世の中、顔の造りのかっこいい人というのはしばしば、時折、所により晴れ、
といったような頻度で何気に多く街中などにおいて拝見いたしまするが、
しかし、
その外見のかっこよさが心のつくりのかっこよさと直結している人というのは、
国指定の特別天然記念物に比類するほどの希少価値でございます。
でありますよってに、かの愛しの君は、
天然記念物のコウノトリのように貴重な存在であり、
コウノトリのように幸せを運んでくれる使者でもあって、
そしてコウノトリのようにめったに公衆の前に姿を現さない半幻の君であるため、
いざ出現したとあれば、














とそりゃぁ~見ているこちらはもう盆と正月およびに西友夏の大セールが
一気に押し寄せてしまったようなハイホー状態でございまして、
あけましておめでとうございます。

今年ものっけから毎度お騒がせしておりまするが、けれどもそれは、
何もわたしの生まれ持った騒々しい性格だけのせいではありますまい。
なぜならば、
時差ぼけほらららら~~~となっていた真っ最中にお友達から教えてもらった
「ゴールデンスランバー」の完成披露試写会記事の情報により、
飛んで急いで見に行った東宝websiteに掲載されていた
久方ぶりに目にしたいとしこいしの君の姿ゆえ。
なんてこったい・・・・・。
どういうことなの、吉岡君? かっこよすぎてよ、思いっきり素敵じゃないか、どないしよーっ!
と気持ちはまたふりだし地点に戻るのでありますが、はぁ~もうほんまに吉岡く~ん、
その佇まいの香り、ついでにその色の白さも清廉として洗練されていてよ、もしやチミは
白さと香りのニュービーズなのですか?洗い立ての真っ白いシャツみたいな清潔さを
奇跡的ともいえる鮮度でリフレッシュしつづけていられるなんて、
おお、ふぅわんたすてぃっく!
出てくるたびに真新しい季節を迎えたような素敵さを受け取らせてもらえるこちらとしましては、
しましては、しましては、しましましてはんもうっ、んもうっ、んも~~~~~う

って今年はミル姉さんの年じゃなくて寅さんの年です、

ってそんなことは去年年賀状を書いた時点で嫌というほど知ったことであってよ、とにかくっ、
なんてかっちょええのだ吉岡君よ・・・・・。
存在自体に風を持つ人だけが放てる独特な美の透明感であるのだ。
美しい。
「うつくしい」というとてもきれいな響きをもった日本語が、これほどまでに
すっとその皮膚の下に厭味なく自然に染み込んでいる人というのも、
これまた稀男なり。フ、
もう降参だよ、毎度のことだけれど、言葉も出ないわ、ああもう吉岡君ったら
バンザーーーーーーーーイッ、あはあはあは~~~~っ♪ クラ~~~~~~。
できることなら日本全国一緒に逃走したい。
全国区が無理なら京浜東北線上逃走の旅でもいい。
と、年明けてからもやっぱり壊れてしまいました。
おめでたいことでありまする。んふ

「ゴールデンスランバー」の公開を待たずに先日ここロサンゼルスに
泣く泣く帰ってきてしまった嘆きの私でありますが、
しかし幸い事前にお友達に教ていただいたおかげで、
ネット特別配信による冒頭部分が十数分間、
日本滞在中にめでたく観れたであります。
ありがたきことでごじゃりました。感謝でありますです。
日本に帰国してからずっと忙しく動き回っていたせいで、
冒頭映像が観れた時は配信最終日ぎりぎりの1月6日の午後であり、
しかも前夜から急性胃炎でぶったおれておったという、
最悪なコンディションであったのでありますが、んがしかし、
念願であった森田君の姿がPC画面に映り出た瞬間、
も、も、も、もりぃ~~~~~~~~・・・・・・・・・・・・だばだばだぁ~・・・・・・・・・・
♪
とリングに出てくる貞子のようなおどろしい姿で、
寝ていた布団からPC画面に向かって這い出してしまいますた。
吉岡万有引力による珍現象でございます。
予告編にも映っているけれど、彼がスクリーン上に
一番最初に登場する交差点の場面、あのときの
ほの暗い闇の中からふっと抜け出すように笑う森田君の姿に
また撃ちぬかれてしまった私なのですが、しかし今回はそれプラス、
車の中で堺さん演ずる青柳くんに家族のことを打ち明ける森田君にも
二度撃ちされてしまいもうした。あの場面で森田君に据えられている
カメラアングルがぁああああああ~~~~~~~~~~~~~~~、
ザ・ドンピシャ DE 賞。 パカッ
迎 春

クス玉が頭上で割れてしまいもうした。
あの左斜めから捉えたもりぃ~の顔・・・・・。
吉岡君の瞳の光彩が、
透き通ったプリズムに変化するあの角度・・・・。





無敵のゴールデンアングルでございます。
やられてしまいもうしたぞう、おいどんは。それになんてたって、
歌っているのですわよっ、ゴールデンスランバーをっ!!!
あの名曲を吉岡君が、う、う、う、う、歌ってるぅ~~~~~るるるるる~~~・・・・
歌ってるよっ!(←わかったよ)
感動でありもうした。ああもうこれで今年は何も思い残すことはないわっ、
ってまだ年が明けて6日しかたってなかったずらよ、あれそういえば、
いつのまにか胃痛がすっとんじゃってたわ、さすがの万能薬だよう吉岡く~ん、
食べる前に観るっ!
決まったぜい。
などと一回目は大騒ぎしながら観ていた特別配信映像での森田君でありましたが、
その後繰り返して観た森田君を今こうして書きながら思い返してみますと、
その姿からはなんといいますか、
水底に沈む万華鏡のような印象がじんわりと浮かび上がってくるとです。
遥か頭上にぼんやりと浮かんでいる波光に向けて回される万華鏡。
それは沼の中に身を沈めた水草のようであったり、
または残り火をかすかに燃やす行灯の明かりのようでもあったり、
そして荒野に彷徨う満身創痍の野生の狼のようであったりする様相が、
森田森吾という人物が手にする万華鏡の中で、ゆっくりと、しかし
確実に響いてくる一秒一秒の秒針の音とともにぎりぎりに揺らめいている、
そんな印象があったとです。
吉岡君の演技を見るたびにいつも感じることなのですが、
彼の演じる人物は非常に「むきだし」だと思うでありますです。
なんというか、もうほんとに全てが「むきだされている」感じがするです。
カメラに向って演技をするのが役者さんの仕事なわけでありますが、
けれどもカメラのレンズ面に反映した自分の姿=意識がどこに向っているのか、
それは自分に向けて返してきているのか、
それともレンズを超えた先へと突き抜けさせていくのか、
そこの線引きによって役者さんのタイプが大きく変わってくるような気がするとです。
吉岡君にだって仕事に対する欲はきっとあると思うでぃす。
いい仕事がしたいと思うのは当たり前の欲だし、いい仕事をするには
それはなければならない欲でありますよねい。だけど吉岡くんの欲の質は、
とても潔いと思うです。
そこには澱みがなくて、凛と澄み渡っている潔さと逞しさを感じるとです。
いい演技がしたい、それはもちろん自分を納得させるものでもあるのだろうけれど、
しかしそのベクトルは演じる人物の人生から繋がっていく作品全体へと
すいっとまっすぐに向っていて、己の冥利心などには向いていない気がするし、
だから吉岡君の演じる人物たちは、
役者の利己心といったオブラートに包まれていなくて、
その人物のそのままにとてもむきだしであり、
そしてだからこそ繊細であるのかもしれいなぁ、なんて思ったりするとです。
実践的に生きる人がもつ潔さと逞しさ。
実践的に生きている人ってべらぼうにかっこええ。
かっこええぞう、吉岡君。
かっこいいってこういうことずら。
吉岡くん、大好きだよ

今年もお越しくださってありがとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

