月のカケラと君の声

大好きな役者さん吉岡秀隆さんのこと、
日々の出来事などを綴っています。

吉岡刑事物語・その37 / 窓枠の青空・9

2009年11月27日 | 小説 吉岡刑事物語



まっすぐに見上げてくる少年の視線を穏やかに受け止めながら、
吉岡はゆっくりと腰をかがめた両膝を両手で支えて、
少年の目の高さに自分の目線を合わせた。

「こんばんは」

にっこりと笑って挨拶をした吉岡に少年は表情を崩さず、
一文字に結んだ口をぎゅっと固く閉じたまま、
今にも泣き出しそうな、何かを訴えかけてくるような目を、
じっと吉岡に向け続けていた。
柔かな視線はそのままに、吉岡は何気なく周囲を見渡して、
少年の置かれている状況をさっと瞬時に捉えていった。
人波で賑うレストラン街の中には、この少年の親とみられる人物の姿は、
どこにもその気配を感じ取ることができなかった。
吉岡は少年の姿をそっと見つめ直した。
真冬にしてはものが薄すぎる長袖のシャツと、
着古したズボン姿という格好をしているその少年は、
真冬の夜空の下、寒さに体を小刻みに震わせていた。

「人の通りの邪魔になっちゃうから、ちょっと脇にどこうか」

吉岡は少年に明るく言うと腰を上げ、さっと脱いだハーフコートを
少年にさりげなく掛けてやってから、自動販売機コーナーの横にある
ちょとした空きスペースへとその小さな肩をそっと促していった。
少年は黙って吉岡についてくる。
土産物屋の店内から放たれている電灯が、グレーのアスファルトの上に
白い光を流し込んでいる場所に吉岡は足を止めると、
同じくその場所に立ち止まった少年に改めて向き合った。

「知らない人とはなしちゃダメだっていわれた」

口を開こうとした吉岡に向かって少年はやおらに言った。

「知らない人についていっちゃぜったいにダメだって」

意志の強そうな少年の瞳を穏やかに見つめ返していた吉岡の眼差しに、
やさしい温もりの光がゆっくりと深まっていく。
吉岡は再び腰を屈めて、目線を少年の高さに合わせた。

「そうだよね、ごめんね。僕は吉岡といいます。下の名前は秀隆」

吉岡は少年に向かって右手を差し出した。
少年は、肩に掛けてもらった吉岡のハーフコートから、
握り固めていた右手をそろりと伸ばすと、
強ばっていた拳を吉岡の手の前でゆっくりと開いた。
大きくて温かい吉岡の手が、差し出されたその手をやわらかく包み込む。
少年の手はとても小さくて、氷のように冷え切っていた。

「すばる・・・」

呟くようにして言った少年の顔を、
吉岡は小首を微かに傾けて見つめ返した。

「ぼくは、しのだすばるです」

少年は、吉岡の手に包まれている自分の右手をじっと見つめながら、
自分の名前を名乗った。

「はじめまして、しのだすばる君。いい名前だね」

すばると名乗った少年の口元が嬉しそうに綻んだ。
しかしそれはほんの一瞬のことで、すばる少年は吉岡の手から
自分の右手を離すと、また固く口を閉ざした。
じっと黙りこくったその姿は、周囲の賑やかな喧騒から切り離されて、
群れから落ちてしまった小鳥のようにぽつんと寄方なく、そして
とても孤独だった。

「すばる君は今何年生?」

舗道に俯いているすばるを、吉岡の声がふわっと包み込んだ。

「二年・・・」

すばるは顔を上げて答えた。目の前で吉岡が温かく微笑んでいる。

「つまごい小の二年三組。太田先生のクラス」

「そう。嬬恋っていうと群馬県かな?」

「うん。知ってるの?」

「知ってるよ。よく群馬の山に登りにいってたから」

すばるの頬がほんの少しピンク色に染まった。

「すばる君は、学校は好き?」

「すき」

「学校は楽しいよね」

「うん。算数がいちばんすき。クイズをとくのがとくいだから」

「そうなんだ」

すごいねぇ、すばる君、と心底感心しながら微笑んだ吉岡の顔を
すぐ目の当たりにした途端、すばるの口元が、泣きべそをかいたように
ぎゅっとへの字に歪んだ。
吉岡の顔からふっと笑顔が引いていく。
静かに黙った二人の前を、若い親子の4人連れが慌しく通り過ぎていった。
幼稚園生くらいの女の子の、何かを買って買ってとせがむ泣き声が、
苛立った母親の手に引っ張られながら舗道の向こうへと小さくなっていった。
吉岡は、穏やかに凪いだ眼差しをすばるに向けながら、
二人の間の空気を静かにやわらかく温めている。

「まってなさいっておとうさんが・・・」

しばらくしてすばるはぽつんと言った。その言葉と一緒に、
真珠のような大粒の涙がぽろぽろとその目から零れ落ちてきた。

「おかあさんはいません。ずっと前にどこかにいっちゃったから」

すばるは更に深く俯いて下唇を噛んだ。出てきてしまった涙を、
そうして懸命に食い止めようとしているようだった。
吉岡は、両手を伸ばしてそっとすばるの両肩を包んだ。
すばるの顔がくしゃっと涙に歪んでいく。

「朝までまってなさいっておとうさんが・・・。
それまでだれともはなしちゃいけないって・・・」

「うん・・・」

やさしく頷く吉岡の瞳は、まっすぐにすばるを見守っている。
すばるは涙を零しながら、心細そうに後ろを振り返った。
吉岡もその視線を追っていく。
すばるが見つめた視線の先には、中型のセダンが一台、
サービスエリアの最奥に位置した暗い場所に、
ぽつんと寂しく置き忘れたかのように駐車されていた。

「車の中でまってるっておとうさんとやくそくしたんだけど」

すばるは今にも崩れそうな泣きべそ顔を吉岡に向けた。

「おとうさんは、ぼくがやくそくをちゃんと守れたら、前からほしかった
ガンダムのプラモデルを三つぜんぶ買ってくれるって言ったんだけど・・・」

そこまで言ってすばるは耐え切れずに声を出して泣き出した。

「でも、ぼくは、そんなの、ほしく、ない・・・」

吉岡はアスファルトに片膝をついて、しゃくり上げて泣くすばるの肩を、
優しく包みなおした。すばるは更に激しくしゃくりあげた。

「ぼく、は、おとう、さん、と・・いっしょ、に、いたい・・・」

「うん・・・、そうだよね」

すばるの手がぎゅっと吉岡のシャツを脇腹に掴んだ。
ずっと我慢していたらしい涙は堰を切ったように、止め処もなく
すばるの頬を伝って流れ落ちてきた。
慈悲深くその顔を見つめる吉岡の眼差しに、
切なさの色がぐっと深まっていく。
吉岡は片手をのばして、すばるの背中をそっと優しくさすり続けた。
小さなすばるの体は、大きな吉岡のハーフコートの中で、
思いの限りに全身で泣いている。
しばらく間を置いてから、吉岡はそっと口を開いた。

「すばる君、お父さんはどっちの方に行ったか覚えてる?」

すばるはこくんと頷く。

「あっち」

すばるは顔を横に向けて、右手を前方に指差した。
その方向に、遊歩道の行き止まり先に隆起している小丘に沿って、
急な上り階段が薄明かりのランプの下に見えていた。

「あそこをのぼって、どこかにいっちゃった・・・」

すばるは吉岡のシャツをぎゅっと強く掴み直した。
吉岡は視線をすばるに戻して、縋るように見つめてくるすばるに
やさしく微笑んだ。

「今からすばる君のお父さんを探してくるね」

すばるの瞳にさっと明るい光が差す。

「ほんとう?」

「ほんとだよ」

すばるの顔に初めて笑顔が浮かんだ。

「あのね、おとうさんはね、黒いジャンパーに黒いズボンをはいてるよ。
せはあまり高くなくて、かみはぼさぼさになってる」

「うん、わかった」

吉岡は笑顔を深めて頷くと、静かに立ち上って、
右手をすばるの肩にまわした。

「ここは寒くて風邪引いちゃうから、戻ってくるまで
お父さんの車の中で待っててもらえるかな?」

「ぼくまってる」

吉岡の顔を見上げたすばるの顔は安堵の色に満ちていた。
泣きぬれて汚れたその頬には、新しい涙はもう落ちてこない。
吉岡はしっかりとすばるの肩を抱えなおした。



すばるに導かれて辿り着いた場所は、サービスエリアの敷地の
一番奥端に位置していた。
筒井のボルボはその正反対の奥端に駐車されている。
すばるはズボンのポケットから車のキーを引っ張り出すと、
慣れた手つきでアンロックボタンを二度押した。
綺麗に洗車された新車のプリウスのハザードが、ピッピと二度
暗闇の中で点滅した。吉岡はさりげなく、後部バンパーについている
ナンバープレートを確認した。
群馬ナンバーの下に、「わ」を先頭とした番号が続いている。
レンタカーの共通番号だ。
すばるは、ぶかぶかに羽織っている吉岡のハーフコートから
右手の指先を出し、後部座席のドアを掴んで開けた。
後部シートに目線を移した吉岡は、一瞬微かに驚いた表情を浮かべた。
5、6歳くらいの女の子が、そこですやすやと寝息をたてている。
冷え切った車の中で眠るその女の子は、男の子用にデザインされた
大きめのセーターを、厚着した自分の服の上に重ね着している。
シートの周りには、食べ終わったお菓子の袋がいくつか散らばっていた。
後部座席を見つめる吉岡の瞳が、切なく潤んだように揺れ動いていく。

「いもうとのかえで」

すばるは吉岡に小声で囁くと、シートに散乱していた空のお菓子の袋を
足元のビニール袋の中に一つにまとめてから、眠っている妹の横に腰掛けた。
吉岡はそっと手を伸ばして、寒くないように、すばるの体をハーフコートで
しっかりと包み直した。

「あったかい・・・」

泣き腫らした顔ですばるが笑う。吉岡も静かに微笑み返した。

「ぼく、ほかのだれが来てもぜったいに車のカギはあけないよ。
エンジンをかけないでヒーターを入れるやり方だってしってる。それと、
お父さんがおさいふとケータイでんわをおいていってくれた」

すばるはしっかりとした口調で言うと、
ハーフコートに包み隠れた右手を前方に向けて持ち上げた。
すばるの指す助手席へ吉岡は顔を向けると、
使い古した男物の財布と黒い携帯電話が、
シートの上にきちんと並べて置かれているのが目に入った。

「おなかがすいたらいもうとになにか買ってきてあげられるよ。
ケータイでんわの使いかたもちゃんとしってる」

吉岡はすばるに微笑み、そして了解したように頷いた。
それから、ちょっとごめんね、とすばるに一言断ってから、
一旦後部座席から車外に出て助手席側へと周りこみ、
ドアを開けて助手席のシートの上に置かれた財布と携帯電話を手にとった。
それから開いたドアを静かに閉め、後部座席へと戻りながら、
すばるの視界に映らないようにさりげなく携帯電話のメモリと
財布の中身を調べた。携帯の充電はしっかりとされていたが、
運転免許証だけ入った財布の中身は空だった。
吉岡は自分の財布をジーンズのポケットから取り出し、
そこから自分の運転免許証をさっと引き抜いた。

「これはすばる君が持っていたほうがいいと思うんだ」

後部ドアを開けてすばるの横に戻ってきた吉岡は、
手にしていた携帯電話と財布をすばるの膝の上にそっと置いた。
すばるは違いに気付かなかったが、渡された財布は吉岡のもので、
父親の置いていった空の財布は、吉岡のジーンズのポケットに入っていた。

「これが僕の携帯電話の番号だから」

吉岡は、シートの足元に落ちていたぬり絵帳と色鉛筆を一本拾い上げて、
開いた一ページ目の余白に青字で自分の携帯の番号を書き記した。

「何かあったらすぐにここに電話してね」

すばるは力強く頷いた。

「ぼくまってる」

聡明そうな瞳をまっすぐに向けながら、すばるは吉岡に言った。
吉岡は笑顔で頷いた。
陽だまりのようなその微笑みが、やさしく、温かく、
すばるの身体を包み込んでいった。



つづく
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吉岡刑事物語・その36 / 窓枠の青空・8

2009年11月23日 | 小説 吉岡刑事物語





暗い井戸の中を覗き込むような顔で、
萩原はじっと自分の膝の上を見下ろしていた。
抗議する筒井の声を無視してステレオのスイッチを消したおかげで、
ベスト・オブ・堀ちえみの歌声はめでたく消失し、
ボルボの車内は今、平和に静まり返っていた。
しかしその勝利にもかかわらず、萩原の目には
うんざりとした表情が浮かんでいる。
背中にどんよりとスダレを纏っている萩原の横で、
筒井が黙々と弁当の中身を頬張っていた。
萩原は運転席に向けようとした顔を途中で思い直して
また元の場所に戻した。膝の上には、蓋を開けたまま
一度も箸をつけていない幕の内弁当が置いてある。
ブラックホールに吸い込まれたように、
萩原の視線は弁当箱の中の一点に集中していく。

「知らなかったよ・・・弁当にシューマイが入ってたなんて・・・」

萩原はおぞましそうにため息をつくと、
虚ろな視線を宙に漂わせた。

「俺は高ニの冬からずっとシューマイ恐怖症なんだよ。
シューマイって言葉を聞いただけで全身鳥肌ものになっちゃうのに、
なんでシューマイ入り弁当なんて買ってきちゃったんだよ、俺・・・。
カンベンしてくれよ~、どうしたらいいんだよこのシューマイな気分・・・」

「食えよ」

然らぬ顔で筒井は言うと、缶入り緑茶をごくりと喉に流し込んだ。

「食えねぇから困ってるんだろ」

旨そうに弁当を頬張り続けている筒井の横顔を、
萩原はうらめしそうな顔で見据えた。

「お前よく食えるよな、シューマイ・・・」

「もう20年以上前のことじゃねぇかよ。
過去とトイレは水洗にするのが一番なんだぞ」

「過去とは忘れない記憶のことなんだよ。忘れない記憶ってことは即ち
現在の脳の中に生きている感情ということなんだ。だから過去とはそれを
定義するだけの便宜的な名称であって、実際には今この瞬間に存在する
現在進行形の産物ってことなんだぜ」

筒井がステレオのスイッチを入れた。堀ちえみの歌声が流れ出し、
萩原が皿目でスイッチを切った。

「最悪気分に相乗音響効果を入れないでくれよ。ああもう
思い出しちゃったじゃないかよ、あのバイトのこと・・・」

「そんなこといったって結局一日しか働かなかっただろう」

最後の一口に頬張った卵焼きを飲み込んでから筒井が言った。

「それにあれはお前の近所のおばさんだかなんだかの経由で持ってきた
バイトだったじゃねぇかよ。割のいい冬休みのバイトを見つけたって
無理矢理お前に引っ張られた挙句に割りを食わされたのは俺とヒデだよ」

「知らなかったんだよ、シューマイ工場のバイトだっていうから
てっきり出来上がったシューマイの箱をダンボールに箱詰めする
仕事だと思ってたんだ。まさか朝の四時から七時まで
三時間ぶっとおしでベルトコンベアーの前につったったまま、
永遠に流れ続けてくるシューマイの上に
一つ一つグリーンピースをのせていく仕事だなんて誰が想像するよ?
ああ思い出しただけで体脂肪が70%減少したよ」

萩原はげんなりとした顔を筒井の横顔から離し、

「最悪だったよな、あのバイト・・・」

と脱力しきった表情を夜冬の駐車場に向けた。

「確かにシューマイの悪夢だったよ、あれは」

筒井はそう言って、冷めきってしまった缶の緑茶をぐいっと飲み干した。

「悪夢どころじゃなくてシューマイ地獄だったよ、あれはマジで。
次の日即効みんなで辞められてよかったよ」

萩原の言葉を横顔で聞きながら、筒井は綺麗に食べ終わった
空の弁当箱とお茶の缶を、足元に置いてあるビニール袋の中に戻した。
それから運転席の背もたれに身体を沈めると、
フロントガラス越しに冬の夜空を眺め上げて、
そしてゆっくりと口を開いた。

「辞めてなかったらしいぞ、ヒデは」

しん、と車内の空気が静まり返った。

「え?」

ポカンとした顔で運転席に振り向いた萩原の手元の割り箸から、
唐揚げがポトリと弁当箱の中に落ちた。

「・・・え?」

少し間を置いてから萩原は同じ言葉を筒井に投げかけた。
筒井は黙ったまま夜空を仰いでいる。
萩原は呆気に取られたまま、言葉にならない言葉を口の中で持て余した後、

「・・・なんのことだよ?」

とやっと出てきた声で筒井の横顔に問い直した。

「だから辞めてなかったんだよ、ヒデは」

筒井もさっきと同じ言葉を繰り返した。萩原は口を継ぐんで前方を向き、
少し間を置いてからまた口を開いた。

「なんのことだよ、だってさ、ヒデも、あそこを辞めたあと
お前が替わりに見つけてきたチャリ速達便のバイトを
俺たちと一緒にしてたよな、夜の蕎麦屋のバイト時間まで?」

「シューマイ地獄のあとにしてたんだろ、チャリ配のバイトは」

遠方のレストランの明かりに視線を落としながら筒井が言った。
萩原は信じられないといった表情をその横顔に向けた。

「・・・そんなこと」

「知らなかったよ俺だって、大学出るまで」

駐車場の右端付近で、大型トラックがエンジンを入れた。
走行音を周囲に轟かせながらサービスエリアの出口方面へと向かっていく、
そのトラックの月影を路面の上へと暫く目で追っていた筒井は、
エンジン音が高速道路に消えてなくなるまで何か考え込むように
じっと黙っていたが、やがてやっと重い口を開いて話をし始めた。

「大学病院で働く前に、ちょっと親父のところを手伝ってた時があるだろ、
そこにある日、昔シューマイ工場でパートしてたっていうおばさんが
患者として診察を受けに来たんだよ。一日だけしか働かなかったのに
俺の顔を覚えてたみたいでさ、あら懐かしいわねぇ、なんつって話し始めて、
それでヒデの話が出たんだ、その時」

筒井はそこで視線を夜空へと戻した。
見上げた上弦の月は周囲に蒼白い光を放ち、
星は月明かりの夜空に姿を消していた。
萩原は黙って筒井の次の言葉を待った。
暫くしてから筒井がまた口を開く。

「そんでそのパートしてたっていうおばさんがさ、
あんたはもう一人いた子と勝手にさっさと辞めちゃったけど、
でも一人だけきちんと残ったあの色の白い可愛い子は、
最後までよく頑張って偉かったわよねぇ、なんていきなり
話し出したもんだからさ、俺だってびっくりしたよ」

そこで筒井はまた話を一旦区切って、ヘッドレストに頭を乗せた。
微かな疲労感が、その横顔に滲んでいる。
萩原は筒井の横顔から顔を逸らして、
自分の手元にある弁当箱に視線を落とした。
その耳元に、筒井の声がまた届いてくる。

「人手不足だから急に辞められたら困るって工場長が言ってたよな、
次の日三人で辞めるって言いにいったとき。三人一気に辞めちゃったら
それこそ工場のほうで後の補充員の調達に困っただろうし、
あの気の弱そうな工場長の泣きっ面を見たら、
辞めるに辞められなくなっちゃったんだろうよ、ヒデとしては。
それにさ、」

筒井はシートの背もたれに寄りかからせていた背筋を僅かに伸ばした。

「お前の近所のおばさんとやらへの手前の義理もあったんだろう、きっと」

萩原は手に持っていた割り箸を弁当箱の上に置き戻した。

「その話の後でヒデに聞いたよ、シューマイ工場のバイトのこと。
俺らと一緒に辞めてなかったんだなって」

「・・・なんて言ってた、ヒデ?」

「うんって言って笑っただけだったよ」

萩原は弁当箱の中のシューマイをじっと見つめた。

「・・・・ヒデだよな」

「どうしようもないくらいにヒデだろう」

そこでふと二人は黙りこんだ。
高速道路を飛ばしてくるバイクの走行音が近づいてきて、
そしてすぐに遠方へと小さく消えていった。
駐車場を大きく迂回してきた車のヘッドライトが、
サーチライトの光のように、二人の顔を照らし出していった。
一瞬の眩しい光のあとに、色を深めた暗闇が車内に戻ってくる。

「シューマイさ、俺もあれから食えなかったんだよ」

暫くして筒井が口を開いた。ぼんやりと宙を見つめていた萩原が、
ゆっくりと運転席に顔を向けた。筒井は言葉を継いでいく。

「いつだったかさ、もう高校出た後だったけど、
ヒデとどっかに出かけた先でシューマイの入った弁当を
知らずに間違って買っちゃったことがあったんだよな。
俺、蓋開けた瞬間に嗅いだシューマイの匂いだけで
もう食えなくなっちゃってさ、その弁当。今夜のお前みたいな状態だよ。
で、横で弁当食ってるヒデに言ったんだ、
お前よく食えるな、シューマイが入ってんのにって。
そしたらヒデ、いつものように明るく笑ってさ、
箸でひょいってシューマイ摘み上げて、
シューマイってさ、今こうして見てるだけのシューマイじゃないよね、
って言ったんだよ、あの調子で」

意味を把握しかねている萩原の視線を横顔に受け取りながら、
筒井は話を続けていく。

「つまりさ、俺たちは出来上がったシューマイの姿だけを
シューマイとして見てるけど、でも実はそのシューマイの背景には
養豚業者がいたり、たまねきを育てた農家の人がいたり、
それを運んだトラックの運転手や、ワンタンの皮だかなんだかを作った人や、
肉詰めした人だとか、その上にグリーンピースをのっけてたりする人がいてさ、
だからそれはただのシューマイじゃなくて、そこには人生が詰まってんだよな、
ってことをヒデは言ったんだよ。シューマイは一つの喩えだったんだろうけどさ、
一つの物には様々な人の思いがその中にたくさん詰まっているんだってことを、
ヒデは伝えてきたんだ。だからな、」

「食うよ」

萩原は割り箸に挟んだシューマイを口に入れた。
20年ぶりに食べたシューマイは、記憶の中にあったその味より、
はるかに美味しい気がした。
萩原はそのまま弁当の中身を頬張った。
頬張りながら胸にこみ上げてきた切ないようなやるせないような
どうしようもない気持ちを、手に取った缶のお茶で腹の底へと流し戻した。
筒井は何も言わずに、シートの中に身を埋めている。
ふと明るい笑い声が車内に聞こえてきて、
萩原は動かしていた箸を止めて目線を前方に向けた。
食事を終えたらしい学生グループが、レストランの中から
遊舗道へと出てくる姿が遠方に見えていた。
彼らのたてる大きな笑い声が、静まり返ったボルボの車内にまで
賑やかに聞こえてくる。
萩原はその光景を、じっと遠めに眺めた。
楽しそうに笑い合っている彼らの姿の中に、
懐かしさという言葉で括った昔の姿を見出してしまうほど、
自分たちは彼らのもつ輝きから遠く離れてしまったわけではない。
けれども・・・、
としかし萩原はその光景を眺めながら思わずにはいられなかった。
けれども、何かが確実に失われつつある焦燥感は、
岩清水のように押さえようもなく心の壁からにじみ出てくる。
何かが、
大切な、
とても大切なものが、
自分たちの中から失われてしまう。
それはもうすぐ、
確実に、
光を消してしまう・・・。
萩原は弁当箱へと視線を落とした。
ニンジンの煮物がふと目に入る。
可南子姉ちゃんの得意料理だった、
ヒデの好きな食べ物だ。
遊びに行くと、いつも夕飯にでてきていた
可南子姉ちゃんのにんじんの煮物。
おいしいって笑いながらよく食べてたよな、ヒデ・・・。
なのに・・・

「俺、ヒデのことよく知ってるって思ってたよ・・・」

萩原はぽそりと言った。零れ出てきた言葉は数珠繋ぎとなって、
胸の中に散らばっていた思いを一つの輪に繋いでいく。

「あの公園のことだって・・・、なんつったっけ、
前にあそこに住んでたっていう面白いおっさん・・・」

「チワワみたいな顔したおっさんか?」

隣で筒井が答える。

「そう、そのチワワのおっさんのことにしたってさ、
全然知らなかったよ、俺・・・」

「俺だって知らなかったよ、ついこの間まで」

前方を見つめながら筒井は低く言った。

「知らないことが沢山あるよな・・・」

ポツリと言い落とした萩原の声が、
夜の波間に浮かぶ難波船のように、
静まり返った車内にゆらりと漂い残っていった。
筒井は黙ったまままっすぐに前方を見つめ続けている。
萩原は止めていた箸を再び動かして、
掴みあげたにんじんを口に入れた。
後部座席の空間を背中に感じ取りながら、
二人の気持ちは重い沈黙の中に沈んでいく。
誰もいない後部座席には、半分飲み残したスポーツドリンクが、
ぽつんと取り残されたように置いてあった。




嘔吐感がようやく胃の中で治まると、
吉岡は静かに水道の水で口の中をすすいで、
両の手で洗面台の縁を掴んで身体を支えながら、
俯いていた顔をゆっくりと上げて目の前の鏡を見た。
天井からひっそりと人工光を落としている蛍光灯の明かりの下に、
憔悴しきったような顔が、じっと自分を見つめ返している。
吉岡はそっと目を閉じて、襲ってきた目眩をやり過ごそうとした。
足元がふらついて、瞼の奥が熱かった。

大丈夫・・・
大丈夫・・・

自分にそう言い聞かせながら、吉岡は閉じていた目を開いた。
顔の皮膚が、陶器のように蒼白く透き通っている。

大丈夫・・・

吉岡はもう一度心の中で呟くと、掴んでいた洗面台の縁から
ぐっと身を押し出すようにしてそこを離れ、
公衆洗面所の出口へと歩いていった。
立ち並ぶ簡易レストランの前に敷かれた舗道は、
道中の空腹に呼ばれた家族連れや学生グループたちで
案外に賑っていた。
行きかう人の波の邪魔にならぬよう舗道の端を選んで、
吉岡はレストランの建物が途切れた先に見えている、
自動販売機のコーナーへと足を運んでいった。
筒井と萩原に温かい缶コーヒーを買っていこうと、
数台並んでいる中の一番手前の自動販売機の前に立って、
ジーンズの後ろポケットに入った財布に手を伸ばしかけたとき、
ふいに着ていたハーフコートの裾が後ろに引っ張られた。
驚いて後ろを振り向くと、すぐ背後に
7、8歳くらいの小さな男の子が一人、
縋るような目でじっと吉岡の顔を見上げていた。



つづく
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吉岡刑事物語・その35 / 窓枠の青空・7

2009年11月20日 | 小説 吉岡刑事物語




コンビニに立ち寄ってからの渋滞の流れはだいぶスムーズになり、
筒井の運転するボルボは首都高から川口JCTへと抜けて、
夕日の落ちきった東北自動車道をすべるように駆け下っていった。
岩槻、久喜、加須、羽生とインターチェンジを順に夜風へと飛ばし、
館林ICと示された標識を車窓の後方に見送ったときには、
車のデジタル時計は夜の8時を過ぎていた。カーステレオからは、
佐野元春のNew Ageがライブバージョンで流れている。

「どっかでさ、コンビニで買ってきた弁当食おうぜ」

隣車線を追い越していった大型トラックを横目に見送りながら、
萩原が力の抜けた声を出した。

「俺も腹へっちゃったよ」

「そういえばさ、」

前方に近づいてきた佐野藤岡IC 出口と示された補助標識を見やりながら
筒井が何の気なしに言った。

「食いもん買うの忘れちゃったよ」

「?!」

萩原は瞬間冷凍されたマグロのような顔を後部座席へと向けて腕を伸ばし、
吉岡の横に置いてあるビニール袋の中身を確かめた。
急いで行ってくるからと筒井が一人で買出ししてきたコンビニの袋の中には、
スポーツドリンクがごっそりと入っているだけで、
そこに食べ物らしきものは何も見当たらなかった。

「お前・・・」

冷凍マグロから吹雪に打たれた地蔵のごとくに変化した顔を、
萩原は運転席へと向け直した。

「腹減った腹減ったって冬眠から目醒めたヒグマみたいに
散々やかましく喚きまくってただろう。
なんでスポーツドリンクだけしか買ってこな・・・」

とそこで何か思い当たったように萩原はつと口を噤んだ。
ふいに訪れた沈黙に、カーステレオの音量が車内一杯に満ちていった。
筒井は黙ったまままハンドルを握り、萩原は言葉を探すように遠くを見つめた。
吉岡は二人の背中へと向けていた視線をそっと横に外すと、
流れさっていく車窓の景色を静かに見つめた。
瞳に浮かんでいた穏やかな微笑みは、ガラス窓の上に切なく翳んでいく。
佐野SAと示された案内標識がヘッドライトの中に浮かび上がり、
そしてあっという間に後方へと流れ去っていった。
夜の翼に覆い包まれた高速道路を、ボルボはひた走りに飛ばしていく。

「佐野っていえばラーメンだよな」

佐野SAの明かりを視界に入れながら、萩原が会話の接ぎ穂をさし変えた。
筒井はウィンカーを出して車線を変え、ゆっくりと減速しながら
佐野サービスエリアへと車を走らせていった。
広くスペースを取ったサービスエリア内の駐車場には、
自家用車や大型中型サイズのトラックが数十台ほど、
所々気まぐれに駐車されていた。
敷地の奥一列に立ち並んだレストランや土産店の明かりから
遠く離れた反対側の奥端に筒井は車を止めると、
サイドブレーキをぎゅっと引き上げながら口を開いた。

「俺はとんこつ味にするぞ」

「佐野ラーメンにとんこつ味なんてねぇよ」

シートベルトを外しながら萩原が即座に言い返す。
吉岡は二人に視線を戻して、ふっと可笑しそうに微笑んだ。

「じゃあ何味なんだよ、佐野ラーメンって」

筒井もシートベルトを外しながら萩原に聞き返した。
萩原は夜風にはたはたと靡いている「名物・佐野ラーメン」と、
赤地に白で染め抜かれたレストランの幟を遠方に見やりながら
素っ気ない調子で答えた。

「名物味だろ、きっと」

「名物味ってなんなんだよ?」

筒井が食い下がる。

「佐野味だよ」

「なんだよそれ?」

「しらねぇよ」

「納豆味じゃねぇだろうな?」

吉岡が笑いを吹き出した。萩原は皿になった目を筒井に向ける。

「それを言うなら水戸だろう、ここは栃木だって話だよ、方向音痴くん」

「栃木ならとんこつだろう。ラーメンといえばとんこつだよ」

「なんでそうなるんだよ、筒井。ラーメンといえば塩だろ」

「塩なんて邪道くせぇなぁ、ハギ、ラーメンが泣くぞ。
お前はどっちなんだよ、ヒデ?」

「味噌かな」

やんわりと答えた吉岡の声に、萩原がすかさず呼応する。

「みそはサッポロ一番だって決まってるだろう、ヒデ」

「味噌は信州一だろうが」

「撹乱させるなよ、筒井~。しょうがねぇな二人とも、
俺がどっかで弁当買ってきてやるよ」

萩原は後部座席から自分のダウンジャケットを引っ掴むと、
助手席のドアを開けて勢いよく車外へと出て行った。
さみぃ~!と連呼しながら走り去っていく萩原の背中を
暫く黙って見送っていた筒井は、やがて自分も運転席のドアを開けて
夜天の下へと出た。そのまま躊躇なく後部ドアを開けて中に入り込み、
隣で大人しく座っている吉岡の手首をとって体温と脈を計った。
それが終わると今度は右腕をラゲッジスペースに伸ばしてそこから
使い古されたバックパックを掴み出してジッパーを開け、
中からアネロイド式の血圧計を取り出した。
シャツの袖を捲り上げた吉岡の左上腕部に、
筒井は手馴れた手つきで素早く血圧計のバンドを巻きつけていく。

「ありがと・・・」

シュッシュツとポンプが押される様子を目の前に眺めながら、
吉岡はひっそりと言った。
筒井は黙ったまま圧力計の数値をチェックしている。
吉岡も口を閉じ、静かに親友の顔を見つめた。
車内には、低く振動するエンジンの音だけが響き渡っている。
そこに突然、一台の車の走行音が勢いよく飛び込んできた。
二人とも同時にその音の方向に目線を移すと、
レストランのすぐ前の空車スペースに停車したワゴン車の中から、
学生らしい数人のグループが車外に出てくる様子が目に入った。
彼らのたてる賑やかな笑い声は、遠く離れて駐車している
ボルボの車内にまで届き渡ってきた。
筒井は無言で視線を元に戻すと、同じく視線を戻した吉岡の腕から
血圧計のバンドを取り外し、座席の中央に置いてあるコンビニの袋の中から
スポーツドリンクを一本取り出して吉岡に手渡した。

「吐いてもいいから、ちゃんと胃の中に入れろよ」

「うん」

吉岡は受け取ったペットボトルから目線を上げて明るく笑った。
筒井はそのくすみのない笑顔を、何か思いを含んだような顔で
一呼吸分見つめたあと、しかし結局は何も言わずに、
血圧計をバックパックにしまい込んでラゲッジスペースへと置き戻し、
それから後部座席のドアを開けて運転席へと戻っていった。
フロントガラスの向こうには、ビニール袋を両手に提げながら
寒そうな姿で走り戻ってくる萩原の姿が、
冴え澄んだ月明かりの下に照らし出されていた。



つづく
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森の声

2009年11月16日 | その他の映画


ドキドキしていた・・・。

今日、お友達から頂いたメールの中に、
「ゴールデンスランバーの新しい予告篇」
という文面が!



なんて荒馬のような鼻息をしている場合じゃなくってよ、
どうしましょう、
新しい予告篇ということは、
新しい吉岡くんの姿が拝見できるということであって、
そんなことはもう考えただけで私のハートは謹賀新年であり、
しばしそのメールの文面をじっと見つめながらドキドキドキドキ
ドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキ
とドキドキの佃煮になってしまった。ヒヒン。

そんな舞い上がった気持ちを落ち着かせるために茶などを一杯飲み、
ふぅ~っと温泉につかったサルのような顔で秋の空を見上げた後、
いざ出陣!
ポチッとクリックしてPC画面に現れた映画の公式サイトは、
新しくなってる・・・・
吉岡君の写真が・・・・・
き、
きぃゃ・・・・
と雄叫びの声も飲み込んでしまうその見目姿。
静にして動。
一瞬の中に織り込まれた永遠。
さ、さすがだ、吉岡くん・・・・。
これだからもう惚れるなっていっても惚れちゃうのよ、
べらぼうに素敵であってよ、天晴れの極意だわっ、

ス・テ・キ。

はぁ~すっきりした。よしこうなったら来るべき試写会のために、
万全のコンディションを整えなくちゃであってよ、早く寝よう。でも何か、
大事なことをし忘れているような気が・・・・・・・はて、あ、そういえば、
吉岡君の写真の背景に誰かの姿が大きく写っていたような気がする・・・・・
いやきっと気のせいだ。そんなことより早く寝なくちゃだわよ、おやすみなさい
zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz・・・・・・・ずずずずず~♪
って肝心の新予告篇を観るのを忘れちゃってたわ!!!というより今から寝ても
試写会に行けるかもしれないのは来年だったのだ、ハッハッハッハ、
鬼より先に笑っちゃったわ、っていうか今はまだ午後の5時だった。
恋に焦りは禁物だよ、赤頭巾ちゃん。(←完全に舞い上がってしまったらしい)

なんてなてんてこの舞いを踊った後に観た、
「ザ・ゴールデンな新しい予告編だよ」でありますが、
射抜かれてしまいました。
いきなりのゴールデンな吉岡くんの声に。
んもうっ、
いきなり出てくるなんて、
反則ぢゃないかぁ~吉岡く~ん、
ごっつぁんです!

以前にも書いたことかもしれないのですが、
吉岡君は、台詞に感情がのっているのではなくて、
感情に台詞がのっているですねい。
胸底に押し込めていた心情の澱が言葉後とともに
ぐわっと一気に解き放たれていく響きなどは、
もう彼ならではの音調でありますばい。

角度を変え、速度を変え、光を変えて、
容赦無く心を射抜いてくる吉岡君の声。
それはまさに声貌を持っているということでありまっしゃろな、おやっさん。

彼の放つ台詞には文字通りの言霊が宿っているとですばい。
その声音は皮膚に、頭蓋の内側に、ひた、と張り付いたまま、
そこから濾過された感情の塊が心の深部に
じわりと沁み沈んだまま身を寄せてしまう、
そんな生きた感覚がするであります。

だからこそ新しい予告篇の冒頭にその吉岡君の声で、
ズバンと作品の魂を入れてきたのではないだろうか。
なんて言明したくもなるのですぜい、ファンとしちゃあ。
惚れちゃうね、まったく。たまらんよ。んきゃ


それにしても森田くんである吉岡くん、
細い。
相変わらずの青年のような細い体躯であります。
さすがのゴールデンスレンダーだわ。

原作は読んでいないけれど、
予告篇から垣間見られる森田君は、
深潭として孤独であり、
ほの暗く野性的な色を帯びていて、
まるで群れから離れた狼みたいでございますので、それはもう、
クラ。
ノックアウトでございます。

学生時代の森田君、
交差点に立っているスーツ姿の森田君、
どこにも無理がなくて、
どれもみな剥き出しに森田君。

身体全体から肉付けの力みがす~っと抜けているようなのに、
けれども森田君の気骨はじわりと画面に浸透しきっている。

それがどんな役であれ、その人物のブレない原形質に、
観ているこちらは安心して寄り添っていくことができるわけで、
吉岡君、
やはり君は、
銀幕の君であり、
そして、
天才であるのだ。
最っ高だぁ~、吉岡く~ん!
好きっ

作品自体もすっごく面白そうだし、
早く観たいっす、待ちきれないわ!
どうか来年にも試写会がありますように。

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吉岡刑事物語・その34 / 窓枠の青空・6

2009年11月11日 | 小説 吉岡刑事物語



遠くで祭り囃子の音が鳴っていた。
僕は小さな手足をめいいっぱいに上下させながら、
乾いたアスファルトの上を懸命に走っていた。

早く早く!

走りながら叫んで振り返った先には、
父さんと母さんが少し遅れながら
秋の日差しの中をゆっくりと歩いていた。
二人の少し手前には制服姿の姉さんもいる。
父さんも母さんも姉さんも笑っていた。
みんな若くて楽しそうでそして、
とても幸せそうだった。

早くしないとお祭りが終わっちゃうよ!

僕は前方に向き直った。もっともっと早く走る。
神社の鳥居が徐々に近づいてきた。
聞こえてくるお囃子の音もどんどん大きくなってくる。
銀杏の木々が覆い茂る社殿の上には、
水彩画の水入れの中に青色の絵の具を
ぽとんと一滴だけ落としたような、
薄青い透明な空がどこまでも高く広がっていた。
僕は息を大きく吸いこんだ。
髪に頬に降り注ぐ秋の日はやわらかな金色に輝いていて、
引き締まった秋の空気は吸い込む胸に心地よかった。
僕はそのまま走るスピードを更に上げて、
境内への石段を一気に駆け上がっていった。
最上段の石畳の上にジャンプして着地したとき、
そこで突然暗闇が辺りを包んだ。
頭上に光り輝いていた秋の日差しのゆらめきや、
風に乗って聞こえてきていた祭り囃子の喧騒は、
テレビの電源を引き抜いたように、
いきなりぷつりと目の前から消えてしまった。
驚いて後方を振り返ると、先ほどまで僕の後ろで
楽しそうに笑っていた父さんや母さんや姉さんの姿は
暗闇の中に埋もれてどこにも見えなかった。
家族の名を呼ぼうと口元へ持っていった僕の両手は、
気付くともう子供の時分のそれではなく、
見ると腕も足も頬骨もいつのまにか
成長し終えた大人の骨格のものへと変わっていた。
唖然としている僕を、無言の闇が押し包んだ。
降り積もる雪のような疲労感が急に襲ってきて、
僕はその場に蹲りそうになった。
ダメだよ、起きるんだ。
自分を叱咤しながら無理矢理引き起こした身体を引き摺って、
僕は登ってきた石段を降りようとした。
けれどもすぐ足の先にあったはずの石段には、
歩いても歩いてもどうしても辿り着かない。
目の前にはただ暗く不透明な靄が立ち込めているばかりで、
自分は今どこにいるのか、これからどこへ向かえばいいのか、
やがて僕は途方に暮れたまま暗闇の中に立ちつくしてしまった。

・・・だろう・・・

ぼんやりと佇む僕の耳に誰かの声が掠めていった。

・・・あのさ・・・

別の声がその後に続く。僕はじっと耳を澄ました。

・・・・ってた?・・・

・・・てたよ・・・

ラジオの周波数を探し当てるように、僕の意識の焦点は
その声の響きへと重なり合っていく。
僕はゆっくりと身体を回して前方へと向きなおった。
永遠に果てしなく続くかのような暗闇の先に、
トンネルの出口を指し示すような一筋の白い光が、
まっすぐこちらに向かって差し込んでいるのが目に入った。
声はそこから聞こえていた。

(そうだ・・・)

僕は心に呟きながら前へと歩き出した。
前方に灯る光は、不確かでおぼつかない暗闇の足元を
揺らぎなくしっかりと照らしてくれている。

(僕には・・・)

光の出口が近づくにつれて、微かに聞こえてきていた声の響きも
次第に大きく確かなものになっていく。

・・・がだよ・・?

・・・がだよ・・

耳に届いてくる会話に、ふっと自然に笑みがこぼれた。

(そうなんだ僕にはいつも・・・)

そう思いかけた瞬間、目の前の光が閃光のように眩しく輝いて、
僕はその光の中へと身体ごと包みこまれていった。

白い靄に覆われた視界の中に、ゆっくりと周りの景色が戻ってきた。
横たわっていた身体をシートの上に起こすと、
目の前には見慣れた風景が広がっていた。
筒井が運転席でハンドルを握り、
その横の助手席にはハギが座っている。
それはいつもとまるで変わらない、
変わらずにいてくれる、
心に馴染んだ風景だった。

「ハギ、オレはな、腹がへってんだよ。人の話をちゃんと聞けよ」

「お前に言われたくないよ」

西日の落ちきったフロントガラスの向こうには、
それぞれの家路へと向かう渋滞のライトが、
赤く黄色く連なりながら路上に瞬たいていた。
そっか、もう日が暮れたんだね。

「この先にコンビニがあるよ」

筒井とハギが同時に後ろに振り返った。
そうなんだ僕には、
いつも彼らがいてくれる。




つづく
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なまずのひげで

2009年11月04日 | なまずのひげ




ハローウィーンが過ぎると一気に年末がやってきます。

とはいっても10月31日の夜が明けたらいきなり12月31日になっていた、
なんてな時空月面宙返りをしてしまうのではもちろんなくて、
北米ではこの時期から祭りの大行事がなんやかんやと目白押しでありまして、
大変忙しゅうございます。その状態を詳しく説明いたしますと、
感謝祭で七面鳥焼いて食べ過ぎてクリスマスでローストビーフ焼いて食べ過ぎて、
そりゃもう田中邦衛さんじゃなくても「食べる前に飲むっ!」と
頼まれもしないのにカンポダンスを家族の前で披露してしまうわけであり、
そんなこんなの状態でふと見た鏡に向かって、

「誰なのそこの丸大ハムはっ?!」

と自分で自分を指差した挙句に詰問までしてしまうという、

「わんぱくでもいい、逞しくはなりたくなかった・・・この二の腕」

と深く自省してしまう季節でもあります、毎年。

なのでそんなこんなのこの時期は気分的に、
ああ11月だな。
いやごらん12月さ。
師走じゃないか。
大掃除は来年への手土産にしよう。
年越しそばは昆布つゆ♪
ってなすったもんだでございまして、はぁ~やれやれくわばらくわばら。

んがしかし、

今年は例年とちょっと違っていてよ、フフ。
と一人ほくそえんでいたわたくしでございまして、
何故かといいますと、今年はクリスマスと年越しとお正月は
祖国ジャパンで過すことになっておる予定なのでありますっ!
いやったぁ~いっ、
これで正々堂々と大掃除しなくてすむぞう!
とハイホ~状態で国際線の飛行機チケットを取ろうとしたのでありますが、

ない。

ノオでありますの。チケットが。
エ? といっても、
エチケットライオンのことではございませんの、
飛行機のチケットのことですの。

ネットで航空券を購入しようと思って航空会社のWEBサイトを覗いてみたら、
12月の上旬からクリスマスまでの座席が既にほぼ完売状態。
ノオ~~~~~~~~~~~~~ッ!!!
しょうがないのでいつも使わせていただいているその会社とは
別の航空会社を調べてみてもやはりそこもどこもかしこもソールドアウト。
・・・・・・・・・。
なんてことなのかしら・・・12月までまだひと月もあるっていうのに・・・
みんなせっかちすぎてよっ、キィ~~~~~~~~~ッ!
と自分ののろまさをエベレストの頂上に上げて叫んでみたものの、
それはもう後のリオのカーニバル・・・ぐっすん。。。。

結局帰国を一週間も大幅に遅らせることになってしまった嘆きの私・・・、
悲しすぎる・・・・・大掃除しなくちゃなんて・・・うぅ。。。
いやでも年越しを日本で迎えられるなんて嬉しいしツイてるし大吉だわ、
今年はいい年に違いなくってよっ!ってもう11月だったずら・・・。


帰国で何が一番嬉しいってやっぱり家族と友たちに会えることでありますが、
更に嬉しいことにこのブログを通してお知り会いになった方たちとも
もしかしたらお会いできるかもしれず、なんともありがたいことでぃす。
と、
そこでふと思ったのですが、いわゆるオフ会という場でも、
やはり互いにハンドルネームで呼び合わなければいけないのでしょうか?
とすると例えばもしそのオフ会が「日本史愛好会」のものだったとして、
連絡を取るためあるメンバーの自宅に電話を入れた人が、

「中臣鎌足というものですが蘇我入鹿さんはご在宅ですか?」

なんて言ったらたまたまその電話に出たメンバーのお父さんは、
ただならぬ名前の響きにその場で電話を切ってしまうかもしれない。

「佐幕派ですが勤王派さんはいらっしゃいますか?」

これもいけないと思う。なんとも不穏な響きがしてしまうのだ。 
でももしそれが「棒を考える会」のオフ会だったとしたら
同じシチュエーションでも、

「もしもし鬼に金棒と申しますが、うまか棒さんはご在宅ですか?」

「あいにくうまか棒は外出中ですがコンソメ味ならおりますが」

となって円満に事が運ぶかもしれない。他にも、

「エスカルゴと申しますがオスカルさんはいらっしゃいますか?」

これは「おフランス研究会」。オスカルついでに、

「怪鳥ロブロスですが出てこいシャザーンさんをお願いします」

「なつかしのアニメ同好会」だったらこうです。

「かっぱっぱだけどるんぱっぱいる?」

これはもちろん「黄桜ドン愛好会」となるわけでなんか楽しそうだぞうっ、
仲間に入りたいっす! 

しかしかくいう私もwind-mountainなんて昔の名前で出ていたわけで、
ブログを書いているくせにもっぱらアナログなわたすは、
IDネームがそのままブログのハンドルネームになってしまうなんて
露ともしらず、もしあのまま昔のwind-mountainなんて
すちゃらかたんな名前のままでいたととしたら、

「現代郷土資料のリサーチの方ですか?」

なんて電話口で相手に言われちゃうかもしれない、

ハッ!!!!

しまったぁっ、こんなことならどうしてハンドルネームを、

吉岡

としなかったのかっ?! あたしのばかぁ~~~~~~っ!!!!
いや、吉岡なんてそんな恐れ多くて名乗れないわ、だから控えめに、

吉岡妻

としておけばよかった・・・・。
無念じゃ小次郎。。。。。
でももしこのドリームハンドルネームを名乗っていたとしたら、

「もしもし吉岡妻さんですか?」

「はっはい、よ、よ、よ、よしよしよしよしおぉぉわはぁああすゃぁあ~」(クラ~)

ダメだ、
シュミレーションしただけで全身の血液が沸騰してしまった・・・・。

しかしこう考えてみると、たかがハンドルネームといっても、
されどハンドルネーム、
しかしハンドルネーム、
ああハンドルネーム、
あなどれないのだった。。。。
名前って大事ですよねぃ。


って話が月面宙返りしてしまいますた・・・。
最後まで読んで下さってありがとうございました。


もう11月。
でも一年で一番好きな季節、
晩秋です。

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吉岡刑事物語・その33 / 窓枠の青空・5

2009年11月02日 | 小説 吉岡刑事物語




藍色の空に宵闇が流れ込んでいる。
うろこ雲が、ちぢれに、緋色に、日暮れの終わりを告げていた。
車のフロントガラス超しに染まり広がる空景色を見上げながら、
萩原は助手席から運転席へと話をふった。

「筒井、浦島太郎の話は覚えてるだろう?」

「なんだよ急に」

横でハンドルを握っている筒井が、訝しげな言葉を訝しげもない口調で言った。
萩原はかまわず話を続ける。

「あの話の最後はさ、お后から玉手箱を貰った浦島さんが、
陸に戻ってみたら周りの風景が以前見慣れていたものとはまるで違っていて、
はて、どうしたことやろな、ま、でもとりあえず土産でも開けてみまひょか、
なんて感じで玉手箱の蓋を開けたらその瞬間にじぃちゃんになっちゃったよ、
びっくりしたぜ、まいったな、やれやれって話だろ?」

萩原は視線を前方に落とした。すぐ前を走行している車のテールランプが、
次第にくっきりと黄昏の深みの中に赤く浮かび上がってきている。
萩原はテールランプの灯りを見つめながら話を続けた。

「でも例えばさ、お后が浦島さんに玉手箱を手渡す時に、
“この箱を開けてしまったらあなたの周りの景色が変わってしまうから、
あたしとしてはこの箱は最初からあなたに差し上げないほうがいいと思うのよね、
でもまぁなんといいますか決まりごとですので、粗品ですがどうぞ”
って事前に浦島さんに忠告していたとしてだよ、で、そのあと陸に戻った
浦島さんは、お后からのその忠告なんてすっかり忘れていて、
“粗品ってぇことは竜宮城って文字が染め抜かれたてぬぐいかな?”
なんて推測しながら玉手箱の蓋を開けてみるんだけどその瞬間に、
“しまった、この箱を開けたら周りの景色が変わってしまうって言われてたんだ”
ってお后の忠告を思い出すわけだよ、でも見渡す周囲の景色は何の変化もなくて、
なんだよ、どういうことだ、責任者出てこい、ってことになるんだよな、筒井」

「笑えねぇな。それのどこがオチなんだ?」

前方の景色を平たく見渡しながら筒井は言った。

「オチじゃねぇよ」

萩原が言い返す。

「早朝に駅前を出発してから今はもう夕方になってるんだけどさ、
なんでまだ都内にいるんだよ、俺たち?」

筒井の運転するボルボは、夕刻のラッシュアワーの中を、
のろのろと渋滞運転している。そこは三人揃って出発した駅前地点から
直線距離にするとおよそ8キロ程度の場所に位置していた。

「オチどころか起承転結の起にも入っていない状態だろ。
いつになったら都内の景色から脱出できるんだよ、筒井~?
俺は今まさにオチのない浦島さんな気分なんだ。笑えないのはこっちの方ですぜ」

萩原は前方に視線を延ばした。両車線上に連なる車のライトは
それぞれの点と点を結んで一本の線となり、それは所々緩やかにうねりながら
遥か彼方へと永遠に続くかのような長い尾を引いている。
ゲンナリとしながら萩原は大きくため息をついた。

「あのままヒデと二人で長距離バスに乗ってたら、今頃はもう
仙台についてるって話だよ」

「渋滞なんだからしょうがねぇだろ」

青菜に塩状態の萩原の様子など何処吹く風で筒井が言う。

「渋滞に対する問題意識は国土交通省に向けろよ」

「そういう問題じゃないだろ」

萩原は心もち身体を筒井へと向けながら言った。

「あのさ、出発した後でお前が一旦実家に戻ったり、やっと高速に乗ったと
思ったら行き先と反対方向を二時間も突っ走ったりしてたのが核問題なんだろ。
なんでいつもどこに行くのにも一旦わざわざ実家に戻らなくちゃ行き先への
方向感覚が掴めないんだよ? どうしたって結局は道に迷うんだから
そんなことしても時間の無駄なんだよな。少しは学習してくれよ、筒井君。
おかげでまたはまっちゃったじゃないか、お前のバミューダトライアングルに」

「貴重な経験じゃないか。感謝してくれてもかまわないぞ」

「もう嫌というほど感謝済みだよ。その気持ちに熨斗をつけて
そっくりそのままお前に返すよ、それからこれもいつものことだけどさ」

まるで動ぜずの筒井を横目に捕えながら萩原は、

「堀ちえみはやめてくれって言っているだろが」

右手を伸ばしてカーステレオのスイッチをぶちっと切った。
サビの部分を歌っていたらしい堀ちえみの歌声がそこでいきなり途切れて、
車内が一瞬しん、と静まり返った。
大仏のような表情で押し黙った筒井の横で澄まし顔の萩原は車窓を眺め、
渋滞に痺れを切らした車のクラクションがどこかで空疎な叫びを上げた。

「公務執行妨害だぞ、ハギ」

「なんの公務なんだよ。もっとさ、建設的な音楽を流してくれよ、筒井」

「充分に建設的且つ幸福的じゃないか。ちえみちゃんの良さがわからないなんて
恥を知れよ、ハギ。そんな芸術オンチな奴なんてこの世にお前一人だけだぞ、
そうだろう、ヒデ?」

「寝てるよ」

筒井は反射的に首を伸ばしてバックミラーの中を覗いた。
自分の着ていたハーフコートにくるまって、吉岡は後部座席に
横たわりながら静かな眠りに入っている。
繰り返されている安らかな寝息は、やわらかな羽のような軽さで
その体をかすかに上下させていた。
それはまるでそこの空間だけ清潔な空気が流れている、
そんな印象を与えるとてもきれいな寝顔だった。

「いつから眠ってた?」

バックミラーから目線を離した筒井は萩原にそれとなしに訊いた。

「渋滞にはまってからずっとあの調子で寝てるよ」

座席のシートに身を沈めるように正面へと座り直しながら萩原は答えた。
筒井は何か逡巡するような顔つきで三秒ほど沈黙をおいたあと、

「だから言ったろう」

とその静寂を払拭させるような明るい声を出した。

「ちえみちゃんの歌は寝る子も黙る子守唄なんだぞ」

「寝てれば誰だって黙るんだよ」

萩原は据わった目を筒井に向けて言った。

「お前の主張するその歌声らしきものを完全遮断しようとする生理的作用と
自己防衛本能が相互に反応した結果、眠りに落ちたんだよヒデは。
音っていうのは非常に直接的なものであって、眠るか耳を塞がない限りは
防ぎようもなく脳内に入り込んでくるものなんだぜ。
この世は雑音に満ちた世界なんだ」

「困ったな」

「だろう?」

「腹へっちゃったよ」

「お前、聞いてんのかよ人の話を?」

「当たり前だろ。話はするより聞け、それが男の信条だ。さて、
気分転換にちえみちゃんでも聴くか」

「全然聞いてねぇじゃねぇかよ」

「なにがだよ?」

「それがだよ」

「ハギ、オレはな、腹がへってんだよ。人の話をちゃんと聞けよ」

「お前に言われたくないよ」

「この先にコンビニがあるよ」

いきなり入り込んできた吉岡の声に筒井と萩原は同時に後方へと振り返った。
さっきまで眠り込んでいたはずの吉岡が、いつの間にか後部座席の真ん中に
座って微笑んでいる。寝起きのせいだからなのか、淡く透き通るような桜色が、
その抜けるような薄白い顔の皮膚にうっすらと色移っていた。

「なんだよびっくりさせるなよ。いつの間に起きてたんだ?」

驚きの表情をほぐしながら萩原は吉岡に向かって言った。

「座敷わらしかよ、ヒデ」

フロントガラスに向き直った筒井は萩原の言葉を継ぐと、
小安を得たような顔でゆっくりと前方を見渡し、
300メートルほど先の国道左側に小さく見えている
セブンイレブンのサインを視界に確かめた。

「すげえな、望んだ場所がすぐに見つかるなんて幸先いいぞ俺たち!」

筒井はそう大声で言うと気合を入れなおすようにハンドルを握りなおした。
その隣の助手席で萩原はげんなりとしながら沈黙し、
後部座席に座った吉岡はほわりと和らぎながら微笑んでいる。
宵闇の迫りくる渋滞の道を、ボルボは時速10kmで進んでいく。





つづく

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