁ切ない美しさだなぁ・・・・
と感じるのかもしれねぃであります。

そしてその彼の美しさは、
夏の終わりを告げる澄みきった空みたいな感じであるわけで・・・。


美しいのぉ・・・・ほんまに、チミって人は・・・。

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コトー先生と和田さん

2007年07月19日 | コトー先生


このお二人、
こだわりの人たちなのかもしれないであります。

ことラーメンに関しては、
そのブランドから調理時間まで、
なにやらかなりのこだわりがあるらしい。

そして服装。
コトー先生は、シャツの色や素材を変えていたりしますが、
しかし基本的に同じスタイル徹して行く年来る年早三年。
和田さんなんて、一体何枚同じシャツとズボンを持っているのですか?
と質問したくなっちゃうほどの、オンリーワンスタイル保持者。

これは彼らのこだわりに違いない。

しかし言葉を変えれば、
「ズボラ」
ということにもなってしまう。

どっちなのだろう?
しかしどちらにしても、共通点の多い
お二人なのかもしれないですだ。

このお二人、時には、ボケとボケの
ダブルボケ牽制球を投げあったりしているようですが、
しかし普段は、互いに、支え支えられての
歳末助け合い運動のようなお二人でありますだ。

そして更にこのお二方は、
その背景に家族の存在が見えてこない、
「人生背景雲隠れ」なお仲間でもあるわけで。

2006でやっとこさ五島家の母上が
フィルター出現してくれたけれども、
しかし五島くんの人生経路はやはり、
曇がかっていてよく見えな~い、という
非常に珍しい主役キャラでありまする。

和田さんなんて、
一体全体、
診療所に、

どこぞから降って湧いたようにやって来るのですか、和田さんっ??? 

という、謂わば、
かっぱ伝説みたいなお人なわけで。


不思議なお人でございます。


しかし不思議は不思議を呼ぶらしく、
この和田さんというMr志木那島ミステリーが、
五島健助という海を渡ってやって来た本土ミステリーくんを、
もしかしたら一番良く理解している人なのかもしれないですばい。

和田さんは、コトー先生が一人きりで悩んでいる姿を
一番多く見ている人なわけで、というか、
何気にコトー先生の背後にいつも
「いる」
わけで、それはまるで内山田ヒロシとクールファイブの
内山田さんのようであり。

原さんも、
「一人儚く憂う君、あぁ君はどこまでもコトー先生」
という五島君の横顔を何度か見ているけれど、
しかし原さんはそういう時、
彼の方から突然コトー先生の前に出現する
出てこいシャザ~ン、みたいな人であり、
和田さんの内山田バージョンとはちと趣が違うようですばい。


そして更に和田さんは、突然、いきなり、
コトー先生が思わず後ろに反ってしまう程の最短距離で
コトー先生を説得&援護演説で急接近してくるという、まるで、
のびのびジーンズみたいな伸縮自在のフットワークを持つ
多面性人間でもありますだ。

そして極めつけは、ここぞという時の
ズバッとタメ口和田戦法。

2003・8話ラストにかかる、診療所玄関先での和田戦法は、
まさにいきなり登場ズバットさん。
自分だって咲ちゃんに魅かれていたのに、
センチメンタルジャーニーで立ち去っていく咲ちゃんに対して、
「追いかけなくていいのか?」と
コトー先生の背を押してあげるミスターズバット和田一範。
そしてその言葉に押されて外に飛び出るキラっとお目めの五島健助。

しかし去っていくのだ咲ちゃんよ・・・。

泣けちゃうでねぇですかい、うぅ。
あちしがもし咲ちゃんの立場だったら、その場で、
「ご~~~とぉ~~~く~~~~~~~~~~んっ」
って、自発スローモーションで持ってた鞄を放り投げて
春風モードで駆け寄る君、ってなるよーっ!

しかしそれではドラマではなくお笑い劇場になってしまうわけで。
そしてそんな話はどうでもいいわけで。

診療時間以外の時のコトー先生と和田さんは、
なにもいつもボケボケラーメンズでいるだけではなく、
時には、びっくりするほどトーンが落ちるでありますだ。

和田さんが、診療室で一人憂うコトー先生に風を吹き込む時、
この二人は、なんだかとても切ないであります。

2003・10話と、2006・8話の時に交わされた
診療室での二人の会話は、なんだかとてもやるせない。

コトー先生と和田さんは、ある程度の深さで
互いに分かり合えている関係なのだと思うでありますが、
しかし、物事がもう一歩ググっと踏み込んだ局面になる時、
五島くんは、ある種の壁、いわばかつて存在していた
ベルリンの壁みたいなものを、和田さんとの間に
たちはばからせてしまうように感じるわけで。

2003・10話の時の二人は、
和田さんがコトー先生の心の壁を越えようとするけど、
しかしどうしても超えることができなかった、と思うわけで。

それはその頃のコトー先生が、和田さんだけではなく、
誰に対しても、その心の壁を一際高く、そして頑強に
構築していたからであるわけで、しかしそれでも和田さんは、
その壁を懸命に越えようとしていたわけで。

しかしコトー先生自身は、その壁の向こうに佇んだまま
和田さんにその心の姿を見せることができない。

悲しい。
泣いちゃうぞぉ。
ぶおぉ~~~~~~~っ。(←結局泣いている・・・)


2006・8話の時の場合だと、
その壁はほぼ取り払われているけれども、しかし今度は
和田さんへ向ける自分の心の中にある残壁のようなものを、
五島健助自身が超えていくことが出来ない、
のではねぃでしょうか、と思うわけであり。

この時の和田さんの思いと言葉が、五島くんの心に、
光を差し込まなかったわけではないと思うのだけれど、
しかし同時に、その思いや言葉の光が、五島健助が
コトー先生という医師として抱える孤独な翳を、
逆にくっきりと浮き上がらせてしまったのではないか、
と思うわけで。

和田さんは苦しんでいるコトー先生を助けたい。
五島くんだって、時にはその気持ちに寄りかかりたいのだと思う。

しかし彼は、五島健助である前に、やはりどうしても
コトー先生という医師であり、そうでなければならない、
という、どうしても崩しきれない壁みたいなものが
五島君からは感じられてしまうし、そして和田さんは、
それをどうすることもできない、という苦しさのようなものが
こういった時の二人の間からは切々と感じられてしまうわけであり。


せっ・・・・・・・切ねぇ~ぞぉ、診療所コンビくんよ。


んがしかしっ、
とっても切ねぃのでありますが、
こういった切なさぶっちぎりみたいな場面でのコトー先生は、
とりわけお美しくなってしまうビュ~ティ~くんなのでありますだ。


2004・SPで、
タケヒロくんのお別れ会の後、診療所の待合室に座って、
壁に寄りかかりながら窓の外を眺めていたコトー先生は、
文字通りの「美しき黄昏の君」でありましただ。

ちょっとだけくだびれてしまった心が、
半分どこかに浮遊してしまっているかのように、
気だるく物憂げに西日の中にいる君の姿は、
透き通っちゃっている。

もう・・・・・
芸術品だわ、吉岡くん・・・・フッ。

こういう時の彼は、
とても、
とても、

優しくて、

切なくて、

薄い。


まるで心のオアシス運動みたいだぁ。(←何故そうなるっ?!)

そんなチミの姿に、私は例えばこうなるのですばい。
    ↓
㋔ワ~~~~~~~~~~~~ッ
㋐シャ~~~~~~~~~~~ッ
㋛ェ~~~~~~~~~~~~ッ
㋜キッ!

ってちが~う、これじゃ、オラウ~タンの雄叫び反応みたいでねぇですか。
そうでなくてですね、
こういうときの吉岡くんは、例えばこういう雰囲気になるのですばい。
    ↓
㋔く深く、
㋐るがのままに、
㋛じまに漂う
㋜い美。    

っとな。

そんな風に静黙しているチミであります。

もう、そんな君の姿を見るたびに、私の涙腺は、
おっふくろさんよぉ~おっふくろさぁ~ん~、な
森進一のようにブバブバでありますだよ、ヒデタカくん。

場面の流れに沿って、
その存在感、空気感までも希薄にしてしまう吉岡くん。
CGI酸素ボンベみたいだ。
ってよくわからんけど、とにかく超人だわ・・・。

そして美しい。
それからなにより切ない・・・・・。
そんでもってどこまでも刹那かったりするわけで。


そんな午後の光に溶け込んでしまっているような
コトー先生の姿を、
後ろから黙って見守っている和田さんも、
やっぱり切ないであります。


五島健助という人は、孤高の人だけれども、
しかし彼がコトー先生である時、孤独ではあるけれども、
しかし咲ちゃんの言うとおり、ある意味
とても幸せな医者なのかもしれないでありますだ。


いつの日か、光が差し込む時はくるのかな、
五島くん自身にも。

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五島君と鳴海君・其の二

2007年06月22日 | コトー先生


ブラボ~ドクターズでございます。

んだども今日は、
役者吉岡くんと役者堺さんについて書きたいと思うであります。

思い起こせば、一年前(もっと前?)、
「堺→マチャアキ」
という図式チャートが頭の中で自己完結していた私は、
堺さんの名前をコトー新キャストの中の一人として最初に目にした時、
「鳴海→孫悟空」したらば「中島銀竜→ゴダイゴガンダ~ラ」
ひょえ~~~~~・・・・・っ、という、
どっぷり昭和ジェネレーション反応を起こしてしまった
びっくり浦島太郎でありましたが、
2006で初めて堺さんの演技をお見受けして、
ええ役者さんだなぁ~とつくづく思ったであります。

吉岡くんと堺さんのツーショット演技って、
二人の空気感がピタッと心地よくかみ合っている
気がするでありますだ。

吉岡くんは、誰もが認める、
取れないボールはあるもんかのドカベン級ミットで、
相手の演技をバシっと受け止める、スーパーキャッチャーな
お人でありますが、しかし同時に、
いくつもの変化球を、ストライクゾ~ンに
スパ~ンと投げ込むことにかけてもスーパー級な、
小さな巨人吉岡くんでありますじゃ。

堺さんは吉岡くん同様、優秀なピッチャーであり、
そして同時に優秀なキャッチャーなのだと思われ。

吉岡くんと堺さんのツーショット演技からは、
その場面場面で、二人が互いに、ピッチャーとキャッチャーの役割を、
首尾よく交代しながら演技をしているのが、心地よ~い安定感をもって
心地よ~く伝わってくるですばい。

いわゆるひとつのケミストリーってやつですね。
ブラボ~でんな~、旦那衆。

このお二人は、9話までず~っと遠距離演技していたから、
10話のラストのラストでやっとこさ二人が対峙した時は、
待ってましたのヨ~ロレイヒ~♪

それにしてもここでの吉岡くんの動作表情ったら・・・・・
狙い撃ちでありましただ、リンダそれこそ困っちゃう。

遠征キメキメスーツ着ているだけでも
ポイント895点くらいなのに、
更にあの燻し銀ナイーブ演技でポイント984点
クーポン追加でごじゃるよ、決め技くん。

「五島先生・・・」
という、NHK囲碁解説委員みたいな響きに聞こえなくもない声と供に
病室に登場した鳴海先生を見上げる五島くんの表情が、
それまでのニコちゃん大使から、スっと雲間に入り込んで
いってしまう数秒間が・・・まさにドラマじゃった。

自分の行動を押すようにうん、と頷いた後で立ち上がり、
居住まいを正してもう一度意を固めるようにうん、と小さく
頷いてから深くお辞儀をして、そしてゆっくりとその視線を
空間に向ける五島くんは、
鳴海先生に対する自分の取ったの選択への傷つきと、
彩花さんの未来に対する使命感とが混沌とした想いになって、
彼の中でゆらり、ゆらり、と切なくゆらいでいるようだったでごじゃるよ~。

切ないよぉ~、五島く~ん。
あっぱれだよ~、吉岡く~ん。

顔にかかった前髪を、そっと品よくその手で払ってからの
チミの表情は、儚さナイーブ背負い投げでありますよ、大将。
(↑自分でも何言ってるのかよくわからんとです・・・)


俯き目線の角度、微かな呼吸、瞬きの長さ、行き場のない立ち姿など
全ての動作、表情がナイーブ集結されてるのでありますよ~。
切ないったらありゃしないじゃねいですかい、ついでにやたらと
お美しかったりもするのよ、チミってば、あぁもう、バンザ~イッ!!

永遠の繊細くんみたいなのだ、君って人は。

そんな繊細天才ドクターを、
非難とも憐憫ともいえるような複雑な表情でもって
見つめていた堺さんは、これまたすっごい名演技だったっす・・・わんだほ~。

このシーンだけに限らす、五島くんVS鳴海くんのシーンは、
その全ての中身がえっらく濃~~~い~~~~~~~、
ブルドックソースみたいでありますだ。

大学病院の廊下で、最後に二人が会話を交わすシーンは、
これまたすっごくいいシーンでしたばい・・・しみじみ。

前にも書いたけど、このときの吉岡くんは、なんか
真綿みたいだった・・・。

ふわっとしていて、やわらかく、そして優しい。
彼の何もかもが全て「白くなって」存在している感じがするですばい。
悲しくなってしまうほどピュアで、しかし同時に凛とした芯の強さも、
その佇まいからは、確かに静かに感じられてくるわけで。

戸惑うように言葉を一つずつ丁寧に探しながなら、
鳴海先生にゆっくりと自分の思いを語る五島くんは、
とても清廉としていて、慈悲深い。
ほんまもんの優しさを持っている人なのだと思われますだ。
やっぱ極上な男なんだね~、五島く~ん、大好きだよ~ん。

しかしこういった演技を
ヤワ~っと生み出してしまう吉岡くんは、
もう・・・・・・・・・どうしてくれるのですか?
あちしは撃ち抜かれっぱなしでごぜぇますだよ、ヒデタカくん。

あ、
すっかり堺さんのこと忘れてたわ・・・・。

この大学病院での別れのシーンで、特に思ったのだけど、
このお二人は、絵的にも雰囲気が非常にええですばい。
なんかホワイト&ホワイトって歯磨き粉みたいな響きだけれど、
そのダブルホワイトっぷりもべりーぐっどであります。

是非とも違う作品での共演も見てみたいっす・・・。

例えば、
弁護士VS検事 
とか
逃げる犯人VS追う刑事
とか
指揮者VS奏者
とか
エスパーVSエスパー
とか
コーチVSランナー
とか
影武者VS凄腕剣士
とか
ハンターVSプレーリードッグ
とか
アリVSキリギリス 
とか
ゴジラVSガメラ 
とか
デスラーVSモスラー
とか
野党VS与党 
とか
おもろい夫婦
とか、って壊れてきちゃったわっ。
えぇ~いっ、この際なんでもええから、
互いにがっぷり対峙するお二人が見てみたいよ~。
もしそれが実現したら、嬉しさのあまりその場で
コサックダンス踊っちゃうよ、あちしは。

カインとアベルみたいな兄弟とかもええかも~。
兄の堺さんと弟の吉岡くんとか・・・・すごくええ感じかもかも~ん。

って、
堺さんって、吉岡くんより
年下だったのね・・・・・・・・・びっくりだ~。

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五島君と鳴海君

2007年05月02日 | コトー先生

謎の多い関係であります。

この二人、研修医時代を一緒に過ごしているらしい。
しかし二人の会話から察すると、どうも親しい友人関係ではないらしい。
鳴海君は電話の切り方のマナーを知らないらしい。
そんな待遇を、五島君は特別なんとも思わないらしい。

以上挙げたうちの最後の二文、特に最後の一文から考察するとですね、
この二人は以前、少なくとも時々は電話するくらいの間柄で
あったのではないだろうか、と推測されるわけであります。

しかし電話する仲というのは、
「なんか話がしたい。」「声がなんとなく聞きたい。」
といった潜在的友情感情から生まれることが多いのではないのだろうか?
なにもわざわざ、「五島くん、明日は肉の特売日だぞ。」
とか言うためだけに電話を掛ける人もいないと思う。

鳴海君から一番最初に五島君のところに電話が掛かってくるシーンにしたって
謎が多いでございます。

自分の名前を告げた鳴海君に対して、五島君は、
「(ちょびっとスマイル)あぁ、鳴海先生、お久しぶりです。どうしたんですか?(ちょびっとスマイル継続)」
みたいな、謎の対応をするのであります。

これは一体どういう意味なのだろう? 
なぜに「ちょびっとスマイルくん」なのだろう?

普通、久々に聴く旧友の声だったら、
「おぉ、なるみっち~。久しぶりだなぁ、どう、最近調子は?」
みたいな全身慢心カジュアル周波を発信するはず。
けれどもなんか五島くんの対応は、よそよそしい。
しかしよそよそしい割には、その言葉の響きには
過ぎた時間の距離感はあまり感じられない。

う~ん・・・・・・・・、わからない。

五島君、もしかして君にとっての鳴海君は、
どうでもいい人ってことなのですか?

そうだとしたら、鳴海君は少しだけ気の毒だ~。
彼は五島君の記事をネットで見ているくらいなのに~。(←何のためにっ? どうやって見つけたのっ?!)

そして更に謎を深めるのが、
鳴海君から五島君へと流れているある種の茫洋とした感情。

鳴海君は、クールビューティーであります。
外見はもちろん、その心までお任せ冷凍されているように見えまする。

けれどもその心は決して、クール宅急便で送られてきた荷物にみられる、
「なにもこんなに根性入れて冷凍しなくても・・・」
っていうような「カチンコチンな冷たさ」はないのでありますね。
彼が五島君に発信しているある種の感情も、ちょっと解凍されている、
みたいな感じなんですな~。

それは、彩花さんのオペ室にまであきおじグッズで登場した
五島君に対する鳴海君の、「お前、ええ加減にせぇよ。」
という視線の中にでさえ見出せる、プチ解凍の感情。

う~ん、これはなんなのだろう?
哀感?

いや、それは最終回を迎えるまで、まるで情報屋のような出番しかない
鳴海君から発っせられる哀感ではなくてですね、
こう、なんともいえない「愁思」のような感情が彼の心から五島君へと
発っせられているように思うのですよ~。

まさにこれは ザ・ミステリーじゃないですか、奥さん。

二人の間に友情はない(と思う)。
しかし、そこにある「何か」。

それは鳴海君宅での二人の対峙シーンにも見れるし、
五島君が大学病院を去る時の空気感にも流れている。

外科医として背負ってしまった贖罪を五島君の中にも見出しているから?
いや、それだけではないはずだ~。
なにか他にもあるに違いないのだよ、ワトソン君。

なんなのだろう・・・・?

二人の過去に何があったのだろう?
鳴海君はきっと、五島君のことが「なんか気になるやつ」に違いないのだ。
いや、もしかしたらそれ以上なのかもしれない。
鳴海君は、本当はお友達になりたいのに素直になれなくって
やきもきしちゃうイヤミくんみたいなタイプの人なのだろうか?

ところで、鳴海君の家に連れてこられた五島君ですが、
しかしどうして二人はお揃いちっくなスーツを着ているのでしょう?
ブルースブラザーズみたいじゃないか、君たち。

ハッ、こ、これは、もしや鳴海君から五島君への精一杯な友情表示だったのではっ?

お揃いのスーツ→
㋤この件について君の意見を聞きたくてね(どうだい五島君、揃えちゃったよ、スーツ)→
㊄それは一体どして?→
㋤僕は君を同じ医師として尊重して聞いているつもりだ(しまった、こんなこと言うはずじゃ・・・)→
㊄あ、すみません急用が→
㋤そうか、タフだな、島の医者は 

ヒュルルル~、っと北風。

みたいなみたいなみたいなそんなあほなっ。

う~ん、知りたいぞ~っ、鳴海君の気持ち。

この鳴海君所有の「何か」が一番顕著に見られるのが、
大学病院の廊下で二人が最後に会話を交わすシーン。

ちなみにこの場面すっごく好きなんざますのよ~、奥様。
このシーンの吉岡くん(も)、すっごくよかったよ~。

なんか真綿みたいやったよ、ヒデタカくん。

あ、いや、今日はあくまでも、五島君と鳴海君のキャラ謎に絞って
書こうとおもったのでした・・・。

閑話休題。

静まり返った大学病院の廊下で、五島君と鳴海君はそこで始めて
会話らしい会話を交わしますが、しかしですね、その会話は、
いわばサスペンス劇場の刑事張りに、じっと辛抱強く(ドアの影に潜んで)
五島君の登場をけなげに待っていたであろう
鳴海君の切ないアクションなしには成立しないと思うのですよ。

そうなのだよ、五島君。
君は鳴海君に何の別れの言葉もなく、病院を立ち去ろうとしたのですか?

やはり・・・・・。(←なにがっ?!)

五島君と鳴海君の間には温度差がありすぎる。

切ないじゃないかぁ~、鳴海くんってばぁ。
「お友達になろうよ、五島く~ん、えへへ。」って、えへへは抜かしても
いいから素直に言えばいいのに~。

そしてなんと極め付けに別れ際、五島君は鳴海君に泣かせの言葉までを
贈ってしまうのだよ、金八っつぁんっ。

なんて無垢な罪深きお人なのだ、五島君よ。

そりゃ~、「帰るのか、島に?」って言いたくもなるわな~、鳴海君。
私だったらその場で五島君に突進して
「行かんでくり~~~~っ、うわぁ~~~~んっ」
って泣いて羽交い絞めにすること120%じゃよ。

時にはプライドを捨てることも男らしさなのだ、鳴海君よ。

そして、最後の別れ際に五島君を見つめる鳴海君の瞳は、
広辞苑よりも多様な意味がどっぷり入っていたように思えるですよ。
どないやねんな?って言われちゃうと、辞書みたいなんですがな、って
答えるしかないのだけれど、しかし一つだけ言えることは、
あの時の鳴海君は、島へ帰る五島君の身のことだけを案じていた、ということ。
しかし一方の五島君の気持ちは放射線状に拡散しており、
そしてそのどの思考光線も、彼の目の前にいる鳴海君をはらり~んと通り越して
遥かかなたへ行っちゃってるような気がするのですぜ~、あっしとしちゃあ。

究極の稀男、とは五島君のことをいうのだろうか?

五島君、君は天然バージョンのカムパネルラだ。
天然だから、余計に相手は切ないのじゃろ~な~。うんうん、切ないのぉ。

しかしもったいない本編でのこの二人の話の扱い方ってばっ!
もっともっと五島君と鳴海君の話が見たかったぁ・・・・。
いつかこの二人の物語、スピンオフで作ってくだされ~っ!

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水底の涙

2007年04月26日 | コトー先生

コトー先生は志木那島の人気者。いわばアイドルスター。
しかしそんじょそこらの、「歌って踊れるアイドルスター!」とは違くってよ、フフフン。
なんてったってコトー先生は、「ボケってもオペれる新星アイドル!」なのだ。

彼のファンは島民だけに止まらず、なんと最北の果てのなんちゃらの島(←覚えてないんかい)
にも熱狂的なファンを持っているのだよん。
そのファンの熱狂振りはすごくてですね、彼が最終回でコトー先生と
診療所の屋上で会話を交わすシーンなんてですね、そりゃ~まるで、
大好きな先輩を校舎の屋上に呼び出してバレンタインのチョコを渡そうと
モジモジしちゃってる女子中学生みたいやったよ、三上くんっ。

この「コトー&五島祭り」な最終回については、
別ものとして書きたいので、ここでは割愛させていただきまする。

今日はですね、コトー先生の涙について書こうと思いますです。(一体何の前ぶれだったのか・・・)

コトー先生の涙はですね、とても美しいであります。
文字通りの真珠の涙が、ぽとぽとぽとぽとと、
その白い頬を伝って流れ落ちるのですね。
その姿はたいそう美しく、思わずじーーーーっと見つめてしまうという、
まさに大正うららな乙女泣き。

私なんて、もしあんなに涙を流しちまったら、その顔はたちまち、
レコード大勝を受賞して涙に歌う研なおこみたいになってしまうこと
請け合いであります。

その昔、一斉を風靡したアイドル・松田の聖子ちゃんですら、
涙を流す場面では、「おかぁ~さ~ん」と叫んで
泣き顔になったままのドライアイだったのに、
コトー先生は、あくまでも無言実行型の乙女泣き。
ある意味とても男らしい。

そういえば、富良野在住の蛍ちゃんも、たいそう綺麗に泣いておった。
大粒の真珠の涙が、はらはらはらはら~とその頬を流れておったの~。
その姿はまるで竹久夢二の描いた絵画の世界のようじゃった。

ふ~む、そうするとこういう種類の泣き方は、
「道産子大正乙女泣き」というものなのだろうか?

しかしコトー先生は道産子ではないのであった。
たぶん富山っ子だっ!(←執拗に押す自説・・・)

このコトー先生泣きでありますが、これは吉岡くんが以前披露していた
泣き方とは全く違うでありますですね。

純くんは、草太兄ちゃんのお通夜での泣き方を除けば、
「もういいんだよ~。そんなに泣かないで、ね? ほら鼻かんで。 」
とティッシュを箱ごと渡したくなるようなチリ紙泣きだった。
そしてその涙は、日本海の荒波に漂流する難破船系。

満男くんは、基本的にはチリ紙泣きだけれど、
その涙は純君のとはだいぶ趣が違って、それはいってみれば
「太平洋側沿岸に雷雨発生、ところによりバナナ。」な温暖気候系。

他にも、とっくの昔に特許認定されたと思われる、
「はだけまくって一矢泣き」というのもあったりします。


そうだ、もう一種類コトー先生には、必殺涙があったのでありました。
それは、「ウルウル卵焼きふぇすてぃばる」。

これは、コトー先生が、玉子焼きという言葉だけで
ウルウルしてしまうという、必殺昌代技に基づくものであります。

これはですね~、違反じゃよ、君。

卵焼きを目の前にして、うっすらウルウル。
玉子焼きを一口頬張って、ウルウル加速。
それをゴックンして、ウルウル最高潮。
極めつけの昌代さんの殺し文句で、ウルウル限界。
泣くのか、いや泣かないぞっ、ひ、ひっこんだよ~、涙っ!
しかしウルウルステイトメント持続。乙女度アップ。

なんていうことだ、吉岡くんよ。
君は、ウルウル遠隔射撃の名人だ。


しかし何故にあんなに綺麗に泣けるのだろうか、ヒデタカくんよ。
こんな乙女な泣き方が出来る殿方は、ツチノコと遭遇するくらい
稀有なことだと思うぞな。

まるで「乙女泣き事業本部・本部長」みたいだよ。
うらやましいじゃないか~。


けれども、はだけ泣きにしろ、乙女泣きにしろ、チリ紙泣きにしろ、
吉岡くんが場面の中で泣いてしまうと、
ほんっとに見ているこっちまで、
その悲しみで苦しくなってしまうであります。

純君が、草太兄ちゃんのお通夜の席で、
茫然自失になって涙を零すシーンを見た時は、
それがあまりにも衝撃的すぎて、その夜眠れなかったでごわす。

以前にも書いたことだけれど、
彼は決して「状況」に上乗せする演技はしないわけで。

ドラマは虚構であるから、即ちその全ては所詮まやかしである、
なんて究極論を唱える人もいるかもしれないけれど、
しかし彼が役を演じるにあたって、その心を削るようにして吐き出す感情は、
正真正銘の彼の心の波動であり、それは確かな真実性をもって
作品の中に存在するものなのだと思う。
だからこそ、これ程までに彼の演技が沢山の人の気持ちに深く響くのだろうと。

彼が作品の中で泣くとき、それを見る者は、
彼のもつその悲しみに触れて、そして彼と一緒に涙を流すのだと思う。

ヒデタカくん、
君の存在はね、人の心に深く棲んでしまう地底人の要素も持っているのだよ。

はぁ~、どうしたらええじゃ、この気持ち・・。
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万華鏡な君

2007年04月17日 | コトー先生

コトー先生は美しい。
彼が時折ふっと見せる表情は、とても静謐で、美しいでござる。

それはあたかも、誰も入ることのない森の奥深くに、
ひっそりと存在する泉のよう。

とりわけ2006のコトー先生は、全体的に振り返るとそんな印象がしたですよ。
この人は、苦悩すると、その美しさが増すのだろうか?
特に横顔なんて、イオナの化粧品のCMに出れちゃうのではないだろうか、
と思える程の美しさ。そして真っ白。

吉岡くん本来の肌の色からは、焼けちゃいましたぁ、
みたいな肌色のコトー先生だけれど、しかし南国の島で、
毎日自転車で往診しているという設定を考えれば、
コトー先生ってば、それはそれは美白ちっく。
なんてうらやましいのだ・・・。
一体何の化粧品を使っているのか、一度聞いてみたい。
いや、もしかしたら、コトー先生は天然でもあるから、
間違って漂白剤で顔を洗っちゃったりしているのかもしれない。

2006シリーズ中、印象に残ったシーンは沢山あったけれど、
その中でも、とりわけ印象的だった一つが、7話の最後、原さんとのシーン。

この時のコトー先生ってば、美人コンテストに出場できちゃうのではないかい、君?
と思えるほどに、そりゃ~たいそう美しかったよのぉ~。
まるで薄く透き通ったびいどろ細工みたいやった。

そしてその美しさに浸潤するように浮かべた表情が、すごかったっす。
原さんから、彩花さんの状態のことを婉曲に指摘される場面での、彼の表情。
顔のどこのパーツも動かさない、しかし表情がみるみる変わっていく。←これですぜぃ、旦那。
ぞんわ~っと全身が波打ちだったよ、あの時。
台詞が一つもないからといって、

①!っとびっくり豆鉄砲→②推理するぞ、コロンボ刑事→③苦悩するインドの苦行僧 

みたいな、あからさまで安易な演技は、彼はぜ~ったいしないのじゃ。

おぉ、なんてすばらしいのだ、君はっ!

原さんの言葉を聞きながら、心の中で動揺しまくっているコトー先生の気持ちが、
あの微妙で繊細な表情の変化によって、それはまるでテレパシーみたいな周波で伝わってきたよ。

しびれるぜ~、ヒデタカ。

それにしても、あのシーン、映画館で観たかったな~。
凄さ倍増だったろうなぁ、銀幕で見ていたら。

そしてもう一つ、追加して書いちゃお~。
2006・四話で、春江さんの緊急治療が終わった後、
診療所の待合室で泣き出してしまう信ちゃんを、静かに見つめる
あのコトー先生の表情。

くわぁあああああ~、思い出しただけで腕立て伏せしたくなっちゃったよっ!(←自分で書いてて理解不能)

一体どうしたら、あんな表情を浮かべることができるのだ、君って人は?
あのたかが数十秒の中で、君は心に浮かんだ小さな物語を
その表情に次々と浮かべて、私たちに語るのだよ。

それはそれを言葉にのせるとすれば、
「あぁ、そうだったなぁ、この時期の男の子は。」みたいな、
「わかるよ、信ちゃん、その気持ち。」のような、
「純粋なんだね、信ちゃんは。」という感じの、
「いいんだよ、大丈夫だよ、それでいいんだよ。」とか、とか、とか~!!!

スクワットしたくなってきちゃったじゃないかっ!
どうしてくれるのだっ、君のすごさはっ?!

可愛かったり、美しかったり、かっこよかったり、ぬぼ~んとしてたり、
まるで妖怪七変化みたいなのだぜよっ!

何故なのだろう?
君は、役、状況によって顔まで変化するのだよ。
美しいのに、小動物系。これはやはり新種の生き物なのだろうか?
「アライグマ ラスカル」のスタンリー少年とラスカルを、
君なら一人二役出来るに違いない。

その容貌まで変える男、八千種ヒデタカ。
あまりこの言葉って頻繁に使いたくないけれど、
しかしどうしても言いたくなってしまうぞい、
やはり君は、天才である!と。

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五島家の所在地

2007年04月08日 | コトー先生


私の周りにもコトー先生のファンは多い。

しかし皆一様に、あくまでも「コトー先生」のファンであって、
吉岡くんのファンではないのでありまする。

この一見矛盾する事実は、しかしその人達の中ではきちんと正当化されていて、
私がいくら吉岡君の他の作品も見てみて~と勧めても、
「なんで純の他の作品みなきゃならんのか? コトー先生が好きなだけじゃ。」
と一蹴されてしまう。

あぁもったいないぞなもし。

面白いことにですね、コトー先生を離れた吉岡くんは、
今だに彼らの中では「純」らしい。

そんな彼らだけど、ことコトー先生に関する話題になると、
一気に熱くなっちゃったりするので面白いんですな。

どうもみんな2006シリーズに関しては、
言いたいことがたっくさんあるみたいで、まぁそれは大体
「コトー先生が全然出なかったぢゃあ~りませんか~(泣)!!!」
っていうことに帰結するのだけれども。

しかしナルミせんせのファンの人の気持ちを思えば、まだまだ気も治まるわけで・・・。
ナルミせんせなんて、毎回ちょび~っとの電話番みたいな役で、
ファンの人にとっては、まるで人参を目の前にぶら下げられたお馬さん状態で、
毎回キィ~~~~っとなってたんだろうな~と思う。
しかし、その人達も最終回で報われたことでありましょう。
いいとこもってったよね~、ナルミせんせってば。

この2006バージョンだけど、これはDVDで一気に全話通して観れば、
これはやはり五島健助の、医師として、人としての再生を再び綴る
一つの大きな物語であることがよくわかると思う、と私は思うのでありまするよ。
これを連続ドラマとして細切れに見てしまうと、
なかなか浮かびづらいテーマなんだと思うぞな~。

一度観ただけじゃ、良さがわかりづらいのかもしれないとですね。

さて、今日は2006シリーズで、私が一番気になった設定のことについてです。

はぁ~、やっとここで本題に入りますですよ。
それはですね、「五島家は一体どこぞにあるのか?!」という謎。

脚本家の方のデータベースみたいなものには、五島くんの出身地は
埼玉県となっとるようですが・・・・・・・・

ほんまですかいな、ワトソン君? 

と、何故に私が関西弁のシャーロックホームズになったかというとですね、
いろいろ要因はあるんですけど、その一つは雪です。

健助くんの窓越しに降っていた雪と、あの五島家の兼六園凝縮版みたいな
日本庭園に降り積もっていた雪の種類が違うとですよ。

五島家の庭先に降っていた雪は、ボタン雪。
しかし健助くんの背後に降る雪は、細雪。

その次にですね、五島家のストーブとその上で蒸気を吹いているやかん。
一体全体、埼玉県民の人は、いくら雪が降って寒いからといって、
ああいったものを使うのだろうか? 
秩父の山奥なら使うのかな? 
しかし、あのお庭を見ると、なんか秩父の山奥って感じもしないしなぁ。

ストーブがんがん燃えていて、
その上でやかんがヒューヒュー湯気をたてている中での母上様は、
ど根性はいってますってくらいの厚着仕様。

はっ、もしかしたらあの母上様は、あのお部屋で一人、
猛暑我慢大会でもしていたのだろうか? 

謎だ。

しかし猛暑我慢大会をしていたとしたら、あんなに優雅に英国調ティーセットで、
みかんを食べながらお紅茶などをお飲みになれるはずがない・・・。

きっときっとあそこはすごく寒い土地なのだっ!(←力説するまでもないですがな)

で、推察するにですね、五島家は富山県にあるに違いないっ!

とちょっと唐突に踏ん張ってみました。
何故にというとですね、まず先にも述べた雪。

前述した種類の違い。北陸にはボタン雪が降るとですけんね。
それプラス、健助君がナルミせんせと別れた後、病院の裏口から外に出て、
雪降る宵闇を見上げるシーンがありますけど、
あの時の健助くんは、その表情を見るとですね、
そこはかとなく郷愁モードに入っていたと思われるわけです。

雪と家族、故郷が繋がっているのに違いないですぜ、旦那。 
なので、健助くんの実家は「雪の多く降る土地」にあるのだ。

で、次に実家の家具。
先述したストーブやら、やかんはもちろんなのだけれど、
なんか大きな仏壇みたいなのが見えるんですけど、これにも注目。

北陸の家、特に旧家には大きな仏壇があるって以前誰かから聞いたし
(すみません、間違いだったらごめんなさい)。
それでもって、
富山は日本で一番住みやすい場所らしい→すくすく健助純粋培養→愛しのへたれっキューの一丁ありぃ!
ということでですね、この三点です。

おいっ、三点だけですかっ?! 
って突っ込まれそうだけど、しかしここで難問が一つ。

それはあのお母様の言葉に全然方言がないということですばい。

健助くんのお母様の話す言葉は、
それはそれはNHKの日本語ラジオ講座の講師になれそうな程
きれ~いな標準語じゃった。

う~む・・・・・・、
やはり謎は深まるばかりじゃのう、ワトソン君。



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コトー先生と五島くん

2007年04月07日 | コトー先生

2006シリーズのコトー先生は、中性街道まっしぐらっ!って感じだったけど、
2003を見直してみると、「おぉ、そういえば男だったのよね、五島くんってば。」
って気付かされるシーンが結構あったりして新鮮だす。

今日はですね、私のもつ2006版コトー先生の印象の巻き、ということでありまする。

コトー先生の2006シリーズ。
2003の時同様、こちらでも日本より二週間半遅れて
アジア系専門チャンネルで放送されていました。ありがたや~。

この2006版では、コトー先生がアンニュイに、
診療所の屋上に続く梯子を登るシーンが多かったですけど、
私、このシーン見る度に無償に悲しくなっちゃったのでありますですよ。

なんか、梯子を登るたびにコトー先生が天に近づいていっているみたいで、悲しかった。

コトー先生ってば、とっても不思議な人で、実際に画面で見ていると、
ただ悲しそうに悩んでいるだけではなくて、ちゃんと笑っているし、
ラーメン食べてるし、天然だし、ボケてるし、
なによりへたれでキュートなお人で、略して「へたれっキュー」(←全然略されてない)。

そんな姿を見て、私なんぞはうふふん♡、
なんて、真夜中に遭遇したら相手を一発ノックアウトさせちゃうような
「笑うこなき爺」みたいな弛緩しまくった顔でテレビの画面に向かっているわけだけど、
しかし一旦画面から離れて五島健助くんを想うときは、なんていうか、
日本の悲しさ全て背負ってます、
みたいな印象があの人にはあったりするわけで。

五島健助(注・あくまでもドラマの健助くんです。ヒデタカくんの健助君ですと。)
という人を想うときはですね、私には銀河鉄道の夜のカムパネルラが思い出されるとです・・・。

五島くんとカムパネルラって、私の中では水天彷彿という感じがあり、
だから彼を思うときは、余計に悲しくなってしまって、
柄にもなくメランコリーになっちゃって、場末のバーでギターを爪弾いて
60年代のフォークかなんかを歌いたくなっちゃうのでありまする。

しかし、私の住む国での場末のバーは、命張っていかないと行けないし、
あいにく私はギターを弾くことも出来ず、ましてや60年代のフォークも知らないので、
気を取り直して、うふふ~ん♡♡♡な満男くんのDVDを見て「笑うこなき爺」となっているわけで。

ビバ、満男くん!ってなわけで。
しかし語り口調は純君なわけで。

とにかく、2006の五島くんは、ひたすら悲しいでごじゃるよ。
背負ってしまった大きさ、重さ、という点では、
これまた稲葉一矢が背負ってしまったものに、
ある種通ずるものがあるのかもしれない。

彩花さんの病気を通して確認してしまった医師としての使命。
五島健助は医師として、「コトー先生」として、あの島で生きていくことを選んだ。

それは「孤高」という道を歩んでいくということ。

そりがぁあああ、悲しいとですよ、セニョ~ル。
五島健助本人にとってはもちろん、彼のことを愛している島のみんなにとっても。
特に彩花さんにとって・・・。

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