年明け早々去年の話を持ち出して申し訳ないのですが、
大晦日の日に夫のジャイアンが、
「気分だけでも日本の年越しをしようか~」
と話を持ちかけてきたので、それなら日系のスーパーで
年越そばを買うてきておくれよあんたはん、と頼んだ私の言葉を受けて、
はいよ、まかされたで、と元気に出かけていったその1時間後、
何やら意気消沈した様子で家に帰ってきたジャイアン君でありました。
「どうしたのじゃ、爺さんや?」
と聞く私に、
「売ってなかったよ、ばあさん」
とポツリ言うジャイアン。
「えぇ、そばが全部売り切れちゃってたの?」
と驚いて更に聞き返す私に、
「ううん。そばは沢山あったよ」
と言い返してきた。
「じゃ、なんで買うてこなかったんじゃい?」
「だって売ってなかったんだもん」
「でも売場に沢山あったんでしょ?」
「うん」
「・・・・・・・・・え?」
「うん」
「は?」
「うん」
「ぴよ?」
「うん?」
「ばびゅ~ん!」
到底理解できない思考だ。
それは私がアホだからなのだろうか?
それともジャイアンが突き抜けてしまっているからなのだろうか?
たぶんその両方だ。
「ちょっと待ってよ、お店にそばが売ってたというのに、
どうしてそれを素直に手にとって買ってこなかったのだ? まさか
“ウィンドーショッピングそばの巻”をしていたわけではあるまいな?」
「違うよ~。ちゃんとお店の人にも聞いたんだよ、在庫の有無を」
「うんうんよかろう。それは正しい手順をふんだね。で?」
「でもないっていうから」
「そこですっ! ここでおさらいしてみましょう。いいですか、君は、
① お店に行った。
② そばを見つけた
③ なのにお店の人に在庫を尋ねた。
④ お探しのものはないですよ、と言われた。
⑤ 手ぶらで家に戻ってきた。ただいま~。
これで正しいですか?」
「はい。そうです」
「アホアホマンなのですかチミは?」
「えぇ~~?」
「そばがすぐそばにあったのに何故に無いと思ったのだ?」
「違うよ、そばはあったんだよ、でも君の食べたい
年越しそばは売ってないんだって、その店では」
「・・・・・フ。」
さすがだよ。
でかしたぞ、ジャイアンよ。
彼はそばを見つけていたのではなく、
年越しそばという種類のそばを探していたのだ。
やはり私の目に狂いはなかった。
見上げた天然や。。。
そう思った途端に思わず目に涙が溢れてきたのは
はたして感動のせいなのだろうか?
きっとそうだ、ということにしておこう。
なんせ明日は新年だしねー! アハアハ♪
なんてな ら~りほ~ なことが我が家では
大晦日の日にまで起きていたのですが、新年明けまして、
ふとこの出来事が再び頭をよぎり、そしたらぼわんと、
こないな思いが頭に浮かんだとです。
言葉とはなんぞや?
とな。
人間が生まれながらにして持ち合わせる感情の襞の数は、
きっとみな同じなのだろうな、と思うとです。
根底は同様の感情組織群を持っているのだけれど、
生まれ育つ環境などによって、顕現されてくる個々の感情に
多様性の差が生じてくるでぃすね。その顕在的な感情の表れが
まぁ~このぉ~いわゆるひとつの個性となるわけで~この~、
と思わず田中角栄の口調になってしまったのでありますが、
不思議なのは、どうして人はその同じ感情の襞から生まれてくる気持ちが
言語を通してある種の形となったときに、時として
反発を買ったり売ったりこねたり刻んだり引き伸ばしたりしてしまうのだろう?
ま、でも、みんな同調するだけで暮らしていたら
きっと文明の発達はなかっただろうし、異論があるからこそ
そこから新たな知性も生まれてくるとも思うですばい。
でもなんか不思議でありまするの。
気持ちの中では相容れる可能性のある思いを抱いているのに、
しかしその感情が一旦口から出るや、その言色は混濁し
枝葉末節、尾びれ背びれがごにゃにゃとついて、
全く違った意味として相手に捉えられてしまう時もあるので、
お嬢さん気をつけな、となるのでありますねぃ。
言葉って環境に非常に敏感なのかもしれまっしぇん。
もうだいぶ昔におこった出来事なのですが、
ある男友達が、当時想いを寄せていた女の子を
やっとのことでデートに誘いだすことに成功し、
大奮発して普段は近寄ったこともないフレンチレストランなぞに
彼女を連れて行ったのですが、しかし彼は慣れない場所での
緊張気味なピリピリ雰囲気を少しでも和らげようとして、
「お飲み物はいつお持ちしますか?」とのボーイさんの問いに、
「休み明けに」
とつい言葉のバズーカー砲をぶっぱなしてしまったのですだ。
いや、
今なら笑えるのですだ。
んがしかし、その時その場でその彼女は
瞬間冷凍されたマグロのようにカチンコチンに凍ってしまい、
そしてそれ以後二人の関係は決して解凍されることはなかった・・・。
という悲しいオチが付いちゃったのでありましただ。
でももしその時彼がデートに選んだ場所が、
足を踏み入れたこともないお洒落なフレンチレストランではなくて、
通いなれた居酒屋だったとしたら、たとえ同じことを言っていたとしても、
「きゃぃ~~~ん、○○君っておもしろ~い!うきゃ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0137.gif)
」
なんつって恋人獲得率が67%まで一気に上昇していたかもしれない。
場を間違ってしまったのだ。
そう。
言葉は場も選ぶのですねぃ。
なんでもあり~な趣のする居酒屋だって、何もそこは
全種類言語解放地区ではないのでありますだ。
デビルイヤーは地獄耳。
油断は禁物であります。
やはり居酒屋には居酒屋の掟語があると思う。
例えばその代表例といえば、
「とりあえずビールで」
↑こりです。
飲み会の場所で最初に頼むものは、
“とりあえずビール”でなければいけない。
暗黙の規約条約“とりあえずビール”の世界なのだ。
うっかり背を向けたら火花が飛ぶぜよ。だからこれは、
「全力でビール」
でも、
「がむしゃらにワンカップ大関」
でも、
「ムード的にはヤクルトミルミル」
でもいけない。
いけないんだよ。
いきなりミルミルではいけないのだ。
ではなぜいけないのか?
なぜならばそれが場の協調性というものを
さりげな~~~~~~く物語るバロメーターになるからなのだと
わたくしは睨む。
いや別に睨まなくってもいいんだけど。
というかそんなことで協調性を測らないでほしいよ、おやっさん。
でも社会に生きている人間ですけんのぉ、
やはり言葉は大切にしていかなければならないのですねぃ。
恋人にフラれて悲嘆にくれている友達の背を撫でながら、
「どうどう」
と言ってなだめてはいけないし、
試合に勝ったロッキーがリングの上から妻であるエイドリアンに向かって
「おてもや~ん!」
と叫んでもいけないし、
敵を討つためデビルマンに変身する時のアキラが、
「ビ~ビ~~~~ル!」
と絶叫して最初から敵に弱みを見せることなど出来はしないのだ。
なんかちょっと話がずれてしまった気がする。はて、
どこからずれてしまったのだろう?
ふ~~~~~~~~む・・・・・・・・・・・・・・・あ、
思い出せない。
ハッ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
!
としてしまった、そうだった。
思考とは駆け巡るものであり、掴みづらいものなのだ~。
だから揺らめく感情を掴もうとした結果形となる言語もやはり
掴みづらいものだし、もしかしたら案外と
崩れやすいものなのかもしれないよね~。
なんとも奥が深いですだば言の葉とは。うむうむ。
しかしただ「う~ん、難しいぞぉー」とビビリすぎて
言葉と共に生活することに臆病になってしまい、
挙句の果てに手旗信号で通信しだしたりなんかしたら
それはそれでなんか悲しい。
言語は唯一人間だけがもつ最大の文明。
その恩恵に授かるのも嘆くのも自分次第だったっす。。。
こんな世の中だから、
こんな世の中だからこそ、
こんな世の中だからよぉー、うがぁああーーーっ!
と自棄にならずにどんな感情でも一旦受け入れて、
それを咀嚼できる大らかさを持てればいいな~、と
つくづく思うお年頃でございます。
なんてな全く纏まりのないことを考えていた今日の私でごぜいますだ。
ところで何で今日のブログのタイトルは「なまずのひげ」なのだろう?
ふ~~~~む・・・・・・・・・・
わからん。
ま、いっかぁ~♪
はぁ~今日もがんばろーっと。