数年前、友達がインドを旅行した際、その旅の途中で、
「バスはいつ到着するんですか?」
とバス停留所の係員さんに尋ねたところ、
チッ、こりだから観光客はよ~、という表情で、
「待ってればちゃんと来るよ。せっかちだな~。」
と、バス到着予定時間二時間後に言われたらしい。
だから何だってぇ~んだ、何を唐突に書いておるのだ、え?
といいますと、冬だからであります。(←エ?)
冬。
冬は寒い。
寒いので猫もコタツで丸くなり、
吉岡君は冬眠してしまう。
眠りについている吉岡君は、さぞかし美しいに違いない。
そういえば満男君はよくチャ~ミングにうたた寝していたわ~。
四日間の奇蹟で見せた寝顔はそりゃ~びゅ~てほ~だったよのぉ~。
ちゃ~みんぐでびゅ~てほ~な寝顔の持ち主ヒデタカ君、略して
ちゃびゅほ~君♡
なぁんて思わずハート付きで呼んでみたくなっちゃうのよ、
うふっ、むはっ、んふふふ~、うきゃきゃっ♡
ってならなくていいから早く目覚めてくれぃ、吉岡君よ。
愛しの君よ インド人も 待ちきれない
思わず新年の初句を詠んでしまったでねぇですか、
んもぉ~、吉岡君ったらカンバァ~~~~~ック!!!!!
プリーズ。
いや、帰ってくるのはなにもウルトラマン及びにサーモンだけではなく、
吉岡君だって必ず帰ってきてくれるのですが、
そりはわかっているのでぃすが、
しかし寂しくなっちゃうのだ、恋煩いだわ、困ったわ・・・。
こりはもう、淋しい、というより、寂しい。
という感覚でありますのよぉおおぉぉ~おいおいおぃおぃ、泣いちゃうぞぉ、
ぶひっ。(←泣いている。)
そういえば去年は、CMでの吉岡君しか観れなかった私であります。
15秒×9CM=135秒
なんてこったいっ、キュ~ピ~三分クッキングより短いじゃないかっ、
おぉ神よ仏よなんまいだ~!
しかしどのCMでもわんだほ~だったわね、さすがのさすけだ吉岡殿、フフ。
という賛辞はとりあえず脇に置くとして、役者な吉岡君が早く観たいよぉ~。
ということにやはり想いは帰結するのでありまする。
という吉岡雨乞い状態を先日姉に電話で話していたところ、
「それなら他の俳優さんで気分を紛らせればええやんか。」
と言われてしまったのであります。
フッ
なんてこったい
こりだからまったくよ~
姉よ、
お主あまいぞ青二才。
代わりがいないのが吉岡君なのだ。
といっても別に私の人生は、
吉岡君だけだけ君だけが好き好き猪突猛進バラの包みのたかしまや~うふっ♪
となっているわけでは決してなく、
吉岡君のことはもちろんどすこい大好きだけれども、
でも他にも、大好きらぶらぶあいらびゅ~かもかもべいべ~、
などとオバカさんマッハゴーゴー状態でうきゃっ♡
とかなっているその他約一名の俳優さんもいたりするし、
映画を観るのがなにより好きなので、鑑賞する作品ごとでの
その他大勢の俳優さんたちの演技を観ては、上手いな~
と感心したりすることは随時あるわけで。
ならばどうしてこんなにも吉岡君に惚れているのか?
と一行置きで考えるとですね、
吉岡君には吉岡君にしかしか出せない吉岡味、
というのを絶対的に内包している味な人だからなのだ、
と強くそう思うからでありまする。
よく、生活感が全然感じられないのが魅力だぜ、んはっ。
とかなんやら賛辞を受けている役者さんがいたりするけど、
人間を演じ、そこにある人生を語るべく役者さんに、
生活感がなくてどないすんねんな?
と私なぞはついつい五年三組魔法組のはてなマンみたいに
首を斜め45度に傾げてしまうのでありますばい。
しかし生活感といっても別に、こめかみにトクホンを貼り付けて、
巨人戦をラジオで聴きながらワンカップ大関をすすっている、
という昭和枯れススキような極端なものである必要はなく、
あくまでもその人に、役者としての人生ではなく、
一人の人としての生活がそこに感じられるかどうか
ということであるわけでして、吉岡君にはそれがあるのだっおぉぶらぼ~!
ということを書きたいのでありましただ。
だから寂しいよぉ~なんてぶひぶひ言ってはいけないのかもしりない・・・
ぶひっ。(←あ、)
吉岡君にだって欲はあると思う。
いい演技がしたい、という欲は、彼の中にもあると思うわけで。
けれどもその欲のベクトルというのは、あくまでも
「作品の出来」へと徹底的に向かっていて、
「自己表現」へと向かっているものではない、
と彼の演じる姿を見る度に、そう感じるであります。
役者は役を通して、人の物語=人生を観客に伝えるものでありますだ。
それはまず演じる役者が、人としての人生を尊重しながら、
ふつ~に生きていなければ、伝えることなど出来ない芸当なのだと思うわけで。
しかしカメラの前で演じるという事は、普通の日常生活からは
かなり逸脱していることであるのは間違いないわけで。
けれども吉岡君は、その逸脱性をよぉ~く心で理解している、
のかもしれない。
だから一旦カメラから離れれば、メディアに踊らされることなく、
ふつ~の兄ちゃんとして生きている、
のかもしれない。
そうすることが言ってみれば、吉岡君の持つ役者欲なのかな~、
などと思ったりしている私であるのかもしれない。
彼から発っせられる台詞、仕草、表情は、
紙の上に書かれた言葉を掬い取って上手く形にしているのではなく、
そこには人生がのっているのだと、
確かな実感をもって感じさせ伝えてくるものであり、
確固たる人生が感じられるから、だからこそ彼の演技は、
観る者たちの持つ様々な人生に深く深~く響いてくるのだと、
そう思うでありますです。
個人の名誉や名声なんて、湯気みたいなものであり、
そりはあるように見えても、実態はつかめないものであるわけで、
悲しいほど刹那的であり、瞬く間に過去形へと形を変えてしまうものだと
思うとです。
しかしいい作品というのは、
人々の心の中で永遠に生き続けていくものなわけで。
吉岡君は、そういったことを、
きちんと確知できている人なのかもしりないですだ。
人としての人生があるからこそ生きてくる吉岡君の演技。
そこに代わりなどは決してないわけで。
だからこそ吉岡君という役者さんは
とても魅力的なのであり、
とても特別なのだ、
と思う私でごぜいやす。
吉岡君、最高っす。
好っきやで。