月のカケラと君の声

大好きな役者さん吉岡秀隆さんのこと、
日々の出来事などを綴っています。

歩む人

2008年01月29日 | 思うコト


数年前、友達がインドを旅行した際、その旅の途中で、
「バスはいつ到着するんですか?」
とバス停留所の係員さんに尋ねたところ、
チッ、こりだから観光客はよ~、という表情で、
「待ってればちゃんと来るよ。せっかちだな~。」
と、バス到着予定時間二時間後に言われたらしい。
だから何だってぇ~んだ、何を唐突に書いておるのだ、え? 
といいますと、冬だからであります。(←エ?)
冬。
冬は寒い。
寒いので猫もコタツで丸くなり、
吉岡君は冬眠してしまう。
眠りについている吉岡君は、さぞかし美しいに違いない。
そういえば満男君はよくチャ~ミングにうたた寝していたわ~。
四日間の奇蹟で見せた寝顔はそりゃ~びゅ~てほ~だったよのぉ~。
ちゃ~みんぐでびゅ~てほ~な寝顔の持ち主ヒデタカ君、略して
ちゃびゅほ~君♡ 
なぁんて思わずハート付きで呼んでみたくなっちゃうのよ、
うふっ、むはっ、んふふふ~、うきゃきゃっ♡ 
ってならなくていいから早く目覚めてくれぃ、吉岡君よ。

愛しの君よ インド人も 待ちきれない

思わず新年の初句を詠んでしまったでねぇですか、
んもぉ~、吉岡君ったらカンバァ~~~~~ック!!!!! 
プリーズ。
いや、帰ってくるのはなにもウルトラマン及びにサーモンだけではなく、
吉岡君だって必ず帰ってきてくれるのですが、
そりはわかっているのでぃすが、
しかし寂しくなっちゃうのだ、恋煩いだわ、困ったわ・・・。
こりはもう、淋しい、というより、寂しい。
という感覚でありますのよぉおおぉぉ~おいおいおぃおぃ、泣いちゃうぞぉ、
ぶひっ。(←泣いている。)
そういえば去年は、CMでの吉岡君しか観れなかった私であります。
15秒×9CM=135秒 
なんてこったいっ、キュ~ピ~三分クッキングより短いじゃないかっ、
おぉ神よ仏よなんまいだ~! 
しかしどのCMでもわんだほ~だったわね、さすがのさすけだ吉岡殿、フフ。
という賛辞はとりあえず脇に置くとして、役者な吉岡君が早く観たいよぉ~。
ということにやはり想いは帰結するのでありまする。
という吉岡雨乞い状態を先日姉に電話で話していたところ、
「それなら他の俳優さんで気分を紛らせればええやんか。」
と言われてしまったのであります。

フッ
なんてこったい
こりだからまったくよ~
姉よ、
お主あまいぞ青二才。

代わりがいないのが吉岡君なのだ。

といっても別に私の人生は、
吉岡君だけだけ君だけが好き好き猪突猛進バラの包みのたかしまや~うふっ♪
となっているわけでは決してなく、
吉岡君のことはもちろんどすこい大好きだけれども、
でも他にも、大好きらぶらぶあいらびゅ~かもかもべいべ~、
などとオバカさんマッハゴーゴー状態でうきゃっ♡
とかなっているその他約一名の俳優さんもいたりするし、
映画を観るのがなにより好きなので、鑑賞する作品ごとでの
その他大勢の俳優さんたちの演技を観ては、上手いな~
と感心したりすることは随時あるわけで。

ならばどうしてこんなにも吉岡君に惚れているのか?

と一行置きで考えるとですね、
吉岡君には吉岡君にしかしか出せない吉岡味、
というのを絶対的に内包している味な人だからなのだ、
と強くそう思うからでありまする。
よく、生活感が全然感じられないのが魅力だぜ、んはっ。
とかなんやら賛辞を受けている役者さんがいたりするけど、
人間を演じ、そこにある人生を語るべく役者さんに、
生活感がなくてどないすんねんな? 
と私なぞはついつい五年三組魔法組のはてなマンみたいに
首を斜め45度に傾げてしまうのでありますばい。
しかし生活感といっても別に、こめかみにトクホンを貼り付けて、
巨人戦をラジオで聴きながらワンカップ大関をすすっている、
という昭和枯れススキような極端なものである必要はなく、
あくまでもその人に、役者としての人生ではなく、
一人の人としての生活がそこに感じられるかどうか
ということであるわけでして、吉岡君にはそれがあるのだっおぉぶらぼ~!
ということを書きたいのでありましただ。
だから寂しいよぉ~なんてぶひぶひ言ってはいけないのかもしりない・・・
ぶひっ。(←あ、)

吉岡君にだって欲はあると思う。
いい演技がしたい、という欲は、彼の中にもあると思うわけで。
けれどもその欲のベクトルというのは、あくまでも
「作品の出来」へと徹底的に向かっていて、
「自己表現」へと向かっているものではない、
と彼の演じる姿を見る度に、そう感じるであります。
役者は役を通して、人の物語=人生を観客に伝えるものでありますだ。
それはまず演じる役者が、人としての人生を尊重しながら、
ふつ~に生きていなければ、伝えることなど出来ない芸当なのだと思うわけで。
しかしカメラの前で演じるという事は、普通の日常生活からは
かなり逸脱していることであるのは間違いないわけで。
けれども吉岡君は、その逸脱性をよぉ~く心で理解している、
のかもしれない。
だから一旦カメラから離れれば、メディアに踊らされることなく、
ふつ~の兄ちゃんとして生きている、
のかもしれない。
そうすることが言ってみれば、吉岡君の持つ役者欲なのかな~、
などと思ったりしている私であるのかもしれない。

彼から発っせられる台詞、仕草、表情は、
紙の上に書かれた言葉を掬い取って上手く形にしているのではなく、
そこには人生がのっているのだと、
確かな実感をもって感じさせ伝えてくるものであり、
確固たる人生が感じられるから、だからこそ彼の演技は、
観る者たちの持つ様々な人生に深く深~く響いてくるのだと、
そう思うでありますです。

個人の名誉や名声なんて、湯気みたいなものであり、
そりはあるように見えても、実態はつかめないものであるわけで、
悲しいほど刹那的であり、瞬く間に過去形へと形を変えてしまうものだと
思うとです。
しかしいい作品というのは、
人々の心の中で永遠に生き続けていくものなわけで。
吉岡君は、そういったことを、
きちんと確知できている人なのかもしりないですだ。

人としての人生があるからこそ生きてくる吉岡君の演技。
そこに代わりなどは決してないわけで。

だからこそ吉岡君という役者さんは
とても魅力的なのであり、
とても特別なのだ、
と思う私でごぜいやす。

吉岡君、最高っす。
好っきやで。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白さの似合う人

2008年01月18日 | 思うコト




冬。
冬といえば、雪。
雪といえば、白。
白といえば、吉岡君。
吉岡君は白も似合う。
んふっ♡
白衣を纏ったコトー先生は、そりゃ~魅力的だったっす。。。
同じくホワイティーな、まるで綿棒みたいなナルミ先生とは
一味違った白さっぷりを全身から醸し出していたでありますばい。
ありは吉岡君独特の白オーラだと思うであります。
白衣はまぁ特別使用だとしても、
白いシャツ、白いTシャツの着こなし具合に、
大人の魅力が反映されているような気がしてならないであります。

先日のことなのでありますが、何年か前に、
スピードメーター時速3.7㌔くらいの尺度で
うきっ♡となっていた俳優さんを久々にテレビで見たら、
お見事っばんざーいっ!と思わずTVの前でグリコのポーズを
とってしまったくらいな濃密度でオヤっさん化していたので、
げはぁーーーーーーーーーっ!?
と一気にスピードメータの針が0に減速してしまったであります。
彼はやっと三十歳になったばかり。
数年前までは、細くてお目めもキラリンッなんてしてて、
仕草も動作も少年なごり雪目指せ青年大使よ抱け、なかんじでぇ~、
うきっ♡とか、んきゃっ♡とかさせたりしてたのぉ~、なのに、なのにぃ~、
いきなりオヤジかよ? 
悲しいぢゃんかぁ~、泣いちゃうぞぉ、うぅ。
いや、ここでオヤジ同好会の方に断っておきたいのですが、
オヤジとは、決して実年齢からなるものではなく、
あくまでもその人生度からくるものだと私は思うであります。
だから75歳の男の人にもとても魅力的なじぇんとるめ~んは沢山いるし、
また逆に二十代ですでにどっぷりオヤジになってしまう人も巷には
沢山いると思うであります。
要はいかにその人生を歩んでいるかという、
その歩みの確かさだと思うでありますだ。
履いている靴ばかりを気にしている人もいれば、
靴底が破れて足にマメができてもひたすら歩き続ける人もいるわけで、
そこの選択の違いが、イカす大人になるか、またはイカの塩辛になるかの
大きな分かれ道なような気がするであります。
大人の魅力とはその生き様であり、
その生き様はそのままその容姿態度仕草に
オーラとして滲み出てくるものだから、
そこに嘘はないと思われ。
言葉や態度が、生み出す結果に置いてきぼりにされている人は
多いでありますだ。
だからこそ結果で見せてくれる人のオーラというのは、
非常にものすごくとってもしびれるほどかっちょええのだっ吉岡君っ!!!
いかすぜよ~。
たまらんじぇ~。
フフ。

白が似合う大人の男性というのは、貴重だと思うであります。
白いシャツや白いTシャツは誰にだって着れるけど、
でもそれがほんまに似合うという大人の男性は、
巨人軍の原監督胴上げのようでありまして、要するに
滅多にお目にかかれるものではない、と言いたいのでありました。
白いシャツは、人を、そのオーラを選ぶものなのかもしれないですばい。
白いシャツを着ていても、全身から滲み出るオヤジオーラで、
その白さは簡単にくすんでしまう。
だからこそ白いシャツを白いままに着こなしている、という人は
えらくかっこええっす。
くすませることなく、濁らせることなく、
さらっと白を着こなしてしまう、そりが吉岡君。むはっ♡ 
兼ね合わせているオーラとシャツの白さが、
とても綺麗に調和している人だと思うですばい。
おまけにいつまでも変わらぬ細身体型、
なのに骨格しっかりぶらぼ~君。
なんてことなのかしらっ、奇跡だわっ!
白くってスリムで実力型。万能スリム冷蔵庫みたいずら、
吉岡君ったら、わぁ~んだほ~っ、好っきやでっ!

白の似合う吉岡君。
そこには決して無理がない。
吉岡君には、無理がない。
と思う。
とても自然に流れている大河みたいだす。
流されているのではなく、ゆったりと自然に流れをくんでいる、
そんな感じがするですばい。
だからこそ着こなしてしまう白なのかもしれない。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もっとロマンス

2008年01月08日 | 思うコト



忘れていたのでありますが、紀元前の頃には私も乙女でありました。
生まれて初めてのデートに、心とお目目にお星様をきらめかせていたり、
ランチにごちそうしてもらったファーストフードのハンバーガーを
彼を目の前しにてパクつくことがどうしても出来ず、思い余って
彼が席を外した瞬間に急いでそのハンバーガーを
母親から借りたハンドバッグの中に放り込んだ結果、
バッグの中身まで牛使用100%にして、その日の帰宅後に
生まれて初めて母親の涙する姿を目にしたという、
やはり乙女と涙は切っても切れない関係にあるらしい。
お母さん、ごめんよ~。

ということで(なにがやねんな?)、
最近ちびっとロマンスモードの私でごぜいます。
新しく買い込んだDVDを観て「しゃばだばだぁ~~~~~~
となったり、はたまた今年に入って最初に観にいった映画に
「だばだばだぁ~~~~~」となったかと思えば突然
「あぁ~あなたにぃ~こいごこぉ~ろぬすまれてぇ~
もっとぉ~ろまんすぅ~わたしに~しかけてきて~♪」
などと全て平仮名で歌ったりなんかしての、
どっぷりロマンスつくだ煮状態、といった感じでごぜいます。
しかしこのロマンスというのはとても掴みにくいものでごさんす。
掴んだと思っても次の瞬間ツルリンパッと蒸発してしまいがちなもので
ありますばい。
例えばロマンチック映画を観てとなりつつ横を向くと
旦那さんが大口開けて爆睡していた。
貴様~四の字固めの格好のままシベリアに投げ飛ばしたろか? 
と花の子ルンルンからライオネル飛鳥へと瞬間変貌した経験のある人は
私を含め世界に8人くらいはいると思われるわけで。
世の中いつもハーレクインロマンスのようにはいかないでありますだ。
だからこそこの小説シリーズは永遠に売れ続けているのかもしりないですばい。

とそこで思ったのでありますが、
よく考えてみたら、ロマンスな役を演じている吉岡君というのは、
オバQの髪の毛より希少でありますだ!
なぜだ、なじぇなのだ、吉岡君? 
いや、過去に、それなりのロマンス君を演じてくれていたかもしりない。
しかしそれはなんつーかどことなく、ぬるま湯浪漫す、
といった感がしてしまうわけであ~り。
ここだけの話でありますが(って他にどこがあるというのだろう?)
大きな文字では書けないので、ひそひそひそひそひそひそひそひそひそひそ
とほんとにひそひそと書いてしまったですばい、そうでなくてですね、
確かに「心の砕ける音」は恋愛ものといえる役柄だったのかも
しりないですばってん、けれども個人的には、
「なぁ~んで兄弟の設定が逆になっておるのだぁっ? 
読んでから見るか見てから読むか角川文庫じゃなかったけど
やはり先に原作を読んでしまった私はぐわらっしゃんっ!」
と放送開始5分後に自分の心が砕けてしまったわけであり、
「四日間の奇蹟」にしたって、一体、
月光なのか瀬戸の花嫁なのかどっちなのだろうどうして
ベートーベンからいきなりルミちゃんなのですかぁっ!?
と天に向かって絶叫しそうになった人は東日本だけでも3人はいると思う。 

一ファンとしては、ここらでルミちゃんもゴローもキツネもくるまやも
徳永英明もやしがにラーメンも淳之介も西田敏行もなしの直球ストレート
ストライクゾーンなロマンスたまり漬けの吉岡君が観てみたいぞなもしっ!
と思うわけでありまする。
小説の中の人物で例をあげて言えば・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そうだ私は恋愛小説は読まない人だったのでした・・・。
もとい映画の中の登場人物でいえば、イル・マーレの建築家とか、
初恋の来た道の先生とか、アメリが恋するスクーターくんとか、
ベルリン天使の詩の天使とか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ぼわっ $%#$@@&&*^%$! ←シュミレーションしてみて
勝手に一人で燃え上がってしまったらしい。
この言語描写を現代語訳にすると、
「きゃぁ~っ、吉岡君ったらどないしょーっ!!!!!!!」
となるわけでありますがだからといってどないもできないので、
はぁ~~~~っと溜息。やはり乙女と溜息は切っても切れない縁らしい。
(↑いつのまにちゃっかり乙女にっ?!)

吉岡君は、じぇったい恋愛ものが似合うはずだっ!
と私は国会議事堂で宣言してもいい。
なんてたって彼はとても透き通っているっす。
凛と透き通っていて、そこはかとない少年質の名残を持ち、
そしてその名残を取り巻くような色気がとて~もナイーブに、
さわ~っと吹いていく風のように漂っているでがんす。
おぉっ、これぞロマンス体質っ、打率でいうと4割5分5厘!
なんとロマンスバージョンな人なのだ、吉岡君ったらブラボ~っ!!!
吉岡君のもつ薫りのような色気には、
そこにまた様々な音色のようなものが宿っているような
感覚を受けるわけであり。
一つの仕草や言葉が流れるような優美感をもっているのだけれども、
でも同時にそこだけで完結している美しさもあるというか、
一遍の詩のような意味合いを深く持ち合わせているというか、
永遠と一瞬が同じ密度でそこに同時に存在しながら
様々な音色=ニュアンスを奏でている、という感じがとてもするでぃす。
それは切なかったり救いようがなかったり
無様なほど悲しかったりするけれども、でもやはりそこには
揺ぎない梁のような強さ逞しさも宿っているわけで、
そこがっ、それがっ、とっても浪漫であり、ロマンチックであり、
ロマンスであるので、吉岡くんったらしびれるぜ~。
と、なってしまうわけでございます。

ロマンスは、掴みにくく逃げやすいものでありますだ。
だからこそ、吉岡君という人の確固たる存在から解き放たれる
確固とした感情の機微でもって、ぐわしっと確かな感覚で
心を掴んでもらいたいわけで。
吉岡君は、
吉岡君なら、
いや吉岡君だからこそ生み出せるロマンスというものが
唯一無二に存在していると思うですばい。
いつかそんなもっとロマンスな吉岡君が見てみたいでありまする。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不思議なっちゃんの巻 

2008年01月05日 | たびたび旅篇

世の中には不思議な人が多いであります。
「そういうお前が一番変だ。」
という外野からの声はこの際水に流して、
私の人生の中で度々遭遇してきた
不思議くん、不思議ちゃんについて書いてみたいと思います。
まずは、なっちゃん。

小学校5、6年生のときに同級生だったなっちゃんは、
サリーちゃんの親友よし子ちゃんをインドネシア産にしたような女の子だった。
なっちゃんの生い立ちは、当時11年という長さにもかかわらず、
ど演歌という樽の中でこれでもかぁっというほど
島倉千代子味に漬け込まれたスパルタ演歌ものであり、
彼女に起こった様々な出来事を語らせたら、
それだけでみのもんたの電話相談コーナーの特番が
簡単に出来上がってしまうこと請け合いで、
しかしそういった話は全て頼んでもいないのに
彼女自身の口から無理矢理に聞かされたものであるので、
信憑性のほどは恐ろしく脚色されているのではないだろうか、
というものであるのですが、しかしそのインパクト性にかけては
忘れじの君ナンバーワン。

なっちゃんの摩訶不思議な逸話の中でも突出していたのが、
なっちゃんのお父さんは、プロボクサーだった。
このボクサー父ちゃんというのが、すさまじく謎にまみれた人物であり、
ある日なっちゃんが丸坊主頭で教室に現れたので、
皆びっくりしてその理由を彼女に聞くと、
「お父さんが、私が寝ている間にバリカンで剃っちゃった。」
となっちゃん。
「えぇええええっ、なんで寝てる間にぃっ?!」
と隣にいた子が更につっこんで聞くと、
夏だから。」

謎であります。

またある時には、なっちゃんが両手の甲を痣まみれにして登校してきたので、
「どうしたの、なっちゃん、その手?」と心配して聞くと、
「お父さんが。」
「まさかお父さんに殴られたのっ?!」
「お父さんは殴らないよ、絶対に。」
「じゃ、お父さんがどうかしたの?」
「ボクサーの練習に、殴ってくれっていうから。」
「殴ったの?」
「うん。」
「お父さん、平気なの?」
「うん。鼻血が止まらなくなって救急車で病院に運ばれた。」
「えぇえええええっ、大丈夫なの、お父さんっ?」
「大丈夫だよ。プロボクサーだから。」

プロボクサーだから一体何が大丈夫なのかまったく説得力に
かけていたのでありますが、当時小学生だった私達は、
そうかボクサーだから鼻血が出てもあしたのジョーなんだな、
とこれまた意味不明の理解力で納得していたのであります。
しかしなっちゃん、今なら私は思うのだ。
お父さんは本当にボクサーだったのですか? 
それともボクサーになりたかった人だったのですか?
農協の窓口で働いているなっちゃんのお父さんを見た、
ついでにお父さんは西はじめのような容姿の人だった
という度々の目撃証言は、果たしてただの
都市伝説のようなものだったのだろうか?
そしてなによりも、私たちの住んでいた土地は、
プロボクシングという世界からブラジルと日本くらいかけ離れたところに
位置していたという事実は些細な事柄だったのだろうか。

このようになっちゃんは、とても不思議な子でありました。
いじめられッ子では決してなかったのに、
みずから半径3m以内に絵の具を混ぜ合わせたパレットのような、
またはドロロ閻魔くん的なおどろ~な雰囲気を醸し出して
クラスメートをわざと遠ざけているような感があり、
そしてそんな状態を何より本人自らが密かに影で楽しんでいる、
というタイプの子だったように思うであります。

私が彼女と直接にかかわった椿事で鮮明に覚えているのが、
ある日の図工の時間でのことでありました。
課題である版画を製作していた時に、
隣の席に坐っていたなっちゃんがいきなり
「ねぇ、私の秘密知りたい?」と話しかけてきたので、
「え、秘密? う~ん、どうしようかな~。」
と曖昧に答えた私。
「聞きたくないの、私の秘密? 聞かないと損するよ。」
「なんで?」
「だって、怖いんだから。」
「えーっ、怖い話なら聞きたくないよ~。」
「なんで?」
「だって怖いのやだもん、私。」
「やなの? それじゃ~話してあげる。」
「やだよ~、やめてよ~。聞きたくないから、私。」
「あのね、私ね、」
「だぁーっ、やめてってばぁーっ。」
「クラスの子全員のね、」
「ちょっとぉ~やめてよーっ!」
わら人形もってるの。」
「エ?」
「今日は誰をつつこうかな~。」

謎を通り越してギャグやで、なっちゃん。

しかしその当時その時に彼女から受けたわら人形インパクトは鮮烈で、
その日以降一週間近く、夜ベッドに入ると、
ろうそくを頭に二本立てた丑三つ時の小川真由美のような
なっちゃんの姿が頭に浮かんで怖くてろくに寝付けず、
結果生まれて初めて寝不足というものを経験した私でありました。
なっちゃん、実はもしかしたら、あなたは影に隠れた
とてもパッシブな隠密いじめっ子だったのだろうか? 

でもなっちゃん、
どうしてあんな突拍子もないことを言って
みんなを煙に巻いていたのだろう。
そんなことをしてわざと注目を引かなくても、
いつでもみんなの仲間に入れたのに。

不思議ななっちゃん、今どうしているのかな?
どこかの空の下で、幸せに暮らしているといいな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

謹賀新年

2008年01月01日 | 思うコト


明けましておめでとうございます。

旧年中は、ここにお越しくださり誠にありがとうございます。
本年もここで皆様にお会いできると幸いです。

皆様にとりまして、幸多き素敵な一年となりますよう、
心よりお祈り申し上げます。


二○○八年 元旦
風子
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする