月のカケラと君の声

大好きな役者さん吉岡秀隆さんのこと、
日々の出来事などを綴っています。

吉岡刑事物語・その16

2009年03月30日 | 小説 吉岡刑事物語




冷え切った夜の街を再びバイクで走って署に戻った後、
上に申告する報告書を書き上げ、
気だるく疲れた体を引き摺りながら刑事部屋を出た時には、
時刻は既に朝の5時を過ぎていた。
俯きがちに階段を降りて中央ロビーを歩き抜け、
正面玄関のドアをすり抜けて、まだ暗い屋外へと足を一歩踏み出した瞬間、
吉岡の足がその場で止まった。
石段を下がった前方の道路脇に、
見慣れたボルボのステーションワゴンが横付けしている。
運転席に視線を辿ると、ハンドルをピンと伸ばした両腕の先に握り締めたまま、
憤怒の顔で前方を見据えている車の主の姿が続けて目に入り、
吉岡は少しだけ苦笑しながら自分の足元に視線を落とした。
明け方近くの冷たい風がさっと真横に吹き抜けて、
吉岡の髪を軽く揺らしていく。
紙やすりで摺ったようなざらざらした咳の感触が胸の奥でくすぶっているのを、
吉岡は深く呼吸を吸い込みながら無理やり押さえつけた。
顔を上げて、一歩前に踏み出そうとしたとき、
背後で正面玄関が勢いよく開く音がして、その刹那、
一斉に走り出てきた新聞記者団の波に吉岡は後方からのみこまれた。
解決した元裁判長拉致事件の談話を録るために、
所轄に置かれた捜査本部から今しがた戻ってきた捜査三課長の乗る車へと、
記者たちが我先にと息せき切って石段を駆け降りていく。
人波にもまれて、肩や背中に背後からぶつかられながら、
記者たちの走り去る姿をただ黙って眺めていた吉岡の肩が、
いきなり誰かの手で背後からぐいっと掴まれた。

「お疲れさん! 後で連絡する」

と続けて耳打ちしてきた萩原の声が、吉岡の横を飛ぶように走り抜けていく。
走り去っていく記者たちの群れに見え隠れする萩原の背中を、
吉岡はしばらく静かに見送った後、やがてまた前方の道へと視線を戻し、
伏目がちに前髪を掻き分けながら石段を降りていって、
そのままボルボの助手席に乗り込んだ。

「ごめん、連絡しようと・・」

「何も言うな」

助手席に腰を下ろしながら言った吉岡の言葉を、
筒井は遮断した。

「事情はハギから聞いた」

ハンドルを固く握りしめたまま、
運転席に坐っている筒井はそう言って押し黙った。
横顔を見つめてくる吉岡には一瞥もくれずに、
鬼瓦の様な顔と態度で断固として前方を睨みつけている。
吉岡は大人しくシートに坐りなおりながら体を正面に向き直し、
そこでふと腰とシートの間に異物を感じて手を伸ばすと、
目の前に取り出されてきたのはスポーツカーのおもちゃだった。
吉岡の目元にふっと笑みが浮かぶ。

「いくつになったんだっけ、秀人くん?」

手に持った車のおもちゃを愛しそうに眺めている吉岡の姿を
目の隅に捉えた筒井の口元が思わず緩む。

「もう小学生?」

「まだ幼稚園の年長だよ」

「そっか・・・。暫く見ないうちに、また大きくなったんだろうな」

「お前が補助なし自転車の乗り方を教えてくれて以来、
毎日家の周りをチャリで走り回ってるよ」

「そうなんだ」

吉岡の瞳に笑みが深まる。

「あいつはお前になついてるからさ、だからランドセルを買ってもらうのは
絶対にヒデがいいって言っていて、だから春になるのを、」

そこで筒井はぷつりと言葉を切った。吉岡は運転席の方に顔を向け、
口を固く噤びながら再び遥か前方を見据えている筒井の横顔を見た。
対向車線にヘッドライトの明かりが浮かんで近づき、
ボルボの車内を一瞬白く照らし出しながら後方に走り去っていった。
吉岡はそっと筒井の横顔から視線を外し、シートベルトに片手を伸ばした。

「ランドセルは、何色がいいって?」

肩からベルトを伸ばしながら言った吉岡の言葉に応える代わりに、
筒井は黙って荒々しくアクセルを踏んだ。ボルボが急発進していく。
シートベルトの先をバックルに差し込みかけていた吉岡はがいきなりの衝撃に
大きく前のめりになってダッシュボードに顔をぶつけそうになり、
しかしその手前の瞬間で急停止したボルボの衝撃に今度は思いっきり身体を
シートの背に投げ出された。

「危ないだろ!」

筒井の怒声が助手席に飛んでくる。

「それはこっちの台詞だよ」

投げ出された体をシートに沈ませたまま吉岡は言い返した。

「うるさい。俺はな、怒っているんだ」

「うん、わかってる」

「お前はちっともわかっていない! シートベルトはしたのか?!」

「したよ」

筒井は再びアクセルを荒く踏み込んだ。ボルボが再度急発進していく。

「俺は怒っているんだぞ!」

「うん」

「無性に怒っているんだ!」

「・・・だからごめんって、」

「何も言うな!」

「・・・・」

吉岡は、筒井を見つめていた顔をゆっくりと正面へと戻して、
うん、と頷きながら素直に自分の体を助手席に整えた。
車窓に目をやると、記者団とカメラのフラッシュに囲まれている
捜査三課長の姿が目に入った。
助手席の窓に頭を凭れさせながら、吉岡は安住のことを考えていた。
高瀬の車に連行されていった安住の寂しそうな笑顔が、
吉岡の脳裏に浮かんではまた消えていく。

真実ってなんなのだろう?

正義ってなんなのだろう?

そんな思いを抱きながら、ぼんやりと見つめていた捜査三課長の姿は、
しかしすぐに、走り去るボルボの背後へと流れていき、
やがてはるか後方に点のように小さくなっていった。

         


筒井の運転するボルボは、古い町並みの下町界隈に入っていき、
やがて狭い路地の脇に立ち並ぶ一軒家の前で停まった。
母屋に隣接した建物の入り口脇に、
「筒井内科医院」と書かれた古い立て看板がかかっている。
鍵をガチャチャチャいわせながら医院の入り口ドアを開け、
暗い廊下を渡って診察室へとずんずん先を歩いていく筒井の後に、
吉岡は黙ってついて行った。
八畳ほどの広さの診察室の中に入ると、
使い古された医長の机と、同じく年季の入った診察台が、
塵一つない清潔な空間の中に時の重さを奏でながら佇んでいた。
筒井は目線で、吉岡に診察台に座るように促し、
勤務先の病院より実家の方が静かに話が出来るから、と
低く呟くように言いながら診察椅子に腰をかけた。
吉岡に向かい合ったその顔は、
いまだに憮然とした表情を浮かべている。 
吉岡は診察台の縁を両手で軽く掴んで、
ぴんと伸ばした腕に体の重心を傾けながら、
何かを待つような眼差しを静かに筒井に向けていた。
やもするとふっと吸い込まれそうになるその眼差しに
負けじと対抗するかのように、筒井はじっと吉岡の顔を見返した。

「よく眠れてないだろう?」

「え?」

「消えたろうそくみたいな顔色してるじゃないか」

もともと白い吉岡の肌は、血の気を失ったように更に青白く透き通っている。

「なんだよそれ」

吉岡は明るく笑った。
部屋の空気が一瞬ふわっと軽くなる。
筒井は黙ったまま、吉岡の右の手首を掴んだ。

「お前・・・」

筒井の目に険しさが増す。

「こんな高熱を出したまま夜道をバイクで走ってたのか?」

「捜査だったんだ」

事もなげに吉岡は言う。
筒井は掴んでいた吉岡の手首を離して膝の上で手を組み合わせ、
それから改めて吉岡の顔を見やった。

「無理はするなと言っているはずだぞ」

「無理は、してないよ」

「そんな顔色のままでか?」

「色が白いのは生まれつきだよ」

「はぐらかせるな!」

筒井は声を荒げた。吉岡の目線が、ぐっと硬く握りしめている筒井の両の手のひらに移る。

「お前の体のことなんだぞ。お前の・・・ちゃんと聞けよ」

「聞いてるよ」

そう言った吉岡の上半身が不意にぐらついて、
咄嗟に両手で診察台の縁を掴んで支えようとした身体が、
崩れるように床に落ちていった。

ヒデ!

遠くで自分を呼ぶ声がする。
誰だろう・・・、
誰かが、誰かの腕が、
自分の体を抱え込んでいる。

ヒデ!

抱え込まれた体が、
ふっと宙に浮いた。

帰らなくちゃ、家に・・

突然湧いてきたその思いを追いかけるように、
吉岡の意識はすっと遠のいていった。





目を開けると、吉岡はベッドの上に横たわっていた。
カーテンに通された朝の光が、
やわらかな温もりを部屋の中に届けている。
そこは、とても懐かしい匂いがした。

煙草のにおいと・・・
それからこれは何だっけ・・・
そうだ・・・
日に焼けた畳の匂い。
懐かしい、
あの頃の匂いだ・・・

ぼんやりと部屋の中に視線を巡らせると、壁の上部一面に、
額縁に入った書道コンクールや野球大会から贈られた賞状が
いつくも飾られているのが目に入ってきた。

そうだ、
ここは筒井の部屋だ・・・。

吉岡は首を動かして横を見た。
目線の先に、勉強机の前の椅子に腰を下ろし、
物思いに沈むようにじっと俯いている筒井の姿があった。
膝の上で組み合わされた筒井の手が半分力なくほぐれている。
吉岡の視線を察したのか、筒井がふいに顔を上げた。

「なんだ、もう起きたのか」

筒井の目は、寝不足のせいなのか赤く充血している。

「点滴が済むまで休んでろ」

そういわれて始めて、吉岡は自分が点滴を打たれていることに気付いた。
透明な点滴液が、ガラス窓についた重い雨だれのように、
緩慢なリズムで自分の腕の中へと落ちていくのが目に入った。

「親父のところはもうじき診察が始まるから、ここで我慢してくれ」

筒井は椅子から立ち上がってベッドに歩み寄り、
吉岡の額に手を当てた。

「熱はだいぶ引いたけどな、」

筒井は次にベッドの横にある点滴スタンドのメモリを調節した。

「だけど今日は絶対安静だぞ」

吉岡は黙って素直に頷く。

「筒井、」

「ん?」

「ありがと」

筒井は、一瞬黙り込んだ後、

「当たり前だ」

と言って勉強椅子に座りなおした。

「なんだよ?」

明るく楽しげな笑みを目元に浮かべて自分を見ている吉岡に、
筒井は訝しげな顔を向けた。

「昔もそうだったな、と思って」

「何が?」

「高校の時も、蕎麦屋のバイトが終わるのを待っていつも迎えに来てくれただろ?」

筒井の目の奥の光がかすかに動いて、
少し間を置いてから、ああ、と頷いた。

「あの頃はチャリでだったけどな」

「筒井の自転車の後ろに立ち乗りして夜道を飛ばして、
バイトのあとここに来るのが楽しみだったんだ」

「ああ」

「ここにはいつもハギもいてさ、三人で何をするわけでもないけど、
何をするわけでもないことが楽しかったんだな、って今なら思うよ」

吉岡は天井に視線を戻した。
脳裏に、この部屋の中で笑い合っている三人の姿が鮮やかに浮かんでくる。
あの頃はまだ、真の未来は言葉としての抽象でしかなく、
ただ、あるのは、永遠に続くかのように贅沢に流れていた、
その瞬間としての時間だった。
畳の上に寝そべりながら漠然とした将来の夢を語っていた筒井はやがて医者となり、
ベットの上に寝転んでダーツの矢を的に投げながらそれをひやかしていた萩原は新聞記者となって、
そして窓際の壁に寄りかかって二人の会話を笑顔で聞いていた吉岡は刑事になった。 
何かが大きく変わり、何かはそのまま変わらない。
人は変わっていく。変わらなければ変だ。
学生だった自分たちは、社会人になった。
でも、人の本質は職業の名で語られるものじゃない。
変わっていくものと、変わらないもの。
変わらないものは、目には見えない。

「ヒデ」

筒井の声がふいに部屋に響いた。
横を向くと、じっと畳を見つめている筒井の顔が目に入った。
呼びかけたまま、しかし筒井は言葉を失くしたように黙り込んでいる。
膝の上でしっかりと組み合わされている両手は、
指の爪先が、圧迫された強い力に赤白く変色していた。

「筒井、」

やがて静かに呼びかけてきた吉岡の声に、
筒井は顔を上げた。

「大丈夫だよ」

「・・・なにが?」

「再検査の結果が出たんだろ?」

筒井の口元が大きく歪んだ。
ふいに戻ってきた沈黙が、部屋の空気を重く沈ませていく。
筒井は黙って視線を下に戻した。
窓の遠く向こうで、商店街のシャッターが開く音が聞こえてきた。

「わかってるよ」

暫くして再び聞こえてきた吉岡の声に、
筒井はまたゆっくりと顔を上げた。

「わかってる」

筒井はぎゅっと奥歯を噛み締めた。

「なにがわかってんだ・・・」

「生きるよ、最後までちゃんと」

「最後までなんて、言うな」

睨み返すような視線を向けてきた筒井に、
吉岡は笑みを返した。

「誰にだって、最後はあるじゃないか。それがいつなのか分からないから、
それは自分からは遠いところにあるって錯覚しちゃうんだ、きっと。
だけどさ、」

「ヒデ、」

筒井は吉岡の言葉を遮った。

「俺は諦めんぞ」

吉岡の眼差しが、一瞬遠のくように揺れた。

「筒井、」

「俺は絶対に諦めないからな」

筒井は繰り返した。

「検査の結果は俺が変えてやる」

吉岡は口を噤んで、筒井の顔を見つめなおした。
薄く透き通った吉岡の頬に、やわらかな朝日が揺れている。
いいか、ヒデ、と、筒井は更に言葉を続けた。

「俺はお前の命を諦めない」



筒井の実家を出たのは、もうすでに正午に時計の針が近づく頃だった。
送って行くと言って譲らない筒井のボルボで、
警視庁の社宅がわりのアパートが建つ坂の下まで結局送ってもらい、
そこで車を降りて、なだらかな坂をゆっくりと上っていった。
点滴のお陰で体のだるさはだいぶおさまっていたが、
しかし鉛のような疲れがまだ体の芯に重く残っていた。
顔を上げると、レースのカーテンを敷いたような雲が、
冬の薄空に浮かんでいた。 
吉岡は空に向かって目を閉じ、深く深呼吸をした。

「吉岡君!」

不意に呼びかけられて、吉岡は目を開けて前方を見た。
アパートの玄関先の縁石に座っていた堺が、
吉岡の姿を見て嬉しそうに立ち上がった。




「ごめん、何もないんだ、うち」

部屋の鍵をテーブルの上に置きながら吉岡は堺に言い、
つづけてベランダにつづく窓を大きく開けて部屋の空気を入れ替えた。

「すごく綺麗に片付いてるね」

堺は部屋を見回しながら感心したように言った。

「寝に帰るだけの部屋だから散らかしようがないんだよね」

吉岡は脱いだスーツの上着をソファーの背の上に置いた。

「楽に座ってて。今コーヒー淹れるから」

と言ってキッチンに行こうとした吉岡に、

「いいんだよ、こっちが勝手に訪ねてきたんだから気にしないで」

と堺は手を振って断り、

「入っていいかな?」

とキッチンの方を指差した。

「うん、もちろんいいんだけど、でもほんとに何もないんだよね」

「心配しなくてもいいよ。必要なものは全部持ってきたから」

堺は手に持ったスーパーの袋を吉岡の目の前に掲げてから、
すたすたとキッチンの中へと入っていった。

「君は座ってていいからね」

シンクの下から取り出した鍋に水を入れながら、
手持ちぶたさそうにしている吉岡に向かって堺は言い加えた。
はい、と素直に返事をして、吉岡はソファーに大人しく腰を下ろした。
その背後で、レースのカーテンが、開け放した窓から入る風に
やさしく揺れている。

「普段は忙しいから料理なんてしないんだけど、
でも学生時代はよく作ってたんだよ、これでも」

料理の手順を整えながら話しかけてくる堺の話に、
吉岡は笑顔で耳を傾けている。

「田舎から大量に地鶏が送られてきたんだ。
言ったっけ、僕の地元は地鶏が有名だってこと? 
でも一人じゃ到底食べきれないし困ってたんだけど、
そういえば今日は吉岡君も非番だって思い出して、
それで一緒にどうかなって思ってさ」

沸き立った湯の中に、包丁の背で叩いた地鶏を入れて、
持って来た袋の中から数本の長ネギを取り出し、
堺は手馴れた手つきでそれを細かく刻んでいく。

「吉岡君って薄味? でも関東だから、
普通は濃い目の味付けだよね、どっちかな?」

刻んだネギをお湯の中に入れながらリビングへ顔を向けた瞬間、
堺は料理の手を止めた。
ソファーの背にもたれて、吉岡が眠りに落ちている。
冬の午後の光に包まれて、光そのものになってしまったようなその姿は、
すとん、と深い眠りに落ちた子供のように安らかで、
どこかとても清らかな温かさを漂わせていた。
堺はふっと微笑んで、静かに水道の水を出して手を洗い、
音をたてないようにキッチンから出てソファーへと足を運び、
起こさないように気をつけながら吉岡の体をソファーに横たえた。
それから寝室に行ってベッドから持ってきたシーツを
静かな寝息をたてている体の上に掛けてやった。ふと視線をその先に移すと、
窓の外には冬空がどこまでも高く、
天空へと遥かに伸びていた。





つづく
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吉岡刑事物語・その15

2009年03月22日 | 小説 吉岡刑事物語



本庁舎地下三階の捜査車両駐車場から、
何台かの単車が次々に四方へと走り出ていく。
吉岡が乗っているバイクは、排気量1000cc、
スポーツタイプの国産車だ。
昼間の喧騒とは打って変わって、
真夜中の街は月の光の中で森閑としている。
桜田通りを下っていった吉岡は、そのまま都道412号線へと、
滑るようにバイクを走らせていった。

「ホシは被害者を助手席に乗せたまま、練馬ICに向かっている模様。
車種は98年型、シルバーのトヨタ・カムリ、ナンバーはー」


背広の内ポケットに入れた小型受令機が、
通信指令本部からキャッチした無線情報を、
耳に差し込んだイヤホンに伝えてくる。
吉岡は、その全ての情報を瞬時に頭に叩き込んだ。
右側のグリップをゆっくりと手前に引き、
バイクを徐々にハイスピードに乗せていく。

「いいか、ホシを都外に出すな。県警の奴らに印籠を渡すなよ。
練馬ICの手前でホシの車に回りこんで停めろ」


たて続けに、今度は捜査本部からの無線指令が、
イヤホンを通した耳に飛んでくる。
三宅坂JCTを中央道方面に進んで首都高4号線へと出、
更に14号線を抜けたあと、都道311号線を右折して環八通りへと、
吉岡は夜風を切るようにバイクを飛ばしていく。
昼間ほどではないが、深夜のこの道も交通量は多く、
特に県外ナンバーの大型トラックが幅を利かせながら走っている。
流れ走る多くの車両の中をバイクで走るのは難しい。
ただ闇雲にスピードを上げて走るだけなら誰にでも出来るが、
しかしそれは常に大きなミスとの背中合わせであり、
もしやすると他人をも巻き込む連鎖事故を起こしかねない。
事故は絶対に起こしてはいけないミスだ。
狂いのない冷静な判断力と、優れた運転技術、
この二つなくしてトカゲの役目は務まらない。

「ホシの車輌は笹目通りに入った。吉岡、お前が一番ホシに近い。
飛ばせ」


吉岡は腰に重心をかけ、バイクと自分の体を一体化させて左右に傾斜させながら、
慎重を期して縦列に走行しているトラックの間を、
フルスピードで縫うように走り抜けていく。
その走りは、夜道を駆っていく黒豹のように優雅であり、
そして野性的に美しかった。

「吉岡、ホシの野郎が進路を変えた。三軒寺の信号を下って
石神井池方面に向かっている。練馬IC付近の警ら車に気付いたんだ。
あんな所で張り込みやがって、所轄のアホったれがっ!」


「わかりました。そちら方面へ回り込みます」

吉岡は冷静に対応すると、同時に素早く辺りを見回し、
石神井池方面へと続く狭い住宅路へとバイクを滑り込むように入らせていく。
都内の主要な道という道は頭の中に記憶されている。

「ホシの車輌は石神井池駅を抜けて、更に南下中」

通信指令本部からの無線情報に、
吉岡は頭の中に描き出された地図を慎重に辿っていった。

ホシの車輌ナンバーは都外だ。
土地勘のない運転手が闇雲に住宅街の中で車を走らせるとしたら、
その選択道は限られているはずだ。
そんな状況の中、
犯人はどこへ向かう?

吉岡は、更に細い抜け道へとバイクを入り込ませ、
真っ直ぐにそのまま細道を北上していく。
車が一台通れるかどうかの道を抜けると、
比較的ゆったりとした街路へと出た。
前方に走行中の車のテイルランプが赤く浮かび上がっている。
シルバーのカムリ。
ホシの車輌で間違いないだろう。
吉岡はアクセルを全開にしてバイクのスピードを上げた。
全速力でカムリを追い越しながら車輌ナンバーを目で確認し、
そのまま50m疾走しながら辺りに他の車の気配がないのを確かめると、
バイクを右に大きく寝かせるように倒してアクセルを全開にしながら、
クラッチを一気に繋いだ。地面ギリギリに掠っていく右ひざを軸に
バイクの後輪が前方にスピンしてUターンし、急停車したカムリの前方で、
ピタリと止まった。

「ホシの車輌を停めました。中の様子は確認中です」

目線を前方の車に据え置きながら低く落とした声で受令機に報告し、
吉岡は素早くヘルメットを取りながらバイクから降りた。
無駄のない俊敏な動きでサイドスタンドを足で蹴り、
バイクを路上に立てかける。
前方からくるヘッドライトの光に阻まれて、
車内にいる犯人と被害者の様子は全く窺いようがなかった。

「特殊班の連中がそっちに着くまで二人を確保しつづけろ。
ホシは拳銃を持っているかもしれない。元裁判長の命が第一優先だ。
発砲してきたら迷わずホシを撃て」


吉岡は、ゆっくりと防寒ジャケットのジッパーを三分の一下げて、
背広の下の肩にはめたホルスターに右手を伸ばした。
バタンッ、とそのとき運転席のドアの開く音がして、
吉岡は掴んだ拳銃を瞬時に取り出して前方に構えた。
目を凝らして見るヘッドライトの光の中に、
犯人が被害者を車外に引き摺り出している姿が透けて見えてきた。
70代半ばらしき被害者は両手を後ろで縛られ、
60代後半くらいの犯人の男は、
出刃包丁らしきものを片手に持っている。 
吉岡は、銃口を右にさっと動かした。
両手で構えている拳銃は、一ミリの狂いもなく、
犯人の持っている刃物に照準が定まっている。
犯人と吉岡との距離は、30メートル弱。

どう出てくる?

拳銃を構えながら、吉岡は犯人の動きに全神経を集中させた。
逃げようともがく被害者を必死に路面に押さえ込んでいる。
周囲にそれ以外の音は何もなく、真夜中の住宅街は、
無関心な静けさの中に沈みこんでいた。

「助けてくれ・・・助けて・・・」

夜風に消え入りそうな被害者の半泣きの声が吉岡の耳に届いてきた。
拳銃を構えながら、ジリ、と一歩、吉岡は犯人に近づいた。

「警察だ。ナイフを捨てて、人質をこっちに渡せ」

声の抑揚を消しながら、もう一歩、吉岡は犯人に近づいていく。

「人質をこっちに渡すんだ」

「刑事さんですか?」

緊張を割るように突然話しかけてきた犯人の声に、
吉岡は擦り寄る足を止めた。
その声は、とても落ち着き払っていた。
ヘッドライトの光線にようやく慣れてきた吉岡の目が、
犯人と被害者の顔を捉える。そこで今度は、
拳銃を握っている手が微かに緩んだ。
被害者は、高齢で疲労感こそ出ているが全くの無傷で、
逆に犯人の男の方がひどく憔悴しきってる様子に見えた。

「この人を傷つけたりはしません。安心してください」

犯人の声が続けに言う。

「それなら手に持っているナイフはそこに捨ててください」

吉岡は諭しながらそう言うと、擦り寄る動きを覚られないように注意しながら、
もう半歩、犯人の側に近づいた。

「それはできません」

「どうしてですか?」

「この人に謝ってもらうまで、これは手放せません」

犯人はそう言うと、横でへたりと路上に座り込んでいる被害者の
左腕をしっかりと掴みなおした。ヒっと竦んだ被害者の声がその後に続く。

「吉岡、現場はどうなっている? 被害者の状態は?」

しびれを切らした捜査三課長の声がイヤホンに飛び込んできた。

「無傷です。疲労の様子は見られますが、体調が特に崩れている兆候は見当たりません」

犯人の耳に届かないよう、低くトーンを落とした声で、
吉岡は受令機に向かって報告した。
その間も、目線はしっかりと犯人に据え置かれている。

「犯人は? 武器は持っているのか?」

吉岡は一瞬躊躇したあと、

「刃物を持っています。刃渡りは、約20センチ」

と続けて報告した。

「刃物を持っているんだな?」

「はい」

「撃て」

吉岡の目の奥に痛みの光が走っていく。

「被害者は最高裁の元裁判長だ、万が一があってはならん。撃て」

犯人は地べたに座り込んで、片手で元裁判長をしっかりと掴み締めながら吉岡を見上げている。

「ホシの肩を撃って、元裁判長の身柄を確保しろ」

雑音の入った無線音が、吉岡のイヤホンで鳴っている。

「撃て」

吉岡は、銃口を照準に合わせたまま黙って犯人の顔を見つめていた。

「吉岡、聞いてんのか?」

犯人の顔中に深く刻まれた皺が目に入って、吉岡は思わず胸が痛んだ。

「聞いています」

「撃てと命令しているんだ」

じっと見つめ返してくる犯人の目の中に悪意の光は一つも見出せなかった。

「吉岡、撃て」

そこに見えているのは、底なしの悲哀だった。

「撃つんだ」

吉岡は構えていた拳銃を静かに下ろした。
拳銃をホルスターに戻し、イヤホンをゆっくりと外した。
吉岡っ、吉岡っ、と、外したイヤホンの中で、
捜査三課長の声が滑稽なほど小さく叫んでいる。
受令機のスイッチを切り、
吉岡はゆっくりと犯人に向かって歩いていった。

「吉岡といいます。捜査一課の刑事です」

包丁を持っている自分の真ん前に腰を下ろした吉岡を、
犯人は気が抜けたような顔で唖然と見つめ返した。

「お名前を聞かせて頂けますか?」

穏やかに尋ねるその声に、犯人は黙り込んだが、やがて、
安住といいます、とポツリと言葉を地面に零した。

「安住さんですね。話を聞くためにナイフは必要ないですよね?
こちらに渡してもらえますか?」

吉岡の手が、すっと安住の前に差し出される。
反射的に安住は持っていた包丁をぐっと握り返した。
声にならない悲鳴が再び元裁判長から上がる。

「大丈夫です。この人はあなたを傷つけたりしません」

吉岡は、柔らかだがしっかりとした口調で元裁判長にそう言うと、
再び安住の方へと向き直った。

「お話を聞かせてくださいますか」

包み込んでくるようなその言葉の温かさに、包丁を持つ安住の手が緩んだ。

「僕でよかったら、話をしてもらえないでしょうか?」

くしゃっと安住の顔が歪んで、その手からぽとりと包丁が滑り落ちた。
項垂れた安住の目に入らないように注意しながら、
吉岡は素早く地面に落ちた包丁を自分の背後に回し、
そして目立たぬ最小限の動きで、元裁判長を自分の背後に保護した。

「ただ・・・謝ってほしかったんです、この人に・・・。
ひと言でもいいから、詫びてほしかった・・・。
息子の事件の裁判を担当したこの人に・・・」

安住は垂れていた顔を上げて、
吉岡の背後でそっぽを向いている元裁判長の横顔を見た。
安住の皺に埋まった小さな目が潤んでいる。
吉岡は黙ったまま、その目を静かに見つめていた。

「息子を殺した犯人が、実は冤罪だったと聞かされて・・」

吉岡の眉が、少し上がる。

「犯人だと思っていた男が、ある日突然、無罪だったと聞かされても、
でも、そんなこと急に言われても、25年間、ずっとその男を
犯人だと思って憎んできた、私と妻の気持ちはどうなるんですか? 
あの裁判は間違いだった、冤罪が晴れて良かったといわれても、
それでは息子を殺した犯人は一体誰なんです? 
誰が私たちの息子を殺したんですか? 犯人を憎むことだけが、
息子の供養だった・・。その25年間は、一体何だったんですか? 
息子の無念は、息子の無念はどうなるんですか?」

安住はそこまで言うと、涙を堪えながらぐっと唇を閉じた。
胸の奥に深く落ち込んでいくようなやるせなさに駆られて、
吉岡は安住の肩を両手でそっと包みこんでいた。

「無罪の発表の後、妻と一緒に警察に行って、もう一度、
息子を殺した真犯人を探してくれってお願いしたんです。
そしたら、対応した刑事さんが、時効だからもう諦めるしかない、
いつまでも悲しんでいたら亡くなった息子さんが可哀想じゃないか、
そんなあんたらの姿を見て、息子さんも天国で悲しんでるよ、って
そう言ったんですよ」

安住は顔を上げて吉岡にすがり付いた。

「どうしてそんなことがわかるんです? 
息子が私らの姿を見て悲しんでいるなんて、
どうしてそんなことが言えるんです?
殺された息子の気持ちは誰にもわからんじゃないですか?
無念だったと、無念だったろうと、それだけですよ。
その気持ちを諦めることなんて出来ますか?」

安住は、吉岡の腕を両手で握り締めたまま、
堪えきれずに嗚咽を漏らした。

「安住さん・・」

吉岡は安住の背中をそっとさすった。
そうすることしか出来ない自分がひどくもどかしかった。

「こんなことをして本当に済まないと思っています。
でも先日の新聞に載っていた、この人の、
息子の事件に対して言った言葉を読んで・・」

安住は涙でぐしゃぐしゃに濡れた顔を上げて、
嫌悪感をその皮膚に露呈している元裁判長の顔を睨みつけた。

「あの裁判の否は警察にあるっていうこの人の言葉に、
どうしようもなく怒りがこみ上げてきてしまって・・・。
裁判の否がどうのこうのって・・それだけなんですか?
それだけで言うことは終わりなんですか? 
あんたにとっての息子の事件は、
たったそれだけの言葉で片付けられてしまうことなのですか? 
あんたのでたらめな判決で、多くの人の人生が犠牲になったんだ、
そのことはどうでもいいのですか?」

安住の声を無視するかのように黙り込んだまま、
元裁判長は憮然とした態度で横を向きつづけている。

「私はただ、あなたにひと言謝ってほしかった。
息子の墓の前で、ひと言、あれは間違いだったと、
過ちを認めてほしかった。それだけです。
でもあんたは謝ろうとしなかった。まったくひと言の詫びもなかった。
だからわたしはあんたが謝るまでこうしてっ、」

再び噴出した怒りに任せて元裁判長に掴みかかろうとした安住の体を、
吉岡は両手で抱きとめた。

「わたしらの25年間を返してください。息子との時間を返してください・・」

安住は吉岡の腕の中で泣き崩れた。
子供のように泣きじゃくる安住の体を、
吉岡は腕の中で静かに受け止めてやることしかできなかった。
安住の体全体から伝わってくる悲しみが、
どうしようもなく切なくて、胸が苦しかった。
ヘッドライトの光を遠方に察して顔を上げると、
暗闇の道に、数台の車が入り込んでくるのが見えた。
吉岡の瞳にやるせなさの痛みが増していく。

「安住さん・・・・立てますか?」

吉岡は、そっと安住に囁いた。駆けつけてくる刑事たちに検挙される前に、
安住に自分の足で立ってほしかった。
到着した車から、数人の刑事たちがばらばらと飛び出してくる。
あっという間に自分を包囲してくる刑事達の姿を、
安住は泣きはらした顔で呆けたように見つめ上げた。

「立ちましょう、安住さん」

吉岡は、そっとさりげなくサポートしながら安住自身の力で立ち上がらせた。
元裁判長の身柄が数人の刑事たちに抱えられて特別護送車へと運ばれていく。

「待ってください」

立ち去る元裁判長の背中に吉岡は呼びかけた。
元裁判長の足がピタリと止まり、
忌々しそうな表情を浮かべた顔が後方に振り返った。
それは、安住の横で助けを懇願していた姿とは、
まるで別人だった。

「吉岡、いい加減にしろ」

護衛についた刑事の一人が、
横目でチラと元裁判長の表情を窺いながら素早く制した。

「何か仰ることはないのですか?」

けれども吉岡は引かなかった。

「本当にないのですか?」

吉岡の瞳に強い光が宿っていく。
その横で安住の体が小刻みに震えていた。

「ひと言も、何も?」

怯むことなく、まっすぐに見据えたまま言葉を放つ吉岡の顔を、
元裁判長は横柄にギロリと睨み返した。

「間違いは誰にでもある」

重く、威圧感のある元裁判長の声が、
凍てつく夜気の中に響き渡った。

「それだけだ」

それだけ言うと、ぐるりと踵を返して、
元裁判長は護送車の中へと入っていった。
追いかけようとして足を踏み出した吉岡の腕を、
安住の手がぐっと掴んだ。

「もういいです・・・もう・・・・いいです」

振り返った吉岡に向かって安住は何度も頭を下げていた。

「安住さん・・・」

「あなたに話を聞いてもらえてよかった・・・」

手錠をかけてもらうつもりなのか、
安住は自分の両手を吉岡の前に差し出した。
その背後に、元裁判長を乗せた高級車が走り去っていく。

「どうぞお願いします」

皺とシミだらけの手が自分の前に差し出されている。
吉岡は安住の手を見つめた。
そこには、悲しみに耐えて、それでも地道に歩んできた安住の人生が、
深く深く刻まれているようかのだった。
じっと静かにその両手を見つめていた吉岡の手が自然と伸びて、
安住の手を両手で包み込んでいた。驚いた安住が顔を上げる。

「車までお送りします」

吉岡はそう静かに言って、安住の身体をそっと護送車へと向けた。

「ごくろうさん。後は俺たちの仕事だ」

最後まで現場に一人残っていた先輩刑事の高瀬が、
吉岡と安住に向かって歩いてきた。

「一課の奴に手柄は渡さないぜ。これは三課のヤマだ」

「手柄だなんて思っていません」

吉岡は高瀬に向かってまっすぐに言い返した。

「そうかい、じゃ、手渡してもらうよ」

そう言って高瀬は手馴れた手つきで安住に手錠を掛けていく。

「手錠は必要ないと思います」

「甘ったれたことを言うんじゃねぇよ。規則は規則だ」

高瀬は吐き捨てるように吉岡に言うと、
安住の体を護送車の方へと引っ張って行った。
小さく縮んだ安住の背中が無抵抗なまま引き摺られていく。

「安住さん!」

堪らなくなって、吉岡は連行されていく安住に駆け寄っていった。

「これ、これ着ていって下さい」

吉岡は自分の着ていた防寒ジャケットを脱いで、
護送車の中に押し込められた安住の肩にかけた。
でも・・・と言って戸惑っている安住に、

「これ暖かいんです」

と言って微笑んだ。

「舐めた真似すんじゃねぇぞ」

運転席からドスの効いた高瀬の声が飛んでくる。

「規則にはひっかからないはずです」

吉岡は、バックミラーの中から睨んでくる高瀬の目を見つめ返しながら言った。
ふん、と鼻をならして、高瀬は車のエンジンをかける。

「どけ。出発するぞ」

吉岡は後部座席のドアを静かに閉めた。と同時に、
後部座席の窓ガラスがスーッと降りていって安住の目と直に目が合った。
吉岡は運転席に目をやり、そ知らぬ顔で前方を見ている高瀬に頭を下げた。

「それでは・・」

と安住に向かって言いかけて、
後はなんと続けたらいいのか言葉に詰まり、
吉岡は口を噤んだまま黙ってしまった。

「刑事さん、」

静かに響いてきた声に吉岡は顔を上げて、
安住の顔を見つめ直した。

「吉岡です」

「はい?」

「僕は、吉岡といいます」

不意をつかれたように一瞬驚いた安住の表情は、
しかしすぐに穏やかな顔に戻り、

「吉岡さん、ご迷惑をおかけしました」

と言って一礼した。それから顔を上げて、
吉岡の顔を初めて正面からまともに見つめ返してきた。

「息子が生きていたら、今はあなたと同じくらいの年齢でした。
もしまだ生きていたら・・・君のように育っていてくれたかもしれないな・・・」

そう静かに言って、安住は少し寂しそうに微笑んだ。
はい、と何度も頷きながら、吉岡はその場に立ちつくしていた。

「泣かないでください」

「え?」

気付くと、いつのまにか吉岡の頬に涙が零れていた。
声もなく、いくつもの涙の雫が、吉岡の頬を伝って落ちていった。

「どうぞ元気でいてください」

再び頭を下げた安住がそう言い終ると同時に、
車が音もなくゆっくりと発進した。
走り去る車に向かって、吉岡は深々と頭を下げた。
やがて顔を上げると、車のテイルランプが夜の闇に小さくなっていた。
吉岡はその場に佇んで、安住を乗せた灯りが消えて見えなくなるまで、
走り去る車をいつまでも見送っていた。





つづく
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吉岡刑事物語・その14

2009年03月21日 | 小説 吉岡刑事物語





玄関のドアが開いて、
部屋の明かりもつけないまま靴を脱ぎ、
ネクタイを緩めながら短い廊下を歩き抜けて、
吉岡は薄暗いリビングへと入っていった。
捜査明け、三日ぶりに帰ってきた部屋は、
どことなしか他人行儀な空気を漂わせている。
青白いグレーの幕を張った薄闇の中で、
小さなテーブルと椅子が二脚、
窓の外から入りこむ人工質な光の中に、
ひっそりと浮かび上がっていた。
解き取ったネクタイをテーブルの上に置いて奥の寝室へと進み、
そのままベッドの上に倒れこんだ。
額に載せた手の甲の下で、閉じた両の瞼がかすかに痙攣している。
不眠不休が続いた捜査はさすがに堪え、
ひどく疲れていて、体がだるかった。
吉岡はゆっくりと呼吸を繰り返した。吐き出される息が熱い。
暗く閉ざされた視界の端に、赤いランプが点滅していた。
瞳を閉じたまま、気だるい動作で体を僅かに横に傾けながら、
右腕を伸ばしてサイドテーブルの上にある留守番電話のボタンを押した。

「俺、筒井だ」

吉岡はそっと目を開けた。

「お前の携帯にかけても繋がらないから、こっちにもかけている」

ひっそりと静まり返った部屋に、高校時代からの友人の声が響いていく。
吉岡は耳をすました。

「至急連絡がほしい。何時でもいいから、このメッセージを聞いたら
すぐに電話をしてくれ。今日は当直で俺の携帯の電源は切ってあるから、
医局の方に直接かけてくれ。必ずだ。連絡待ってる」

そこでメッセージは終わった。
吉岡は視線だけを斜め横に動かして、
電話の横に置いてあるデジタル時計を見た。
時刻は夜中の一時を既に回っていて、
とうに「何時でもいい時刻」は過ぎている。
電話の上に置かれた右手が、するりと下に滑り落ちた。
床すれすれの所でだらんと垂れ下がった右腕を、
吉岡はしばらくぼんやりと眺めていた。
開いたままのカーテンから差し込む月の光が、
しなやかに伸びた吉岡の身体と溶け合いながら、
蒼くほのめく藍色の影を白いシーツの上に落としている。
そっと繰り返される呼吸だけが、
部屋の空気をかすかに揺り動かしていた。
静かな夜だった。
吉岡は、無音の中へとゆっくりと瞳を閉じていった。
疲労しきった意識が眠りの波に引き込まれていくその間際、
胸の奥底から咳の塊が咽あがってきた。
コホコホと咳き込みはじめた咳は、
やがて窒息させてくるような激しい咳へと変わっていき、
押し寄せる呼吸の苦しさに、吉岡はシャツの胸元を思わず強く握り締めた。
ベッドカバーを掴みながら立てかけた片腕に、
咳き込む上半身をかろうじて支えながら、もう片方の手が
サイドテーブルの上の電話の受話器を手探るように必死に掴んでいく。
荒れた呼吸のまま顔を上げるとそこに時計の文字盤が目に入ってきて、
吉岡は掴んだ受話器をふっと放した。
胸を切り込んでくる痛みに堪えながら
右手でぎゅっとシーツを掴んで手繰り寄せ、
胎児のように丸まった。
そのままじっとしている内に、
発作のような激しい咳はようやく治まってきて、
吉岡は荒れた呼吸を懸命に整えながら、
ベッドの上でさらに身体を丸めた。

眠らなくちゃ・・・

眠るんだ・・・

このまま・・・深く・・・

眠って・・・

そこで携帯電話が鳴った。
公用と私用に分けてある呼び出し音だが、
いま耳に入ってきたのは前者からのものだった。
反射的に対応した吉岡の手が、
着込んだままのスーツの内ポケットから携帯を取り出し、
素早い動作で応答ボタンを押した。

「すぐ署に戻って来い。トカゲの出動だ」

吉岡が声を出す前に、山村の低い声が耳に飛んできた。

         


警視庁には、犯人追跡時に機動する、
通称「トカゲ」と呼ばれるオートバイ部隊がある。
バイクの運転技術に最も優れ、尚且つ捜査能力にも格別に秀でている、
文字通り選びぬかれた捜査員たちが、誘拐事件などが発生した際に、
緊急応援部隊要員としてまっさきに各課から駆り出されて、
犯人追跡にバイクで出動する仕組みになっている。


「ヒデ!」

警視庁本部庁舎ビル入り口への石段を足早に登りきったところで呼びかけられて、
吉岡は正面ドアへと足を進めながら後方を振り返った。
高校時代からの友人であり、警視庁詰めの新聞記者でもある萩原が、
タクシーから降りた足を吉岡へ向けて小走りにやってくる。
歩速を落とさないまま、軽く片手をあげて萩原に挨拶の返事をし、
吉岡は大玄関入り口のドアを素早く通り抜けた。

「トカゲの出番ですな」

軽口を叩きながら追いついた萩原が、
歩速を合わせて吉岡の隣に並ぶ。

「ブン屋も出番だね」

「まぁね」

「こんな時間に呼び出されるなんて、新聞記者って大変だよな」

「それは刑事のお前だって同じことだろ」

萩原は笑った。見慣れた顔の記者たちが数名、
後方から二人を駆け足に追い抜いていく。

「元裁判長が拉致されたんだって?」

何の気なしに、といった口調で萩原が吉岡に尋ねてくる。
吉岡は軽く微笑んだだけで、その質問には答えない。

「報道協定がすばやく布かれたよ。第一お前を叩いたって
ミクロの塵すら出てこないこないことは百も承知ですよ、秀隆くん」

「ごめん」

「友情は手段じゃない、がお前の信念なんだ、それでいいさ」

二人は大ロビーを大股で闊歩しながら突っ切っていく。
そういえばさ、と軽い調子で話題を変えた萩原は、

「お前が単独で追っている例の件なんだけど」

次に声のトーンを落として言った。
ちょっと面白いことを耳にしてさ、と言葉を繋ぎながら、
萩原は更に声を落とした。

「お前に話しておきたいことなんだ」

吉岡は足早に歩きつづけながら、
うん、と自身も低い声で頷いた。

「わかった。ありがと」

二人はゆるい螺旋を描く中央階段口へと辿り着き、
萩原は歩みを緩めないまま一段飛びにそこを駆け上がっていった。
吉岡は地下駐車場へと続く階段を下りていく。
そうだヒデ、と途中で萩原に再び呼び止められて、
吉岡は階段を駆け降りながら上方を見上げた。
手摺に上半身を凭れかけさせて、
階下を覗き込むような格好をしている萩原の姿が目に入る。

「筒井から何度も連絡があってさ、お前を署で見つけたら、
引き摺ってでも病院に連れ来いって言われてんだ、俺」

階段を降りる吉岡の足がふと止まった。
その顔に、推し量るような表情がゆっくりと浮かんでいく。

「ヒデ、お前、大丈夫なのか? 顔色がすごく悪いぞ」

懸念を含んだ萩原の声がロビーに響き、
吉岡は一瞬言葉に詰まったような表情で口を噤んだあと、

「大丈夫だよ」

といって明るく笑った。

「ちょっと寝不足気味なんだ。筒井には後で連絡するよ」

それからそう言って、じゃぁ、と萩原に向かって片手を上げると、
階段を一気に駆け下りていった。
その姿が視界の外に消えるまで、
萩原は気がかりそうに吉岡の背中を目で追っていた。






つづく
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なまずのひげが

2009年03月11日 | なまずのひげ

それは、ある日の午後のこと。

あるメモ書きを手にしたまま、
とある場所に茫然と立ち尽くしていた私。

そのメモ紙には、

ホテルのロビー中央から階下へ続く螺旋階段を降りて、
直進に十歩進むと自動ドアが開くので、
それをそのまま通り越して更に真っ直ぐ五歩き、
行き当たった先に立っている人に向かって
自分の名前を言ってください。


と書いてある。

なんてこった。

地下組織へ潜入しろというのか?

いつの間にかスパイになってしまった。

しかし指示通りに行ったその場所は、
ヒーリングミュージックみたいなBGMが
軽く耳にかかる音量で心地よく流れており、
埋め込み式に作られた壁の棚には、
自然化粧品とやらが品よくディスプレーされていて、
その様子はどちらかというと地下組織というより、
「絶対的にサロンです」
という雰囲気で、そもそもスパイは受付の人に
ぬけぬけと自分の名を明かさないのであり、
メモに書かれた筆跡はどうみてもジャイアンのものであって、
確かにジャイアンは「酸っぱい」を「スパイ」と発音するが
だからといって彼の職業までスパイということではなく、
するってぇ~と結局スパイではなかった私は、

え?

と、ここで文頭の状態に戻るのでありますが、

そんなこんなの状態で途方に暮れたモアイ像みたいになりながら
その場にぼぉ~っと立っていると、突然横の部屋から
「ハァ~~~~イ!」
と間違って釣り上げてしまったトビウオみたいに活きのいい女の子が出てきて
私を奥に広がる場所へと連れて行き、

「ここがあなたのロッカーですこのボタンをピッと押して四桁の暗証番号を
ピピピピっと押してまたこのボタンをピッと押すとロックするので開けるときは
このボタンをピッと押して暗証番号をピピピピっと押すと開きます何か質問はあり
ますかないですかこの中にあなた専用のスパグッズが入っているのでシャワーを
使ってからこのガウンを着て更に奥に続く待合部屋で待っていてくださいわかりま
したかいいですかそうですかそれではさよなら!」

これを息継ぎなしの物凄い速さで言い終えると
トビウオ嬢は海に戻ったトビウオのようにささっと
もと来たフロンとへと再び消えていってしまったのですが、そうか、

ここはスパだったのか!

スパイではなくスパだった。(←気付くのが遅すぎる)

これで謎が解けたわ。
はぁ~やれやれ。
それじゃ~ホテルの部屋へ戻るとするか。
よいしょっと。

ってここで帰っちゃダメなんだったわ!

どうやらわたすはこれから全身エステとらやをするらしい。

そんなことは・・・全然知らなかった。。。

って純君なら言うよ!
エステなんて今まで一度もしたことないずらよっ。
どないしょー?! 

いや、ここでビビってはいかん。

「挙動不審のジャパニーズ」

とあのトビウオ嬢に思われてしまったら
大和撫子としては遺憾なのだ。いやでも意外なところで

「変なチャイニーズ」

と思っているかもしれないあるよ。
どちらにしてもアジア人として立派に振舞わねばならぬ。

気を引き締めなおして用意されていたガウンに着替え、
ロッカー室からキャンドルの火がゆら~っとゆらめいていたりする
シャワーエリアへといざ足を踏み入れた瞬間、
どぃんっ!
と仁王立ちで立っていたすっぽんぽんマダムとモロに目が合ってしまって、

「すんませんっ!」

と思わずその場で叫んでしまった。
人はこういった思いも寄らないシチュエーションに遭遇すると、
とっさに謝ってしまう生き物らしい。

いやそこはシャワーエリアだったし、
そのマダムはジャグジーバスの横に立っていたのであって、
すっぽんぽんでいるのは自然なことなのだけれど、
しかしなにも仁王立ちしなくっても~、ビビってしまったずらよ~。

はっ!

ビビってはいかんのだった。

気を取り直してシャワー室に入り蛇口をひねると

ぶぉわーーーーーーーーーーー!!!!!

といきなり天井および三方の壁から猛烈な勢いでお湯が出てきて

ひぃやぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!

わたしは洗車場の車ではなくってよーーーーーーー!!!

ってな経緯をへてやっとのことで待合室へと辿り着いた私は
気分は15Rを闘い抜いたリングの上のあしたのジョーだった。

おやっさん、エステって意外と茨の道だよ。。。

「立て、立つんだ、ジョー!」

としかし呼ばれる代わりに、

「あなたのセラピストです!」

といきなり目の前に登場したその人はどちらかというと、

「これからアロマセラピ~をしますね~」

というより、

「これから寒中水泳しますっ!」

と云った方が似合いそうな体育会系の熟年女性だった。
開口一番、余りにも力強く
「あなたのセラピストです!」
と宣言されてしまったので、こちらもあやうく
「うぃっす!」
と応えてしまうところだった。 
危なかったぁ。。。

待合室から奥へと続く落ち着いた雰囲気漂う廊下の右側に
スパルームと呼ばれる個室がずらっと並んでおり、
ミス・セラピストに示されたそのうちの一つの部屋に入っていくと
6畳くらいの広さの室内はほんのりと明かりが灯っている中に
ナチュラルミュージックが静かに流れていてとても心地良い雰囲気。
なのだけれどもやっぱりキンチョーしちゃうのが人情ってもんですぜぃ、旦那~。
人はそれを「小心者」という言葉に言い換えるかもしれないけど、
その通りかもしれない。

「オイルは三種類使うわね。バラとラベンダーとオレンジ」

寝台に横になって更にキンチョーしまくっている小心者の私に
ミス・セラピストはさらりんちょと言う。
そうだ、そうだよね、だってエステなんだから、もしこれが

「オイルは三種類、サラダオイルとごま油と機械油」

とかだったらイヤダヨナ~。
なんて考えている内にもミス・セラピストは
手際よくオイルを全身に塗っていき、
それが終わると今度は温めた「クレイ」なるものをその上に重ね塗りし、
全身を巨大ホイルみたいな銀色のシーツでぐるりんと私の体全体を包み込むと、

「しばらく動かないでいてね、あ、それとリラックスしてていいのよ」

と言って部屋から一旦出て行ってしまった。
ちょ、ちょっと、待ってくだせい、残された私は・・・

薄あかり
鳥のさえずり聴きながら
一人ぽつんと
ホイル巻

なんというかこう・・・・、
どうしたらいいのだろうっ?!

サーモンのホイル焼になった気分だぞう。
それに体がむしむしあっつかですよ~、
きもちええ~あったかさ~というより、
根性入れて蒸してますっ!
みたいな暑さなのですが、これでいいのでしょうか?
なんか不安だわ~、早く戻ってきてくりぃ~、ミス・セラピスト~、
カンバックサ~モ~~ン!!!
ってサーモンは私の方だったよ、っていうか、
グレーグリーンの石灰を顔に塗って
寝台の上で身じろぎもせずに横になっているなんて、まるで
バスに悪酔いしてしまった顔色の悪いツタンカーメンみたいでもあるのだ、
二者択一するとしたらどちらがいいでしょう?
サーモンのホイル巻か、
それとも
バスに酔ったツタンカーメンか、
そりゃ~もう、
どっちもいやだよ。
しかしそのどっちでもあったりするのだわ、今の私ったら、
まいったね~こりゃ、あはあは。

ピキ、

なんてアホなことを考えていたら顔が弛緩して
クレイにヒビが入ってしまった。

やば。
動いちゃだめ、
とミス・セラピストから言われていたのだったわ。

真面目な顔に戻らなくっちゃ。
でも待てよ、ここで顔の表情を元に戻したら、
またピキピキってクレイにひびが入ってしまうのでは?
ということは弛緩した顔のままでいた方がいいのだろうか?
しかしそれでは気分の悪さを通り越して一種のトランス状態に入ってしまった
ツタンカーメンお祭りバージョンみたいで怖いよ~~~~~、ってそれは
自分の顔のことだったよ~、想像するとそれは無性に、
笑える。
あ、ダメだよ、笑っちゃダメなんだよ、クレイが、クレイがぁ~

ピキピキ、

更にひび割れてしまった。

どぅわぁ~

と焦っていたらドアの向こうから、

「どうかな~?」

とミス・セラピストが話しかけてきたので、

「絶好調ですっ!!!」

とわけわからん言葉で答えてしまい、その瞬間
顔に塗ったクレイがバリバリっと一気に崩れてしまった。。。

どしぇ・・・・・

とそこでミス・セラピスト再び登場。
ささっと部屋の一角にあるシャワーをONにし、

「クレイをすっかりシャワーで落としたら
また寝台に横になって、それから私を呼んでちょうだい」

と言い残してまた部屋から出て行ってしまった。

洗い落とすのですね。
すっかりと。

そりならば、
そりならばツタンカーメンにならなくても
よかったのでは?

心なしかの疲れを感じながらシャワー室に入ると、

ぶぉわーーーーーーーーーーー!!!!!

とそこはまたまた洗車場であって、もうっ、
クリンビューはどこですかっ?!

なんて再びのすったもんだの挙句に
寝台に戻って横になると、三度の登場、ミス・セラピスト。

「これからマッサージに入ります」

と言って私の右腕をぬいっと掴んで内側に折り曲げてきたので、
とうっ、と思わずその腕を元の場所に戻してしまった。

力比べをしているのでないのだった。。。
すんません。

「リラックスしてね、リ~ラ~ックス」

と穏やかに言いながら今度は私の頭を両の掌の上に置いて
ゆっくりと持ち上げたミス・セラピスト。

わかりましたっ!

「いやあなたは力を入れなくていいのよ。
これは腹筋を鍛えているのじゃなくて、
腹筋をリラックスさせるための動きなのよ、
全身の力を抜いてね、り~ら~っくす」

こんな会話を辛抱強く何回か繰り返してくれた
ミス・セラピストさんの寛容な心とマッサージのおかげで、
ガチガチになっていた私の緊張もようやくほぐれてきて
心も体も心地よくリラックスしてきた矢先、

「ん、これは何?」

とミス・セラピストの訝しげな声が。

「この肩の固まりは何かしら?」

「それは肩こりです」

「肩こり?」

「そうなんです。肩こりがひどくて。。。」

「ちょっと仰向けになってもらうわね」

そういうや否や再び仰向けになった私の左腕を

そいやぁっ!

と思いっきり右斜め中空に引っ張り上げたので、
それはもう驚きを通り越して途方に暮れてしまった。

「実は私、スポーツセラピストもやっているのよ」

と言いながらミス・セラピストさんは私の右腕、左腕を交互に

そいやっ、そいやっ、そいやっ、そいやっ

と左右中空に引っ張って動かしているので、これはもう
「前略・寝台の上から」操り人形バージョンって感じであり、
そういえば以前にも、プールで出会ったおば様に、
腕をぶわんぶわん大回転させられたことがあった・・・。
宿命なのだろうか?

それにしてもこういう状況の中で、「実は、」
という言葉から生まれてくる会話って、
なんか不思議だす。
このときの場合、もし私が肩こりでなかったら、
この人は私にとっては「ミス・セラピストさん」だけであったわけで、
しかし肩こりの発見が彼女の中の「実は、」を促して、結果、
「セラピストさんだけど、スポーツセラピストさんでもあった人」
とそのお知り合い範囲が拡大したわけであり。

何かささいなことがきっかけになって開く「実はの窓」。
毎日の人との付き合い、出会いの中で、一体どれだけのこの窓が
個人個人に向かって開いたり閉じたりしているのだろう?
と考えてみたりすると、人と人の接点って不思議なものだな~
なんて思ったりしたとです。

いやはやそれにしても、洗車所の車になったり、
サーモンホイルになったり、ツタンカーメンになったり、
明日のジョーになったり、一世風靡になったりと
コントのような初エステでありましたが、終わってみると、

肩こりが消え去っていた!!!

おおっ、すばらしかぁ~~~~~~~♪

お肌もなんかもっちりしちゃってるし、
ありがとう、ミス・セラピストさん!!! 

この肌の状態を維持できるように、自分でもお手入れ頑張りまっす。



もう三月。
春はすぐそこ♪

今日もがんばろ~っと!
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窓辺の風景

2009年03月04日 | 思うコト



悲しみの佃煮のようになっていた民雄への気持ちも
ようやくやんわりと収まってきたので、
ここらでまた警官の血をピンポイントで観直してみようかのぉ~、
と思いたっていざDVDを再生したやいなやそこで電話が鳴り、
出ると母親の声が。

一通りいつものように近況報告をしているものの、
どことな~く何か気がかりそうな響きをもった母の声に、

「どうしたの?」

と尋ねると、

「実はね・・・」

とやっと本題に切り出した母。

「お母さんずっと考えていたんだけど、
この前の吉岡くんのドラマがあったでしょう? 
あのドラマもう観ちゃったの?」

そりゃ~もう。

「観ましたわよ」

「やっぱり?」

当然ですがな。

「今ちょうどそれを見直そうと思ってDVDを再生したところなの」

「えっ、そうなの?」

「これからじっくり観ようと思っていて」

大菩薩峠のシーンを観てみようかな、
でもその時代以降の民雄の髪型はぶっちぎりでツボだった・・・
うきゃ。

「聞いているの?」

あ、やべ。

「聞いています」

「今からもう一度観るの?」

「そうですの」

そういえば急に思い出したぞう!
北大時代の回想シーンで、自分のアパートを訪ねてきた守谷女史を
寄せるようにしっかりと抱きしめたあの民雄は~~~~~~~~~~~、
胸の奥に押さえ込んでいる哀切が、落ち着いた包容力漂う香りの中で
ゆらっと切なく揺れてしまっているようで、もうたまらんくらいの
大人の男の魅力満開だったずらよ!民雄ポーーーーーーインツッ!
そんな様子のあ~んな仕草で抱き寄せられてしまったらららららららら
ららららららららららららららららららららららら

「ダメだと思うのよ」

らららららららららら、え?

「観るのはやめたほがいいと思うのよ、お母さんは」

えぇええ?

「どうして?」

「だって、だってね、あの吉岡くん・・・・・・・
コトー先生じゃないでしょう?

・・・・・・・・・・・・・・・・・。

クラ。

気のせいかもしれないけど、今立ちくらみが・・・。

「それはそうでしょう。だって違う役を演じているんだもの」

「だからね、だからお母さんとしてはね・・・」

「どうしたの?」

「コトー先生じゃないからお母さんはもうどうしたらいいのっ?!」

そんなことわたすに聞かれてもっ!

「だって違う人物を演じているんだから、
コトー先生じゃないのは当たり前でしょう? 
それに吉岡君はコトー先生じゃないのよ。コトー先生は、
“只今の人物は吉岡くんの提供でお造りいたしました”
っていう吉岡スポンサーの中の一人なんだもの。
お母さんだってず~~~っと長い間、吉岡君のことを
純君、純君って呼んでいたじゃない? でももう純君じゃないでしょう? 
それと同じ。吉岡くんはコトー先生でもないの。役者さんなのよ」

凄い役者さんなのだよ、吉岡君は、ママン。

「それはわかっているのよ。でもお母さんの言いたいことは
そういうことじゃないの」

ではなんだと仰るのですか?

「あのね、観ている最中はのめり込んじゃっていたから
全然気にならなかったんだけど、でも観終わった後にね、
そういえばこれはコトー先生じゃなかったってことに気付いたの」

ほ~~う。

「それで?」
 
「思い返してみたらコトー先生のコの字もなかったんだもの。。。
吉岡君に癒してもらえると思って観たのに、
全然癒されなかったうえにね、暴力振るうシーンもあったから
それを思い出したらお母さんはもうショックで・・・」

なりほど。

「あんなのコトー先生じゃないわっ」

ふぃ~~~~っす。

「だからあれは二代目の民雄であってコトー先生ではないのだから、
そこにコトー先生の面影がなくて当たり前でしょう? 
でもその当たり前なことを当たり前のようにこなすのは
実は至難の業であり、しかし吉岡君はそれをいとも当たり前のように
出来てしまう当たり前ではない才能の持ち主人であるのにもかかわらず
当たり前のように普通の兄ちゃんでいられる人でもあるから
ミラクルくんだわっ! 惚れちゃうのですの。惚れてるけどっ!
吉岡くんってば惚れさせ大王

「ちゃんと人の話を聞いてちょうだい」

「聞いていますわよ」

「今から観直すのならね、あのドラマ三部に分かれているでしょう?」

「うん、えぐっちゃんも伊藤さんもそれぞれ良かったよね」

「一部と三部だけ観たら?」

どしゃぁっ?!

「一部と三部だけ観るなんて、お通しとお茶だけで済ませてしまう
寿司屋の巻みたいじゃない。そういうわけにはいかないのです。
というか二部だけ見たいのですのよ、あなたの娘は」

「悲しくなってもいいの? コトー先生のイメージがなくなっちゃうわよ」

  

  

  



思わず土星に飛び立ってしまったではないか。

「あのね、思うんだけど、吉岡君は一定のイメージを保つ為に
仕事をしているわけじゃないと思うのよ。
今まで多く生み出してきた嵌り役は
吉岡くんの実力が生み出したものであって
イメージが作り上げたものじゃないでしょう。
新しい役を演じればその役しか浮かばせずに、
それまで人が抱いていた役のイメージを新しい空気で
消し去ってしまうのが吉岡くんなんだから、
なんかファブリーズみたいよね。
再演する時だって吉岡くんは形状記憶合金のように
またその役にすいっと戻ってくれるんだから
安心していればいいと思うの。
その人を観ればその人しかいない。
それが名優のなせる業であって、吉岡くんの凄さでしょう? 
生み出した人物の土台を崩してしまうことなんて
吉岡くんは絶対にしないもの。
やっぱり最高の男っぷりよね、吉岡くんったらべらぼうに頼もしいわ。
んきゃ

「歓声は別にいいから、きちんと真面目に会話してちょうだい」

「大真面目ですわよ。
民雄はただお母さんの好みに合わなかっただけです。
でもこの役も吉岡君が一球入魂して演じきった役だということは
間違いないわけだし、お母さんだって観ている最中は
好き嫌いを感じずにどっぷりドラマの中に引き込まれてしまったのだから、
それは即ち、素晴らしいではないですか、吉岡くん、わぉ! 
ということではないのでしょうか?
それにまたもしコトー先生が戻ってきたら、
その時に観る吉岡君はもうコトー先生以外の何者でもないのだろうし、
それでいいんじゃないのかなって思うけど」

「それはわかっているのだけど・・・でもね、」

「でも何?」

「今年こそ続編はあるんでしょうね、コトー先生?」

そんなこと知らないよっ!!!  

っていうかこんなことを言う為に
わざわざ国際電話をかけてきたのですか、母よ? 
って思っているそばから電話口の向こうで、

「満男が大変なことになっちゃったぞぉっ!!!」

って何やら叫んでいる父の声が聞こえたりして一体

なんて家族なんだ。。。

立ちくらみがしたのは気のせいではなかった。


しかしこういう会話をした後にいつも思うのだけれど、
これだけの確固たる幾人もの人物像を
沢山の人々の中に植えつけてしまう吉岡君は
やはりすごい役者さんですだ。


父も母も、役者吉岡くんのことは
もちろん大好きで認めてはいるけれど、
しかしどうしても満男くんや純君、コトー先生に
気持ちの基点が戻ってしまう。
というか戻らせてしまう。
母にとっての吉岡君は、昔は純君であって、
そして今はコトー先生であり、
父にとっては永遠の寅さんの甥っ子くんであり、
きっとずっとそうあってほしいのだと思うわけで。

愛着というものでありますのぉ~。。。

純君や満男くん、そしてコトー先生として
吉岡君自身の姿を見てしまうのは、
その役の人物に作為の臭みを全く感じることがないから、
ごく自然にそこから吉岡くんという役者の枠が外れて、
その人物そのものが観る者の心の中で自呼吸を始めてしまうのかも
しれないですねぃ。

そんな息づいた人物を生み出しながら吉岡君自身はしかし、
一体その人物達のどこに潜んでいるのだろう?

もちろん台詞を言うのも、感情を表情に出すのも
吉岡くんの心から生まれ出ていることはわかっているけれど、
でもなんといっていいのか上手く表現できないのでぃすが、
吉岡くん自身の「姿」は、その役の中に
すぃ~と深く潜り込んでしまっていて、
まるで気配が見えないわけで。
その体も吉岡君のものなのだけれど、
でもそれはなんか吉岡君のものぢゃな~い! 
と思ったりもしちゃうわけで、摩訶不思議くんでありまする。

すべてをその役の心に委ねてしまう、
という感じで演じているのかな~
とも思ったりしたのですが、でも先日読んでいたある本の中の一節に、
世界的に有名なジョッキーさんの競馬レースでの逸話が載っていて、
それを読んだ時に、ふと
吉岡くんのことを思い出したとです。

そのジョッキーさんの話によると、
どんなに名馬と呼ばれる馬でもレースの途中で、

「あ、もうあかん、ヒヒン」

とギブアップしてしまう
ブレーキング・ポイントと呼ばれる瞬間があるそうで、
それを騎手の人はどんな大歓声の中にいても
聞き取ることができるそうです。
その時にどれだけその馬を励ますことができるか、
心の底からどれだけ大きな声で馬に語りかけることができるか、
それが勝利の明暗を決めると。
闇雲に鞭でゴールに追い立てるのではなく、
「一緒に行こう。がんばろう!」
と励まし続けることが大切で、
それを馬は絶対に聞いてくれると。
馬の気持ちを読んで
馬と一心同体となりゴールへ向かう。
そうするのが名騎手なんだと、
そう語ってらっしゃったであります。

もちろんこれは憶測でしかないけれど、
なんか吉岡君が演じるときって
これに近いものがあるのかな~
なんて思ったりしたとですばい。

役の人物を励ましたり、また時には
その役の人物に本人が助けられたりしながら
共に叱咤激励しながらゴールへと一心同体となって向かっていく
馬上の見えない騎手のような感じなのかな、と。。。。

「純君とはケンカしながらずっと演じてきた」

と以前語っていた吉岡君だけれど、
でもそれだってやはり純君という人物と、
吉岡くん本人が真っ向から向かい合っていたから
そうなってしまったわけだと思うわけであり。

役の人物をきちんと見つめることができる。
役の人物にしっかり語りかけてあげることができる。
役の人物の気持ちをないがしろにしない。
そういった優しさが
彼の演技の根底にはあるのかな、と。
そういった優しさが、
己の姿を消しさり、深く潜り込んだ内面から、
役の人物の姿だけを外面へと
そっと押し出してあげることができるのかな、と
なんかそげなことを思ったとですたい。


役者さんは作品の窓であると思うわけで、
その窓が一方的に役者さん自身に向けた内側に開いているのか、
それとも観客側に向けて外側に大きく開いているのかで、
作品自体が語りかける力も変わってきてしまうと思うです。

吉岡くんの開く窓は
いつも外側に向かっていると思うでありますです。

だから受け取る側は、
その先に広がった景色を広く見渡すことができるのだと、
そう思うでありまする。


ハッ


気付けば三月また長文。


最後までお付き合いしてくださって
ありがとうございました。
コメント
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