暴風雨の過ぎ去った遣唐使船の中で、
ふっと目を醒ます真備。
真備が辿ってきたそれまでの道筋と、
そしてこれから辿って行くだろう道のりの暗示を、
一瞬の仕草に丁寧に織り込んで
そっとこちら側に手渡してくれる吉岡君。
吉岡君は、
ふとした瞬間の中に、
永遠を紡いでしまう。
くっ、くぅっ、くはぁっ、くわぁあっ、よよよよよよしっ、よしっ、よしおっ、
スッ。 (←堪えたらしい)
危なかったぁ~。
またはじめ人間ギャートルズのオープニングの如し、
地球からふき出し付きで叫んでしまうところだった。ふぅ。やれやれ。
とにもかくにもこの冒頭場面でございますが、早々に、一発で、
ものの見事に撃ち抜かれてしまいもうしたぞな、吉岡殿。
ソファーから正座したままゴロンと床に落ちてしまったではないか。
なんということなのでありませう、あの、静寂にして、
多くを語りかけてくる表情と仕草は・・・。
表紙を捲った一枚目にふと目に入ってきた無韻の詩みたいだったよう・・・。
鳥肌がたったのは小雨が降っていた晩の肌寒さだけではありますまい。
吉岡くんよ、君という人は、
飛び出せ絵本のように物語からにょいんっ!
と突出したりせずに、
情景と呼吸を合わせ諧調しながら、
話の地に在り立って、
こちらの心をすっと掴んでしまう。
物語の幕開けを、
その身体全体に織り込ませた人物の人生背景で、
ふわっと押し広げながらひっぱっていく・・・・く・・・・くはぁっ、よ、よ、
吉岡く~~~~~~~~~~~~~~~~~~~んっ!!!!!
モーレツに才能の人。
想い余って屈伸運動しちゃったわ。んもうっんもうっ、吉岡く~んっ、
好き好き大好き好き好き好き好き好き好き好きひと目でいいからお会いして、
「好きです」って書いたプラカードを見せたくってよ!!!あ、そういえば、
やっぱり堪えきれずに叫んじゃってたわ。愛に叫びは不可欠哉。んふ。
ということで申し遅れてしまったのでありまするが、
念願であった、悲願であった、吉備殿が、真備殿が、W備殿が、
ようやく我が手元に渡航してまいったわけで、ぃやったぁ~~~~~いっ!!!
吉岡く~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ん
と愛の劇場春風モード全開の顔を目の当たりにしてさぞかし怖かったであろう、
郵便配達のお兄さんごめんなさい。えへ~。
苦節感覚的に168年の末、
やっと観ることのできた「大仏開眼」。
じわん、と心に染入ってくる
とても良い作品でありましたが、
吉岡君の場面だけに着眼しての感想をいいますと、
この作品はなんといいますか、
切っても切ってもツボ太郎飴。
どこを切り取っても、
@#$%&&*~~~~~~~~~!!!
言葉にはしがたいわけであり。
冒頭から末尾まで切れ目なく盛りたててくる
魅力のわんこそば状態においどんは、
感動の鳴門海峡でありんした。
仲麻呂や玄坊との対峙場面や、
のちの孝謙天皇を暁諭するくだり、
武将として臣下に指示を与える姿など、
ソフトでもハードでもコンタクトレンズのような
万能クリアな視界を拡げて真備の心象風景を
ずばしっ!と心に魅せて響かせ揺さぶり鷲摑みにしてくるわけで、フ、
これぞヒデタカ。
土台が違うぜ。
底力の威力。
くふぁあっ、
べらぼうにかっこええっ、吉岡君ったら
惚れるじゃないかぁっ、惚れてるけどぉ、
たまらんぜよう。
一つ一つの場面ごとで、
切磋琢磨して磨かれ磨きながら、
角度を変え、色彩を変えて光を放つ、
まさに真備はダイヤのような人でありもうした。。。
すばらしかぁ、吉岡く~ん。
新しい作品を観るごとにいつも思うことでありまするが、
この吉岡真備殿からも、
「ちょと真備くん、こっちに来たまえ」
と、自分の中に無理矢理に引っぱり込んで
引き出しから似合いそうな服を出しその上に着せる、
なんてなことはもちろんせずにして、
「どうも吉岡ですが、よろしくお願いします」
と真備に寄り添い耳を傾け尊重し心身ごと渡してあげる、
そんな懐の大きさと逞しさ、そして潔い謙虚さを感じたですたい。
それは喩えれば、カメレオンが与えられた環境に合わせて
その表面色を上手に、ぺろん、と変化させるのではなくてもっとこう、
カメレオンがカメレオンのままカメレオンごとカメレオンではなくなっていて
でもカメレオンはきちんとそこにいてあげたりするんだよね、という
とても不思議な感覚がするでして、と、なんだか言っていることが
自分でもよくわからなくなっちゃったのでありますが要約しますと、
ミラクルレインボーなお人であります。
惚れこむ、という醍醐味を、
吉岡君は新しい作品ごとにいつも新鮮に、
存分に味あわせてくれる人でありますので、
男らしさとは、
履いている靴のデザインで判断するものではなく、
その歩みの確かさで示されるものなんだぜ、セニョリ~タ、
なんてたってヒデタカは、
そこに質ありき。
と思わずこう言わせて唸らせてしまう人なわけであって、
シッビレルゼ~~~~~~~~~~~~~!!!!!!
極上なわけで、父さん。
まだ一度しか観ていないので、
とんちんかんなことを書いてしまうかもしれないのですが、
鑑賞後に感じた真備の全軌跡の印象はどこか、
悟りを開くまでのシッダールタを彷彿させたでありますです。
真備がその人生の中で関わっていった人たちはみな、
もちろん実在の人物であり史実に基づいているけれど、
仲麻呂や、玄坊、朝廷内にうごめきながら
真備と関わっていった人たちはまた、
彼の内面を透かしてく心の裡の象徴でもあり、
真備はそれと対峙していくことによって、
もしかしたら己の中にも微かに潜んでいるかもしれない、
名誉欲、色欲、我執からくる権力への渇望、
それら多様に心の底に渦巻く様々なエゴを、
信念の力で乗り越え、克服し、精進しながら、
理想とする真理へと到達していったのではないのだろうか、
と思ったです。
行基と対面し、その言葉を耳にしている時の真備は、
凪いだ湖面のようにすっと澄んでいるわけで。
それは心に波を立ててくる感情の不協和音にではなく、
真備の魂からも語りかけてくる信念の和音に
耳を傾けているからなのではないかと思ったであります。
エゴと真理との葛藤に、真備は己のその内でも
闘っていたのではないのだろうかと。
それは自分の中に巣食っていたありとあらゆる欲望と
闘い抜いた末に悟りを開いて仏陀となった、
シッダールタの葛藤の道のりのようだと思ったです。
一番手強かった仲麻呂を倒した後に小船の上で見た夜明けの光は、
一番手強かった権力欲への象徴に完全に打ち克った真備が、
真に得た光明の光だったのかな、なんて思ったりしたとですばい。
大仏の開眼は、真備の開眼でもあったのかもしれない、と。
そこまでの道のりは険しく孤独との闘いでもあったけれど、
けれど真備は信念の人であり、
火の鳥のような不死の信念は、
逆境から蘇るたびに力強く確かな灯しとなって
その視野全体を更に明確に照らし出しながら翼を広げていくわけで、
真備はその揺るがない不死の光の在りかを
しっかりと己の内面に確知できていた人だから、
世俗への寂しさに負けることなく、
そこから離れた場所に立つことを潔しとした姿勢を貫き、
個人としての孤独も逆境も民の平和の境地へと押し上げて
まっすぐに進んでいくことのできた屈強の人だったのかもしれない、
孤高とはそういうことをいうのかもしれない、
叡智とはそういうところに光を射すのかもしれない、
なんてことも思ったとですばい。
真備を演じた吉岡君。
ほんまに、
あっぱれでございました。
私欲を捨てた場所から、
新しい未来を切り開いていくという、
人生に対する真備の哲学と吉岡君の観点とが
ピン、と力強く張った一本の糸となって
美しくそこに完結している。
吉岡真備からは、
そんな感覚を受けたとです。
二度目の唐行きから帰国してきた真備が、
その足で仲麻呂と相向かう場面は、
殊に印象に残ったでありますです。
前篇での対峙場面とは対を為すように、
心頭に沈めた憤怒を理念という剣一本に差し替え、
真備は仲麻呂の心情の砦を静かに切り崩していく。
その様は静謐にして熾烈であり、研ぎ澄みながら
仁道を一筋に貫き通している。
真備はドラマという定められた時間の中で、
しっかりとその人生を歩いており、
前進し、突き進んで、精進しながら、
その魂は高みへと成長しているわけで、
それは表面上の変化だけではなく、
演じる吉岡君が真備と共にその心木に宿らせた精神から
汲み上がって放たれているものであるわけでそこに外連はなく、
だからこそ観るものの心それぞれの、
「何か」を多様に響かせていくのだと。
伝え残す、という真髄は、
その精神が画面にのった瞬間に一つずつ、
確かな力強さで完結しているのだと思うでありますです。
どんな仕事でもそうなのだと思うでありますが、
役者さんという職業も、それはとても孤独な作業の上に
成り立っているお仕事なのだと思うです。
紙の上に載った言葉は限定された文字数を持ちながらもきっと、
無限の奥行きをその先に広げているのだろうし、
演じる人物の心の奥底まで掘り下げて行く作業は、
しかし独りきりで突き進めていくしか他はなく、
誰も助けてはくれないわけで、
それは自分との闘いであり、
担ったプレッシャーは、
計り知れないものがあるのだろうと。
どんなスコップを手にし、
どこまで演じる人物の内面を掘り下げて行くのか、
その深さの目盛りは役者さん一人一人によって
様々に違ってくるのだと思うでありますが、
役作りからの過程の姿を実際に目にしたことはないから、
あくまでも推測するしかないけれども、
完成された作品の中からブラウン管を通して心に入り込んでくる、
吉岡君の演じる人物たちからは、
逃げがまったく感じられないわけで。
心を渡したその人物の鼓動と一緒に最後の一瞬まで走っていく。
戸惑い、迷い、息切れしながらも、
それでも一生懸命走りに走りぬきながら役目を全うさせていく。
その切実なまでに純粋な一途さが吉岡君のもつ原動力の一つであり、
いつまでも曇らせない感受性の源であるのかな、
なんて思うとです。
真備がその背に負って祖国に持ち帰った方響。
千紫万紅の旋律を奏でながら、
永遠に残っていくだろうその音色の響きを、
吉岡君は私たちの心の奥にそっと残していってくれたわけで。
大きな感動をありがとう、
吉岡君。
素晴らしかった。